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ランダムな読書歴と音楽にまつわる備忘録

白井恭弘『外国語学習の科学:第二言語習得論とは何か』岩波書店(岩波新書)

〈リハーサル〉でも十分に効果があるっていうのは,実体験に照らし合わせても納得感あるな。自分がはじめて英語で面接を受けるってなったとき,直前にいろいろ想定して回答を考えていたけれど,そのときはじめて夢の中で英語喋ってたもんな……。

プロローグ

二〇〇一年の九・一一同時多発テロを未然に防げなかったのは,テロリストたちが使っていた言語(アラビア語など)を解読できる人材が不足していたためだ,という反省から,高い外国語能力を持った人材を育成するにはどうすればよいかを明らかにしようとする研究に多大な補助金が出るようになりました。しかし,実情はあまり変わっていないようで,つい最近のニュースでも国務省(日本の外務省にあたる)でアラビア語ができる人は数人しかいないということです。

このような普景から,「外国語学習」という現象そのものを対象とした学問分野が一九六〇年代ごろから発達してきました。これが,「第二言語習得(Second Language Acquisition = SLA)」という新たな研究分野です。この分野は,もちろん第二言語習得メカニズムの解明という理論的な目的を持っていますが,と同時にどのような習得方法が効果的か,という問題の解明も中心的課題となっています。

第一言語の方は,みな同様に成功する,という「均質性」があるのに対し,第二言語習得の方は,結果は様々,という「多様性」があるわけです。なぜこのような大きな違いがあるのでしょうか。

第二言語習得に特化した学術雑誌も生まれています。筆者も編集委員をしている Studies in Second Langrage Acarisition 『第二言語習得研究』というケンブリッジ大学出版会の雑誌が代表的なものです。まだ三〇年程度の歴史ですが,二〇〇六年には,学術雑誌の影響力を測るインパクトファクターという指標で,言語学分野の四七ある雑誌の中で二位となっています。

本著の構成は以下のようなものです。まず,第1章では,第二言語習得に関する母語の役割を検討します。次に第2章で「なぜ子どもはふつう第二言語習得に成功するのに,大人は多くの場合失敗するのか,といういわゆる臨界期の問題をとりあげます。第3章では,外国語学習にどんな学習者が成功するのか,特に適性と動機づけの要因についてその影響を論じます。第4章では,第二言語習得のメカニズムについて,これまでにわかっていることを紹介します。第5章では,効果的な教授法・学習法の問題を論じ,第6章では,具体的な学習法のコツを紹介します。

第1章 母語を基礎に外国語は習得される

正確な難易度の確定はいまのところ難しいようですが,ある母語の話者にとってどの言語が難しいかやさしいかというのは,ある程度予測がつき,それは言語間の距離によって決まる,ということが言えます。

このような,第二言語習得(SLA)における母語の影響は「言語転移」と呼ばれています。つまり,学習者の母語の知識が第二言語に転移するのです。これは,第二言語習得のあらゆる場面で観察することができます。発音,単語,文法,文化など,様々な形で母語の影響が現れます。

前に,日本人が韓国語を学ぶのはやさしい,という話をしましたが,それは日本語と韓国語がよく似ているので,結果として「正の転移」になることが多いからです。あまり深く考えずに直訳しておけば,だいたいうまくいきます。言いかえれば,母語と似た言語を学習する場合は,正の転移になる場合が圧倒的に多いということです。

じつは,欧米で出されている第二言語習得の教科書をみると,いまでも文法項目の普遍的な習得順序を強調したものが多いのですが,実際はかなり母語の転移によって左右されることを知っておくべきでしょう。

一九七〇年代には,第二言語習得の普遍性にばかり注目が集まり,言語転移に関する研究者の興味がうすれたのですが,七〇年代終わりころからまた母語の影響についての研究がさかんになり,どういう時に第一言語の転移がおこりやすくて,どういう時におこりにくいか,すなわち,「言語転移がおこる条件」を予測することが,言語転移研究の中心的な課題となって現在まで続いています。

一方,話すことを強制すると転移がおこりやすいということも言われています。学習者の外国語能力がまだ不十分なうちに無理に話させると,結局学習者は母語に頼って,その母語の文法に適当に第二言語の語彙をくっつけて,変な外国語をしゃべる,という危険性があります。それをどんどん続けていくと,それが固まってしまうということがある。外国語の知識があまりないうちから,積極的に話すと,変な外国語が身についてしまう可能性があるのです。

文法や発音の間違いというのははっきりしているため,この人はまだ外国語ができないのだな,と思われるだけですみますが,単語や文法や発音に関してはうまくコントロールしているのに,文化的知識の転移によって学習言語の文化からはずれた言語行動をしたら,「いやなやつだ」などと思われる危険があります。さらに,そのことを指摘してくれる人はあまりいないので,学習者はそのことに(ふつうは)気づかないままに終わることが多い。まあ,母語話者の側がより寛容になればすむ話だ,という側面もありますが,現実には大多数の人はなかなか変わらないので,教える側としては,学習者が不利にならないようにする義務があるでしょう。

第2章 なぜ子どもはことばが習得できるのか:「臨界期仮説」を考える

様々な要因に関して,外国語学習の成否にどのような影響をあたえるかが研究されてきましたが,これまでの研究から,どういう学習者が外国語学習に成功するかを予測する最も重要な要因は,三つあると言われています。/1. 学習開始年齢/2. 外国語学習適正/3. 動機づけ

母語の習得により,母語の処理効率があがるにつれて外国語の処理ができなくなるというデータは,第二言語習得の臨界期が,実は母語を習得することによっておこるのだ,という可能性を示唆しています。

第3章 どんな学習者が外国語学習に成功するか:個人差と動機づけの問題

外国語学習に向いていない人は,実際にいます。アメリカでは「外国語学習障害」というものが認められつつあり,他の科目の学習はふつうにできるが外国語だけはだめ,という学生がいることが知られています。筆者の前任校のコーネル大学でも,外国語学習障害と認定されれば,必修の外国語を免除されていました。コーネルは外国語を二年間とらないといけないので,認定されないと,その学生は大学を卒業できないわけで,外国語学習障害の認定は非常に重要なわけです。

MLATは四つの異なったタイプの能力を測るように作成されています。それは/1 音に対する敏感 さ/2 文法に関する敏感さ/3 意味と言語形式との関連パターンを見つけだす能力/4 丸暗記する能力/の四つです。

巷でよく見る「達人」の学習法も,参考にはなりますが,そのまま使えるかどうかは別です。おそらく,彼らはもともと外国語学習の適性がある程度高かったのであろうし,その中で,自分にあった方法を使ってきたはずです。ですからいいわゆる「達人」から学ぶ時には,成功者だけを見るのではなく,成功者と成功しなかった人を比べて,達人に共通する特徴と,成功しなかった人に共通する特徴を比べる必要があります。

ちょっと古いのですが,ウエッシュの一九八一年の研究は,この点について重要なデータを提供しています。この研究では,学習者に適性テストを行い,言語分析力の適性が高いグループと,記憶力の適性が高いグループに分け,それぞれの半分を文法中心の授業と,暗記中心の授業にふりわけて教えてみました。結果は,自分の適性にあった教え方をされたグループの方が,成績もよく,さらに,学習に対する好感度も高かったのです。これはあまりにも当然のことなのですが,このように,適性と学習法をマッチさせる,という方法は教育の場であまりとられていないのが現状といってよいでしょう。

第4章 外国語学習のメカニズム:言語はルールでは割り切れない

このように,「言語はルールでは割り切れない」ということを知っておくことはじつは大事なことで,知人のある英語教師は,いつも学期の最初の授業で,このことを学生に言っておくそうです。つまり,ルールですべて割り切れると思っていると,そうでない時にフラストレーションがたまるわけで,それで外国語学習がいやになってしまうこともあるのです。理系の学生の方が,ルールで割り切れると思っている場合が多いようですが,そのような学生には,言語はルールで割り切れないということを明示的に教えておくことが大事かもしれません。じつは「曖昧性を容認できる」という性質が外国語学習の成功に結びつく,という研究結果もあるので,こういったことを先生が授業で説明することまた学習者としては知識として知っておくことは大事だと思います。

幼児の母語習得についてこなかなか話し始めなかったのに,話し始めたら完全な正しい文を話したので驚いた,という子どものケースが多数報告されています。ふつう幼児は,片言で話しながら試行錯誤を繰り返して,徐々に長い文を発話するようになります。だから,なかなか話し始めない子どもがいると,まわりの大人は心配になります(実際そのような子どもの中には言語が遅れる子どももいます)。ところがある日突然,大人のような完全な文を話し始めるケースがじつはかなりあるのです。(アインシュタイン症候群)

効果が立証されているのは「全身反応教授法(Total Physical Response = TPR)」という教え方です。この教授法では,その名の通り,先生が学生にいろいろな指示を出し,生徒が全身を使って反応します。/たとえば,先生が外国語で上のように命令し,学生は言われたとおりにするのです。複雑な文も,(5) のように,複雑な命令文を出して教えることができます。

これらを考えあわせると,言語習得に必要な最低条件は,「インプット」+「アウトプットの必要性」ということになります。アウトプットそのものはしなくても(実際に話さなくとも),インプットとアウトプットの必要性さえあれば,頭の中でリハーサルをすることによって,話せるようになる,という仮説が立てられます。このリハーサルは無意識的におこることもあるでしょうし,意図的に(たとえば先生に会う時に前もって何を言うか考える)おこることもあるでしょう。

インプット仮説を提案したクラシェンは,一九七〇年代後半に包括的な第二言語習得の理論を提案しています。単純な理論ですが,第二言語習得のエッセンスをとらえているとも言え,八〇年代はかなりの注目が集まりました。極端な理論なので批判も多いのですが,次のようなものです(なお,クラシェンの理論全体をさして「モニター・モデル」もしくは「インプット仮説」と呼ぶこともあります)。/先に紹介した証拠にもとづいて,「言語習得の必要十分条件は理解可能なインプットである」というインプット仮説を提案したクラシェンは,さらに意識的な「学習」は,自分の発話の正しさをチェックするモニターの役割しかしない,という仮説を提案しました。これが「モニター仮説」です。

最近は,この記憶の容量(作動記憶=ワーキング・メモリー)が,外国語学習の適性と関係がある,と主張する研究者も多数います。つまり,一度に処理できる情報量の大きい人が,外国語ができるようになる,という発想で,ワーキング・メモリーと言語習得の関係についての多くの研究が,特に適性研究との関わりですすめられています。

(1) 言語習得は,かなりの部分がメッセージを理解することによっておこる。/(2) 意識的な学習は,(a) 発話の正しさをチェックするのに有効である。(b) 自動化により,実際に使える能力にも貢献する。(c) ふつうに聞いているだけでは気づかないことを気づかせの自然な習得を促進する。

第5章 外国語を身につけるために:第二言語習得論の成果をどう生かすか

もうひとつ,日本人に英語ができない理由には,学習法の問題があります。本章では,第二言語習得研究の成果を確認して,さらに効果のあがる外国語学習法・教育法について検討します。まず,外国語学習に関する理論がどのように変遷してきたか,その歴史を振り返ってみましょう。

構造主義言語学は,「個々の言語は互いに限りなく異なりうる」というテテーゼを持ち,多くの言語の音声と文法の体系を客観的に記述することを主たる目的としていました。また,行動主義心理学は,あらゆる学習は,「刺激-反応」にもとづく「習慣形成」である,とする学習理論をかかげました。この二つの理論の共通点は,観察できるデータのみを分析対象にする,というものです。

明治時代以来,日本でずっと使われて来て,現在でもかなり使われている文法訳読方式と,オーディオリンガル教授法は,どちらも「意味」ではなく「形式」に重点をおいていることでは共通しています。第4章で述べた言語習得の原則からかけはなれているという点では両者は同じです。第二言語習得理論からは,意味の伝達に重点をおいた教授法がより効果的なものだと言えるでしょう。

入試で測られる英語能力が読み書き文法中心になっている以上,どうしても文法,訳読中心にならざるを得ないのが現状です。/また,文法訳読方式というのは,英語を読む力がある程度あれば誰でも教えられるので,なかなかなくならない,という現実もあります。つまり,教えやすいのです。

第4章までで明らかになったように,第二言語習得研究の結果わかってきた重要なことは,外国語のメッセージを理解する,すなわちインプットが,言語習得をすすめる上での必要条件だということです。アウトプットが必要かどうか,という議論はありますが,インプットを理解することの重要性を否定する研究者はいません。

よくきく「中学・高校で六年間勉強しても話せるようにならない」という話の典型のような例ですが,なぜこのような差が出るかというと,UCLAの学生は初級のうちからかなり日本語で話せるように訓練されている,ということがあるのです。これは初級のうちから,限られた文法,単語でコミュニケーションの道具として外国語を使う「コミュニティブ・アプローチ」で教えているからです。

『ニューズウィーク』の記事にあったような,「リスニングでは前後関係から意味を推測し,長文読解では段落の冒頭の一部を読んで大意をつかむコツを教えられる」という最近の傾向は,文法をきちんと処理しないで,単語だけ処理することを奨励されているようなもので,じつは本当の意味での文法習得には必ずしもよいことではないのです。このような指導は,ある意味では表面的なテクニック,ストラテジーにすぎず,言語能力の発達にはつながらない可能性もあることに注意をしておく必要があるでしょう。/だからといって,文法訳読に戻ることが問題解決にはなりません。ここで大事なのは,インプット理解の質を高めることです。

インプットが単に「意味的に理解される」だけでなく,「文法的にも処理される」べきことを,教える側も,学ぶ側も常に意識していくことで,習得がより効率よくすすんでいくわけです。

昔,松本亭という英語の達人が,Listen more, speak less. Read more, write less. と言っていましたが,まさにアウトプットに対するインプットの優位性に気がついていたわけです。/アウトプットそのものは新しい言語材料,言語知識の習得には役に立たない,言いかえると,自分のすでに知っている知識を使って何かをする,ということにすぎない,という当たり前の事実が案外見落とされている場合が多いので,その点は注意しておくべきでしょう。決まり文句を使った会話練習やタスクについても,自動化の効果はあるにしても,本当の意味での習得には効果が低いのではないでしょうか。

香港で話される広東語にもトーンはありますが,北京語と広東語の大きな違いは,北京語のトーンが前後関係によって変わる場合があるのに対して,広東語の場合はそれはほとんどない,ということです。よって,広東語の方は個々の単語のトーンをすべて暗記すればいいのに対して,北京語の場合,さらにその変化のパターンを学習しなければなりません。

第6章 効果的な外国語学習法

インプット(聞くこと・読むこと)を理解するには背景知識が重要になります。ただでさえ,外国語を理解することは難しいのですから,日本語でもわからないような教材を使ってもむだです。ですから,自分で学習教材を選ぶ時には,自分の興味があってよく知っている内容を,読んだり聞いたりするといいでしょう。

リスニングは,聞いても二〇パーセントしかわからないような教材を聞くより,八〇パーセント以上わかる教材を何度も聞いたほうが効果があります。インプットを理解することが言語習得のカギですから,わからないものを聞いても効果は低いのです。同じものを何度も聞くと飽きてしまうかもしれませんが,すでにある程度内容がわかっていたほうが,理解につながるので,言語習得を促進することは言うまでもありません。

外国語の発音のよさを予測する要素についても研究が重ねられています。すべてで同じ結果が出ているわけではありませんが,多くの研究で重要とされているのは,「学習開始年齢」「外国語環境滞在期間」「性別(女性のほうがよい)」「模倣能力」「発音の正確さに関する興味」「どれくらい外国語を使っているか」などです。/この中で,学習者がいちばん自分でコントロールしやすいのが,「発音の正確さに関する興味」でしょう。

完璧な発音を目指しても,大人の学習者の場合,完璧な発音を身につけるのはほぼ無理だ,ということも意識しておくべきです。ただ,日本人英語でいい,通じればいい,といって最初から目標を下げておくと,それさえ達成できないでしょう。ですから,目標は高く努力し,なるべくターゲットに近づける,そしてそれができなくても,がっかりせずになるべく模倣する,という現実的なアプローチが大事です。

発音については,個々の母音や子音に注意が行きがちですが,実際母語話者にとってわかりやすく,不快に感じない発音という観点からいくと,イントネーションとかリズムの方が個々の音の発音よりも重要だという研究結果が大勢を占めています。昔,外国語をまねていうのが非常に上手な藤村有弘という俳優がいましたが,彼はイントネーションやリズムをうまくまねていました。この「特徴をまねる」ことが,自然な発音の習得には大事なのです。

初級の段階から身近な内容について意味と形式の両方に注意を払って自然なコミュニケーションをしていけば,比較的短期間で,「限られた文法,単語を使って,限られた内容について」流暢なコミュニケーションができるようになります。あとは,文法項目,単語の知識を増やしていけばよいのです。

第二言語習得研究はまだ発展途上なので,応用はできない,というようなことを言う人もいますが,筆者の立場は違います。世の中,わからないことのほうが多いわけで,だからといって何も先人の知恵に学ぶことなく,先へすすもうとするのは時間の無駄です。たとえば,野球だって同じです。自己流でうまくなる人もいるのは当然ですが,コーチに教わったり,他の野球選手が書いた本を読んだり,スポーツ科学的な研究成果を取り入れる人のほうが成功する確率は高いでしょう。第二言語習得のメカニズムが一〇〇パーセント理解されることは永遠にないと思われますし,それは人間の心の働きのメカニズムを完全に解明することは不可能なのと同じです。だからといって,これまでにわかっていることを無視する,というのはあまり賢いことではないでしょう。

外国語学習の科学 : 第二言語習得論とは何か (岩波新書) | NDLサーチ | 国立国会図書館

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