Dribs and Drabs

ランダムな読書歴に成り果てた

岩崎育夫『物語シンガポールの歴史:エリート開発主義国家の200年』中央公論社(中公新書)

シンガポール出張に先立ち

今の会社に入ってから6年半にして,初めてAPACの拠点があるシンガポールを訪れることになりまして,遅ればせながらこんな本を読んでみました。知らなかったことばっかりです。

物語 シンガポールの歴史 エリート開発主義国家の200年 (中公新書)

物語 シンガポールの歴史 エリート開発主義国家の200年 (中公新書)

 
日本による支配

イギリス植民地時代が1819年から1941年初頭まで行なわれて,そのあと第2次世界大戦終了まで日本による占領時代が3年8ヵ月ほどあった。現地では「3年8ヵ月」といえば日本占領時代を指すほどに,その支配の仕方は拙く,現地の人たちに苦い記憶を残したようです。イギリスの植民地支配は「経済=貿易」を念頭に置いたもので,それはあくまでイギリスの利己的な目的であったとはいえ,そこで働く人たちにも便益が及ぶものであり,社会的な秩序もそれなりにあった。しかし日本による支配はそういった明確な目的もなく,それまでの秩序が混乱に変わっただけという,なんとも現代にいたる「日本のマネジメント下手,海外企業の買収下手」(一般論として)に通じるものを感じざるをえません。

一方で,その日本人支配を経たことで,シンガポールの人たちがアイデンティティを見直し,それが後の独立運動に繋がったというのは,これまた示唆的であります。

リー・クアンユーの涙

シンガポール独立といえばリー・クアンユーですが,彼は実は日本軍による中華系住民の大静粛の犠牲となりえた。しかし機転を利かせて難を逃れたということで,偶然の妙を感じずにはいません。さらにいえば,1965年8月9日のマレーシアからのシンガポール独立も,シンガポールあるいはリー・クアンユーが望んでいたものではなく,分離発表の記者会見の場でリーは「私には,これは苦悶の瞬間である」と言って泣き崩れたとのこと。一方,これを分離を決めたマレーシアのラーマン首相はのちに,「リーは,シンガポールとマレーシアが一緒になるために懸命に頑張った。しかし,それ以上に,マレーシアを壊すためにもっとも頑張った」と,皮肉を込めて評したそうです。

あと本筋と関係ないですが

1967年8月に結成されたASEAN東南アジア諸国連合インドネシア・フィリピン・マレーシア・シンガポール・タイからなる)は,ベトナム戦争におけるアメリカの軍事行動を支援する目的で創られた,というのも知りませんでした。