Dribs and Drabs

The author hereby agrees to cover each and every topic that caught his attention.

[本]小倉貞男『物語 ヴェトナムの歴史 一億人国家のダイナミズム』中公新書

以前読んだ小倉紀蔵『朝鮮思想全史』ちくま新書のあとがきに

わたしの亡き父がかつてヴェトナムの歴史に関する新書を書いたとき,できあがった本があまりにも(非常識なほど)分厚いので,「新書でこんな分厚い本を書いてどうするんだ」とわたしは思い,そのことを父にいった。父の答えは,「ヴェトナムはすごいんだよ,ヴェトナム人はすごいんだよ」のひとことであった。

というくだりがあって,そうかと思って読んでみたのがこの本です。

物語 ヴェトナムの歴史―一億人国家のダイナミズム (中公新書)

物語 ヴェトナムの歴史―一億人国家のダイナミズム (中公新書)

たしかに,すごい。ダイナミックで狡猾なヴェトナムとその人々。中公新書のこの「物語」シリーズはいくつもありますが,ここまで「物語」という言葉を意識して書かれたものも,そうそうないのではないでしょうか。

それにしても,自分がヴェトナムについてほとんど何も知らなかったことを,ことごとく思い知らされました。

「ヴィエトナム」(VIET NAM)という国名は,ヴェトナム自身がつけたものではない。はじめてヴェトナムを統一した王朝に対して,中国の清朝が名付けさせたものである。このときヴェトナムは自ら国名をつけることができなかった。「ヴェトナム」は漢字で「越南」と書く。(P.2)

という冒頭の一節から,引き込まれる。本当は国号を「ナムヴィエット(南越)」にしたかったけれど,それでは秦朝末期の混乱期に,中国南部に秦朝に対して反逆した政権(国号を「南越」と名乗った)を思い出させるので清朝としては面白くない,そしてヴェトナム側もそれを意識してあえて「南越」と名乗ろうとした,という話が続いて,ここにヴェトナムと中国との関係性,そしてヴェトナム人のメンタリティを見るような気がして,とてもおもしろかったのでした。

[本]井上真琴『図書館に訊け!』ちくま新書

図書館に訊け! (ちくま新書)

図書館に訊け! (ちくま新書)

大学図書館に勤務し,「図書館という存在は『人類の巨大なレファレンス・ブック』だ」と考える著者が,図書館の使い方を説く本。論文も書かず大学を辞めた自分にとって図書館とは,なんとなく入って背表紙を眺める場所/喫茶店代わりの勉強する場所/借りたら返さなければならない本=所有欲を満たしはしてくれない書物のある場所,でしかなかったので,この本に書かれている図書館の使い方(特にレファレンス・ブックやレファレンス・サービス),あるいはその先にある知的営為(資料を探り・集め・集約し・その上で自説を展開する)というものが,自分にとって決定的に欠けていることだなぁと,改めて思い知らされました。

[本]細谷雄一『国際秩序 - 18世紀ヨーロッパから21世紀アジアへ』中公新書

細谷雄一らしい,参考文献が懇切に付与され,そして丁寧が議論がなされている本でありました。ただ,サブタイトルにある「18世紀ヨーロッパ」に関する記述が厚く(これはこれでいいことですが),「21世紀のアジア」につながっていく最終章に至るころには,こちらが少し息切れしてしまいました。

[本]佐々木健一『美学への招待』中公新書

漱石の『吾輩は猫である』の中での美学者・迷亭は,法螺話で人をかついでばかりの人物なのですが,それを読んで以来(つまりは14歳ぐらいのときから),「美学」というものがずっと気になっていました。

で,読んでみたこの本。そういえば同じ著者の『タイトルの魔力』(中公新書)を随分と前に読んだことがあるな,ということを,読んでいる途中に思い出しました。

美学への招待 (中公新書)

美学への招待 (中公新書)

その『タイトルの魔力』もそうなんですが,面白い視点を持って自由闊達に書く人だな,という印象があって,この『美学への招待』にしたって,「招待」といいつつも,きっと伝統的な「美学」に対するアプローチではないんじゃないかな,という構成です。

「あとがき」を読んで納得したのですが,「1日30枚,10日で新書1冊を書く」「この美学の入門書を,学説を紹介することなく,言い換えれば何も参照せずに,心の中にあることだけでつづる」「『です・ます』調で書く。口語体で自由に伸びやかに書く」という方針のもとで書かれたのが,この著作のようなのですね。

本当に何も参照せずに書かれたとすれば,なんとも博覧強記だな,という感想を持つほどに,いろんな話が広がっていくさまが面白いのですが,同時に「もっとちゃんとした入門書然としたものを読みたい」とも思います。そんな読者の信条を見越してか,巻末の文献案内がしっかりしているのも,嬉しいところです。

800° Degrees Pizza というのがあるらしいんですが

800 ディグリーズ ナポリタン ピッツェリア | 800 Degrees Neapolitan Pizzeria

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これだと「800度度ピザ」ですやん。しかもこれ,華氏800度だと思うんですが,もしかして角度なのかな?

[本]津川友介『世界一シンプルで科学的に証明された究極の食事』東洋経済新報社

世界一シンプルで科学的に証明された究極の食事

世界一シンプルで科学的に証明された究極の食事

何をもって「科学的」かと言ってると,著者によれば,

医学研究では,大きく分けて①ランダム化比較試験と②観察研究の2つに分けられる。そして,一般的に,ランダム化比較試験から得られた研究結果の方が,エビデンスのレベルが高いとされる。(pp.34-35)

さらに,

ランダム化比較試験の方が,観察研究よりも強いエビデンスであるば,実はそれよりも強い,「最強のエビデンス」が存在する。その最強のエビデンスとは,メタアナリシスという研究手法によって導き出された結果である。メタアナリシスとは,複数の研究結果をとりまとめた研究手法である。(p.36)

ここで「最強の」などという陳腐な形容をするあたり(「天下一武道会」かよ),せっかくの知的な雰囲気を壊しかけていると思うのですが,それはともかく,

メタアナリシスの中でも,複数のランダム化比較試験をまとめたメタアナリシスこそが,「最強のエビデンス」と言えるのである。(p.37)

で,

筆者は医療政策学者で医師でもある。普段は食事や栄養の研究をしているわけではないが,膨大な研究論文から科学的根拠を読み解く教育をハーバード大学で受け,自身でも科学的根拠を明らかにする研究を日々行なっている。(pp.12-13)

らしいんですが,ここでなぜ著者が「ハーバード大学」という固有名詞を出したのか,ハーバード大学で受けた教育は確たるものだという「エビデンス」はあるのか,と突っ込みたくなるところですが,それは置いといて,要するに,そういう人がこういう手法でもってまとめた知識を,ここでは「科学的に証明された食事」と呼んでいるわけです。

それって結局何なの,というと,「魚」「野菜と果物」「茶色い炭水化物」「オリーブオイル」「ナッツ類」。逆に,健康に悪いと考えられているのは,「赤い肉」「白い炭水化物」「バターなどの飽和脂肪酸」。

ところで,この本の内容を検討した人がいるようでして,

津川友介氏『世界一シンプルで科学的に証明された究極の食事』のダイエットに関するコラムの検討 - manpukuichiro

ということらしいんですが,このリンク先の最後の方で書かれている「参考文献をすべて明示してあることを感謝いたします。おかげで検証ができました。」というところ,これこそが「科学的」のキモであって,「ランダム化なんちゃら」とか「メタアナリシス」とかそいういう手法自体よりも大事なことだと思います。

で,内容はいいんだから,タイトルの「世界一シンプル」とか「究極の」みたいな安っぽい形容って,避けたほうがいいと思うんだけどなぁ。(「世界一」と「究極」であることを証明するエビデンスくださーい)

[本]鈴木美勝 『日本の戦略外交』ちくま新書

日本の戦略外交 (ちくま新書 1236)

日本の戦略外交 (ちくま新書 1236)

高坂正堯『国際政治 - 恐怖と希望』中公新書のような「一般的」な本も面白いのであるが,あるいは福永文夫『日本占領史1945-1952 - 東京・ワシントン・沖縄』中公新書のような本で過去を知るのもためになるのであるが,「いままさに何が起こっているか」「安倍晋三首相は何をしてきたか」ということを丹念に書いたこのような本も,大変面白いです。

本筋ではないですが,安倍首相が国内外でなすスピーチ,この作成にはしかるべきスピーチライターがいて,念入りなリサーチと推敲(首相直々の手直しも含む)が実はなされている,という点が,個人的には大変興味深く思えました。「文章を書く」という仕事には,そういうかたちもあるんですね。*1

以下,興味深かった箇所をランダムで抜書します。

サンフランシスコ講和にあたっては,日本をめぐる米ソ暗闘のドラマがあった。敗戦国日本が,放棄させられた千島列島に関して将来の日ソ間の火種となる米国外交による仕掛けがあったためだ。それが,今日の北方領土問題を形成する。講和条約には米国がヤルタ会談ソ連に約束した「南樺太・千島列島をソ連へ譲渡する」との表現は条文になく,日本の放棄のみが明記された。それがどこに引き渡されるかも書かれなかったのは,「事実上はソ連の占領が続くが,それに法的な根拠は与えない」ことを意味する。また沖縄の扱いと同格にせず,日本の「潜在主権」をも認めなかったのは,将来の火種を除去しておくとの配慮が働いたためと言われる。(改行)だが,実際は違う。そこにこそ,講和会議を舞台裏で仕切ったジョン・F・ダレス(米国務省顧問)の仕掛けがあった。千島列島の範囲がどこまでなのかの記述がなく,その解釈にも火種が残された。米ソ冷戦が本格化しようとする中で,「反共の砦」にと位置付ける日本と宿敵ソ連との間を離間させておくには,北方領土問題は格好の火種となった。(p.22)

そのアメリカの「仕掛け」は見事に機能したかたちになりましたね。

「価値観」をめぐっては,政治的,経済的視点で捉えるか,文化的,歴史的視点で捉えるかによって,その見え方は随分違ってくる。(改行)日本は政治的,経済的には価値(欧米の民主主義,法の支配,市場経済)の共有でつながることは容易だが,文化的,歴史的にはむしろ日中で共有する価値が多い。これを,外交戦略の中に取り込んだ場合,どうなるか。冷戦時代のようにイデオロギー対立で色分けして単純化した世界を形成するのは容易なことではない。(p.65)

自分の仕事に引きつけて考えても,東京とロンドンとのビジネス上の結びつき,地理的なAPAC内での東京の位置(しかし関連の薄さ),みたいな関係性との類似が想起されます。

「インドの対中国戦略は,協力と競争,経済利益と政治的利益,そして二国間の文脈と地理的な文脈,それぞれの間で,慎重に帳尻を合わせなければならない。インドと中国の間に能力と影響力という点で,現時点と未来の非対称性が所与のものとしてあるならば,われわれはこのバランスを正しいものにすることが絶対に必要だ。恐らく,これこそが,数年先のインドの戦略のための唯一,重要な挑戦なのである」(改行)政策提言書「非同盟2.0」には,中国の「真珠の首飾り」戦略を念頭に置いた表現が明確に見られる。(p.161)

今まで外交・国際政治・安全保障という観点からインドを見たことがなかったのですが,この本を読んで初めてそれを意識させられました。

象徴的なシーンがある。1957年に訪米した祖父・岸信介首相とアイゼンハワー大統領がゴルフを通じて交友を深めたエピソードに絡めて,安倍がオバマとの初の首脳会談の際に和製パターをオバマにプレゼントする演出を凝らした場面だった。プレゼントとして贈呈した「山田パター工房」(社長・山田透)のパターは,2012年5月の米ゴルフ・ツアーで,豪州のライン・ギブソンが,ゴルフ史上最少スコアの55を記録し,一躍,全米に知れ渡るようになったパターだ。ところが,オバマの反応は例を一言述べただけの愛想のないものだった。場は白けそうになったが,パターの価値を即座に見抜いた社交上手のバイデン副大統領がギブソンの快挙に触れ,話をつないでその場を和ませた。(p.220)

この「55」は,ツアーの大会ではなく,普通のラウンドで出したみたいですね(ソース)。しかし,トランプに贈ったホンマのドライバーといい,この山田パターといい,安倍も気を利かせて頑張っているのだが,効果の程は微妙である。

オバマのゴルフといえば,イギリスのデビット・キャメロン元首相とThe Groveで仲良くラウンドする姿がニュースになりましたが,やはりオバマはキャメロンみたいなピカピカの「エスタブリッシュメント」を気が合うのだろうか……。

*1:そういうふうな感想を抱くのは,けっきょく自分がかつて出版社で文章を書く仕事をし,そののちに広告業界でコピーライターのようなことをし,という,少なからず「文章を書く」ことを仕事にしていた経歴からくるものだと思う