Dribs and Drabs

ランダムな読書歴に成り果てた

川北稔『イギリス 繁栄のあとさき』講談社(講談社学術文庫)

この本を手にしたわけ

保険やアクチュアリーとはまったく関係ないのですが,イギリスで働き暮らしていると,より深くイギリスの歴史や文化について知りたいと思うようになり,手にした本です。(といいつつ,Kindleコンテンツをダウンロードしたので,「本」を「手にした」わけではないですが。)

リンク先のカスタマーレビューにあるように,この本は

  • 世界システム論を援用しながら、これまでのヘゲモニー国家であるオランダ、イギリス、アメリカのうち、専門であるイギリスの歴史を中心に、「繁栄のあとさき」を辿るエッセイである

というものでして,エッセイであるがゆえに何か体系的な知識が得られるというわけではないですが,その一方で,すでに繁栄の時代を終えたと思われる日本がイギリスの繁栄(の“あとさき”)からどんな示唆が得られるか,それがさまざまな角度から眺めることができて興味深かったです。

イギリス 繁栄のあとさき (講談社学術文庫)

イギリス 繁栄のあとさき (講談社学術文庫)

 
抜粋
  • 一七世紀末に,東インド会社や南海会社とならぶ国債の引き受け機関として,イングランド銀行を創立し,戦時国債を容易に発行しえたイギリスは,圧倒的に優位に立ったのである。経済史上,「イギリス財政革命」として知られている現象である。
  • ヘゲモニーには,農業と鉱工業の生産,商業,金融の三つの次元が区別でき,それらすべての次元で圧倒的優位を確立した状態が,本当のヘゲモニー国家だと言われている。しかも,それぞれの優位は,この順に成立し,この順に崩れていく。
  • 週末は飲んだくれて,二日酔いの月曜日は仕事をしないという,伝統的な職人たちの「セント・マンデイ」(聖月曜日)の習慣の打破こそは,初期の経営者たちの一大関心事であった
  • 一九七五年頃の調査でも,イギリス人は一人あたりの砂糖消費量は世界のトップにあり,年間およそ五〇キロ以上を記録している。イギリス人のカロリー源の二割近くは砂糖である。
  • リヴァプール奴隷貿易こそが,その後背地マンチェスターの綿工業の生みの母だったのである。
  • 後に「中核」の位置に到達する地域は,むしろニューイングランド鎖国日本のように,世界システムから比較的外れていた地域であることが多い。「中核」の資本が大量に投下されて,「低開発化」されることがなかったからである。
  • そこ(『ジェイン・エア』)に描かれた世界は,工業社会の出現などとはまったく無関係に,地主ジェントルマンの価値観の優越する「古きよき世界」そのものであると言われてきた。
  • エミリ・ブロンテの『嵐が丘』やジェイン・オースティンの『高慢と偏見』など,この時代の女流作家によって描かれた世界は,このような社会背景のもとにおいて理解すべきものである。
  • イギリスにおいてさえ,チョーク質の軽い土壌に恵まれ,農耕が容易であったうえ,金融業の発達したロンドンを含む東南部と,農耕が困難であったために,牧畜と副業としての手工業の展開した――したがって,産業革命のふるさととなった――マンチェスターなどの北西部との格差は,つねに指摘されている。
  • タバコ植民地を含むアメリカ大陸の植民地人は,ひたすら課税の対象とされながら,イギリス議会には一人の代表も送ることができず,したがって,その利害は絶えず抑圧されていた。「代表なくして課税なし」が,植民地人の独立運動に向かう共通のスローガンになったことはよく知られている。
  • 大英帝国は工業化の産物なのではなく,大英帝国こそが産業革命の前提だったのである。イギリスは,工業化によって世界を支配したのではなく,世界システムに組み込まれることで,一六世紀以来の危機を脱出し,経済成長が可能になったのである。
  • 近世イギリスの社会的・経済的リーダーが,経済合理主義をこととしないジェントルマンだったからこそ,イギリスは自由放任をこととするような「軽い政府」の下にありながら,社会的資本を整備することができたのである。
  • 貴族,ジェントルマンといった中世の遺物ともいうべき人間類型を存続させているからこそ,イギリスは,工業生産の面ではいかに「衰退」しても,社会や文化のレヴェル,ひいては広い意味での生活水準の点では,さして低下していないと言えるのかもしれない。
  • キリスト教の世界では,人間に与えられた時間,つまりアダムとイヴが楽園を追放されてから最後の審判までの時間というのは,神が人間に課した試練の時間であった。言いかえれば,人間の歴史とは,神の時間そのものであった。したがって,神によって与えられた試練の時間を利用して金儲けをする,などということは許されない。とすれば,利子というものは成立しえない。中世に「ウスラ」として知られた徴利禁止の考え方は,こうして生まれた。
  • イギリスで商工会議所の初代会頭となった陶器業者ジョサイア・ウェッジウッドの経営文書などを見ると,労働者に「時間を守らせる」ということが,当時の経営者にとっていかに深刻な課題であったかがわかる。
  • プロテスタンティズムが資本主義をもたらしたという,マクス・ウェーバーのよく知られたテーゼは,歴史的にはまったく支持できないものの,ピューリタンの説教が労働者のあいだの「時間規律」の確立に一定の役割を果たしたことは,ほぼ間違いない。
  • 「生き甲斐」を論じる人びとは,しばしば「遊ぶために働く」ことを新しい理想ででもあるかのように喧伝しがちである。しかし,それはまた,「レジャー産業のために働いている」ようなものである,という事実をも指摘しないわけにはいかない。
  • ライフサイクル・サーヴァントは,社会的には「半人前」であり,「通過儀礼」的なステイタスであることから,ほぼ今の日本における学生身分に当たると考えてよい。いまだに「学割」制度があるのは「学生」というものを半人前と見る習慣の名残でもあるだろう。
  • イギリスには,「地方都市の文化」と言えるものはない,と思う。イギリスにあるのは,都会の文化としてのロンドンの文化と,地方の農村文化のみである。
  • こうした南北問題という観点から言えば,サッチャー政権の経済政策には何の新味もなく,中・北部製造業のいっそうの衰退とロンドンの金融界の盛況をもたらしただけ,と言うことができる。
  • イギリスの農村は実に美しい。地主ジェントルマンを一貫して支配階層としてきたこの国では,ジェントルマンの拠点である農村はつねに文化的に価値のある場所であり,文学や芸術での「農村回帰」は絶え間なく繰り返されてきた。狐狩りをする森を持たない人間は,この国では真のジェントルマンではありえなかったのである。
  • 一八世紀イギリスの最大の観光地となったこうした公園は,着飾った人びとが互いに「見たり見られたりする」場所,つまり自己顕示の場として,来訪した外国人の讃嘆の的となった。
  • 近世のイギリスにおける犯罪史では,密輸と密猟が,最大の特徴となった。ジェントルマンの趣味として,複雑な規則に従って行なわれる「狩猟(ゲーム)」のために,その対象とされている鳥など特定の小動物を,庶民が捕ることを禁止する「狩猟法」が創られた。しかし,かねてこうした小動物を蛋白源としていた民衆は,これを無視したため,狩猟法違反が,記録に残された犯罪の圧倒的多数を占めることになったのである。
  • 社会改良家としての彼(アーノルド・トインビー)の名声は,今もイーストエンドに生きている貧民救済施設,トインビー・ホールにその名残りをとどめている。
  • ヨーロッパだけが「近代化」ないし「資本主義化」でき,日本を含むアジアは,絶対的に「停滞」するしかないのだと考えられていた時代には,「プロテスタンティズムの倫理」が「資本主義の精神」の誕生に関係していたのだと言う,マクス・ウェーバーの学説がありがたられた。
  • ところで,やがて,「日本だけはヨーロッパ並み」となると,日欧に共通するものとして,「封建制度」の経験が決定的ファクターと見なされたわけである。
  • 今日,毎年のように渡欧する若手の歴史家からは,カルチャー・ショックの経験を聴くことはあまりにも少ない。それがグローバリゼイションの結果としての彼我の文化的差異の縮小の反映であるかぎり,とくに問題はない。しかし,それが,日本人の文化的感受性の退化を意味しているのなら,望ましいことではないようにも思われる。
余談ですが

先日Uberで手配したタクシーでヒースロー空港まで行ったのですが,そのときの運転手(イタリア人)がやたらに「イギリス人は何も作ってないじゃないか。ただカネを貸したり不動産を貸したりして,それでお金を稼いでいるだけじゃないか」と文句ばっかり言ってて,(そんなにイギリスに文句ばっかりあるならクニに帰ればいいじゃないか)と内心思いつつも,でもなかなか本質を言い当てているのではないかな,と思ったりして。

 

233.07