自分もまさにソロピアノのアルバムで Chilly Gonzales を知って,なもんだから「静謐で内向的で……」みたいな人物をイメージしていたんだけれど,ロンドンで10年ほど前に彼のライブを観にいったとき,その先入観とは裏腹に,声の大きなエンターテイナーであることにびっくりしたのを覚えている。
そんな Chilly Gonzales のニューアルバム《Gonzo》がリリースされたのを機に,BBC6の Gilles Peterson のプログラムに出演してた。GPとのやりとりが面白かったので,書き残しておく(全部じゃないけど):
Gilles Peterson - with Chilly Gonzales - BBC Sounds
Gilles Peterson(GP):君に初めて会ったのは約20年前,2005年,南フランスでフェスティバルを始めたときだね。
Chilly Gonzales(CG):ソロピアノがブレイクスルーしたときぐらい。自分にとってはサイドプロジェクトのつもりだったけど,それが自分のすべてを変えた。そのフェスで初めて屋外でピアノを弾いたので,ちょっとナーバスだった。室内だとみんな集中して聴いてくれるからいいんだけど,屋外だと「みんな聴いてくれるかな?」って心配だった。南フランスで,みんな好きなもの飲んで思い思いにやってるからね……。でもショーはとてもうまくいった。自分はエンターテイナーだからただのピアノソロではなかったけど,とてもいい思い出だね。
GP:ファーストのピアノソロアルバムのころからだいぶ変わったよね,人々がどうやって音楽を摂取するか,人々との音楽との関係っていうか。
CG:2004年のアルゴリズムのちょい前だよね。アルゴリズムは――歌でも歌っているように――自分には優しくしてくれる。僕はSpotifyとかには反対ってわけじゃないし,いいところもある。でも,ただそういうアルゴリズムを制作のプロセスに取り入れているアーティストもいるっていうのがちょっと。ただ自分の中ではアーティストとしての自分とビジネスマンとしての自分とをわけるようにしていて,アーティストのときはそういった要素を排除しようとしているけど,自分はいまレーベルに所属しないでひとりでやっているから,売り方とかMVのアイデアとかライブでのパフォーマンスとかを自分で考えなきゃいけない。
GP:自分の音楽の流通され方をどう見てる?
CG:2001年ぐらいから一緒にやってほとんどのアルバムを一緒につくってるプロデューサーがいるんだけど,彼はいわば指揮者みたいで,何がベストな方法かを示唆してくれるし,技術的な面でも――彼はそういった方面にとても優れているので――導いてくれる。自分はコンテントが好きでコンテントについては時間をかけているけど,それができたらプロデューサーとか一緒に演奏するミュージシャンたちを信頼して彼らに預けるし,彼らにチャレンジされることが好きだ。
GP:君の初期のころってどんなだったの?
CG:自分はジャズマニアだった。ジャズの複雑さが好きで,変なコードを試したりしてた。それでいい先生に出会ったんだけど,そこで言われたのが,「うん,いいね,でも……音楽ってのはドヤるためのものじゃないよ(music is not for showing off)。他の人に印象づけるためのものじゃなくて,人々と繋がるためのものだ」。そういった教えがなかったら,自分はいまでも間違った道を歩んでいたかも。それで自分はちょっと脇道にそれて,インディーロックとかをやってた。90年代のカナダのロック……それはたぶん,以前の妙技(virtuosity)に惹かれてたことに対するカウンターリアクションっていうか。インディーロックの人はある意味で地味(basic)っていうか,一方で彼らはそんなに楽しそうに見えない。自分の野心を隠すことに必死っていうか……。それもまた間違った道だと思うんだけど,そんなこんなで自分はラップに移ってきた。っていうのは,ラッパーたちは音楽性と商売とのあいだで引き裂かれるっていうことがないから。商業的であることでさらに音楽性を強化するっていうか。それが楽しそうだなって思ったんだよね,ファンタジーの中で生きているっていうか。そんなんで〈Chilly Gonzales〉っていう名前が生まれた,自分なりのファンタジーっていうか。舞台の上でバスローブを着てスリッパを履いて,みたいな。一見傲慢に見えるけど,次の瞬間には静謐で控えめになって。なぜなら自分は複雑な存在で,それを表現したいから。学んだのは,自分を大きく見せることが,時に本当の自分を暴くことに繋がるっていうこと。正統的であろうとすると,それは意味をなさない。ソロピアノを弾いているときでも,自分の中にはラッパーがいる。
GP:君のパフォーマンスにはいろんな要素――ピアノがあってフリージャズがあってアナーキーがあって――があるけれど,ヒップホップはその大元?
CG:ヒップホップは今の時代の音楽。僕はずっと,今の時代の人でありたかった。ヒップホップは,探れば探るほどわかってくる:ヒップホップこそが新しい音楽のジャンルだし,この社会を鏡写しにするものがヒップホップ。ラップに不満をいう人は,たぶん今の社会が好きじゃない人だと思う。現実を直視しないといけないけど,ラップはその助けになる。ラップは物質主義だとか我が強すぎとかいう人がいるけど,「あなた2024年を生きたことありますか?」って言いたい。ラップは今という時代が抱える矛盾の内面化。ラップに抵抗する人っていうのは,今の時代に抵抗している人。今の時代が好きじゃなかったら「何かやりなよ」って感じなんだけど,ラップは今の社会を反映したもので,自分はクラシックとかジャズとかの世界にとどまっていたら居心地が良くなかったと思う。エレクトロニック音楽も強い影響を与えていると思うけど,でもラップに比べればエレクトロニック音楽も古いと思う。
GP:イギリスのラップは自らの声を見つけるのに時間がかかったけど,フレンチラップは即座に見つけた。それについてはどう思う? トロント出身ってことは,君もフランス語をしゃべる?
CG:モントリオールで育ったからフランス語圏だし,フレンチスクールに通った。フレンチラップに出会ったのは2004年,La Rumeur というグループ。すごい政治的で,Public Enemy みたいだけど,どっちかっていうと Dead Prez みたいな感じ。でも裁判沙汰になって,内務省――当時の大臣はのちに大統領になるニコラ・サルコジだけど――との闘いは10年にも及んで,お金もエネルギーもそれに費やされた。La Rumeur のラップはサルコジをディスったからだけど,サルコジはそれに値すると思う。それ以来フレンチラップには魅了されているけど,君が言ったみたいに,フレンチラップはアメリカンラップに追随していないところがいい。フランスではリアリティーショーがあって,ラップの次のスターを発掘しようとしている。フランスは自らの言語をとても大事にしているし,そういったもろもろの要素が,フレンチラップをすごく進んだものにしている。
GP:リチャード・クレイダーマンとの演奏ってどうだった? 彼の名前はジョークのタネだけど
CG:西ヨーロッパでは――彼はフランス人だけど――彼は完全にジョークで,彼の音楽は安っぽくて,彼はポップピアニストだけど,彼の有名な〈Ballade Pour Adeline〉は彼が書いた曲じゃなくて,彼の変なマネージャーが自分の愛人か何かに向けて書いた曲で,それを「あぁ,かわいい坊やを雇ってピアニストのふりをさせるよ」って,そしたらシングルが大ヒットになった。それから彼は世界ツアーに出て大きなスタジアムで演奏することになるけど,主観的にいえば彼の音楽は安っぽいし,僕が好んで聴くような音楽ではないけれど,客観的にみれば,彼がピアノの世界に与えた影響は絶大で,自分も子供のころは彼に影響を受けた。彼はただのピアノの先生とかコンサートピアニストっていう存在を越えて,ポップスターだったからね。だから,リチャード・クレイダーマンがいなかったらチリー・ゴンザレスも存在していなかったし,ソフィアン・パマールもいなかったし,ニルス・フラームもいなかった。自信をもっていえるけど,いまポップの世界でピアノを弾いている人は,多かれ少なかれクレイダーマンに負うものがある。そういうことで生まれたのが〈Richard Et Moi〉という曲。その曲の中でリチャードのことをパパって呼んで,「パパは僕に触れた」みたいな歌詞がある。それはクサいけど,ダブルミーニングがあって,彼はそれを好意的に受け止めてくれた。彼はいま80代だけど,きっと現存するどのロックスターよりも多くの観衆の前で演奏したと思うし,彼は音楽のアンバサダーで,ピアノというのをポピュラーな存在にしてくれた。フランスのジョークで,誰かが家の廊下でピアノを弾いてると「それリチャード・クレイダーマン」っていうのがあって,オリンピアで演奏があったとき,リチャード・クレイダーマンはとても緊張してて,彼は舞台裏のピアノで1日中練習してた。すごく尊敬に値するよね,「おぉ,彼はミスしたくないんだ」ってね。そしたらあるとき,オリンピアのスタッフが例のクレイダーマンジョークを言ってさ,「なんで彼だって分かるの?」「いやいやいや,俺らはこう言うんだよ」「うん,でも,見て見なよ」……そこに本物のクレイダーマンがいたっていう(笑)