Dribs and Drabs

書評じゃなくて,ただのメモ

ブライアン・ヘア『ヒトは〈家畜化〉して進化した:私たちはなぜ寛容で残酷な生き物になったのか』白揚社 469.2

これまた,〈なんでこの本読もうと思ったんだっけ〉案件。〈家畜化〉という言葉はインパクトがあるけど,内容的には他でも見たことがあるようなもの。

はじめに

アロンソンが取り入れた手法は「ジグソー法」として知られている。グループ内のそれぞれの子どもは断片的な知識を学び、それぞれの断片を役立てながら全体的な知識を学ぶという手法だ。週に数時間行なっただけでも、大きな効果があった。アロンソンが調べたところ、ジグソー法を取り入れてからわずか六週間で、白人とマイノリティの生徒は人種にかかわらず、同じグループの生徒をクラスのほかのグループの生徒よりも好きになったことがわかった。生徒たちは以前よりも学校が好きになり、自尊心も向上した。ジグソー法を経験した生徒は他人に共感しやすくなり、従来型の競い合う授業を受けた生徒よりもよい学習成績を上げた。最も大きな改善が見られたのは、マイノリティの生徒だった。協働学習の手法は全米の何千という教室で実施され、何百種類もの学習で似たような成果を上げた。

適者生存

協力するという行為は私たちが種として存続するための鍵だ。それは進化におけるフィットネス(適応度)を高めるからだが、「フィットネス」という英単語はいつしか「体力」という意味でも使われるようになった。自然界では体が大きくて好戦的であるほど、ほかの個体が手を出しにくくなり、生存や繁殖の点で有利になるという理屈で、体力と適応度が結びつけられたのだ。 そうした個体は最高の食物を独占でき、最も魅力的な交尾相手を見つけられ、どの個体よりも多くの子を授かることができるというわけだ。おそらく、人間の本性にまつわる俗説のなかで何よりも大きい害をもたらしている(あるいは、大きく誤解されている)のは「適者生存」という概念だろう。過去150年以上にわたり、この概念にもとづいて社会運動が繰り広げられ、企業が再建され、自由市場に対する極端な見方が形成されてきた。適者生存の概念は政府の廃止を求める主張に利用されてきたほか、特定の人々の集団を劣っていると判定したり、結果として起きた残虐行為を正当化したりするためにも使われてきた。しかし、ダーウィンや現代の生物学者にとって、「適者生存」とは「みずからが生き残って生存可能な子孫を残す能力」という意味でしかなく、それ以上の何かを意味するものではない。

最も友好的な人類

私たちは進化を創造神話として考えがちだ。大昔に一度起きた何らかの出来事が、直線的に続いているという考えである。しかし、進化とはそれほど単純ではなく、生物がホモ・サピエンスという「完成形」に向けて一直線に進んでいくといったものではない。ヒトよりも成功している種はたくさんいる。そうした生物は、ヒトより何百万年も前から命をつなぎ続けてきただけでなく、現存するほかの種を何十も生み出してきた。

ほかの人類が絶滅する一方で、ヒトが繁栄できたのは、ある種の並外れた認知能力があったからだ。それは「協力的コミュニケーション」と呼ばれる、特殊なタイプの友好性である。ヒトは見知らぬ人との共同作業であっても巧みにこなすことができる。これまで一度も会ったことがない人と共通の目標についてコミュニケーションをとり、力を合わせてそれを達成できるのだ。

こうした友好性は自己家畜化によって進化した。家畜化は、人間が動物を選抜して交配する人為淘汰だけで生じたわけではない。自然淘汰の結果でもある。

自己家畜化仮説は単なる創造神話の一つではない。他者を人間扱いしない傾向をなくすうえで大きな助けとなる。この仮説は、人類がこの先も子孫を残して繁栄していくために、自分の仲間と見なす人の範囲を広げなければならないと告し、教えてくれる。

第1章 他者の考えについて考える

指さしは他者の心を読むこと、つまり、心理学者が言う「心の理論」への入り口だ。指さしを始めると、それ以降の人生は他者が考えていることに思いをめぐらしながら過ごすことになる。暗闇で誰かの手が自分の手に軽く触れたとき、それは何を意味するのか。部屋に入ったとき、そこにいた人が眉をひそめたのはどうしてなのか。他者の本当の考えを知ることはできないから、それは必ず推測になる。他者も同じ能力をもっているので、見せかけたり、偽装したり、嘘をついたりできる。 「心の理論」という能力があるおかげで、人間は地球上で最も高度な協力行動やコミュニケーションができる。

この能力はまた、あなたという存在の核心部分でもある。これがなければ、愛は言葉だけの現実味のないものになる。誰かが自分と同じ気持ちを抱いていることを知る魔法を体験できないのなら、何が愛だと言うのか? 「心の理論」は、あなたと誰かがいっしょに何かを見たとき、お互いを見て笑い合う瞬間の喜びだ。

愛犬との日々

子どもの頃、いちばん仲が良かった友だちは、愛犬のオレオだった。私が八歳のときに、両親が贈ってくれた。最初は私が手で持てるぐらいの子イヌだったのが、あっという間に体重30キロを超えるまでに成長した。ものすごい食欲と、生きる喜びにあふれたラブラドールだ。

協力的コミュニケーションの能力は、チンパンジーの「心の理論」を形づくる数々の能力には含まれず、ヒトで初めて出現した。ヒトは言葉を話し始めたり自分の名前を覚えたりする前にこの能力を身につける。それは自分たちが楽しいときでも、悲しい気持ちの人がいる(その逆もある)ことを理解する前の時期だ。また、何か悪いことをしたり嘘をついたりできるようになる前、そして、誰かを愛してもその誰かが自分のことを愛しているとは限らないことを理解する前の時期である。 この能力があるおかげで、私たちは他者と心を通わせることができる。それは新たな社会や文化の世界へ至る扉だ。

すごいイヌ

オレオがすごいのは、口にテニスボールを三個もくわえられることだ。「取ってこい遊び」をするとき、私はよく二個か三個のボールをそれぞれ異なる方向に投げる。オレオは一個目をくわえると、二個目のボールをどこに投げたか確認しようと私を見る。私がその方向を指さすと、オレオは二個目のボールを見つけて口にくわえ、再び私を見る。私は三個目がある場所を指さす。

オレオはチンパンジーとは違って、試行錯誤で指さした方向を見る方法を学んだわけではない。 方法を学んでいたとしたら、回数を重ねるほど上手になっていったはずだ。しかし、オレオは基礎的なテストでもまったく失敗しなかったし、より複雑なテストを受けたときにも、初回でも最終回でも変わらずうまく課題をこなした。オレオは何をやっているときにも、チンパンジーの反応より柔軟性が高く、高度な認知能力をもっているように見えた。 研究をさらに進めるべき段階に入った。

アイコンタクトと指さし

オレオは私といっしょに育ったから、私のジェスチャーだけに従うことを覚えた可能性がある。 ほかのイヌは私の指さしに従えるだろうか?私はアトランタにあるイヌの一時預かり所に行き、イヌを集め、二つのカップのうちの一つに餌を隠して、正解のカップに向けて指さしのジェスチャーをしてみた。初めて会ったばかりなのに、施設のイヌはオレオと同じように私の指さしにきちんと従った。どうやら、あらゆるペットのイヌがこのジェスチャーを利用できるようだ。

人間の赤ちゃんが特別なのは、指さしのジェスチャーで伝えようとしていることを本当に理解していることだ。これはつまり、役に立つジェスチャーであればどんなものでも理解することを意味する。

第2章 友好的であることの力

スターリンの大粛清のただなかにあった1937年に、ニコライ・ベリャーエフは遺伝学者だからという理由で秘密響察に逮捕され、裁判にもかけられずに射殺された。スターリンはだいたいにおいて誰に対しても疑り深かったが、とりわけ遺伝学者が嫌いだった。遺伝学者は「適者生存」という考え方を世間に広めるので、共産党の方針に逆らっているように思われたからだ。

家畜化

ダーウィンは家畜化に強い興味をもち、みずからの進化論の主要な原理を実証するために家畜化を利用した。『種の起源』を出版した後、ダーウィンは『家畜・栽培植物の変異』を執筆し、さまざまな遺伝形質に対して自然海法がどのように働きうるかを、人為海法を用いて例示した。しかし、動物が最初にいつ、どこで、どのように家畜化されたかについては、何の見解も示さなかった。

現在有力な説によると、家畜化というプロセスは常に人間が主体になって生じるものであり、それによって動物は人間に管理され、人間の経済に役立つようになるのだという。この説は生物学というよりも文化や経済の観点から、特定の動物が家畜化されてきた理由、そして農耕が発達した社会もあれば狩猟採集生活を維持している社会もある理由を説明している。しかし、この説には一つ問題があった。イヌだ。明らかにイヌは家畜化されているが、野生の近縁種であるオオカミは、家畜化しやすい動物の条件に当てはまらない。人間がオオカミに餌を与えるのは難しい。オオカミは囲いに入れられるとパニックに陥るし、ふだんは人間を攻撃しないものの、安全が脅かされたときには噛みついてくる。 ベリャーエフは、たった一つの条件によって家畜化は起こると考えた。そして、ベリャーエフの説は、ダーウィンからダイアモンドまであらゆる学者が思いつかなかった答えをもたらすことになる。

友好的なキツネ

ベリャーエフの実験の天才的なところは、友好的なキツネを選抜することによって人間好きのキツネが生まれるのを示したことではなく、それに付随して起こる現象を明らかにしたことだった。垂れ耳、短くなった鼻づら、巻き尾、ぶちのある被毛、小さくなった歯といった形質は、それらを意図的に選んで交配したわけではないのに、世代を重ねるにつれてだんだん多くの個体に見られるようになった。リュドミラの研究チームは、何世代にもわたって友好性だけにもとづいてキツネを選抜し、生理的な特徴や身体的な特徴に生じる変化を観察した。

やって来たオオカミ

グーグルによると、「子イヌがうんちを食べるのをやめさせる方法」というのは、2015年のイヌに関する検索ランキングで上位10位に入ったそうだ。 とはいうものの、うんちはイヌが人間の暮らしに入ってきた過程において中心的な役割を果たしている。

人間が何かしら関与したとすれば、それは大量のごみを出したことだ。現代でも、狩猟採集民は野営地の外に残った食べ物を捨てるし、排泄もする。人間の集団が定住生活に移行するにつれ、腹をすかせたオオカミが夜な夜な食べたくなるような食物が増えていった。捨てられた骨もよかったが、人間は食材を調理するし、消化が速いため、その大便は骨と同じぐらい栄養に富んでいる。人間の排泄物は、野営地にづけるほど勇敢で落ち着いたオオカミには、たまらない食料だっただろう。そして、そうしたオオカミは繁殖するうえで優位に立ったことだろう。いっしょに食物をあさっただろうし、子づくりしやすくもなったのではないか。友好的なオオカミと人を怖がるオオカミのあいだで遺伝子がやり取りされる機会は少なくなり、人間が意図的に選ばなくても、より友好的な新しい種が進化した可能性がある。

第3章 人間のいとこ

イヌや、都会にすむほかの動物がより友好的になり、人間にとって魅力的になることでみずからを家畜化したのだとすれば、人間がまったく関与しない場合にも同じ現象が起こりうるのか、という疑問が出てくる。動物は同じ種のほかの個体と交流したときに、自然淘決を通じて自己家畜化することがあるのだろうか? ボノボほど友好的な動物はほとんどいないのだが、これまでずっとボノボは謎に包まれてきた。 ボノボとチンパンジーはおよそ100万年前に共通の祖先から枝分かれし、遺伝子を見ると、ゴリラよりも人間と共通する割合が高い。つまり、ボノボとチンパンジーは人間と最も近縁な現生の霊長類ということになる。人間にとっては、同じぐらい近縁ないとこが二人いるようなものだ。 両者は互いに似ているが、重要な点で異なっている。

サンクチュアリのボノボ

アフリカのコンゴ民主共和国の首都、キンシャサのすぐ近くに「ローラ・ヤ・ボノボ」サンクチュアリという目立たない森がある。人口1000万人を超え、拡大を続ける都市にあって、ここは天然の隠れ家のような場所だ。いったん足を踏み入れると、コンゴ盆地の奥深くに来たような気分になる。スイレンが咲き誇る湖もあれば、鳥の形をした花を咲かせる植物もある。

ボノボとチンパンジーの違い

自然環境でも飼育下にあっても、ボノボの集団にはアルファ雄がいない。そのため、雌がグループを取り仕切っていると、多くの科学者が考えていた。赤ちゃんが果たす重要な役割には、誰も思いが至らなかった。

雌にとって、自分の生殖適応度に起こりうる最悪の事態の一つは、自分の赤ちゃんが誰かに殺されることだ。自分の遺伝子を次世代に引き継げないだけではない。子育ては膨大なエネルギーを消費する営みだ。妊娠して子育てするあいだ、雌の体からは大量のカロリーが赤ちゃんに使われる。けんか好きの雄の一撃で赤ちゃんが殺されれば、生殖のために費やした膨大なエネルギーを失うことになるのだ。 このリスクがなくなれば、雌にはきわめて大きな恩恵が得られるだろう。

一方、ボノボの雌は排卵していることをわかりにくくすることによって、暴力の連鎖を断ち切った。排卵周期のあいだずっと雌の臀部にはふくらみがあるので、雄は妊娠可能な時期を正確に知ることが難しい。雌はまた、雄がチンパンジーのように振る舞おうものなら攻撃的になる。無理やり交尾しようとしてきた雄は激しい抵抗に遭い、時には怒った雄たちが結束して反撃してくる。さらに、赤ちゃんを変な目で見ただけでも、雄はすぐに雌の強烈な怒りを買うことになる。雌たちは結束して行動する。だから、たとえ雄が体の大きさで上回っているとしても、雌は常に数で上回っている。

ボノボは協力行動を調べるこのテストで、練習を積んだチンパンジーとは違って初体験だったにもかかわらず、チンパンジーを上回る成績を上げた。協力が必要な場面では、寛容な性質が知識に勝つということだ。

争いのない暮らし

自己家畜化はじつにさまざまな変化をもたらす。愛くるしい変化、目を見張る変化、そして何とも風変わりな変化。しかし、ある一つの変化が、こうしたすべての変化につながっている。その変化は最初に起こり、家畜化されたすべての動物に生じ、そして最も重要なものだ。それは「友好性が高まる」という変化である。

第4章 家畜化された心

人間が自己家畜化した可能性はあるだろうか? 家畜化することによって、人間独特の認知能力は生まれたのだろうか? 一見、こうした考えはあり得ないように思える。ここまで見てきたように、イヌとボノボはそれぞれ、オオカミとの共通祖先やチンパンジーとの共通祖先から進化するなかで変化してきた。その変化は驚くべきものだが、私たちホモ・サピエンスの進化のなかで起こったに違いない変化はそれよりも大きいと思われる。

こうしたヒトの気質と「心の理論」の関係が示唆しているのは、ヒトが進化する中で情動反応に淘汰が働き、それによって寛容性や協力的コミュニケーション能力が向上した可能性があるということだ。他者に対する反応は人によって異なるが、そうした多様な反応に対して自然海決が働き、文化的な認知能力を形成するうえで重要な役割を果たしたのかもしれない。これは人間が自己家畜化した可能性があることを示している。

自分をコントロールする

リチャードが「ヒトの自己家畜化仮説」と呼び始めた私たちの仮説には、一つ問題があった。私たちは、家畜化されたほかの動物の場合と同様、情動反応と「心の理論」の関係を用いて、人間の認知能力の進化を説明できるかもしれないと考えていた。ここで問題になるのは、人間の認知能力、とりわけ「心の理論」の能力が、ほかの動物の能力を圧倒的に上回っていることだった。自己家畜化がヒトの繁栄の決め手となったのなら、なぜほかの自己家畜化した動物には、同じように高度な認知能力が発達しなかったのか? 特に、人間に遺伝的にきわめて近いボノボには、なぜ同じょうな認知能力が発達していないのか? マイクの言葉を借りるなら、「なぜボノボは車を運転していない」のだろうか?

脳の大きさ、ニューロンの密度、セルフコントロール能力に見られるこの関係から、私は絶滅した人類についての考え方を新たにした。ヒトとほかの人類で食生活は変わらなかった。過去50万年間、おそらくどの人類も火を扱い、調理し、長距離を走り、道具を用いて動物を仕留め、解体していた。脳の大きさやニューロンの密度で際立っているわけでもなかった。ネアンデルタール人などのほかの人類は、ヒトと肩を並べる文化をもち、ひょっとしたらヒトに匹敵する言語能力も備えていたかもしれない。また、長いあいだ、ヒトの技術はほかの人類より優れていたわけでもなかった。となると、ヒトとほかのすべての人類を分ける重要な違いは一つしか残らない。ほんの五万年余り前にヒトが経験した、社会的ネットワークの急速な拡大である。

ヒトの自己家畜化仮説では次のように仮定している。ヒトでは友好的な行動が有利になるような自然海汰が働き、それによって協力行動とコミュニケーションを柔軟にこなす能力が高まった。 世代を重ねるにつれて、友好性を生むのに有利なホルモンや発達特性をもつ人物、つまり、協力的コミュニケーション能力を備えた人物が進化の上で成功しやすくなった。 この仮説から、次の二つに関する証拠を見つけられると予測することができる。まず、情動反応を小さくして寛容性を高める海法が、ヒトの新たな協力的コミュニケーション能力に関連していること。そして、ヒトの形態や生理機能、認知能力の変化が、ほかの動物に見られる家畜化症候群に似ていることだ。

自己家畜化仮説が正しいとすれば、ヒトは賢くなったから繁栄したのではなく、友好的になったから繁栄したということになる。

顔に残る家畜化の跡

家畜化された動物では、友好的になる海汰を通じて、身体的な特徴に変化が生じる。ヒトが自己家畜化したとすれば、私たちの祖先にそうした身体的な変化があった証拠が残されているはずだ。友好的なキツネでは、行動にもとづいた選抜によって発達中のホルモンに変化が生じた。その結果、そうしたホルモンがキツネの成長の仕方を変えた。

女性は無意識のうちに、男性的な顔をした男性は不正直かつ非協力的、不誠実であり、悪い父親だと判断しているという証拠がある。男性も無意識のうちに、職争相手の顔がどのぐらい男性的かを見て、相手の力を推測しているという複数の実験結果がある。こうした知見はすべて、過去の顔を読み解く助けになる。行動の発達と身体的な外見のあいだには関係があるから、化石記録で身体的な変化を調べれば、過去の行動の変化を示すことができる。

ヒトの頭骨と脳は、ほかの人類に比べて小さくなっただけでなく、頭骨の形も変化している。 ほかの人類は額が狭く平らで、頭骨が分厚い。ネアンデルタール人の頭はラグビーボールのような形をしていて、ホモ・エレクトスの頭は丸っこい一斤の食パンに似ている。人類学者が球状と呼ぶ、風船のような形の頭骨をもっているのは、ヒトだけた。この形は、発生中に利用できるセロトニンが増えた可能性を示唆している。ヒトの頭骨は、家畜化された動物やシタロプラムにさらされた赤ちゃんのように小さくなり、シタロプラムを投与されたマウスのように丸くなった。化石記録によると、こうした変化はヒトがネアンデルタール人との共通祖先から枝分かれした後に始まった。

色素の変化

以上のように、ヒトの顔と指、頭骨には家畜化した痕跡が見られる。だが、家畜化を象徴する特徴ともいえる色素の変化についてはどうだろうか?世代を重ねるにつれて、ベリャーエフの友好的なキツネはだんだん赤茶色になり、額に白い星模様が現れ、ほかに白黒のぶち模様も出てきた。多くのボノボは唇と臀部の毛の色素を失っている。

ヒトは霊長類で唯一、白い強膜をもっている。ヒトの目はアーモンド形でもあるので、強膜が見えている範囲が広く、視線の方向をわずかに変えただけでも、他者がそれに気づくことができる。ヒトはある時点で、目をカムフラージュするのをやめて、目立たせる方向へ変わったのだ。 私たちは生まれたときから、他者と目を合わせるアイコンタクトに頼る。ヒトは生まれたときは、ほかの動物と比べて自分でできることがはるかに少なく無力なので、わずかな時間でも一人でいると危険にさらされるおそれがある。生き延びるために助けを求めるとき、私たちは目を使う。親は赤ちゃんに見つめられると、体内でオキシトシンが放出され、わが子に愛情を抱き、愛されていると感じる。赤ちゃんも親に目を見つめられると、体内でオキシトシンが放出され、親をもっと見つめたいと思うようになる。これがなければ、親は赤ちゃんが笑顔を見せるまでの最初の三カ月間を乗り切る気力が得られないだろう。

白い強膜は人間の生涯を通して協力行動を促進しているようだ。自己家畜化仮説によれば、ヒトは友好的になる淘汰を受けた結果、八万年以上前に強膜が白くなったと考えられる。アイコンタクトが増えるにつれて、オキシトシンの作用が発現するようになり、他者とのつながりや協力的コミュニケーションが促進される。また、他者を欺こうという気が起きにくくなる。

第5章 いつまでも子ども

ここまでの章では、ヒトにおける友好性の高まりと、それが原因で生じたと考えられる数々の隅発的な変化(女性化した顔、白い強膜、協力的コミュニケーションのような認知能力など)との関連を検討してきた。友好性が高まると自己家畜化症候群が引き起こされることはわかった。 しかし、この変化は実際にどのように起きるのだろうか? 鍵となるのが、発生や発達だ。動物の成長パターンの変化は、進化を牽引する強い原動力になりうる。発達の速度やタイミングがわずかに変化しただけでも、まったく異なる種類の体になることがある。

実際のところ、友好的になる淘汰とは、社会性の発達の期間が長くなる淘汰である。これはイヌやボノボでは、社会的な柔軟性にとって重要な形質の発達が早まり、遅くまで続くことを意味する。

発達の裏側で

発達にかかわる遺伝子が具体的にどのように進化して、自己家畜化症候群を引き起こしたのだろうか? 遺伝子のなかには、生物の発達の仕方を決めるうえで、ほかの遺伝子より大きな役割を果たすものがある。こうした遺伝子は、ほかの数百の遺伝子が最終的にどのような働きをするかを制御することができる。

神経堤

友好性の副産物として複数の形質が出現することがあるという発見は、20世紀でも屈指の成果の一つだ。ベリャーエフの研究チームは、人に対して友好的かどうかにだけ着目してキツネを選抜し、ほかの認知能力や生理機能、形態にかかわる形質は考慮に入れなかった。にもかかわらず、友好的な行動をするキツネを選抜することによって、短い巻き尾、複数の色が混じったぶち模様の被毛、小さい歯をもった短い鼻づら、垂れ耳、毎年の繁殖期の延長、高濃度のセロトニン、協力的コミュニケーションの能力の向上といった形質をもつキツネが生まれる頻度が高くなった。 キツネに見られる変化は、家畜化されたほかの哺乳類だけでなく、自己家畜化したのではないかと私たちが推察している種によく見られる変化と似ていることを考えると、なおさら目を見張る。

早く始まり、長く続く成長

セロトニンはヒトの頭骨の形を変える。テストステロンのようなアンドロゲンは顔と手を変える。ヒトの目の色素が失われたことは、協力的コミュニケーションの能力を飛躍的に高めた。これらすべての変化が、人類の進化の遅い時期に友好的になる海汰が起こったことを示唆している。ヒトとほかの絶滅した人類の違いのなかでも特に重要なのは、発生や発達の進み方だ。ほかの人類、さらにはほかの霊長類と比べると、ヒトがたどる人生の道のりは一風変わっている。ヒトは早く生まれすぎるし、生殖できるようになるまでかなりの年月を要する。その一方で、出産と出産の間隔が短いので、早く子どもをつくることができ、女性は閉経後も何十年も生きられる。ヒトの認知能力もヒトを独特な存在にしている。協力的コミュニケーションと寛容性に関連する形質が幼いうちに発現し、発達期間が長いというのがその特徴だ。

風船のような赤ちゃんの頭

ヒトが自己家畜化した時期を知るためには、こうした比類のない社会的知能を発達させた時期を特定しなければならない。これは、脳の発達の手がかりを残したホモ・サピエンスの頭骨化石があれば可能になる。

見知らぬ友だち

これまで、人間に対して友好的になるように進化したイヌやキツネ、そして、雌に対して友好的になるように進化したボノボの雄の事例を見てきた。それでは、ヒトの自己家畜化を促した友好性とは、どのようなものだったのだろうか? タンザニアのハッザのような狩猟採集民は毎日、食べ物を探しに出かけ、野営地に戻って調理や食事をし、仲間と交流し、睡眠をとる。女性は地面から掘り起こしてきた塊茎類や、集めてきた果物を分け合う。男性は貴重な肉や蜂蜜を持って帰ってく。類人猿も食べ物を集めているときに分け合うことはあるが、食べ物をすみかへ持ち帰ってくるのは人間だけだ。

人間はほぼ生まれたときから、自分と同じ集団アイデンティティをもつ人に引きつけられる。 とはいえ、そのアイデンティティを形成するものは社会的な力に大きく影響されている。乳児にとっても、集団アイデンティティは単なる親しみ以上の意味をもっている。成長していくにつれ、集団アイデンティティは、服装、食べ物の好み、風習、身体的な特徴、所属する政治団体、出生地、大好きなスポーツチームなど、ほぼあらゆるものによって規定されていく。ヒトは集団アイデンティティを認識するための生物学的な下地を備えているようだが、集団アイデンティティを柔軟に形成することができるのは、社会的な意識をもっているからだ。 この柔軟性が社会規範の出現には不可欠であると、人類学者のジョセフ・ヘンリックは主張している。規範とは、社会的なやり取りの隅々までを支配する、黙示的あるいは明示的なルールのことだ。社会規範はあらゆる制度の成立にとって重要であり、ヒトが自己家畜化した後に出現したに違いない。これにより、私たちは自分に最も近い家族以外の人間を見分けて受け入れられるようになった。

家族のように感じる集団

こうした新たな社会的カテゴリーの進化を引き起こした主な物質は、おそらくオキシトシンだろう。オキシトシンはセロトニンおよびテストステロンの可用性と密接に関連している。これら二つは、ヒトの自己家畜化の結果として変化したと私たちが推定したホルモンだ。セロトニンの分泌が増えると、オキシトシンが影響を受ける。セロトニン神経とその受容体の活動が、オキシトシンの効果に影響を及ぼすからだ。簡単に言ってしまうなら、セロトニンはオキシトシンの効果を高めるということである。また、テストステロンの分泌が減少しても、オキシトシンがニューロンと結合しやすくなり、行動が変わる。ヒトが自己家畜化する過程でセロトニンの分泌が増え、テストステロンが減少すると、オキシトシンの効果が高まると予測される。このようにして、ヒトの行動に与えるオキシトシンの効果が増大したと考えれば、自分が属する集団を家族のように感じるヒトの能力がどのように進化したのかを説明できそうだ。

最も親切な人が勝つ

友好性がヒトの繁栄につながったとする考えは、新しいものではない。ヒトという種がほかの種よりも知的になったという考えもまた、新しくはない。私たちが発見したのは、この二つを結びつける関係だ。それは、社会的な寛容性の向上が、特にコミュニケーションと協力に関連する認知能力の変化につながったというものだ。

ヒトの自己家畜化で私たちの最高の性質を説明できることはわかっているが、最悪の性質を説明することはできるだろうか? 私たちは人間特有の友好的な性質と残酷になる性質のあいだでどのように折り合いをつけているのだろうか?

第6章 人間扱いされない人

レイチェルは年齢を重ねるにつれて、バニャムレンゲである自分は、一部の友だちほどには世界が開かれていないことに気づいた。バニャムレンゲは「アフリカの黒いユダヤ人」として知られている。コンゴには400年も前にやって来たのに、そしてこの地域に出入りした人々はほかにも多くいるにもかかわらず、バニャムレンゲはいまだに移民と見られている。レイチェルは大学に行けなかった。最も近い都市であるウヴィラに住むことも許されなかった。政治家にもなれなかったし、地方自治体の職員になることもできなかった。住んでいる地区の外へたまに出れば、すれ違いざまに「薄汚いルワンダ人」と小声で言われる。

反政府グループの兵士はレイチェルをジャングルに連れていき、その後一年にわたってレイプした。兵士の一人に範で脚を切られたのは、その頃だ。逃走できないようにするためだったのか、特に理由はなかったのか、それはわからない。そしてある日、兵士のほとんどが出払っているときに、レイチェルは逃げた。命からがらたどり着いたのは、故郷から1600キロ以上も離れたザンビアの難民キャンプだった。キャンプでは、不潔な針で傷口を縫われ、感染症にかかって瀕死の状態に陥った。じつに4カ月ものあいだ、生死の境をさまよった。奇跡的に、反政府グループの男たちに妊娠させられることはなかった。その代わり、HIV(エイズウイルス)に感染させられたのだった。

人々の集団どうしが互いに脅かされていると感じると、どちらの集団でも邪悪な側面があらわになってくる。フツがバニャムレンゲを襲撃したように、強い力をもつ集団が攻撃を仕掛けることもあるだろうし、攻撃された集団が報復することもあるだろう。自己家畜化は、人間がなしうる最悪の攻撃がどこから生まれるのかを教えてくれる。

非人間化はどこでも起きる

社会心理学の基本原則の一つに、人は自分が属する集団のメンバーを好む、というものがある。 特に紛争の最中には、対立している集団の見知らぬ人に対して激しいゼノフォビア(よそ者嫌悪)を抱くようになることがあり、こうした集団心理は容易に生まれてしまう。ほぼ恣意的な違いにもとづいて見知らぬ人どうしをグループ分けするだけでも、敵対関係が生じることがある。たとえば、一方の集団は黄色い腕章をつけてもう一方の集団はつけない、青い瞳と茶色い瞳の人で分ける、コンピューター画面上の点の数を「多く見積もる人」と「少なく見積もる人」で分けるといった違いであっても、敵対しかねないのだ。

他者を人間扱いしない脳

脳の「心の理論」ネットワークの活動低下は、よそ者を否定的に扱う行動と関連している。第5章で説明したように、扁桃体は脅威に反応し、その反応が脳の「心の理論」ネットワーク(内側前頭前野、側頭頭頂接合部、上側頭溝、楔前部)に影響を及ぼす。この関係を調整するうえで重要な役割を果たしているのが、オキシトシンだ。内側前頭前野のニューロンと結合することで、オキシトシンは社会的なやり取りをしているあいだに、脅威に対する扁桃体の信号を強め、内側前頭前野の反応を鈍くする。

どんな時代や文化でも見られる性質

ボノボを除く現生のあらゆる大型類人猿は通常、他者を恐れたり攻撃したりする。その理由は、彼らが見知らぬ者だからだ。ボノボを除く現生の大型類人猿はすべて、見知らぬ者を殺す場面が目撃されている。人類とほかの類人猿との直近の共通祖先はおそらく、見知らぬ者を非常に恐れていたか、激しく攻撃していただろう。その後に進化した人類のあらゆる種はおそらく、この形質を受け継いだと思われる。

クテイリーはまた、他者を人間として見なすかどうかを判断するとき、脳の「心の理論」ネットワークの一部が選択的に活性化することも発見した。アメリカ人の被験者がさまざまな集団の人々(アメリカ人、ヨーロッパ人、イスラム教徒、ホームレス)を完全な人間と見なすべきかどうかを判断したときには、楔前部の活動が強まったり弱まったりした。思い出してほしいのだが、楔前部が急激な成長を遂げたのは主に、頭部がヒト独特の球状になったのが原因だった。そして、球状の頭部になったのはヒトがネアンデルタール人から枝分かれした後のことだ。

誰もが影響を受けやすい

私がいわゆる「ナイラの証言」を聞いたのは、14歳のときだった。クウェートの病院に突入してきたイラク兵が新生児を保育器から放り出したと語った、ナイラという女性の証言だ。ナイラは私より一歳だけ年上だった。声を震わせながら、赤ちゃんたちが冷たい床に放置されて死んでいった状況を描写していた。私は当時、クウェートについて何も知らなかったが、ナイラの話を聞いてぞっとした。「こんなことをするイラク兵は動物だ。何かすべきじゃないか」と思ったのを覚えている。

第7章 不気味の谷

アフリカのコンゴ盆地の多雨林に「バカ・ピグミー」と呼ばれる民族集団が暮らしている。彼らはこの地域に残る数少ない狩猟採集民だ。2007年、バカ・ピグミーの一団が宿舎としてコンゴ共和国の首都ブラザビルの動物園をあてがわれた。

ロボット工学者の森政弘が唱えた説によると、ロボットが人間らしく見えるようになればなるほど、人間にとって魅力的になるという。だが一方で、人間との類似がある度合いに達すると、すなわち、ロボットが人間と完全に同じではないが、ほぼ同じに見えるようになった時点で、薄気味悪さや嫌悪感を引き起こすとも述べている。森はこの現象を「不気味の谷」と呼んだ。 「不気味の谷」はまさに、ヨーロッパの人々が大型類人猿を初めて見たときに抱いた気持ちを表していると言えるだろう。当時の人々による類人猿の記述には強い興味と恐怖が入り交じっている。人間を退化させたような奇怪な生き物で、性的衝動が異常に強く、破壊好き、といった具合だ。大型類人猿はヒトとサルが異常に交わった結果として生まれたと推測する人もいた。

2000年には、人種差別の文化はアメリカから消え去ったと、一部の社会科学者が言い切った。少なくともリンチや人種隔離、強制収容所につながるような種類の人種差別はなくなったというのだ。「古い人種差別(黒人に対する否定的な感情、および黒人は白人よりも劣っているとの念)は時代とともに急速に衰退した」という。ポスト・オバマの時代には、人種差別はもはや政治的判断を左右する要因ではなくなり、「黒人候補者への投票を拒む白人はようやく、白人用と黒人用で分離された水飲み場と同じ道をたどることになった」と、政治学者は主張した。

新たな偏見の文化

しかし、心理学者のフィリップ・ゴフが指摘したように「態度と食い違った不平等」があるせいで、人種問題を乗り越えたとされる社会に暮らしているマイノリティは、雇用や教育、住、収入、健康の面で多大な不平等に苦しんでいる。

今日、「猿化」の事例は枚挙にいとまがない。最も有名で影響力のあるアフリカ系アメリカ人でさえ、「猿化」されているのだ。黒人のアスリートは「攻撃的」「でかい」「モンスター」「巨大」「しやすい」といった、類人猿を想起させる言葉で描写されることが多い一方で、白人の選手たちは黒人よりも「知的」「献身的」「がんばり屋」といった言葉で描写される傾向がある。

脅しから暴力まで

どんな社会でも、子どもはおとなよりも手厚く守られるものだ。子どもはおとなよりも無垢で、それほど危険な存在ではなく、世話しなければならないと思われていか。にもかかわらず、フィリップ・ゴフが黒人の子どもの写真を白人の大学生に見せたとき、彼らは黒人の子どもの年齢を実際よりも五歳ほど上に見る傾向にあることがわかった。これはつまり、黒人の子どもが13歳だとすると、白人の大学生はその子がすでに18歳だと思うということだ。これは、アメリカの法廷では成人として裁かれる年齢だ。同じ大学生が白人の子どもの年齢を実際よりも年上に見ることはなかった。

相互の非人間化

自分たちが非人間化されていることに気づいた集団は、今度は相手を非人間化するようになる。 イスラエル人とパレスチナ人が「相手集団から人間以下だと見られている」と知らされると、互いに相手を非人間化する傾向が強くなったように、ヒトの自己家畜化仮説からは、黒人もまた自分たちを脅かしている集団を非人間化するだろうと予測される。

人間を品種改良する

私がヒトの自己家畜化について講演すると、必ず聞かれる質問がある。「人間がもっと友好的になるように品種改良すればいいんじゃないでしょうか?」というものだ。友好性の高まりがホモ・サピエンスの繁栄の秘訣なのだとしたら、さらに友好的になるように、みずからを選抜育種すればいい、というのは明白であるように思われる。イヌやキツネを品種改良して、穏やかな気質や友好的な性質を生み出せるのなら、ヒトも品種改良すればよいではないか? この論法に従えば、ほかの望ましい形質もつくり出し、ヒトの最も邪悪な性質を取り除いて、次々と改良してもいいのではないか? 残念ながら、この論法で進んでいくと、どの道もたいてい優生学に行き着いてしまう。

優生学は必ず失敗する運命にあった。それは、優生学が道徳に反しているからだけではない。キツネでは攻撃性を抑える淘汰は容易だったように思えるが、あのキツネたちは極端な選抜の事例だ。何世代にもわたり、人間に近づくかどうかにもとづいて、実験されたキツネのわずか1%だけが繁殖を許された。また、後期旧石器時代にヒトが友好的になる淘汰を受けたときには、人口はおそらく100万人に満たないほど少なかったので、海汰の影響が何万年も持続した。 人口が70億人を超えてなお増え続けている現代において、あのキツネが受けたものに相当する淘汰圧が生じたら、69億人を超える人々が子孫を残せないことになる。たとえそうなったとしても、キツネの実験では友好性を容易に測定できたが、人間の友好性を測定する簡単な方法はない。さらに、淘汰圧が効果を発揮するためには、広めようとしている友好性に関与することがわかっている遺伝子をもつ人を特定しなければならない。環境要因が生んだ友好性の違いにもとづいて人々を選抜したら、何世代を経ても変化は起こらないだろう。

第8章 最高の自由

ヒトは独裁者になるようには進化しなかった。ヒトは狩猟採集民の小さな集団で暮らすように進化した。そこでは社会的な価値のみが尊ばれ、権力を独占しようとした者は誰でも、追放されたり殺されたりした。人類のほかの種が次々と姿を消していくなか、こうした平等主義の集団は何千世代もかけて世界の隅々まで移住していった。

オルタナ右翼の台頭

「オルタナ右翼(オルトライト)」とは、主流の保守主義を拒否し、社会的支配志向性(SDO)尺度または右翼権威主義(RWA)尺度のスコアが高い傾向にある、極右イデオロギーを言奉する人々を大まかにひっくるめて言う言葉だ。

オルタナ右翼の台頭はアメリカだけの現象ではない。本書を執筆している時点で、この現象は世界中の自由民主主義国で起きている。2016年7月には、ヨーロッパの三九カ国の国会でオルタナ右翼系の政党が議席をもっていた。そうした政党はアメリカの連邦議会でも議席を確保しており、ジャーナリストやイスラム教徒、移民に対する暴力を扇動してきた。 メディアはオルタナ右翼が台頭している主な理由の一つとして経済不安を挙げているが、ノール・クテイリーの調査では、オルタナ右翼支持者は現在と将来の経済について不支持者よりも楽観的な見方をしていることがわかった。この結果は、地方の貧しいコミュニティが最も不寛容になりやすいという見方に矛盾している。クテイリーの調査で測定されたオルタナ右翼支持者の不寛容さは、個人的なトラウマや無知によるものでもない。

社会的支配志向性や右翼権威主義性が極端に強い人々は「現代の自由民主主義のもとでは決して快適に暮らせないだろう」。民主主義は本質的に権力の統合ではなく分散を促し、類似ではなく相違をたたえ、すべての人に平等な権利を付与するようにつくられているからだ。国内にあるさまざまな集団のうち、自分の属する集団が優れていると見なしていたり、集団間の違いのせいで、自分の集団の同調性が脅かされると考えていたりするなら、多様な相違をたたえることは難しいだろう。

左派にも右派にもならなくていい

非人間化は単に一つの国や経済、文化の産物ではないし、オルタナ右翼は民主主義にとっての難題のごく一部でしかない。 ヒトの自己家畜化仮説によれば、「他者」を非人間化する能力は全人類に共通するものであり、あらゆる政治的勢力が非人間化を行なう可能性があると予測される。どの政治的イデオロギーでも極端に過徴な思想をもつ人々は、政敵を非人間化する傾向が最も強い。

ヒトの自己家畜化仮説の予測によれば、図の外縁部に位置するどの過澈派も、彼らの世界観を脅かす人や彼らの思い込みに異議を唱える人を道徳的に排除する(つまり、非人間化する)可能性が高いだろう。 しかし、人々の政治理念は変わりやすい。都市に移り住んだり、都市を離れたり、年をとったり、お金を稼いだり失ったりするなど、身の上や政治に起きた出来事に応じて、中道派から過激派に移り、また中道派に戻る人もいるだろう。外側のイデオロギー信奉者が自分の集団アイデンティティが脅かされていると感じて、さらに外側の過数派に移行すると、政治は不安定になる。 あまりにも大きな脅威を感じると、中道派からいきなり過数派に豹変する人も出てくる。

接触の効能

彫刻家のアンジェイ・ピティンスキは、第二次世界大戦が勃発したときには、すでに数人のユダヤ人をポーランドの自宅にかくまって助けていた。ナチスが侵攻してくると、アンジェイはドイツの会社での職を利用してユダヤ人地区への通行証を手に入れ、ユダヤ人の孤児たちにこっそり食料を届けた。 しかし、1941年にそのことがばれると、彼は二カ月にわたって刑務所に拘留される。看守には顎の骨が折れるほどひどく叩かれた。出所後、アンジェイは妻とともにウクライナに逃れ、石油精製所で働いていたユダヤ人を救う活動をした。しかし、それもナチス親衛隊に見つかり、妻とともに逃げ出してポーランドに戻る。アンジェイは地下組織に加わり、終戦までユダヤ人の支援を続けた。

現在でも、教育の場での接触には効果がある。カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)の寮の同じ部屋で異人種のルームメイトと暮らした新入生は、そうでない新入生と比べて、異人種間の付き合いを心地よく感じ、異なる人種どうしのデートに対しても寛容だという。異なる人種の友人も多く、ほかの人種の相手とデートする傾向も強い。黒人やラテンアメリカ系のルームメイトをもつ白人学生もまた、そうでない学生よりも寛容だった。この効果は、新入生時代のルームメイトと暮らして数年たち、四年生になっても持続していた。

大統領の孫娘

ロサンゼルスへ向かう飛行機の中で、ブロンドの髪をショートヘアにした上品な女性の隣の座席になった。会話を始めると、彼女はメアリーという名前で、非営利組織の「ピープル・フォー・ピープル」で働いていることがわかった。「私たちは世界中の人々を一つにし、友情を通じて平和を築こうとしています」と彼女は語った。 「その仕事をするようになったきっかけは何ですか?」「私の祖父、ドワイト・アイゼンハワーです」

アメリカの政治制度は、たとえ自分の宿敵であっても、すべての人が人間として見なされるに値するという民主主義の原則にもとづいている。私たちは一つの社会として力を合わせて、他者を非人間化するリーダーを避け、党派を超えて他者の人間性を重視するリーダーを応援しなければならない。

都会暮らしの動物

自己家畜化がもたらした結果のなかで何よりも影響が大きかったのは、ヒトがより大規模かつ人口密度の高い集団で生活できるようになったことだ。後期旧石器時代のネアンデルタール人はおそらく十数人程度の集団しか維持できなかっただろうが、ヒトは数百人の人口を擁する半定住の集落を維持することができた。やがて集落の定住化はさらに進み、人口も数百人から数千人、さらには数百万人にまでふくれ上がった。

第9章 友だちの輪

ローラ・ヤ・ボノボの創設者クロディーヌ・アンドレが、軍に接収されたビルの階段を駆け上がる。ビルは爆撃の跡が生々しい。それはコンゴ民主共和国で起きた第二次コンゴ戦争時の話だ。 キンシャサの街はルワンダ軍に1ヵ月にわたって包囲されていた。食料は底をつき、水道の水も出なくなった。街の外れでは、フツの兵士たちがッチの人々に向かってタイヤを投げつけ、それに火をつけた。

動物とのつながり

動物にやさしくすれば、本当に他者に対してやさしくなるのだろうか? むしろ、これまで研究者たちは動物と親しくすると、ストレスが生じると主張してきた。そうすることによって、ヒトがほかの生物とは異なる特別な存在だという考えが脅かされるからだ。この見解に従えば、ヒトにはほかの動物と共通する性質があることに、私たちは目を向けたがらない。だから、ヒトを動物にたとえることが、非人間化の効果的な手法になるわけだ。

子どもの頃に動物を虐待する行動は、将来さらに危険な行動をするという響告のサインであることが多い。これはサイコパス(精神病質者)の子どもに見られる症状の一つだが、激しい症状を呈する精神疾患で見られるだけではない。動物に対する態度は、一般の人々の他者に対する態度とも相互関係がある。心理学者のゴードン・ホドソンとクリストフ・ドントは、人間が動物よりも優れていると考えている人は、人間の一部の集団がほかの集団よりも優れているとも見なしがちかどうかを調べた。彼らが見いだした結論はこうだ。「ヒトは動物とは異なる優秀な存在だという考え方は、移民や黒人、民族的少数派などの外集団を動物になぞらえて非人間化する行為に大きな影響を与えている」

ディンゴは私たちの母

欧米の工業化された世界では、人間とイヌのあいだの隔たりはここ数十年で大幅に小さくなった。かつては主として使役動物やステータスシンボルと見られていたイヌは、れっきとした家族の一員と見なされる存在になった。ペットのイヌを溺愛する行動は、現代生活の行きすぎた側面の一つでしかないとの見方もあるが、先史時代の埋葬跡からはこうした溺愛がもっと古い時代からあったことがうかがえる。複数の大陸に残る1万年以上前の埋葬跡で、死者が1匹のイヌを腕に抱いて横たわっている姿が発見されているのだ。

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謝辞

私たちは本書の第一稿を2016年10月頃に仕上げていた。その原稿では、どんな場所や文化であろうと、ヒトの最悪の性質が再び表れる可能性があるという警告で文章を締めくくった。 しかし、その年の大統領選の後、私たちは第一稿の半分以上をボツにした。解決策を提示しなければならないと気づいたからだ。現実的な解決策を見いだすためには、科学論文をさらに深く調べる必要があった。なじみの薄かった社会心理学や歴史学、政治学の分野でも専門知識を身につけなければならなかったのだ。その調査と文章構成の練り直し、原稿の書き直しに、さらに2年を費やした。ホモ・サピエンスがもつ独特な友好性を明示するだけでなく、ヒトの最も悩ましい問題の根本原因と解決策を考えるための材料を提供したかったからだ。

訳者あとがき

このように他者に対して友好的に振る舞う性質(友好性)こそが人類繁栄の鍵であると主張するのが、本書の著者であるブライアン・ヘアとヴァネッサ・ウッズだ。ヒトは自然海決を通じて友好的になるにつれて、100人以上の大きな集団で暮らし始め、そのなかで複雑な協力行動やコミュニケーションがだんだんとれるようになり、仲間との連携を深めていった。それによって「ヒトは新たな手法や技術を生み出し、それをどの人類よりも早く共有することができた。ほかの人類は太刀打ちできなかった」と著者は書いている。ヒトがネアンデルタール人などのほかの人類を打ち負かすことができたのは、「協力的コミュニケーション」という並外れた認知能力を備え、見知らぬ人とでもコミュニケーションをとりながら共通の目標を達成できるからだという。

ヒトには「集団内の見知らぬ人」という社会的なカテゴリーがあり、一度も会ったことがない人でも自分の仲間かどうかを見分け、仲間に対して友好的に接するという独特の能力がある。だが、この能力が尼介な性質も生んだ。他集団の見知らぬ人に対して、攻撃的な態度をとる性質だ。 こうした邪悪な側面を抑えるためには、他集団との接触(何げない会話や、仕事での共同作業といった触れ合い)が重要だと著者は主張し、「集団間の争いの場合はどうやら、まず接触するという形で行動を変えることが態度の変化につながるようだ」と述べている。そして、最近の都市で特定の人々を排除する目的で設置される「排除アート」に苦言を呈し、「人間の本性の最善の面を表出するためには、互いに恐れることなく出会うことができ、不愉快になることなく反対意見を表明でき、自分とは最も似ていない人々と親しくなれるような住空間を設計しなければならない」と訴える。

原注
図版の出典
索引

ヒトは〈家畜化〉して進化した : 私たちはなぜ寛容で残酷な生き物になったのか | NDLサーチ | 国立国会図書館