Dribs and Drabs

ランダムな読書歴に成り果てた

酒井聡樹『これから論文を書く若者のために』共立出版

癖が強い本ではある(詳細は後述)が,これほど懇切丁寧に論文の書き方を指導してくれる本もないであろう。自分が「これから論文を書く若者」であったら,この本を手元に置いて,該当するページを参照しながら論文を執筆するであろう(が,若者のときはそんなに素直じゃなかった)。

たとえばタイトルの付け方は,「主題:副題」という形式がいいと述べ,具体的には「取り組むべき問題を述べる主題:着眼点を述べる副題」というかたちを本書では提案する。これが最良に洗練されたタイトルを生むかどうかは別問題だが,ひとつの方法論としては意識する価値があるだろう。また,イントロダクションに関しては,「何を前にして」「どういう問題に取り組むのか」「取り組む理由は」「どういう着眼で(着眼理由も)」「何をやるのか」という要素を盛り込めと述べる。場合によってはこれらすべてを入れることが困難な場合もあろうが,チェックリストとしては大いに有益だ。

一方で,本書の癖の強さを指摘するのは非常に容易だ。サッカー好きである著者が,表紙から本文まで一貫してサッカー(あるいは応援するベガルタ仙台)をモチーフにしているのはまだいいとして,その表紙の意図(若者11人が円陣を組んでいる)をカバー折り返し部分で長々と説明しているのは冗長に感じる。本文で著者は,論文には無駄なデータを入れるなと言っているではないか! あるいは,「なぜ,論文を発表するのか」という議論で,知的好奇心を満たすためだけに研究をして論文を発表しないというケースに対して,「ずるい」「惜しい」「ひどい」という語をわざわざ太字にして主張を並べているのは,ネガティブな情に訴えるという点でいかにも日本人的,あまりに日本人的な言い方で,説明を矮小化していると感じざるをえない。あるいはタイトルの付け方を指南する箇所で,「問題解決のためにやったことよりも,取り組む問題の方が大切に決まっている」と言い切る。前の箇所でそれに似たことを述べていたとしても,この一文だけを取ってみると,あまりに雑で乱暴だ(まして著者は,図表のタイトルのつけかたの説明で,そこだけ引用される可能性があることを示唆しているではないか。本文にも同じことが言えるだろう)。そういえば,各章のタイトルをアルプス一万尺の替え歌にしている件。これもまぁ要素としては無駄だし,著者が主張する論文のタイトルの付け方とは矛盾しているように思うのだが,どうだろうか。また,第3部第2章「なかなか論文を書けない若者のために」では,意思の側面を強調し,「人生最大の気迫で論文執筆に挑めばよいのだ」と断言する。この点は,ポール・J・シルヴィア『できる研究者の論文生産術』のスタンスと大いに異なる。

ということで,癖や弱点を指摘するのは容易な本書ではあるが,論文を書くに至って随所で具体的な指南が得られるという点において,ユニークかつ貴重な書であることは間違いない。

816.5

これから論文を書く若者のために (共立出版): 2015|書誌詳細|国立国会図書館サーチ