Dribs and Drabs

ランダムな読書歴に成り果てた

マックス・ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』日経BP社(Nikkei BP classics)

他の古典――たとえば『種の起源』とか――に比べれば遥かに「読める」。のだけれど,ウェーバーの記述は冗長であり洗練されているとはいいがたく,全体の構造がどうも有機的なものに感じられない。

以下,適当に引用。

ドイツのうちでも,さまざまな宗派が信仰されている地域の職業統計を調べてみると,ある現象が突出していることに気づくものであり,これについてはカトリック系の新聞や文献でも,ドイツ・カトリック派の会議でも,さかんに議論されている。それは資本家や企業の所有者だけではなく,教養の高い上層の社員たち,とくに近代的な企業のスタッフで技術的な教育や商業的な教育を受けている人々のうちでは,プロテスタント的な性格の強い人々が圧倒的に多数を占めるということである。

実業高校,実業学校,高等小学校などを卒業するカトリックの生徒の比率は,プロテスタントの生徒の比率よりも著しく少ないという現象は,そしてカトリックの生徒たちは人文科学的な教育を施す高校を好む傾向があることは,こうした歴史的な財産条件では説明できない。

カトリックは過去においてオランダでもイギリスでも,迫害されている時代にあっても寛容された時代にあっても,際立った経済的な繁栄を実現したことはまったくないのである。

初期のプロテスタンティズムの精神の何らかの特徴のうちに,近代の資本主義の文化と内面的な親和性が存在すると考えるとすれば,この親和性は初期のプロテスタンティズムのうちに多かれ少なかれ存在していた(いわゆる)物質主義的な側面や,反禁欲的で「現世享受的な」側面のうちに存在していたと考えるべきではなく,むしろその純粋に宗教的な特徴のうちにこそ,こうした親和性が潜んでいたと考えるべきなのである。

331.5

プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 (日経BP社): 2010|書誌詳細|国立国会図書館サーチ