Dribs and Drabs

ランダムな読書歴に成り果てた

山本浩貴『現代美術史:欧米、日本、トランスナショナル』中央公論社(中公新書)

国内外の現代美術の流れが非常によくまとめられているんだけど,よくまとめられているからこそ,いくつか不満が出てくる。

不満のひとつは,ここのアーティストやグループの作品・思想についてもっと深く知りたくなる,ということで,前に読んだハイレッドセンターに関する本とか椹木野衣『日本・現代・美術』はそのへんが面白かったように記憶している。

不満のもうひとつは,自分の現代美術に対するニヒルな態度を強化したということで,つまりはアートがアクティビティ/パフォーマンス化していくとしたら,それはもはやアートじゃなくていいじゃん,美的感覚を置き去りにしたアートなんてアートじゃないじゃん,という。これはもしかしたら単に自分のアートに対する考えが古いだけかもしれないけど。

たとえば久保田成子《ヴァギナ・ペインティング》。この人,ナム・ジュン・パイクのパートナーだったらしいんだけど,「自らの女性器に筆を挿入して絵を描い」て「観客の度肝を抜きました」んだと。これって,そのへんのストリップ劇場でやってることと何が違うの? あと,アートの概念を拡張しすぎると,たとえばN国党の立花がやってる「選挙制度をハックする」ってこともアートといえるでしょ,とか。

あと,現代美術のひとつの特徴として「見る者と見られる者との関係性をうんたら」とか「鑑賞者のあいだで自発的な関係性の構築を目指してうんたら」とか言ってるけど,それも結局「現代美術」という閉じた世界の中での話だし,「作者と鑑賞者」という分類はどこまでいっても残るんだから(その二者のあいだの中でどこに線を引くかというだけの問題),そういうことを真面目に追求したとして,そのあとに何が生まれるの?っていう。

なんというか,自分が好きな現代美術は今のとこたかだかゲルハルト・リヒターとかダミアン・ハーストぐらいで,自分は喜んでそのパッシブな鑑賞者の位置にとどまりつづけます,って感じですね。

いや,まぁ,この本が「芸術と社会」を軸に記されたから,こう思うだけなのかもしれないけどさ。

でもあれか,自分が実際に作品をつくる側に立てば,画廊システムを破壊したい!とか思うんだろうな。

「地域アート」が「ある種のやりがい搾取」と批判する藤田直哉の視点は面白い。