Dribs and Drabs

The author hereby agrees to cover each and every topic that caught his attention.

[本]鎌田浩毅『やりなおし高校地学』ちくま新書

高校生のとき地学をとろうとはちっとも思わなかったけど,これ読んでみたら面白いしタメになるしで,興味もないくせに受験情報に流されて化学をとって二次試験も受けたのはなんだったんだろうかと。

まぁ結局,今の仕事が「地震」とか「台風」とか,地学的な事象を取り扱ってるからなんだろうな。

そしてこの本を通読してみたら,面白く読めたのは結局その「地震」とか「台風」とかに関連するあたりで,他の地層とかナントカ紀とかいう話題はあまり興味を惹かれなかったので,結局は「興味あるものしか興味ない」というところに落ち着きそうである。

「本」小林標『ラテン語の世界 ローマが残した無限の遺産』中公新書

最初の数ページ読んだけど,名著の予感しかしない。なぜイギリス王室については「royal」という形容詞だけど,日本の皇室については「imperial」であるべきかという話から,ローマ帝国の王政忌避と共和制についての話とか。

ラテン語の世界―ローマが残した無限の遺産 (中公新書)

ラテン語の世界―ローマが残した無限の遺産 (中公新書)

Pig/porkとかox/beefの二重性というのは前者がゲルマン語由来、後者がフランス語由来であって、それぞれ生産する人と食する人との階級とか出自の違いに由来するのもだとか。

面白い本だが,どうも著者の高慢さが鼻につくところが多々あって,要するに「ラテン語すごい」ってのが「ラテン語知ってる俺すごい」に転嫁されている感があって,さらに「ラテン語はフランス語やイタリア語やスペイン語,まして英語なんかより断然優秀」みたいな,そんな他の言語を貶めなくていいでしょ,っていう。

あと,日本語のローマ字表記で長母音の上に線引くやつ、あれラテン語に同じのがある(というかラテン語表記から拝借したのだろう)を知ったので、日本人は堂々と使っていいと思います。

[本]竹内薫 『「ファインマン物理学」を読む 普及版 量子力学と相対性理論を中心として』ブルーバックス

本棚に『ファインマン物理学5 量子力学』が眠っていて,これ幸いと思って買って読んでみたけど,やっぱりダメだった。

いや,ダメだったのは自分の方で,この本に限らず他のこの手の本(特に数学系)を読んだときいつもそうなんだけど,「こういう内容をなんとしても理解したい」というパッションが沸かないし,なので「理解する」ために自分で手と頭を動かして読み進めようとしない。する気にならない。

中退したとはいえ旧帝大の理学部で数学を勉強しようとしていた人間としては,なんとなく「量子力学」みたいなものに憧れがあるし,「理解できてたらカッコいいかも」ってなふんわりしたイメージがあるけど,つまるところ自分が14歳ぐらいのときから自然科学(数学を含む)に対して抱いていた気持ちって,その程度の「ゆるふわ〜」なものだったんじゃなかろうかと,今さらながら思った次第。

あ,この本の竹内薫の口調は体が受け付けなかったな。

ファインマン物理学〈5〉量子力学

ファインマン物理学〈5〉量子力学

[本]ジェームズ・R. チャイルズ『最悪の事故が起こるまで人は何をしていたのか』草思社文庫

最悪の事故が起こるまで人は何をしていたのか (草思社文庫)

最悪の事故が起こるまで人は何をしていたのか (草思社文庫)

これ,タイトルも内容も惹かれるし,ちゃんと読めば面白いのかもしれないけど,こういう文体(洋物のノンフィクションにありがちな,いろんなエピソードを羅列っぽくつないでいくやつ。TVのドキュメンタリー番組に似た手法?)は,どうしても頭に入ってこない……。

『となりの車線はなぜスイスイ進むのか? 交通の科学』でも同じことを感じたけど*1

[本]藤原正彦『遥かなるケンブリッジ 一数学者のイギリス』新潮文庫

遥かなるケンブリッジ―一数学者のイギリス (新潮文庫)

遥かなるケンブリッジ―一数学者のイギリス (新潮文庫)

藤原正彦に関してはこれまで「その顔と髪で<品格>とか語るなよ」と思ってたし*1,そもそも数学者としての実績ってどうなのよと思ってたけど,このケンブリッジ滞在記は面白かった。誰かが書いてたけど,オックスブリッジの「カレッジとユニバーシティ」というわけわからない関係については,この本がいちばん参考になった。

あと関係ないけど,藤原正彦の父が新田次郎だと知ったのはつい最近で,世の中はなんと不公平なんだろうと思った。

*1:まぁこういうものの言い方が「品格」とは相反するものなんですが

[本]山本浩貴『現代美術史 欧米、日本、トランスナショナル』中公新書

国内外の現代美術の流れが非常によくまとめられているんだけど,よくまとめられているからこそ,いくつか不満が出てくる。

不満のひとつは,ここのアーティストやグループの作品・思想についてもっと深く知りたくなる,ということで,前に読んだハイレッドセンターに関する本とか椹木野衣『日本・現代・美術』はそのへんが面白かったように記憶している。

日本・現代・美術

日本・現代・美術

不満のもうひとつは,自分の現代美術に対するニヒルな態度を強化したということで,つまりはアートがアクティビティ/パフォーマンス化していくとしたら,それはもはやアートじゃなくていいじゃん,美的感覚を置き去りにしたアートなんてアートじゃないじゃん,という。これはもしかしたら単に自分のアートに対する考えが古いだけかもしれないけど。

たとえば久保田成子《ヴァギナ・ペインティング》。この人,ナム・ジュン・パイクのパートナーだったらしいんだけど,「自らの女性器に筆を挿入して絵を描い」て「観客の度肝を抜きました」んだと。これって,そのへんのストリップ劇場でやってることと何が違うの? あと,アートの概念を拡張しすぎると,たとえばN国党の立花がやってる「選挙制度をハックする」ってこともアートといえるでしょ,とか。

あと,現代美術のひとつの特徴として「見る者と見られる者との関係性をうんたら」とか「鑑賞者のあいだで自発的な関係性の構築を目指してうんたら」とか言ってるけど,それも結局「現代美術」という閉じた世界の中での話だし,「作者と鑑賞者」という分類はどこまでいっても残るんだから(その二者のあいだの中でどこに線を引くかというだけの問題),そういうことを真面目に追求したとして,そのあとに何が生まれるの?っていう。

なんというか,自分が好きな現代美術は今のとこたかだかゲルハルト・リヒターとかダミアン・ハーストぐらいで,自分は喜んでそのパッシブな鑑賞者の位置にとどまりつづけます,って感じですね。

いや,まぁ,この本が「芸術と社会」を軸に記されたから,こう思うだけなのかもしれないけどさ。

でもあれか,自分が実際に作品をつくる側に立てば,画廊システムを破壊したい!とか思うんだろうな。

「地域アート」が「ある種のやりがい搾取」と批判する藤田直哉の視点は面白い。