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待鳥聡史『政治改革再考:変貌を遂げた国家の軌跡』新潮社(新潮選書)

どこでこの本の存在を知ったのか覚えていないけれど,同じ著者の『代議制民主主義』は以前読んでいた*1

この本で〈再考〉している〈政治改革〉とは一九九〇年以降に取り組まれ,平成の時代と時期がだいたいかぶるやつで,しかも広義の政治改革ーーつまり選挙制度改革にはじまり行政改革,日本銀行・大蔵省改革,司法制度改革,地方分権改革に至るまでーーをあえてマクロな目線で問うている。意欲的かつユニークな著作だといえる。

本書のキーワードは〈近代化〉と〈土着化〉,そして〈マクロレヴェルミックス〉。つまり,バブル崩壊や冷戦終結などの外部要因に変化によって政治全般の応答能力などが問われ,そういう機運の中で近代化という通奏低音に支えられる中で一連の政治改革のアイデアが萌芽していった。しかしそれが実現し実行されるためには土着化というプロセスを経る必要があり,そこで改革の本質が失われるようなケースがあったと同時に,広範に渡る一連の改革の全体的な整合性(マクロレヴェルミックス)が必ずしも取れていないこともあり,ここの改革を見れば成功した事例もあれば期待通りの効果を挙げなかったケースもあると。しかし著者によれば,これら一連の改革は過去二度の憲法制定に匹敵するほどのインパクトのあるものであったと。

ここでいう近代化とは,英語で言えばmodernizationであり,原題化すなわち現在の環境に適合的なものにする,という意味が含まれる。しかし,詳しくは第1章で論じるが,政治改革の起源となるアイディアとして理解するときには,幕末開国期あるいは少なくとも戦後初期から連綿と続く,日本の社会に生きる人々の行動と,その集積としての日本の政治行政や社会経済のあり方を,より主体的かつ合理的なものにすることを望ましいとする考え方として位置づけるべきだと思われる。/それは,西ヨーロッパやアメリカが近代に至って形成した社会と個人を理想とする考え方,自律した個々人が自らの選択と合意によって政治権力を創出し,管理し,政府を運営することを気多する考え方,とっていもよい。このように理解すると,原題化よりも大きな文脈での「近代化」の方がむしろ適合的なので,本書では近代化や近代主義という言葉を使うことにしよう。

戦後日本の場合,憲法典が分量的にも内容的にも簡素であるために,統治ルールに占める憲法典の割合が小さい。政治学者のケネス・盛・マッケルウェインは,この簡素さによって,戦後日本では一般に「憲法改正」と呼ばれている憲法典の改正が不要であったことを説得的に指摘する。ただし注意しなければならないのは,それは戦後日本が統治ルールの改変を必要としなかったわけではないことである。むしろ,統治ルールすなわち「実質的意味の憲法」については,憲法典の改正を通じてではなく,実質的意味の憲法を変化させる試みが広範かつ意図的になされるとき,それは憲法典の改正と違わない効果と意義を持つというべきであり,憲法改正の一つの形だと理解するのが適切なのである。/本書が扱う一九九〇年以降の政治改革は,まさにそのような意味での憲法改正の試みであった。

戦後日本における近代主義は,自由主義ではなく共産主義を含めた左派への志向と親近性が強かった。〔中略〕マルクス主義が西欧近代の「総代理店」であり,近代主義の等価物であるという状態が,戦前の日本には存在していた。/戦後の近代主義は,これらの条件を継承して出発した。そのため,本来であれば近代主義の左派ないし異端と呼ばれるべき立場が,戦後日本では近代主義を全体として体現することになった。自由主義を重視する標準的な近代主義,あえて対比的に言えば「近代主義右派」の立場が,戦前の日本になかったわけではない。〔中略〕各種資源の国家管理など統制経済に親近性があったマルクス主義とは異なり,自由主義者は戦時中には逼迫せざるを得なかったこと,そして戦前の体制を全否定する立場ではなかったことなどから,戦後日本の近代主義の担い手としては少数派にとどまったのである。/しかも,社会学者の小熊英二が指摘するように,戦前の自由主義者はいわゆる「オールド・リベラリスト」として扱われ,戦後の近代主義者との関係が良好とはいえなかった。

近代主義の左派(マルクス主義)と右派(自由主義),保守主義という戦後日本の三つの主要な知的潮流は,政党政治とも密接に結びついていた。〔中略〕近代主義左派は当然ながら社会党などの革新勢力との関係が深かった。革新勢力の「革新」とは,戦前の社会秩序を改め,進歩させることを意味しており,近代主義とのつながりは明白であろう。〔中略〕近代主義右派は,とりわけ吉田茂が池田勇人や佐藤栄作などの官僚出身者を大量に入党させ,国会議員にしてからは,自由党とのつながりが強まった。戦前のエリートである官僚出身者にとって,開国以来の近代化は以前として国家的課題であり,戦後の国際環境の下でそれを実現させることが最大の関心事であった。保守主義は,近代主義右派が強まった自由党との対抗関係があり,かつ戦前の帝国議会からの伝統をより強く継承していた民主党において,最も濃厚であった。

312.1

政治改革再考 : 変貌を遂げた国家の軌跡 (新潮社): 2020|書誌詳細|国立国会図書館サーチ