Dribs and Drabs

The author hereby agrees to cover each and every topic that caught his attention.

[本]正高信男『0歳児がことばを獲得するとき―行動学からのアプローチ』中公新書

0歳児がことばを獲得するとき―行動学からのアプローチ (中公新書)

0歳児がことばを獲得するとき―行動学からのアプローチ (中公新書)

子供を育てる親として,もうすぐ新たに子供を向かい入れる者として,あるいは純粋に言語の獲得に興味を持つものとして,非常に興味深い書物でありました。この本の中では「余談」の位置づけであるが,「モチを喉につまらせて死ぬ」メカニズムが説明されている箇所が,とてもおもしろかったです。

そんな本なのですが,「あとがき」を読んで愕然としまして,長いですがその箇所を引用します。

世間では,子どもは欲しいが初めのころの子育ては大変だという女性の会話をよく耳にする。夫婦のあいだに子どもができた場合,負担の比重はなんといっても女性の方が圧倒的に大きくなってしまう。しかし手間のかかる赤ちゃんの世話を,もし無しで済ませられるならば,それに越したことはないと考える受け身の発想は,われわれおとなに,まったく別の認識世界への目を見開かせてくれる絶好の機会の目をつんでしまう態度であると感ずるようになってきた。社会に出て働く女性にとって,子どもをもつことは,とてつもないハンディキャップに違いない。身体を疲労させ,時間を拘束する。けれども子育てには,さまざまなコストを埋め合わせてなお余りある,われわれの人間としての眼を成長させてくれる潜在的可能性が付与されているように思う。それを巧妙に取り込んだとき,女性は社会のなかで単に「男性並み」になるのではなく,自らの性の特性を活かして活躍できるのではないだろうか。赤ちゃんに対して深い好奇心を持って子育てに臨むことが大切なのではと,最近感じている。

この箇所,「子育ては女性がするもの」っていう考えが疑いもなく前提されているように読めるのですが,気のせいでしょうか? 「女性のみなさん,子育ては大変だろうけど,深い好奇心を持って望めば面白いし社会の中で活躍(なんじゃそら)できるから,頑張って」としか読めないんですが。確かに授乳は女性にしかできないけれど,それ以外はすべて男性でもできるでしょ。であれば「負担の比重」が「女性の方が圧倒的に大きくなってしまう」原因ってなんなのさ。女性が社会の中で「男性並に」活躍するとかなんとかいうなら,男性が家庭の中で「女性並みに」活躍するという視点だって少なくとも持つべきではないのか。「自らの性の特性」ってなんなのさ。それをいうなら育児なんて圧倒的に体力勝負なんだから,男性だって「自らの性の特性」を活かして家の中で活躍すればいいじゃないか。

いくら1993年の書物とはいえ,この感覚ははひどいなぁと……。非常に後味の悪い読後感になってしまいました。

[本]小倉貞男『物語 ヴェトナムの歴史 一億人国家のダイナミズム』中公新書

以前読んだ小倉紀蔵『朝鮮思想全史』ちくま新書のあとがきに

わたしの亡き父がかつてヴェトナムの歴史に関する新書を書いたとき,できあがった本があまりにも(非常識なほど)分厚いので,「新書でこんな分厚い本を書いてどうするんだ」とわたしは思い,そのことを父にいった。父の答えは,「ヴェトナムはすごいんだよ,ヴェトナム人はすごいんだよ」のひとことであった。

というくだりがあって,そうかと思って読んでみたのがこの本です。

物語 ヴェトナムの歴史―一億人国家のダイナミズム (中公新書)

物語 ヴェトナムの歴史―一億人国家のダイナミズム (中公新書)

たしかに,すごい。ダイナミックで狡猾なヴェトナムとその人々。中公新書のこの「物語」シリーズはいくつもありますが,ここまで「物語」という言葉を意識して書かれたものも,そうそうないのではないでしょうか。

それにしても,自分がヴェトナムについてほとんど何も知らなかったことを,ことごとく思い知らされました。

「ヴィエトナム」(VIET NAM)という国名は,ヴェトナム自身がつけたものではない。はじめてヴェトナムを統一した王朝に対して,中国の清朝が名付けさせたものである。このときヴェトナムは自ら国名をつけることができなかった。「ヴェトナム」は漢字で「越南」と書く。(P.2)

という冒頭の一節から,引き込まれる。本当は国号を「ナムヴィエット(南越)」にしたかったけれど,それでは秦朝末期の混乱期に,中国南部に秦朝に対して反逆した政権(国号を「南越」と名乗った)を思い出させるので清朝としては面白くない,そしてヴェトナム側もそれを意識してあえて「南越」と名乗ろうとした,という話が続いて,ここにヴェトナムと中国との関係性,そしてヴェトナム人のメンタリティを見るような気がして,とてもおもしろかったのでした。

[本]井上真琴『図書館に訊け!』ちくま新書

図書館に訊け! (ちくま新書)

図書館に訊け! (ちくま新書)

大学図書館に勤務し,「図書館という存在は『人類の巨大なレファレンス・ブック』だ」と考える著者が,図書館の使い方を説く本。論文も書かず大学を辞めた自分にとって図書館とは,なんとなく入って背表紙を眺める場所/喫茶店代わりの勉強する場所/借りたら返さなければならない本=所有欲を満たしはしてくれない書物のある場所,でしかなかったので,この本に書かれている図書館の使い方(特にレファレンス・ブックやレファレンス・サービス),あるいはその先にある知的営為(資料を探り・集め・集約し・その上で自説を展開する)というものが,自分にとって決定的に欠けていることだなぁと,改めて思い知らされました。

[本]細谷雄一『国際秩序 - 18世紀ヨーロッパから21世紀アジアへ』中公新書

細谷雄一らしい,参考文献が懇切に付与され,そして丁寧が議論がなされている本でありました。ただ,サブタイトルにある「18世紀ヨーロッパ」に関する記述が厚く(これはこれでいいことですが),「21世紀のアジア」につながっていく最終章に至るころには,こちらが少し息切れしてしまいました。

[本]佐々木健一『美学への招待』中公新書

漱石の『吾輩は猫である』の中での美学者・迷亭は,法螺話で人をかついでばかりの人物なのですが,それを読んで以来(つまりは14歳ぐらいのときから),「美学」というものがずっと気になっていました。

で,読んでみたこの本。そういえば同じ著者の『タイトルの魔力』(中公新書)を随分と前に読んだことがあるな,ということを,読んでいる途中に思い出しました。

美学への招待 (中公新書)

美学への招待 (中公新書)

その『タイトルの魔力』もそうなんですが,面白い視点を持って自由闊達に書く人だな,という印象があって,この『美学への招待』にしたって,「招待」といいつつも,きっと伝統的な「美学」に対するアプローチではないんじゃないかな,という構成です。

「あとがき」を読んで納得したのですが,「1日30枚,10日で新書1冊を書く」「この美学の入門書を,学説を紹介することなく,言い換えれば何も参照せずに,心の中にあることだけでつづる」「『です・ます』調で書く。口語体で自由に伸びやかに書く」という方針のもとで書かれたのが,この著作のようなのですね。

本当に何も参照せずに書かれたとすれば,なんとも博覧強記だな,という感想を持つほどに,いろんな話が広がっていくさまが面白いのですが,同時に「もっとちゃんとした入門書然としたものを読みたい」とも思います。そんな読者の信条を見越してか,巻末の文献案内がしっかりしているのも,嬉しいところです。

800° Degrees Pizza というのがあるらしいんですが

800 ディグリーズ ナポリタン ピッツェリア | 800 Degrees Neapolitan Pizzeria

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これだと「800度度ピザ」ですやん。しかもこれ,華氏800度だと思うんですが,もしかして角度なのかな?

[本]津川友介『世界一シンプルで科学的に証明された究極の食事』東洋経済新報社

世界一シンプルで科学的に証明された究極の食事

世界一シンプルで科学的に証明された究極の食事

何をもって「科学的」かと言ってると,著者によれば,

医学研究では,大きく分けて①ランダム化比較試験と②観察研究の2つに分けられる。そして,一般的に,ランダム化比較試験から得られた研究結果の方が,エビデンスのレベルが高いとされる。(pp.34-35)

さらに,

ランダム化比較試験の方が,観察研究よりも強いエビデンスであるば,実はそれよりも強い,「最強のエビデンス」が存在する。その最強のエビデンスとは,メタアナリシスという研究手法によって導き出された結果である。メタアナリシスとは,複数の研究結果をとりまとめた研究手法である。(p.36)

ここで「最強の」などという陳腐な形容をするあたり(「天下一武道会」かよ),せっかくの知的な雰囲気を壊しかけていると思うのですが,それはともかく,

メタアナリシスの中でも,複数のランダム化比較試験をまとめたメタアナリシスこそが,「最強のエビデンス」と言えるのである。(p.37)

で,

筆者は医療政策学者で医師でもある。普段は食事や栄養の研究をしているわけではないが,膨大な研究論文から科学的根拠を読み解く教育をハーバード大学で受け,自身でも科学的根拠を明らかにする研究を日々行なっている。(pp.12-13)

らしいんですが,ここでなぜ著者が「ハーバード大学」という固有名詞を出したのか,ハーバード大学で受けた教育は確たるものだという「エビデンス」はあるのか,と突っ込みたくなるところですが,それは置いといて,要するに,そういう人がこういう手法でもってまとめた知識を,ここでは「科学的に証明された食事」と呼んでいるわけです。

それって結局何なの,というと,「魚」「野菜と果物」「茶色い炭水化物」「オリーブオイル」「ナッツ類」。逆に,健康に悪いと考えられているのは,「赤い肉」「白い炭水化物」「バターなどの飽和脂肪酸」。

ところで,この本の内容を検討した人がいるようでして,

津川友介氏『世界一シンプルで科学的に証明された究極の食事』のダイエットに関するコラムの検討 - manpukuichiro

ということらしいんですが,このリンク先の最後の方で書かれている「参考文献をすべて明示してあることを感謝いたします。おかげで検証ができました。」というところ,これこそが「科学的」のキモであって,「ランダム化なんちゃら」とか「メタアナリシス」とかそいういう手法自体よりも大事なことだと思います。

で,内容はいいんだから,タイトルの「世界一シンプル」とか「究極の」みたいな安っぽい形容って,避けたほうがいいと思うんだけどなぁ。(「世界一」と「究極」であることを証明するエビデンスくださーい)