下巻になってアメリカ側が出てくる。その中心はジョン・オニール*1。FBI捜査官で,対テロ作戦部長で,早くからビンラディンに注目しており,しかしFBIをやめたあとはワールドトレードセンターの保安責任者に就任し,そこで〈9.11〉の犠牲者のひとりとなる。
このテロ・グループはアメリカ国内でさまざまな事業を展開し,その活動は予想外の広がりを持っている。オニールはそう気づいた最初の人間のひとりである。この世界的ネットワークの背後には,あの男がいるに違いない。アメリカと西洋各国を滅ぼす夢をいだきつつ,スーダンで隠者のように暮らしている,あのサウジ人の反体制派人士が。そう最初にあたりをつけたのも,やはりオニールだった。だが,FBIの対テロ部長に就任早々,ビンラディンなる人物に過度に度を越した関心を示したため,同僚たちはオニールの判断力に疑問をいだきはじめていた。
この下巻では,〈9.11を起こした側〉と〈9.11を起こされた側〉という対立軸が明確になってくる。前者については「ビンラディンが存在しなかったら――あるいはどこかで命を落としていたら――どうなっていただろうか?」であり,後者については「FBIとCIAと……が情報共有して十分に連携していたとしたらどうなっていただろうか?」あるいは「オニールが失脚せずにいただどうなっていただろうか?」である。
著者のビンラディンに対する見立てはこうだ:
この時期,イスラム原理主義なるものは数多く存在したけれど,そのすべてはその国固有の目標に執着しており,国際ジハード軍団なるものを構想したのは,ただひとりウサマ・ビンラディンだけであった。すでに破綻し,いったんは国外追放の憂き目をみた組織を,それでもめげずに何とかひとつにまとめ得たのは,ビンラディンという人間がもつ指導力だった。大量殺戮をめぐる道徳上の論争にあえて耳をふさぎ,並の人間だったらとっくに夢破れているはずの失敗をくり返しながらもmなお,それらを等閑視して前進できたのは,ビンラディンという人間のねばり腰があったからである。そうした性格はどれもこれも,カルト集団の教祖や狂人のものとされるものばかりである。だがしかし,そこにいったん芸術性が加味されると,思いもかけぬ目を見張るような異化の効果が発揮されるだけでなく,われに命を捧げよとビンラディンが求める男たちの,想像力さえ捉えることができるのである。
それにしても改めて思うのは,これはものすごい本だということだ。アメリカという国には――少なくともアメリカのジャーナリズムには――,こういう本を生み出せる力がまだある。そのことに舌を巻かずにはいられない。
著者は「謝辞および情報源にかんする注記」でこう述べている:
ジャーナリストがこの世に起きたことを,可能なかぎり現実に即した形で伝えようとするとき,嘘とごまかしはいつだって頭痛のタネだが,その作業をジハードを唱える急進的イスラム主義者と,各国の諜報機関関係者にたいするインタビューをまともにやろうというのだから大変である。
その通りであり,だからこそ本書が〈この世におきたこと〉を――アフガニスタンの洞窟からアメリカの密室に至るまで――強いリアリティーをもって書き表していることが,感嘆と称賛に値する。著者は本書の執筆に5年をかけたそうだが,その5年間の濃密さ――特に人間関係の構築と膨大なインタビューと情報の整理と執筆――は,普通の人間の一生分以上のものだろう。
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