いまさらこの手の本を読むことの毛恥ずかしさがあったけど,読んでおいてよかった。最近の自分の仕事を振り返りながら読み進めて,もっと効率よくできたはずと反省するばかり。そして本書の内容はビジネス向けに書かれたものだけど,学術的な研究の方法論と通ずるものがある,という意味では気恥ずかしいどころか,知的生産に関わるすべての人が習熟しておくべきスキルなんだなと,痛感した。
はじめに 優れた知的生産に共通すること
「イシューとは何か」。それについてはこの本を通してじっくり説明していくが,実際のところ,「何に答えを出すべきなのか」についてブレることなく活動に取り組むことがカギなのだ。/イシューを知り,それについて考えることでプロジェクトの立ち上がりは圧倒的に速くなり,混乱の発生も予防できる。目的地の見えない活動はつらいが,行き先が見えれば力が湧く。つまり,知的な生産活動の目的地となるものがイシューなのだ。
序章 この本の考え方:脱「犬の道」
「バリューのある仕事とは何か」/僕の理解では,「バリューの本質」は2つの軸から成り立っている。/ひとつめが,「イシュー度」であり,2つめが「解の質」だ。
僕の考える「イシュー度」とは「自分のおかれた局面でこの問題に答えを出す必要性の高さ」,そして「解の質」とは「そのイシューに対してどこまで明確に答えを出せているかの度合い」となる。
うさぎ跳びを繰り返してもイチロー選手にはなれない。「正しい問題」に集中した,「正しい訓練」が成長に向けたカギとなる
論理だけに寄りかかり,短絡的・表層的な思考をする人間は危険だ。/世の中には「ロジカル・シンキング」「フレームワーク思考」などの問題解決のツールが出回っているが,問題というものは,残念ながらこれらだけでは決して解決しない。/問題に立ち向かう際には,それぞれの情報について,複合的な意味合いを考え抜く必要がある。それらをしっかりつかむためには,他人からの話だけではなく,自ら現場に出向くなりして一次情報をつかむ必要がある。そして,さらに難しいのは,そうしてつかんだ情報を「自分なりに感じる」ことなのだが,この重要性について多くの本ではほとんど触れられていない。
第1章 イシュードリブン:「解く」前に「見極める」
序章で紹介した「犬の道」に入らないためには,正しくイシューを見極めることが大切だ。いろいろな検討をはじめるのではなく,いきなり「イシュー(の見極め)からはじめる」ことが極意だ。つまり,「何に答えを出す必要があるのか」という議論からはじめ,「そのためには何を明らかにする必要があるのか」という流れで分析を設計していく。分析結果が想定と異なっていたとしても,それも意味のあるアウトプットになる確率が高い。「そこから先の検討に大きく影響を与えること」に答えが出れば,ビジネスでも研究でも明らかな進歩となるからだ。
問題はまず「解く」ものと考えがちだが,まずすべきは本当に解くべき問題,すなわちイシューを「見極める」ことだ。ただ,これは人間の本能に反したアプローチでもある。
僕が「言葉にすることを徹底しよう」「言葉に落とすことに病的なまでにこだわろう」と言うと驚く人が多い。僕は「理系的・分析的な人間」だと思われているようで,そうした僕から「言葉を大切にしよう」というセリフが出ることが意外なようだ。
インパクトがあるイシューは,何らかの本質的な選択肢に関わっている。「右なのか左なのか」というその結論によって大きく意味合いが変わるものでなければイシューとは言えない。すなわち,「本質的な選択肢=カギとなる質問」なのだ。
よいイシューの2つめの条件は「深い仮説がある」ことだ。仮説を深いものにするためには次のような定石が役に立つ。/仮説を深める簡単な方法は「一般的にじられていることを並べて,そのなかで否定できる,あるいは異なる視点で説明できるものがないかを考える」ことだ。
深い仮説をもつための2つめの定石は「新しい構造」で世の中を説明できないかと考えることだ。どういうことか? 人は見慣れたものに対して,これまでにない理解を得ると真に大きな衝撃を感じるものだ。そのひとつのやり方が先ほどの「常識の否定」だが,もうひとつのやり方が検討の対象を「新しい構造」で説明することだ。
「本質的な選択肢」であり,十分に「深い仮説がある」問題でありながら,よいイシューではない,というものが存在する。それは,明確な答えを出せない問題だ。そんなものがあるのか,と言われるかもしれないが,どのようにアプローチをしようとも既存のやり方・技術では答えを出すことはほぼ不可能という問題は多い。
生物学者・利根川進(1987年にノーベル生理学・医学賞受賞)の言葉も示唆に富む。/「(略)ダルベッコが後に僕のことをほめていうには,トネガワはそのときアベイラブル(利用可能)なテクノロジーのぎりぎり最先端のところで生物学的に残っている重要問題のうち,なにが解けそうかを見つけ出すのがうまい,というんだね。(略)いくらいいアイデアがあっても,それを可能にするテクノロジーがなければ絶対にできない。だけど,みんなこれはテクノロジーがなくてできないと思っていることの中にも,そのときアベイラブルなテクノロジーをぎりぎりまでうまく利用すれば,なんとかできちゃうという微妙な境界領域があるんですね(略)」(『精神と物質』/文藝春秋)
イシュー見極めにおける理想は,若き日の利根川のように,誰もが「答えを出すべきだ」と感じていても「手がつけようがない」と思っている問題に対し,「自分の手法ならば答えを出せる」と感じる「死角的なイシュー」を発見することだ。世の中の人が何と言おうと,自分だけがもつ視点で答えを出せる可能性がないか,そういう気持ちを常にもっておくべきだ。学術的アプローチや事業分野を超えた経験がものをいうのは,多くがこの「自分だけの視点」をもてるためなのだ。
また,これはビジネスの世界においてコンサルティング会社が存在している理由のひとつでもある。業界に精通した専門家をたくさん抱えているはずの一流の会社が高いフィーを払ってコンサルタントを雇うのは,自分たちは知り過ぎているが故に,その世界のタブーや「べき論」に東縛されてしまい,新しい知恵が出にくくなっていることが大きな理由のひとつだ。優秀であればあるほど,このような「知り過ぎ」の状態に到達しやすく,そこに到達すればするほど知識の呪縛から逃れられなくなる。
第2章 仮説ドリブン①:イシューを分解し,ストーリーラインを組み立てる
同じテーマでも,仮説の立て方が周到かつ大胆で,実験のアプローチが巧妙である場合と,仮説の立て方がずさんでアプローチも月並みな場合とでは,雲泥の違いが生ずる。(略)天才的といわれる人々の仕事の進め方は,仮説の立て方とアプローチの仕方の二点が優れて個性的で,鋭いひらめき,直観に大いに依存している。――箱守仙一郎
生産性を劇的に高めるためにもっとも重要なのは,第1章で述べた「本当に意味のある問題=イシューを見極めること」だ。だが,これまで述べてきたとおり,これだけでは「バリューのある仕事」は生まれない。イシューを見極めたあとは「解の質」を十分に高めなければならない。/解の質を高め,生産性を大きく向上させる作業が,「ストーリーライン」づくりとそれに基づく「絵コンテ」づくりだ。この2つをあわせて「イシュー分析(またはイシューアナリシス)」と言う。
たとえば,商品開発など,「事業」を主語とした検討であれば,「3C(顧客・競合・自社)」と言われるフレームワークからはじめるとうまくいくことが多い。
典型的なストーリーの流れは次のようなものだ。/1 必要な問題意識・前提となる知識の共有/2 カギとなるイシュー,サブイシューの明確化/3 それぞれのサブイシューについての検討結果/4 それらを総合した意味合いの整理
論理的に検証するストーリーをつくるとき,そこには2つの型がある。ひとつが「WHYの並び立て」,もうひとつが「空・雨・傘」と呼ばれるものだ。このどちらかの型をストーリーの背骨とすることで,ストーリーラインは比較的簡単にできる。
「WHYの並び立て」はシンプルな方法だ。最終的に言いたいメッセージについて,理由や具体的なやり方を「並列的に立てる」ことでメッセージをサポートする。場合によっては手法を並び立てることもある。
もうひとつのストーリーラインづくりの基本形は「空・雨・傘」と呼ばれるものだ。多くの人にとってはこちらのほうが馴染みやすいのではないかと思う。/●「空」……○○が問題だ(課題の確認)/●「雨」……この問題を解くには,ここを見極めなければならない(課題の深掘り)/●「傘」……そうだとすると,こうしよう(結論)/というようにストーリーを組んで,最終的に言いたいこと(ふつうは「傘」の結論)を支える,というかたちだ。
「分析とは何か?」/僕の答えは「分析とは比較,すなわち比べること」というものだ。分析と言われるものに共通するのは,フェアに対象同士を比べ,その違いを見ることだ。
第3章 仮説ドリブン②:ストーリーを絵コンテにする
1 比較/2 構成/3 変化/どれほど目新しい分析表現といえども,実際にはこの3つの表現のバラエティ,および組み合わせに過ぎない
落語家・立川談春に『赤めだか』(扶桑社)というすばらしいエッセイ集があるが,それによると,立川流では一人前として認められる「二ツ目」になるためには古典落語を50マスターしなければならないのだそうだ。/実際のところ,どのような分野であっても,多くのプロを目指す修行のかなりの部分はこれら既存の手法,技の習得に費やされる。この際に「イシューからはじめる」意識をもっていれば,さまざまな場面を想定した技の習得意識は大きく高まる。「目線が高い人は成長が速い」という,プロフェッショナルの世界における不文律は,この意識に由来しているのだと思う。
きちんと意味のあることを相手に覚えてもらおうと思うなら,オウムのように同じ言葉を繰り返してもダメだ。「xxと〇〇は確かに関係している」という情報が実際につながる「理解の経験」を繰り返させなければ,相手の頭には残らない。外国語を学ぶとき,単語帳だけ見ていても覚えられないが,さまざまな場面である単語が同じ意味で使われていることを認知するとその単語を覚えられる,というのも同じ話だ。
そういう視点で見ると,間違った広告・マーケティング活動は枚挙にいとまがない。受け手の既知の情報と新しい情報をつなげる工夫こそが大切だ。/そしてこれが,明確に理解できるイシュー,サブイシューを立て,その視点からの検討を続け,その視点から答えを出さなくてはならないことの理由でもある。常に一貫した情報と情報のつながりの視点で議論をすることで受け手の理解が深まるだけでなく,記憶に残る度合いが大きく高まるのだ。
日本が生んだ世界的な脳神経科学者の1人であるマーク・コニシこと小西正一(カリフォルニア工科大学教授・米国科学アカデミー会員)の言葉にこんなものがある。/「生物学には質問を肯定する結果が出ないと何の役にも立たない実験が多い。このような実験のことをアメリカの科学者はFishing expedition (魚釣の遠征)という。魚が釣れなければくたびれもうけとなるという意味である。理想的な実験とは,論理も実験も簡単で,どんな結果が出ても意義のある結論ができるものである」(『ロマンチックな科学者』井川洋二編,羊土社)
第4章 アウトプットドリブン:実際の分析を進める
「人工知能の父」と言われるMIT人工知能研究所の設立者,マービン・ミンスキーがリチャード・ファインマンを評した次の言葉が,質の高いアウトプットを出すことについての本質を突いている。/「いわゆる天才とは次のような一連の資質を持った人間だとわしは思うね。/●仲間の圧力に左右されない。/●問題の本質が何であるかをいつも見失わず,希望的観測に頼ることが少ない。/●ものごとを表すのに多くのやり方を持つ。一つの方法がうまく行かなければ,さっと他の方法に切り替える。/要は固執しないことだ。多くの人が失敗するのは,それに執着しているというだけの理由で,なんとかしてそれを成功させようとまず決め込んでかかるからじゃないだろうか。
第5章 メッセージドリブン:「伝えるもの」をまとめる
聞き終わったとき,あるいは読み終わったときに,受け手が語り手と同じように問題意識をもち,同じように納得し,同じように興奮してくれているのが理想だ。このためには,受け手に決のようになってもらう必要があるだろう。/1 意味のある課題を扱っていることを理解してもらう/2 最終的なメッセージを理解してもらう/3 メッセージに納得して,行動に移してもらう
ひとつ,聞き手は完全に無知だと思え/ひとつ,聞き手は高度の知性をもつと想定せよ/どんな話をする際も,受け手は専門知識はもっていないが,基本的な考えや前提,あるいはイシューの共有からはじめ,最終的な結論とその意味するところを伝える,つまりは「的確な伝え方」をすれば必ず理解してくれる存在として頼する。「賢いが無知」というのが基本とする受け手の想定だ。
おわりに
「何らかの問題を本当に解決しなければならない」という局面で,論理だけでなく,それまでの背景や状況も踏まえ,「見極めるべきは何か」「ケリをつけるべきは何か」を自分の目と耳と頭を頼りにして,自力で,あるいはチームで見つけていく。この経験を1つひとつ繰り返し,身につけていく以外の方法はないのだ。
「経験しないとわからない」と書くと「じゃあ,この本は何のためにあるのか?」と言われそうだが,この国では論理思考や問題解決において,新しいツールの紹介のようなものばかりが行われ,本質的な知的生産についての議論が足りないように思う。この本が共通の議論のベースと実段の手がかりとなればと願っている。
336.2