Dribs and Drabs

ランダムな読書歴と音楽にまつわる備忘録

ジェームス・W・ヤング『アイデアのつくり方』CCCメディアハウス

序――ウィリアム・バーンバック

手に入れたアイデアが価値あるものかどうかは保証の限りではない。このことを言ったのはヤング氏が初めてだったのではないか。アイデアの良し悪しは、遺伝子までも含めてあなたのもつすべての資質と能力できまるものだ。しかし、ヤングがこの本で単純明快にまとめた手法に従ってアイデアづくりに取り組めば、あなたは自分の能力と素質のすべてを最大限に生かせることになるだろう。

まえがき

この小論は、はじめシカゴ大学のビジネス・スクールで広告を専攻する大学院の学生諸君に講義し、後日二、三の、広告界で活躍している実務家の集まりで話したものである。

〈アイデアだってこれと同じことではないだろうか。それは、私たちの意識下で進行するアイデア形成の、長い、目にみえない一連の心理過程の最終の結実にほかならないのではないか。/もしそうなら、この心理過程は、意識してそれに従ったり、応用したりできるように跡付けてみることができないものだろうか。端的にいえば<アイデアをあなたはどうして手に入れるか〉

この考察をはじめたいきさつ

経験による公式

パレートの学説

イタリアのすぐれた社会学者であるパレートの『心理と社会』という本の中にこの疑問に対する一つの解答が示唆されている。パレートは、この世界の全人間は二つの主要なタイプに大別できると考えた。彼はこの本をフランス語で書いたのでこの二つのタイプをスペキュラトウール〔speculateur 投機家,思索家〕及びランチエ〔rentier 金利生活者〕と名づけた。

心を訓練すること

どんな技術を習得する場合にも、学ぶべき大切なことはまず第一に原理であり第二に方法である。これはアイデアを作りだす技術についても同じことである。

既存の要素を組み合わせること

アイデアとは既存の要素の新しい組み合わせ以外の何ものでもないということである。

関連する第二の大切な原理というのは、既存の要素を新しい一つの組み合わせに導く才能は、事物の関連性をみつけ出す才能に依存するところが大きいということである。

だから事実と事実の間の関連性を探ろうとする心の習性がアイデア作成には最も大切なものとなるのである。ところで、この心の習性は練磨することが可能であるということは疑いのないところである。広告マンがこの習性を修練する最も良い方法の一つは社会科学の勉強をやることだと私は言いたい。例えばヴェブレンの『有閑階級の理論』、リースマンの『孤独な群衆』のような本の方が広告について書かれた大概の書物より良い本だということになるのである。

アイデアは新しい組み合わせである

五つの中の第一の段階は資料を収集することである。

集めてこなければならない資料には二種類ある。特殊資料と一般的資料とである。/広告で特殊資料というのは、製品と、それを諸君が売りたいと想定する人々についての資料である。

広告マンはその点、牛と同じである。食べなければミルクは出ない。

広告のアイデアは、製品と消費者に関する特殊知識と、人生とこの世の種々様々な出来事についての一般的知識との新しい組み合わせから生まれてくるものなのである。

広告のための――あるいは、ほかのどんな――アイデアの作成もこれと同じことである。一つの広告を構成するということはつまり私たちが住んでいるこの万華鏡的世界に一つの新しいパターンを構成するということである。このパターン製造機である心の中に貯えられる世界の要素が多くなればなるほど、新しい目のさめるような組み合わせ、即ちアイデアが生まれるチャンスもそれだけ多くなる。

心の消化過程

諸君がこの資料集めという職人的な仕事、つまり第一段階での仕事を実際にやりとげたと仮定して、次に諸君の心が通りぬけねばならない段階は何か。それは、これらの資料を眠職する段階である。ちょうど諸君が消化しようとする食物をまず咀嚼するように。

事実というものは、あまりまともに直視したり、字義通り解釈しない方が一層早くその意味を啓示することがままあるということである。横目で眺めた時だけその翼が見えるというあの羽根を持ったメッセンジャーのことを覚えておられないだろうか。それに似たものである。事実、これは意味を探すというのではなく、意味の声に耳をかたむけるというようなものである。創造力に富んだ人々がこの段階になると放心状態になることはよく知られている。

何もかもが諸君の心の中でごっちゃになって、どこからもはっきりした明察は生まれてこない。ここまでやってきた時、つまりまずパズルを組み合わせる努かを実際にやりとげた時、諸君は第二段階を完了して第三段階に移る準備ができたことになる。

この第三の段階にやってくれば諸君はもはや直接的にはなんの努力もしないことになる。諸君は問題を全く放棄する。そしてできるだけ完全にこの問題を心の外にほうり出してしまうことである。/大切なことは、この段階もまた前の二つの段階と同じように決定的な、不可の段階であるということを体得することである。/ここですべきことは、問題を無意識の心に移し諸君が眠っている間にそれが勝手にはたらくのにまかせておくということのようである。

アイデア作成のこの第三段階に達したら、問題を完全に放棄して何でもいいから自分の想像力や感情を刺激するものに諸君の心を移すこと。音楽を聴いたり、劇場や映画に出かけたり、詩や探偵小説を読んだりすることである。/第一の段階で諸君は食料をあつめた。第二の段階ではそれを十分咀嚼した。いまや消化過程がはじまったわけである。そのままにしておくこと。ただし胃液の分泌を刺激することである。

つねにそれを考えていること

諸君が実際にこれら三つの段階で諸君のすべきことをやりとげたら、第四の段階を経験することはまず確実である。/どこからもアイデアは現われてこない。/それは、諸君がその到来を最も期待していない時――ひげを剃っている時とか風呂に入っている時、あるいはもっと多く、朝まだ眼がすっかりさめきっていないうちに諸君を訪れてくる。それはまた真夜中に諸君の眼をさますかも知れない。

サー・アイザック・ニュートンとその引力の発見についての話もたぶんすべてが事実であるとはいえないようである。覚えておられるだろうが、ある婦人がこの有名な科学者に、どうしてあなたはこの発見をされるようになったか、とたずねた際、〈つねにそれを考えることによってです〉と彼は答えたということである。

最後の段階

アイデア作成過程を完結するために通りすぎねばならないもう一つの段階、翌朝の冷えびえとした灰色の夜明けとも名づくべき段階である。

この段階までやってきて自分のアイデアを胸の底にしまいこんでしまうような誤は犯さないようにして頂きたい。理解ある人々の批判を仰ぐことである。

良いアイデアというのはいってみれば自分で成長する性質を持っているということに諸君は気づく。良いアイデアはそれをみる人々を刺激するので、その人々がこのアイデアに手をかしてくれるのだ。諸君が自分では見落していたそのアイデアのもつ種々の可能性がこうして明るみに出てくる。

第一 資料集め――諸君の当面の課題のための資料と一般的知識の貯蔵をたえず豊富にすることから生まれる資料と。/第二 諸君の心の中でこれらの資料に手を加えること。/第三 孵化段階。そこでは諸君は意識の外で何かが自分で組み合 わせの仕事をやるのにまかせる。/第四 アイデアの実際上の誕生。〈ユーレカ! 分かった! みつけた!〉という段階。そして/第五 現実の有用性に合致させるために最終的にアイデアを具体化し、展開させる段階。

二、三の追記

ただし私の信ずるところではこれらの代理経験は何かさし当っての目的のためにくそ勉強するのでなくてそれ自身の目的のために追求する時に一番よく集めることができるようである。

最後に、このアイデア作成過程のすべてについて諸君の理解を深めるのに役だつ三冊の書物を紹介しておこう。/『思考の技術』 グラハム・ワラス著/『科学と方法』 H・ポアンカレ著/『科学的研究の技術』 W・I・B・ビーバリッヂ著

解説――竹内均

著者があげている三冊の参考文献の中にフランスの数学者・物理学者のアンリ・ポアンカレ(一八五四―一九ーニ)の書いた「科学と方法」が入っているのが、まず第一に私を驚かした。このポアンカレは第一次世界大戦中のフランス大統領レイモンド・ポアンカレ(一八六〇―一九三四)のいとこであり、彼の著書「科学と方法」は自然科学における独創やアイデアを論じる際の基本的な文献だからである。吉田洋一の手になるその日本訳は岩波文庫の一冊となっている。これと同様なもう一つの基本的文献として、同じ岩波文庫におさめられている落合太郎訳のルネ・デカルト(一五九六―ー六五〇)著「方法序説」を私はあげておきたい。先に述べた私の著書「哲学的思考とは何か」はこの「方法序説」に対する私の讃歌と言ってよい。

訳者あとがき

アイデアのつくり方 | NDLサーチ | 国立国会図書館

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