Dribs and Drabs

ランダムな読書歴に成り果てた

バラク・オバマ『約束の地 下:大統領回顧録 1』集英社

オバマケアとかパリ協定とかギリシャ危機とかメキシコ湾原油流出とか中東問題とかビン・ラディン殺害とか,次から次へと難題に対処していくオバマの活劇といったところ。相変わらず緩急(ハードな状況描写とソフトな心理描写)をつけながら,うまいこと語られていく。

各国首脳に対する描写が面白くて,

メルケルの明るいブルーの大きな瞳は,ときにはいらだちや楽しさ,かすかな悲しみをたたえて,さまざまに色を変える。だがそれを除けば,感情を表に出さないその外見はきまじめさや分析的な感性を物語っていた。広く知られているとおり,メルケルは激しい感情や大げさな弁舌には懐疑的だった。のちに彼女のスタッフたちが打ち明けたところによれば,メルケルは当初まさに演説スキルが高いという理由で,私に不信感を抱いていたらしい。だが,私はとくに気分を害しはしなかった。扇動的なものに嫌悪感を抱くというのは,ドイツの指導者としてはおそらく健全なことだからだ。

とか,

実際,サルコジとの会話はときに楽しく,ときに腹立たしい。彼は両手をひっきりなしに動かし,胸を雄鶏のように突き出しながら話した。常に隣にいる個人通訳がその身振りとイントネーションを一心不乱に逐一再現するなか,会話はお世辞からはったりへ,そして真の洞察へと目まぐるしく展開していく。ただし,彼の関心はあからさまなほど一つのことに向けられていて,その軸がぶれることは決してなかった。その関心事とは,常に自分が物事の中心にいること。そして,そうするだけの価値があるものならなんであろうと自分の手柄にすることだ。

とか。

中国に対しては,

中国のGDPがいずれアメリカを抜くことは確実といえる。さらに,この国の強大な軍事力と,技術力を増しつつある労働力,抜け目なく実利的な政府,そして連綿と続いてきた5000年に及ぶ文化を考え合わせれば,導き出される答えは明確に思えた。すなわり,アメリカの優位性に挑戦すべく名乗りを挙げる国があるとすれば,それは中国である。

チェコの元大統領ヴァーツラフ・ハヴェルに対しては,

私にとってハヴェルは,ネルソン・マンデラやその他数人の存命する政治家と並んで,はるか高いところに存在するロールモデル的な存在だった。ロースクール時代には彼の著書をよく読んだものだ。自分の属する権力を手に入れ,自らが大統領に就任してもなお,彼は自分のなかの倫理的な指針を失わなかった。その姿は,汚れなき魂をもって政治の世界に入り,それを保ったまま退くことも可能なのだと私に確信させてくれた。

日本に関する記述は圧倒的に少なくて,

話し上手ではないが感じのいい鳩山は,日本ではここ3年足らずのあいだで4人目の首相であり,私が就任してからは2人目だった。これは,過去10年間にわたって硬直し,迷走していた日本の政治を象徴していた。その七か月後には彼も首相の座を去った。

むしろオバマが強い印象を受けたのは当時の天皇皇后両陛下で,

2人の振る舞いはフォーマルでありながら控えめで,声は雨音のように柔らかく,私は気がつけば天皇の人生というものを想像していた。神とされていた父親のものとに生まれながら,数十年前に大日本帝国が壮絶な敗北を喫して以来,象徴的な存在であることを強いられるのは,いったいどんな感覚だろう。

中国の学生たちを前にスピーチをしたオバマは

彼らが最終的にどちらの体制(中国の権威主義的資本主義か,欧米式の自由主義か)をを選ぶかによって,次の世紀の地政学が大きく変わるだろう。この新しい世界の心をつかえmるかどうかは,人権に基づいた多元的なアメリカの民主主義体制は今でも生活水準の向上を約束できると示す自分の能力にかかっているのだと痛感しながら,私は対話集会をあとにした。

と思うのである。この自意識過剰にも思える責任感,これこそがアメリカ大統領という職務なのである。

本書のクライマックスはビン・ラディン殺害計画となるのだが,それが成功し安堵感と達成感に浸っているオバマに去来したのは,

こんな考えも浮かんだ。国民全体が同じ目的意識を共有することによるこうした一体感は,テロリストを殺害するという目標がなければ生まれないのだろうか? この疑問はしつこく私にまとわりついた。〔中略〕w他紙はふと,ビン・ラディンを追跡していたときと同じレベルの専門技能を駆使し,同じ程度の決意を抱いて,子どもの教育や路上生活者への住居提供に取り組めたら,アメリカはどう変わるだろうかと想像してみた。

こういうところが,ハヴェルをロールモデルのひとりと仰ぐオバマなんだろうな,と思う。

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