高坂正堯『国際政治 - 恐怖と希望』中公新書のような「一般的」な本も面白いのであるが,あるいは福永文夫『日本占領史1945-1952 - 東京・ワシントン・沖縄』中公新書のような本で過去を知るのもためになるのであるが,「いままさに何が起こっているか」「安倍晋三首相は何をしてきたか」ということを丹念に書いたこのような本も,大変面白いです。
本筋ではないですが,安倍首相が国内外でなすスピーチ,この作成にはしかるべきスピーチライターがいて,念入りなリサーチと推敲(首相直々の手直しも含む)が実はなされている,という点が,個人的には大変興味深く思えました。「文章を書く」という仕事には,そういうかたちもあるんですね。*1
以下,興味深かった箇所をランダムで抜書します。
サンフランシスコ講和にあたっては,日本をめぐる米ソ暗闘のドラマがあった。敗戦国日本が,放棄させられた千島列島に関して将来の日ソ間の火種となる米国外交による仕掛けがあったためだ。それが,今日の北方領土問題を形成する。講和条約には米国がヤルタ会談でソ連に約束した「南樺太・千島列島をソ連へ譲渡する」との表現は条文になく,日本の放棄のみが明記された。それがどこに引き渡されるかも書かれなかったのは,「事実上はソ連の占領が続くが,それに法的な根拠は与えない」ことを意味する。また沖縄の扱いと同格にせず,日本の「潜在主権」をも認めなかったのは,将来の火種を除去しておくとの配慮が働いたためと言われる。(改行)だが,実際は違う。そこにこそ,講和会議を舞台裏で仕切ったジョン・F・ダレス(米国務省顧問)の仕掛けがあった。千島列島の範囲がどこまでなのかの記述がなく,その解釈にも火種が残された。米ソ冷戦が本格化しようとする中で,「反共の砦」にと位置付ける日本と宿敵ソ連との間を離間させておくには,北方領土問題は格好の火種となった。(p.22)
そのアメリカの「仕掛け」は見事に機能したかたちになりましたね。
「価値観」をめぐっては,政治的,経済的視点で捉えるか,文化的,歴史的視点で捉えるかによって,その見え方は随分違ってくる。(改行)日本は政治的,経済的には価値(欧米の民主主義,法の支配,市場経済)の共有でつながることは容易だが,文化的,歴史的にはむしろ日中で共有する価値が多い。これを,外交戦略の中に取り込んだ場合,どうなるか。冷戦時代のようにイデオロギー対立で色分けして単純化した世界を形成するのは容易なことではない。(p.65)
自分の仕事に引きつけて考えても,東京とロンドンとのビジネス上の結びつき,地理的なAPAC内での東京の位置(しかし関連の薄さ),みたいな関係性との類似が想起されます。
「インドの対中国戦略は,協力と競争,経済利益と政治的利益,そして二国間の文脈と地理的な文脈,それぞれの間で,慎重に帳尻を合わせなければならない。インドと中国の間に能力と影響力という点で,現時点と未来の非対称性が所与のものとしてあるならば,われわれはこのバランスを正しいものにすることが絶対に必要だ。恐らく,これこそが,数年先のインドの戦略のための唯一,重要な挑戦なのである」(改行)政策提言書「非同盟2.0」には,中国の「真珠の首飾り」戦略を念頭に置いた表現が明確に見られる。(p.161)
今まで外交・国際政治・安全保障という観点からインドを見たことがなかったのですが,この本を読んで初めてそれを意識させられました。
象徴的なシーンがある。1957年に訪米した祖父・岸信介首相とアイゼンハワー大統領がゴルフを通じて交友を深めたエピソードに絡めて,安倍がオバマとの初の首脳会談の際に和製パターをオバマにプレゼントする演出を凝らした場面だった。プレゼントとして贈呈した「山田パター工房」(社長・山田透)のパターは,2012年5月の米ゴルフ・ツアーで,豪州のライン・ギブソンが,ゴルフ史上最少スコアの55を記録し,一躍,全米に知れ渡るようになったパターだ。ところが,オバマの反応は例を一言述べただけの愛想のないものだった。場は白けそうになったが,パターの価値を即座に見抜いた社交上手のバイデン副大統領がギブソンの快挙に触れ,話をつないでその場を和ませた。(p.220)
この「55」は,ツアーの大会ではなく,普通のラウンドで出したみたいですね(ソース)。しかし,トランプに贈ったホンマのドライバーといい,この山田パターといい,安倍も気を利かせて頑張っているのだが,効果の程は微妙である。
オバマのゴルフといえば,イギリスのデビット・キャメロン元首相とThe Groveで仲良くラウンドする姿がニュースになりましたが,やはりオバマはキャメロンみたいなピカピカの「エスタブリッシュメント」を気が合うのだろうか……。
*1:そういうふうな感想を抱くのは,けっきょく自分がかつて出版社で文章を書く仕事をし,そののちに広告業界でコピーライターのようなことをし,という,少なからず「文章を書く」ことを仕事にしていた経歴からくるものだと思う