Dribs and Drabs

ランダムな読書歴に成り果てた

鈴木正崇『山岳信仰:日本文化の根底を探る』中央公論新社(中公新書)

鳥海山西方こ遊佐の海岸では(冬のあいだに降り積もった雪が)海底湧水となって牡蠣をはじめ海の幸を育てる。

最澄と空海が導入した山林仏教,特に密教と山岳信仰の融合が,仏教の土着化を推し進めた。自然にいのちの顕れをみる山岳信仰が,山の霊力を仏教的に表現する想像力を獲得し,日本独自の信仰形態である修験道の基盤が整えられたのである。

明治の神仏分離で修験道は明治五年(1872)の太政官令で廃止された。神仏混淆の修験道は,神道を復権させて国家統一の新たな精神的支柱とする明治政府にとって大きな障害だったあらである。また,過去の利権を断ち切る狙いもあった。しかし,民衆の間に定着した山岳登拝は衰えず,姿を変えて昭和の高度経済成長期の直前まで継続した。近代に入ってスポーツ登山が加わり,心身鍛錬の学校登山も登場した。山岳信仰は明治の神仏分離で儀礼・仏像・建物・文書が破壊され大きく変化して歴史の中に埋もれてしまったことと数多いが,長期にわたって日本人の心の歴史の中核を占めてきた。

188.59 : 各宗

https://iss.ndl.go.jp/sp/show/R100000002-I026245990-00