Dribs and Drabs

ランダムな読書歴に成り果てた

雨宮正佳「最近の金融政策運営について」

  • 過去20年間を振り返ると,一時的な要因(持続可能でない要因)で,需給ギャップがプラスになった時期はあるが,基本的には供給超過状況が続いていた。それが16年の終わり頃からようやく,ITバブル(注:00年)や住宅バブル(注:米国,06-07年)の頃よりはより持続性が強いであろうと見込まれる要因で,需給ギャップがプラスになったのは,大きな変化である。今や「日本の物価が継続的に下落する」という意味でのデフレではなくなっているが,それは単純に物価指数の話だけではなく,このような需給ギャップのプラス転化も伴う形で実現している。
  • 実体経済の強さや,最近議論になっている人手不足の強さに比べ,賃金・物価が上がりにくいという特徴は,非常に顕著になっている。
  • 人手不足の割には賃金が上がらない点については,日本の労働市場の二重構造ということが大きなポイントになる。日本の労働市場においては,正規雇用と非正規雇用の間で,賃金決定のメカニズムがあいぶ異なっている。図表4左図のパートの時間あたり給与(細線)は既に+2.5%程度まで上昇している。もし全体の賃金がここまで上がっていれば,物価も1~2%ほど上昇しているはずである。しかし,太線の一般労働者の所定内給与は,あまり上がっていない。
  • 賃金は上がりにくいとはいえ上昇してきているが,物価の動きは鈍い。この点で最近注目しているのは,賃金コストの上昇を吸収しようとする企業の取組みである。典型的なのは,ITなどを活用した省力化・効率化投資である。(中略)このような努力は,労働生産性の上昇に結び付くので,従業員の賃金を引き上げてもユニットレーバーコストは抑えられるため,賃金上昇の影響が物価に及びにくくなる。
  • 急いで付け加えておくと,これは困ったことではなく,日本経済にとっては非常によいことである。長い目でみれば,この労働生産性の上昇が,実質賃金の上昇に結び付くことになるほか,生産年齢人口の減少の下で日本経済の潜在成長力を引き上げるためにも,大事な鍵になる。今の人手不足は,日本経済の構造改革を促す,一種の強力な成長戦略にもなり得るのである。
  • 日本の企業は,iPadやiPhoneのような新規需要を創出するような技術革新よりも,供給制約に対する対応の方がより得意であると思う。かつてのオイルショックへの対応や,最近では大地震後の供給制約に対する対応でも,大変な強さを示している。人口減少という制約要因の下で,日本経済はもう経済成長できないのではないか,あるいはもう成長を求めるべきではないのではないか,という議論があるが,個人的には,70年代のオイルショック後の日本の議論を思い出す。実はあの頃も,オイルを代表する資源制約の下で,日本はもう成長できない,あるいは成長を求めるべきではないという議論が,非常に盛り上がった。ところが,実際には,日本経済は非常な強さを発揮して,世界に冠たるエネルギー効率の高い経済を作り上げ,80年代を通じて中成長を実現し,世界で最も良好な経済パフォーマンスを実現したのである。
  • 2%の物価安定目標を目指すというのは,人為的にインフレを生み出してインフレで経済問題を解決しようという政策では決してない,ということである。(中略)2%というのは,物価の安定という状態を具体的に定義すると,ゼロではなくて,このくらいの少しプラスが適当だというのが,米国や欧州も含めて,先進国の共通の理解である。
  • 日銀は物価安定目標さえ達成できればよいと考えているのではない。日銀が目指しているのは,安定的な形で2%の目標を実現することである。物価だけが上昇すれば,当然に実質賃金は下がり景気は悪化し,不都合なことがおきる。日銀は,賃金,企業収益,支出活動などの面で,物価上昇が前向きな経済活動につながることを目指しているのである。
  • 日本では,「物価が上がりにくいから,2%はやめて1%にしてはどうか」という議論が多いが,米国では,同じ根拠で,全く逆のことが言われている。米国の一部経済学者は,「米国も物価が上がりにくいので,デフレになるリスクが大きい。だとすると,デフレに陥らないのりしろを大きめにとって,物価安定目標を引き上げた方がいいのではないか」と,物価安定目標を4%にしろという議論さえある。
  • マイナス金利そのものが,直接,金融機関収益に与える影響は,実はそれほど大きくない。この政策は,350兆円ある当座預金のうち,限界的な20兆円程度の部分のみマイナス金利を適用するという3層構造という形を採ったので,20兆円にマイナス0.1%が適用されても,影響は200億円に過ぎない。
  • 日銀としては,短期の安全資産をマイナス金利にすることによって,資金がよりリスク性の高い資産に向かい,経済活動を活性化させることを期待していた。しかし,実際には,少しでも金利が残っているより長めの債権運用に資金が流れてしまい,長期金利が大きく低下してしまった。これが,金融機関の預貸利鞘の縮小や,保険・年金の運用難という形で,人々の心理にマイナスの影響を与えた。
  • メディアでは,「日銀は出口政策について全く述べていない」とか「『時期尚早である』といって口をつぐんで全く喋らないのは問題」といった論評があるが,これは正しくない。実は出口についての基本的な考え方はかなり詳しく述べている。
  • 「時期尚早である」というのは,出口について議論しないということではなく,具体的な金利のパスをどのように考えるのか,それをどのような方法で実現するのかは,実際の出口の経済金融情勢に大きく異存する,という意味なのである。

『証券アナリストジジャーナル』2018年3月号,pp.56-70