Dribs and Drabs

ランダムな読書歴に成り果てた

清水真人『財務省と政治:「最強官庁」の虚像と実像』中央公論社(中公新書)

財務省の文書改竄事件で盛り上がる今,読むべき本はこれでしょうと思って手に取りました。そういう意味で期待していた内容とは違っていたのですが,まぁそうじゃなくても面白かった。そのタイトル通り,財務省(あるいは旧大蔵省)が政治のプロセスにいかに深く関わっているかについて書かれた書物です。それがほぼ時系列で,ドキュメンタリー風に,しかし著者はクールで客観的なスタンスを崩さないまま書かれているので,なんとも惹きつけられます。

まえがきから。

五五年体制の爛熟期,大蔵省に最も影響力を誇った政治家は竹下登だ。蔵相経験が長く,消費税導入を実現した首相でもある。退陣後も保持した隠然たる政治力。その源泉の一つは,大蔵省から吸い上げるインテリジェンスだった。主計局は予算の編成や印刷,国会審議に必要な日数を前例からはじき,成立までの工程表を練って権力中枢への根回しを重ねる。このやり取りを通じ,大蔵省の政策情報が政局情報を加味した「政治日程」に変換される。(改行)この政治日程に誰より精通していたのが竹下だ。自ら「巻物」と呼んだ手製の「竹下カレンダー」には大蔵省インテリジェンスを基礎に外交・皇室情報なども合わせ,半年から一年先までの緻密な政治日程を書き込んだ。これを片手に中長期の政局シナリオを描き,着地点から逆算して今打つべき手を考慮したのだ。首相より与党・派閥主導の自民党システムにあって,竹下が「権力の司祭」を息長く演じるうえで,大蔵省との蜜月は不可欠だった。

竹下登といえば,なんとなく「調整型の政治家」などと言われ,そこには「確たる信念やリーダーシップがない」といった負のニュアンスが付与されていると思うんですが,こうした記述を読めば,なかなかどうして,その「調整」たるや相当のものであることが窺い知れるわけです。そして,そうした権力の源泉たるインテリジェンスを持つ大蔵省の「政治力」(政治を動かす力という意味でもあり,政治的な振る舞いの能力という意味でもあり)たるや,恐るべきものがあることが分かるわけです。

竹下は角栄から継承した最大派閥の数の力と族議員の秩序,加えて大蔵省との蜜月を源泉に,退陣後も「調整のドン」として隠然たる権力の司祭役を演じ続ける。日程から政局運営で先手を打つ「竹下カレンダー」や,「長期多角決済」と呼ばれた政治家の貸し借りに基づく独特の利害調整術に,財政・金融を握る「最強官庁」の情報と機能は不可欠だった。(p.15)

しかし,なぜ大蔵省・財務省が「最強官庁」たるのか。

「財政とは,政治のあらゆる政策が経済的価値をまとって表現される場である。それゆえ,予算を査定する官僚はあらゆる政策の監督者としての地位にあるということもできる」。(改行)山口二郎『大蔵官僚支配の終焉』は予算編成の重みをこう喝破する。(p.4)

面白かったのが,ここ。

自民党長期政権の五五年体制で,濃密な貸し借りで「共犯関係」を築いた自民党と大蔵省だが,九三〜九四年の非自民連立政権の誕生でそこにヒビが入った。武藤は自民党復権後にある有力議員から「大蔵省とは夫婦も同然だったのに,下野した途端に冷たくしてくれたな」と恨み節を突きつけられた。「官僚は自民党ではなく,時の与党に仕えるもの」と説いても「そんな生易しい話ではない。大蔵省は合理的に行動したつもりかもしれないが,野党自民党にも与党時代と変わらず通ってきた官庁もあったのだ」と厳しく指弾されたと語る。(p.109)

「理」では理解できるが「情」では納得できない。こういう生々しい政治(家)の現場と対峙して仕事をしなければいけない官僚というのも,大変な仕事だなぁと思いました。