Dribs and Drabs

ランダムな読書歴に成り果てた

菅原潤『京都学派』講談社(講談社現代新書)

曲がりなりにも京都の大学に通い,そして1ページでもあっても西田幾多郎の『善の研究』を読んだ身としては,本書を読まずにはいられませんでした。「京都学派」なる言葉はうっすらと聞いた記憶がありながらも,そこに属する人たちが第二次世界大戦後に「好戦的な発言の是非を問われ,いずれも国立大学の教員としては不適格と判定され,京都大学を辞職した」という事実は,まるで知りませんでした。

「反アベ」的な思想が透けてみえるのが本書の価値を毀損している

ところで,最近読んだ『朝鮮思想全史』(ちくま新書)の中に,「道徳的価値判断と学問的評価は切り分けるべき」といったことが書かれていて,そういう点はまさにこの京都学派の評価にも当てはまると思いますし,著者の菅原は鮮やかな手つきでそれを成し遂げています。しかし非常に残念なことに,本書の随所に見られる「反アベ」的な言い回しが,本書の価値を毀損しています。

例えば,プロローグの冒頭。「なぜこんな時代に京都学派について書くに至ったか」を述べる一連の文章の切り出し。

日本が焦土と化した第二次世界大戦から七〇年を過ぎた現在,周知のように国内外ともにきな臭い状況になりつつある。安倍晋三首相は「日本を取り戻す」を連呼しつつ,周辺諸国との歴史認識を共有しないまま安保関連法を強引に成立させ,憲法改正をも政治日程に入れつつある。(p.6)

高橋里美の先見性を述べる箇所。

岩波書店から再販が出ることで西田の名が世間に知られるようになったのは,これより一〇年ほど先のことだから,論文発表の時点では,まだ無名の学徒同士の論争だったと位置づけられる。とはいえ『善の研究』発表直後の西田がすでに定職を得ているのに対し,高橋はまだ将来の見通しが立たない大学院生だったのだから,忖度が蔓延して実質的に言論活動が封殺された感のある現在では想像もつかない自由が明治末年には存在していたと言ってもよいだろう。(p.47)

「あとがき」の結び。

忖度が横行し忘災が加速することを危惧する二〇一八年早春

鶴見俊輔の「言葉のお守り的使用法」を紹介した流れで,

この論文が執筆されているのが敗戦直後であったことも考え併せると,「意味がよくわからずに言葉を使う習慣の一種類」というのが,戦中の政府のプロパガンダ活動であることが容易に推測がつく。実際,鶴見はこの後に「お守り的使用法」の実例として「国体」「日本的」「皇道」といった戦中に頻繁に用いられた語とともに,「尊王」のような幕末に流行した語も含めている。現在であればさしずめ「アベノミクス」も含められるだろう。

それを言うなら,あなたが頻繁に用いている「忖度」であろう。

奇しくも,

田中美知太郎は京都学派というよりは,わが国におけるギリシア哲学研究の基礎を築いた研究者だと言われるべきだろう。(中略)学外では(昨今何かと話題の日本会議とは異なる)日本文化会議を設立して保守的言説の論陣を張ったが,教育の場では学生が多少でも時流便乗的な発言をすると「それは学問ではなくジャーナリズムである」とたしなめたと言われている。(p.170)

という引用をしているのにも関わらず,この著者自身がまさに時流便乗的な「忖度」だ「アベノミクス」だのというフレーズを随所に散りばめているところが,なんとも哀れである。

この「反アベ」的フレーズ以外にも,この著者は客観的事実を述べているときは非常に切れ味のよく読みやすい文章を書くのですが,「個性」が顔を出した途端に,なんとも残念なことになるのである。たとえば,「京大四天王」と呼ばれる西谷啓治,高坂正顕,高山岩男,鈴木成高の略歴を紹介したあとで,

四人は後述する座談会「世界史的立場」(一九四一年)のメンバーと完全に重なる。座談会の開催当時はいずれも助教授ないし教授に成りたての若手だったが,昨今の年長者の顔色をうかがう若手研究者とは無縁の自由奔放な発言をおこなっている。(p.78)

この著者の近くで働いている「昨今の若手研究者」たちは,「うるせーよ」としか思わないでしょう。

ここで理解の便を図るため,少し個人的な話をさせていただきたい。筆者が九州方面に勤務していた時分に,福岡市で開催されたイベントで京大卒のある高名な学者と話す機会があった。福岡市と言えばその周辺が邪馬台国の所在地だったかもしれない場所なので,日本文化に造詣が深いとされるその学者は,てっきり九州訪問を機に古代文化の原型を知る手がかりを得ようとしていると思っていた。けれども訪問の隠れた目的を筆者が尋ねると,博多ラーメンを食べることだと答えたので,筆者は驚くとともに大いに失望した。もちろんこの高名な学者の回答は一流のジョークとして受け止めるべきであって,筆者の反応は無粋極まりないかもしれないが,それだけにかえって京都学派のもつ「東洋的性格」の正体を図らずも暴露したとも捉えられる。

まったく「理解の便」になっていないばかりか,「まともに回答すべき相手」だと著者が見られていない可能性が考慮されていないのが,なんとも痛々しい。

全体的には,非常に面白い読み物に仕上がっている

しかしながら,「京都学派」の解説本として見たときには,本書はとても優秀だと思うのです。その人物や思想のつながりが分かりやすく記述されており,まったく前知識を持っていない僕のような人間であっても,非常に面白く読み進むことができました。随所に盛り込まれるエピソードも豊富で,「学派」およびそれに関わった人たちの人物像を,くっきりと浮かび上がらせています。

たとえば,「民族の哲学」をテーマにした三木清と高坂正顕との対談の引用を受けて,長期化した日中戦争後の東アジアの地図をどう見るかで双方の見解が大きく分かれていたことが分かるといい,

まずは三木だが,第二次近衛声明で謳われた日中の連携をさらに推進し,日本人と中国人が積極的に混血をおこなうことで,新たに「東亜民族」を産み出すべきだと主張する。この主張を正当化する道具立てがヘーゲルの『歴史哲学講義』における,キリスト教の「最後の審判」を連想させる「世界史の審判」だが,これに対して高坂は,さすがに日中戦争は侵略的ではないとまでは言わないが,日本人と中国人の双方がこれまで培ってきた歴史的・文化的伝統を尊重すべきだと主張する。(改行)このように捉えれば,戦時下の知識人の抵抗の鑑のように見られてきたヒューマニスト・三木清のイメージは一変し,これまで太平洋戦争のイデオローグとして見られてきた京大四天王の高坂の方がまだリベラルではないかとすら見られるだろう。(p.115)

田辺元に関するこんなエピソード。

そもそも形式論理学を重視する数理哲学の研究から出発した田辺にとって,形式論理学の基本中の基本である(XはAか非Aかのいずれかであり,Aでも非Aのいずれでもないということはあり得ないという)排中律を認めようとしないヘーゲルは,学問的に許容できない哲学者だったが,大学の運営上,どうしてもそのヘーゲルと対決しなければならない事情が生じてきた。そのきっかけとなったのが,先述した京大キャンパス内で多数の学生が検挙された,一九二五年から翌二六年にかけての京都学連事件である。(中略)理想の研究を専門とする田辺の眼には,京都学連事件はマルクスの思想にかぶれた学生の熱病が引き起こしたものと映った。それゆえ今後自分がすべきは,個人的な好悪の感情とは別に,マルクスの思想の理論的背景にあるヘーゲル弁証法を徹底的に批判し尽くすことだと考えた。(p.61-62)

人物別のコラム。

『「いき」の構造』(一九三〇年)の著者として名高い九鬼周造は京大教授のまま退官したので,京都学派のメンバーに入れてもよさそうに見えるが,西田幾多郎と師弟関係になかったこと,また多くの京都学派の哲学者が格闘した弁証法の問題にさほどの関心をももたなかったことを勘案すれば,厳密な意味での京都学派のカテゴリーには含められないと思われる。(中略)なお隆一夫人の波津子は周造の妊娠中に岡倉天心と恋愛関係にあり,その後,離縁された。このスキャンダルの発覚後,天心は,東京美術学校(現在の東京芸術大学)校長の辞任を余儀なくされ,波津子は精神を病んで長期入院することとなる。少年時代の周造はしばしば家を訪れる天心を実の父だと思っていたとのエピソードが伝わっている。この母を喪った経験は精神形成に尾を引き,二度目の結婚相手は祇園の芸妓であり,この経験が名著『「いき」の構造』を書く母胎となった。(pp.32-33)

京都大学の知られざる(というか僕が知らなかった)成り立ち。

今でこそ京都大学は東京大学に次ぐ学府と見なされているが,プロローグで触れたように東大の後に京大ができるまでには二〇年もの歳月が経っている。遷都を機に江戸が東京と改称されて以降,後に残された京都は荒廃していた。大学設立を通じて活性化を促そうとする動きがあるにはあったが,政府は財政難を理由にこれを認めなかった。ところが一八九五年に日清戦争で日本が勝利を収めて清国(現在の中国)から多額の賠償金を得てから,第三高等学校(略して三高,現在の京都大学総合人間学部)を大学に昇格することが決定された。

三宅剛一の紹介。

三宅は西田をはじめとする日本の哲学を「心の哲学」と呼び,それに「共感しうる」ものがある一方,「理論的には」「ついて行けない」ところがあると批判する。(改行)ここから読み取れるのは,西田幾多郎から始まる京都学派の研究スタイルに対する強い反撥である。三宅は明治以降のわが国の哲学研究の歩みそのものを特に否定するつもりはない。けれども東北大学に赴任して職務上,自然科学の研究の歴史を繙いてゆくと,西洋哲学において幾度となく話題になる「無限」や「永遠」という概念が,ギリシア哲学とキリスト教神学が結合しては分離するなどして,時代によってさまざまな含蓄を呈してゆくことが知られるようになり,その視点に立つと,京都学派および高橋里美の体系は,暗黙裡にある種の東洋的なものを前提にしているがゆえに,西洋哲学の水準に達するだけの十分な基礎づけがなされていない,そう批判されることになったのだ。(p.184)

巻末の「読書案内」も,手短ながらもちゃんと読書案内になっていて,そういう点では著者の知的良心のようなものが感じられました。

ということで

重ね重ね「反アベ」的な言い回しが非常にもったいないのですが,担当編集者の山崎比呂志さん(「あとがき」に名前が出ていた)はどうお考えなんでしょうね。思想を同じくする共犯者なのか,あるいは老人の暴走を止めるに止められなかった哀れな犠牲者なのか。

121.6