想像以上の内容だった。ので,この本が良書なのかどうなのか,判断できない。「オレは秘密を知っている,オレが正しい」的な雰囲気が漂う著者の文体も,正直言って好きではない。初学者にはとっつきにくい。ただ,《平均律クラヴィーア曲集》には,想像していた以上の何かがありそうなことだけは十分に分かった。それをもっと分かるようになりたい。
序論 《平均律クラヴィーア曲集 第1巻》を読み解く前に
《平均律クラヴィーア曲集》の位置づけ
《平均律クラヴィーア曲集》は、第1巻、第2巻ともに、バッハ個人の創作時期の前半と後半の白書”とでもいうべきものである。また、ドイツ・バロック音楽の総決算であり、同時にバッハの複眼的視点を通した、ヨーロッパ(中欧)音楽全体の理念、創作術(ポイエーシス),演奏実践のパラダイム(規範。理論的枠組み)としての成果といえるだろう。
キリスト教的思性と世俗的な音楽活動の結節点として、また前近代的な伝承性と近代的知の誕生としての音楽の構造性の、多層的かつ多義的な「書物」である《平均律クラヴィーア曲集》の価値は、いまだに全容を明らかにしない。
各曲のあり方と関連性
前奏曲とフーガに関する若干の知識
前奏曲では、「前半:主調一属調(平行調)」と、対応する「後半:属調(平行調) -主調」という図式が前提で、しばしば最後の主調の前に下属調が置かれる。この対応は、フーガも同様で、「4つの提示部:主調一属調-平行調-[下属調]-主調」という図式になる。「主調一属調」は「主題一応答」として最初の提示部に含まれることが多いが、属調部分が対提示部として独立することもある。/両者ともに前半・後半のシンメトリーが形式を作動させ、フーガは各提示部間の間奏が、[主題からの(あるいは主題にもとづく)逸脱=エピソード]としていくらか自由な創造的空間を生み出す。これら(各提示部と間奏)のシンメトリックな対応が、ネットワーク(継時的でなく関連性)としての形式を構成する。
オクターヴを分割してさまざまな調性を利用するさいには、調性ごとに協和・不協和な誤差が生じるため、その違和感を利用し固有の調特有の響きのちがいが性格的に用いられる。あるいは各調相互の響きの誤差を最小限に抑え、広範囲の調(転調)の利用を考えた,調律法についての技術的工夫が、「序言」にある「うまく調律された」曲集の原理として、24の長短調を用いるという《平均律クラヴィーア曲集》構想の根拠となる。
19世紀後半以降の演奏家(ピアニスト)にも、ベートーヴェンの「ピアノ・ソナタ」とならび、バッハの「フーガ」が、演奏技術あるいは音楽解釈(古典的理解)の基本となった事情はいうまでもないが、本来「教育プログラム」として、作曲技法上の課題と演奏法修得の同時性が目的であったものに、現在のバッハ演奏、解釈が正しく対応していない事実は否定できない。
本書の目的は、《平均律クラヴィーア曲集》の歴史的コンテクストとしての位置づけと、今日性としてのあり方に一定の眺望(パノラマ)を見出すことである。
本書について
本書は、当時の作画理齢(対位法とフーガや通奏低音法)、および楽曲構成法(ジャンル、前産※器材のイディオム[慣習的用法])から分析をおこなう楽曲分析(本文)と、要点を楽譜上に書き込んだ分析楽譜からなる。
一般的なバッハ分析は、しばしば分析者(音楽学者、作曲家、演奏家)の恣意的な判断によるものが多い。その理由は、バッハ当時の作曲(音楽)理論からのみでは読み取ることのできない具体的な作曲法というものが、19世紀以降の作曲理論や音楽理論(楽典)を経由して歴史的なコンテクストに埋没し、結局都合のいい分析結果の紫合性にのみ価値を置かざるをえなくなったことにあるだろう。
楽曲分析
前奏曲とフーガ Iハ長調BWV846
前奏曲
通奏低音風に指示された右手和音を、5声体の分散和音(譜例1)で弾いていく前奏曲。
つまり本曲は、通奏低音にもとづく作曲技法の典型であり、音楽が完全に記譜されることで演奏される、古典派以降の音楽思考とは異なる。
フーガ
ヘクサコルド(ドからラまでの導音を含まない音階6音)による伝統的なフーガ主題を用い,伝統的書法である古様式(Stile Antico スティーレ・アンティーコ)で書かれ、曲集の最初に置かれたフーガである。対位法的伝統に対する歴史意識によると思われる、こうしたモニュメンタルな発想は、バッハに特徴的なもので、声楽様式としての対位法技術による範例的作品である
このように、伝統的主題からきわめて多様なストレットを生み出すことにより、曲集冒頭に置かれるフーガを歴史的に高度な対位法技術の範例にしているだけでなく、《平均律クラヴィーア曲集》全体を,こうした伝統的対位法技術を継承するものとして位置づけていると考えられる。
前奏曲とフーガ II ハ短調BWV847
前奏曲
〈前奏曲 I ハ長調〉と対照的なトッカータ風の前奏曲であるが、トッカータは、形式というより特定の音形を使用した奏法であるから、やはり前奏曲の特徴である即興演奏と深くかかわる。
即興演奏であると同時に「書かれた音楽」としての形式性も有している。演奏と作曲が同時に成立する瞬間にこそ、「完全なる音楽家」バッハの実像がある。
フーガ
〈フーガI ハ長調〉と対照的な性格をもつ。声楽的様式ではなく器楽的様式,古様式でなく舞曲的様式(当世風)という対比に、前奏曲と同様バッハの意図が推測される。また以下に挙げるように,〈フーガI ハ長調〉とも共通した複雑な対位法技術が、潜在的に(意図的に隠されたかのように)用いられているといえよう。
前奏曲とフーガⅢ嬰ハ長調BWV848
前奏曲
通奏低音と右手和音から、音形化された(右手3声と左手2声=5声の〈前奏曲I ハ長調〉、それぞれ3声=6声の〈前奏曲II ハ短調〉に対して)おもに4声体和声進行が生み出される。右手の同一ポジションで奏される分散和音による奏法が、この前奏曲の学習目的であり、同時に[奏法=作曲技法]としての,[前奏=即興演奏]の技術が習得される。
右手の分散和音音形は、第9小節からすぐ左手に声部転回される。通奏低音的書法と異なり、左右均一な演奏技術の習得が意図されている。構成としても、左右両声部の転回によるユニット構造(4+4小節)での一貫した作曲プロセスが、形式化を実現している。
フーガ
明らかなガヴォット風の主題(4分の4拍子だが4分の2拍子×2)による舞曲的性格と,全体にわたる器楽的書法が特徴である。2声部のコンチェルト風ソロ部分(ソロ+通奏低音)と思われる中間部(第35-42小節)によって、大規模な3部形式をなす。
こうしたバッハ独自の創作法は、歴史的視点と創作の関連性(音楽学的興味)よりも、むしろ人間的な知能と創作の関連性を想定させるものである。音楽作品の創造過程における、より本質的な問題として検討されなければならない。
前奏曲とフーガIV嬰ハ短調BWV849
前奏曲
〈前奏曲I ハ長調〉から〈前奏曲 II ハ長調〉の[即興技法=演奏技術]に対する関心と異なり、明確な主題性と厳格な多声技法(2、3、4声)による対位法的前奏曲というタイプが試みられている。
バッハに特有の楽曲構成原理である対位法,通奏低音、トリオ・ソナタ様式,演奏様式(ここではクーラント)など、同時代の複数の創作技術を混合させることからは、新たな創作方法の可能性を探る原理がみえてくる。
フーガ
第1巻でもっとも声部数が多い5声部によるフーガは、このフーガと〈フーガXXII 変口短調〉の2曲のみである。当然ながら[教会様式=厳格様式(Stle Antico スティール・アンティーコ)]によるものである(《ロ短調ミサ曲》の〈クレド〉の5声部書法を参照)。〈フーガI ハ長調〉〈フーガII ハ短調〉〈ワーガIII 嬰ハ長調〉の2倍の規模をもつため、大形式による構成が予想される。
フーガは本来、特定の形式化を拒むものであり、むしろ構造が形式を生み出すといえる。前述したようにフーガ③をシンメトリーの中心としながらも、同セクション以降から連続する5つのストレットが、新たな構造として後半のフーガ区分を横断しながら、新たなフーガの構造原理を切り開いていくといえる。これは[進行過程=プログレス]としての思考実験であり、やがてベートーヴェンが、「ソナタ」というあくまで便宜的形式において多様な実験的創造をおこなう契機は、すでにここに共有されているのである。
前奏曲とフーガ V二長調BWV850
前奏曲
〈前奏曲 I ハ長調〉〈前奏曲 II ハ短調〉〈前奏曲 II 嬰ハ長調〉と同様,クラヴィーア演奏法と前奏曲様式の学習にふたたび戻る。特定の演奏法を前提とした前奏曲流儀に従うとともに、右手親指を軸とした奏法(pivotピヴォ)を中心とした書法で一貫される。
最後の部分の拡大(第29小節後半―第34小節)は、(トッカータ的な)即興的パッセージによるカデンツァ風書法による、同主短調(二短調)の劇的な器楽的レチタティーヴォである。これは〈前奏曲 IIハ短調〉とも共通するものである。前奏曲における、即興技法と関連したクラヴィーア演奏技巧の習得と同時に,劇場様式(あるいは教会様式)における劇的なレチタティーヴォ技法が学習されなければならない。
フーガ
劇音楽(オペラ、バレエなど),オラトリオや管弦楽組曲の「序曲」に代表される威厳ある「フランス風序曲」様式がフーガにもち込まれる。[序曲風=祝典的な性格]を特徴としながらも、楽句構成としては不規則な強弱・音域の対比が、ある意味バロック的ともいえる、歪みをともなう強い表出性(ダイナミズム)を生み出している。
《平均律クラヴィーア曲集》のフーガは、厳格な対位法理論の反映であると同時に、器楽作品として世俗的なジャンルの様式を兼ね備えることがしばしばある。おもに舞曲タイプの主題や主要リズムや曲想に,バッハ自身のクラヴィーア曲集(《フランス組曲》《イギリス組曲》や《パルティータ》)の器楽的「舞曲」の様式が用いられていることも多い。
前奏曲とフーガ VI二短調BWV851
前奏曲
〈前奏曲V ニ長調〉と同様に,ここでも親指を支えとした3和音音形の移動による奏法が中心となる(16分音符分、拍節に先行する分散和音音形と厳格なバス進行のあいだに、無限のニュアンスが生じている――「繊細の精神」)。「前奏曲」が、同時に(しばしば半音階的な部分を含む)「ファンタジア(幻想曲)」として、性格化された音楽となっている。こうしたあり方こそ、私たちが考える「バッハ様式」の特徴のひとつといえるかもしれない。
フーガ
外観的には控えめな性格(構成)によるフーガであるが、実際にはさまざまな対位法的観点を備え、学習者にとって重要な理論的知識を提供している。
主題基本形と主題反行形のストレット(第13―16小節)に,主題基本形同士のストレット(第17―20小節)が続き、その後も主題の2形態(基本形・反行形)のストレットの組み合わせがワーが全体に敷行されるという。複雑な対位法的展開が特徴である。
こうしたストレット・鏡像構造にみられる[二重化=対構造(二重のシンメトリー)]は、唐突な類推だが、あたかもDNA二重らせんによる自動的な情報補完・修復という,システムの「自己複製」による維持・継続という分子生物学的視点であるかに捉えることができょう。一種の知的構造体でもある「フーガ」の主題性と形式構造の関係性の、今日的な捉え方であろうか。
前奏曲とフーガVII変ホ長調BWV852
前奏曲
オルガン書法風の即興的な導入部と、短い主題(動機)による即興的な自由模倣から開始され、同主題によるさまざまな4声対位法的書法が継続的に展開していく大規模な前奏曲である。
以下に解説した構成から推測できるように、基本的に直前のセクションを受け新たな即興的対位法のアイディアを繰り広げていくという、[フーガ=シンメトリックな理論的構成]とは異なる展開が、前奏曲特有の[更新される即興性=身体性(直前の音楽的記憶)]から形成されていくさまは、伝説的なバッハのオルガン即興技術をしのばせる。
フーガ
この曲集で初出の、属調に転調する主題によるフーガ(ほかに〈フーガX ホ短調〉〈フーガ嬰ト短調〉〈フーガXXIV ロ短調〉の3曲がある)。応答における転調処理が作曲法として重要な課題となり、ここでは属調での応答を、変応の扱い方から、主調的に処理するという解決法が用いられている。主題は舞曲的性格であるが、第2小節後半(主題コーダ)のゼクエンツ的音形が全体の対位法的設計の基本となるところの、バロック的音形の紡ぎ出しが特徴である。
前奏曲とフーガVIII変ホ/嬰二短調BWV853
前奏曲
対位法的書法を前提とする前奏曲。「サラバンド」を思わせる緩やかな音楽的性格は、フーガのグレゴリオ聖歌風の主題の性格と深く関連する。リュートなどの撥弦楽器を思わせる分散和音の伴奏と主旋律の声楽的な書法は「挽歌(Tombeau)」 風の様式を反映し,大幅に改訂・拡大された後半第32小節以降の(器楽的)レチタティーヴォ風書法に結びつく。
フーガが変ホ短調でなく嬰二短調という例外的な調性をとることは、グレゴリオ聖歌における教会法でd(レ)から始まる「ドリア旋法」が死者を悼む「鎮魂曲(レクイエム)」の伝統とかかわることから、フーガの原曲が(おそらくは)二短調で作曲されたことと関連しているかもしれない。よって同フーガは、読譜上のわずかな容易さのために変ホ短調に移調されるべきでなく、自筆譜(写本)通り要二短調で読譜され、理解されるべきものである。そしてこの前奏曲では、嬰二短調の異名同音調として変ホ短調と一致させたと推測される。
フーガ
グレゴリオ聖歌風(ドリア施法)の主題は、このフーガが古様式(Stile Antico スティーレ・アンティーコ)によることを明らかにしている。たとえば第4小節は、応答主題の変応により主調の二短調であるべきところ、本来導音化される音階第四音cisはcisis に変化されないため(分析楽譜の○を参照)、短調でない施法的な響きが生じ、より伝統的(古式)な対位法になっている。/同じ古様式による〈フーガIV 嬰ハ短調〉が5声の三重フーガであったのに対して、このフーガは3声対位法であってもより[声楽的=旋法的]対位法の特徴が目立つ。また前者では用いられなかった主題の反行形・拡大形・反行拡大形が用いられることにより、同様に理論的性格の勝ったフーガが意図されている。/旋法的性格としては、フーガ各セクションの重要な区切りに、旋法に由来する属和音への半終止として用いられる性格的な「フリギア終止」が用いられているところがある。
このように各フーガの基本的構造がそれぞれの転写により、基本構造とその変質によって音楽的テクスチュアを構成するという,一般的音楽形式にみられる通時的な構成とは異なる特徴がみられる。こうした[ネットワーク=回路的構造]は、バッハに特徴的なあたかも人工知能を思わせるものである。/古典派以降の音楽では、時間軸にそった眺望可能な通時的構成が中心となるのに対して、「音楽構造」に本質的にかかわる、時間軸そのものよりは人工的に再構成される「音楽的時間」にアクセスする方法としての形式原理ともいえる。この形式原理は、バッハ以降今日にいたる音楽作品のなかで、しばしば複雑な様相と演奏者や聴き手の拒絶との背後に、その実態を潜めつつ受け継がれていく。
前奏曲とフーガIXホ長調BWV854
前奏曲
パストラーレ(田園曲) 風の3声シンフォニア。[即興演奏=前奏曲のモデル]に対して、〈前奏曲VIII 変ホ短調〉と同様により性格的な音楽の創作が意図されている。/冒頭2小節間のバス eによる保続音上の和声効果がしばしば利用されることで、伝統的なパストラーレの情緒が想起されると同時に、おだやかで和声的な変化による書法が中心となる。
フーガ
器楽的主題のストレット的導入によるフーガ。急速なテンポでありながら、細心な声部書法(たとえば頻繁に用いられる掛留音)が、器楽的な間奏部分に複雑なテクスチュアを生み出している。/一貫して16分音符音形で疾走するが、主題音形がそのまま用いられているため全体的な統一性が生じ、またその音形の処理が対位法的・和声的書法の試みの契機となる。
前奏曲とフーガXホ短調BWV855
前奏曲
「初期稿」の大幅な改訂による前奏曲。全23小節の「初期稿」に対して、第23小節以降第41小節まで、ほぼ2倍の拡大をおこない、規模を拡大している。
フーガ
《平均律クラヴィーア曲集 第1巻》のなかで、唯一の2声フーガである。前奏曲後半部分(トッカータ)同様の,弦楽器風(ヴァイオリン)音形による半音階的下行主題は、前奏曲のバス音階的下行に対するもの。/主題は対位主題をともない属調に転調する。2小節しかないにもかかわらず、テクスチュア的に変化の多い主題構成と、きわめて器楽的な2種類の間奏を備えた、前奏曲同様に技巧的な音楽である。
前奏曲とフーガⅪヘ長調BWV856
前奏曲
即興演奏のモデルを学習することが意図されている前奏曲。基本楽句としての第1小節は、作曲モデルというよりも、即興演奏をおこなうときの[メトリーク(韻律)=音楽的進行のタイミングを図る単位]として利用されるべきだろう。
フーガ
舞曲(パスピエ)風主題によるフーガ。《平均律クラヴィーア曲集》のモデルのひとつである《アリアドネ・ムジカ Ariadne Musica》(ヨーハン・カスパル・フェルディナント・フィッシャーJ. C. F. Fischer, 1702)の,同じ調のフーガ主題にもとづくと考えられている(譜例1)。/バロックの特徴のひとつである他者の主題引用によるフーガ作曲技術のみならず、原曲からいかに新たに応用変形をおこなうべきか、という学習も組み込まれていると考えてよいだろう。
前奏曲とフーガXII へ短調BWV857
前奏曲
アルマンド風の16分音符で[多声的に音形化された分散和音=旋律(style brisé スティル・ブリゼ)](第1小節-第2小節前半)と,付点リズム(第2、3、4小節の後半)を特徴とする(《フランス組曲 第5番》ト長調 第1曲〈アルマンド〉を参照、譜例1)。小節構造は不規則的である。完来の不規則構造を生かしながらも、改訂により終結部(第16小節後半一第22小節)を規則的な構造(第18-21小節で2小節単位)に変換している。これは、単なる形式上の均衡化のための改訂ではない。むしろ(創作原理にかかわる)構造的な「変換」あるいは「進化」,つまりワーク・イン・プログレス(進行過程にある作品)としての作曲原理を提示する[改訂=方法]である。
フーガ
《平均律クラヴィーア曲集 第1巻》全曲の中間にあたるこのフーガと、最後の〈フーガXXIV ロ短調〉は、大規模な形式と主題の半音階的性格で共通し,(同様に一般的でない特異な調性格と考えられる)へ短調とロ短調同士の増4度関係という最も遠隔調の隔絶において、際立った位置づけを与えられている。/属音(装飾的に音階VI度音)から主音への半音階的下行を骨格とする、象徴的で瞑想的な主題は、半音を含むことで、安定した調構造に対して異質な響きを生み出す
主題は4小節構成であるとはいえ、主題(応答)の入りは常に3小節単位であり、また間奏部もほぼ3小節構造、提示部を含む大部分が3声書法で一貫しておりの間奏も7つあることから、「3」「7」という神学的な数象徴が反映されているとも考えられる。
前奏曲とフーガXIII嬰へ長調BWV858
前奏曲
この前奏曲は、分散和音音形とシンコペーション・リズムによる繊細なフィグール(音形)に,バロック期特有のコンチェルト風の短いリトルネッロ的楽旬(周期的な結尾)を用いている。様式的な音楽として、即興的な前奏曲にくらべ、より発展的なあり方を特徴とする。
嬰へ長調という調号,および臨時記号の数と複雑さが特徴の書法は、《平均律クラヴィーア曲集》において全24調が使用されるという目的に即したものである。フーガともに,おそらくへ長調の原曲(当然知られていない)を、半音高く移調したと思われる。ここには当時の音律(調律法)の問題が反映しているとはいえ、(全24の)調関係を論理的に組み立てるというバッハの意図が理解できる。
フーガ
前奏曲同様にフィグール(音形)的に精妙なバランスを保つ主題・対位主題と、反復音を特徴とする音形による繊細なリズムの揺れをともなう間奏は,前奏曲と共通したリトルネッロ的性格をもつ。本曲は、コンチェルト的な構造によるフーガ書法の試みといえる。
前奏曲とフーガ XIV嬰へ短調BWV859
前奏曲
トッカータ風の、模倣形式による《インヴェンション》の性格をもつ前奏曲。これまで多くみられた即興的な前奏曲タイプと明らかに異なる。冒頭の主題提示を上声部と下声部の「模倣=変応」をともなう5度(主題・応答)で開始する、作曲技法としての意匠《2声のインヴェンション》)が生かされた前奏曲である。
第19小節以降の主題・主題による(通奏低音的)再現的部分は、冒頭の主題提示(第1ー2小節)と異なり、属和音・主和音の交代による和声づけがおこなわれ、冒頭の(主題・応答の対位法的な)主調・属調の対比が、主調・主調(対位法的な重層構造が単一的和声構造)に置き換えられる(第22小節以降の終結句も含め、一貫して主調)。歴史的音楽語法の推移をも象徴する、様式的な混在を特徴とする前奏曲である。
フーガ
主音・属音間の限定された音域を音階的に繰り返しつつ、ためらいがちに上行しメリスマ(声楽的装飾)風に終止する、半音階的なラメント(哀歌)的主題。また主題に対して反行で下行する、悲嘆・苦痛の象徴である同音反復を特徴とした対位主題の扱いともに,古様式(4分の6拍子)による自由で技巧的な対位法楽曲である。ファンタジアの伝統を思わせるフーガである。
前曲の〈フーガXII 嬰へ短調〉同様、シンメトリーと非シンメトリー、さらにそれらを続する新たなシンメトリーの介在としての複合的な構造性が生じる。これらは〈平均律クラヴィーア曲集 第1巻〉後半にみられる特徴でもある。
嬰ヘ短調という(当時の調律法に従えば、純正でない音響的特性をもつ)特異な調性で、一般的なフーガ書法としては、やや低めの中・低音域を中心にすることから、メランコリア(憂鬱)という独自のアフェクト(情緒)が特徴づけられる。たとえば、終結部主題にある、第37小節中間の増3和音は第1転回形で用いられ,不協和音による強い表出となっている。
前奏曲とフーガXV卜長調BWV860
前奏曲
再度、即興的技法による前奏の技術が課題となる。/演奏技術的には親指を支えとした奏法(pivot ピヴォ)が中心で、演奏家としてのバッハによる、クラヴィーア演奏技法に対する関心と高度な要求がみられる。/初期段階での強固で直進的な音楽的発想から、最終稿では複雑で迷路化されたネットワーク状の形式に到達する過程もみられる。内在化する論理性を見出しつつ、より明解でありながら複雑なものにするこの過程は、音楽思考そのものであり、バッハの音楽がしばしば示すところのものである。
フーガ
ジグ(「組曲」の最後に置かれることの多い急速な舞曲)を思わせる主題による3声フーガ。ヴァイオリン奏法特有のバリオラージュ(bariolage,各弦の開放音、あるいは特定音を中・心にして急速な音形を弾く技法。分析楽譜に示した第9-10小節の〇や第16小節などを参照)が用いられている。対位法本来の声楽的技法に加え、こうしたほかの器楽奏法の応用も、鍵盤楽器技法においてしばしば重要な意味をもつことが理解されよう。/バロック音楽の重要な様式である「コンチェルト様式=ソロ(Solo)・トゥッティ(Tuti)」も、しばしば応用されている。
前奏曲とフーガXVI卜短調BWV861
前奏曲
オルガン小曲集(Orgelbüchlein)風の書法が特徴で、緩やかなバス進行(第1-7小節など)と、足鍵盤による技巧的な音形(第8, 12小節以降)上に,上声部のイタリア風アダージョ様式の音楽が聴かれる。バッハにおける比較的初期の書法がみられるといってよいであろう。
フーガ
汎用性の高い主題とストレットを備えたフーガ。前奏曲同様にオルガン的様式によるものと考えられる。/また4声フーガでありながら、前半と後半の終結部分(最後の2小節は5声に拡大される)以外で必ず1声部が休止し実質的には3声部であること、および前半とストレットによる後半という2部分からなる構成から、〈フーガI ハ長調〉同様に、伝統的な古様式(Stile Antico スティーレ・アンティーコ)によるものと思われる。
比較的初期の様式を思わせる書法は、バッハ家にも関係がありセバスティアンにも大きな影響を与えたと思われる、南ドイツオルガン音楽の大家,ヨーハン・パッヘルベル(1653―1706)の音楽との関連がみられ、興味深い(譜例3)。
前奏曲とフーガXVII変イ長調BWV862
前奏曲
冒頭からホモフォニックに開始され、全体を構成する3つの部分がすべて「コンチェルト様式」によるトゥッティ(Tutt)とソロ(Solo)の交替からなっている。
トゥッティ(総奏=オーケストラ)を思わせる第1-8、18-25小節などと、ソロ(独奏)風の第9-17、26-34小節などが、通奏低音風のバス下行と上行をともないながら交替する形式で構成されている。とくにソロ部分の音形に,ヴァイオリン特有のバリオラージュ(bariclage)(第13小節以降、〈フーガXVト長調〉も参照)がみられることで、この前奏曲の「コンチェルト様式」との関係が理解される。
バロック様式の作曲にあって「コンチェルト様式」は、本曲のような比較的短い前奏曲に限らず、「序曲」「シンフォニア」といった曲種を用いてある程度規模が大きい作品を創作するための、重要な原理となる。バッハの「鍵盤組曲」や「管弦楽組曲」では、通常これらの曲種が最も長大な冒頭楽章に置かれている。/トゥッティとソロの交替を、近親調を中心とする近代的な調体系に組み込みながら、ふたつの対比的なセクションの交替を単位とし、その対比を波動的に繰り返すという、ダイナミックなバロック的作曲法の原型をみることができるだろう。
フーガ
「アタッコ(attacco)」と呼ばれる、1小節の短い主題(動機)による、ストレット的導入で開始される。前奏曲同様,バロック期の創作原理である「コンチェルト様式」が、前奏曲とフーガの様式的統一性を生み出している。いっぽうで、ルネサンス以来の伝統的書法もみられるフーガである。
前奏曲とフーガXVIII嬰卜短調BWV863
前奏曲
調号の多い(♯5つ)実用的でない調性であるため、原曲にはト短調などが推定される。アフェクトとしての感傷性やメランコリーといった特徴は、バッハのト短調の類曲と共通するともいえる。/3声 《シンフォニア》あるいはトリオ風の書式(部分的に2、4声となる)であり、後半にいたるほどにいわゆる即興,導入楽曲風の前奏曲が少なくなり、対位法的練習曲(Clavier Übung)的なものが増えてくるのも《平均律クラヴィーア曲集 第1巻》の特徴といえよう。
フーガ
古様式(Stile Antico スティーレ・アンティーコ)によるフーガである。導音(Isis)と属調への転調の特徴音であるfisが、主題の冒頭と後半に並存する。また増4度の跳躍(gis - cisis)を含み半音階的であるが、同時に旋法的な性格も指摘されよう。
声部間の半音のぶつかり合い(第6―8小節、分析楽譜の×を参照)から生ずる不協和で鋭い響きなども、前奏曲における自由な非和声音の使用同様に、より単純な調性であったと思われる原曲からの改訂が想定される,このフーガの初期様式をしのばせる。
前奏曲とフーガXIXイ長調BWV864
前奏曲
3声の[厳格な対位法様式=順列的な転回対位法をともなう書法]ながら、〈前奏曲XVII 変イ長調〉に類似した,世風(ギャラント・スタイル)の[自由な対位法=和声の扱い]が目立つ。
フーガ
4度上行音程が特徴的な、複数の鐘(グロッケン)を思わせる象徴的な主題として、ベートーヴェンも後期のピアノ・ソナタ 第31番変イ長調)の終楽章で、この主題を「引用」している(譜例 1)。
前奏曲とフーガXXイ短調BWV865
前奏曲
〈前奏曲XX イ長調〉のギャラント・スタイルを思わせる新様式(当世風様式)に対して、〈前奏曲XX イ短調〉は、明らかにバッハ初期の荒々しい(北ドイツ楽派に特有の)トッカータ風様式,またチェンバロ、クラヴィコードといった鍵盤様式とは異なる、むしろオルガン的な器楽書法を特徴とすることで、鋭く対比される。
〈前奏曲XIX イ長調〉の[トリオ風対位法=和声的様式]に対して、不協和で激しい感情的表現を生み出すのは、単に保続音的機能だけでなく、a 保続音に加えられたオクターヴ上行、16分音符によるめまぐるしい回転音(2拍目=記譜されたトリルでもある)と分散和音によるオクターヴ下行という,きわめてダイナミックなバス音形である(第1-3小節)。こうした発想は、おそらくバッハ自身の(即興)演奏実践に深くかかわり、第5小節以降は冒頭4小節の主要声部(右手)をバスに、本来のバス声部を自由に転回し,上声部にアカチャトゥーラ (右手和音を短く鋭く弾く奏法)をともなう新たなパッセージを即興的に生み出す。
フーガ
〈フーガXIX イ長調〉よりさらに大規模な4声フーガ。オルガン様式であるのみならず、おそらく原曲がオルガン作品であったことが容易に想像できよう。
ストレットは、主題自体の可能性として最初から(特定の音程間で)設定されるものではあるが、このようにさらに主題の模倣(カノン)の可能性(蓋然性)に即して、新たな模倣音程を算出することが、すなわち[音楽的構想=形式]となるという意味で,フーガにおける重要な「構造性」としてバッハが探求したものといえる。こうした「構造性」の探求こそ、「選択=決定と蓋然性」のあいだに成立するところの「作曲」における最も重要な課題なのである。
前奏曲とフーガXXI変口長調BWV866
前奏曲
ふたたび即興演奏のモデルとしての前奏曲。
音階進行は、たとえば第3小節後半のように32分音符の5、4、3音に複雑な[グループ化=両手のポジション配分(roulade)]がみられる。この身体的な演奏法は、バッハの鍵盤楽器演奏の名技性(virtuosite ヴィルトゥオジテ)を思わせる。
前半のトッカータ(運動性)と後半のレチタティーヴォ(語りかけ)は、それぞれに当時の演奏様式を反映したものでもある。
フーガ
主題とふたつの対位主題をもつ3声フーガである。/各声部間が乖離した特徴(たとえば第22- ―23小節)など、手鍵盤・足鍵盤によるオルガン的書法が目立つため、原曲がオルガン作品だったかもしれない。結果として二段鍵盤の楽器では、左右両手によって内声部を複雑に配分して演奏する技術が重要となる。第22―23小節の内声配分(右手、左手で内声部を取り分ける工夫)は、今日のピアノ演奏法における、対位法音楽特有の演奏技術の典型であろう。
前奏曲とフーガXXII変口短調BWV867
前奏曲
ここではふたたび、《前奏曲XVII 変イ長調》(「コンチェルト様式」参照)でみたように、鍵盤音楽以外のジャンルから編曲的な技法が用いられる。器楽(管弦楽)伴奏つきの教会様式の合唱曲を、鍵盤楽器に編曲したかのような前奏曲である。
フーガ
前奏曲同様に、教会様式の合唱曲を思わせる5声フーガである。やはり5声部による〈フーガIV 製嬰ハ短調〉同様,古様式(Stile Antico スティーレ・アンティーコ)の声楽対位法書法(《口短調ミサ曲》など)にみられる5声部書法のみならず、フーガ主題に含まれる短9度の鋭い音程跳躍(f - ges)は器楽的に思われるかもしれないが、むしろ声楽による演奏において、その劇的表出性が際立つということを想定できないと、このフーガにおける様式的特徴(他ジャンルからの借用)を理解できたとはいえない。/主題導入は最上声から最下声にいたるもので,器楽フーガでは珍しいタイプといえる。
前奏曲とフーガXXIII口長調BWV868
前奏曲
《平均律クラヴィーア曲集 第1巻》最後の〈前奏曲XXIV ロ短調〉同様に、バロック期の典型的な室内楽書法であるトリオ(通奏低音を前提としたバスと、上2声部による対位法様式)である。
同フーが主題冒頭に似た16分音符動機と,動機最終音を短い予備音(16分音符)として次の掛留音(あるいは第7音)に結びつける技法(第3-4小節、第4小節の2ー3拍目にかけた音形など)は、本来不規則的な扱いであるが、この場合はむしろ鍵盤楽器特有の対位法的イディオムとも考えられる。/そうした鍵盤技法は、特定の運指(32-34)の訓練(冒頭小節の上声部の出だしを参照)につながることからも、前述したようにトリオ(室内楽書法)をモデルとしながらも,あくまで鍵盤楽器書法(近代的ピアニズム)の探求が、《平均律クラヴィーア曲集》の創作における重要な課題であるのがわかる。
作曲技法としては、前述の短い動機の連続でありながら、単なる音形的な前奏の技法(即興の技法)のみならず、これらの動機を対位法的に発展・配置する方法が重要である。/たとえば第2小節では、上声部の動機を内声部で模倣、さらに第3小節ではバス声部への模倣へと発展、さらに上声部のゼクエンツ的音形(第3-4小節)に連接させる技法が明らかである。そして、そうした動機的連鎖が、和声的連結と結びついたプロセスを生み出すところに注目したい。/実際的な演奏技法と高度な作曲技法が分かちがたく結びついた、バッハ的創作術の見本ともいえよう。
フーガ
前奏曲冒頭の音形と類似した主題で作られたフーガである。バッハが前奏曲とフーガの主題的関連性を意図したかどうかは不明である。ただしバッハの「鍵盤組曲」にみられるように,各舞曲の開始音形がしばしば共通していることも考慮する必要があるだろう。
このフーガの特徴である掛留音の多用と自由な用法,対提示部が中間部化する構成などは、あたかも伝統的な対位法・フーガ様式とみなされやすい外観をもちながらも、その応用の姿勢は不統一であり、おそらく新たな構成意図がみて取れるともいえる。/ただしその創意の意味を、伝統と革新の混合としての「作品」から読み取ることは難しい。史的資料の乏しさのみではなく、バッハにおいて創作史と分析がほとんど一致しない理由もそこにある。
前奏曲とフーガXXIVロ短調BWV869
前奏曲
前半・後半の繰り返しをともなう2部形式のトリオ楽章の様式を、明らかに用いている前奏曲である。アルカンジェロ・コレッリ (1653-1713)の「ソナタ・ダ・キエザ(教会様式)」の影響(借用)が明らかで(譜例1)、《平均律クラヴィーア曲集》における演奏技術の習得と即興様式を特徴とする前奏曲から、多声的で性格的な「クラヴィーア小品」としての様相を強める。
フーガ
対比的な全音階的)対位主題をともなう、3小節の半音階的主題(12半音をすべて含む、主題の第1―12音を参照)による、《平均律クラヴィーア曲集第1巻》最後の長大なフーガ(76小節)。半音階的主題は、拍頭に音(分析楽譜の〇を参照)をもつ。巻頭の〈フーガI ハ長調〉の,全音階的6音(ヘクサコルド)による主題との対比が、意図されていると思われる。
巻頭の〈フーガI ハ長調〉との対比に加えて巻末の〈フーガXXIVロ短調)は、《平均律クラヴィーア曲集 第1巻》の中心に位置する〈フーガXII へ短調〉に対しても、同様に9半音を含む半音階的主題(と対比的な全音階的間奏)による長大なフーガとして、へ短調・口短調という最も離れた調的(音響的)関係で対峙し、《平均律クラヴィーア曲集 第1巻》の三位一体ともいえる枠組みを構成するのである。
分析楽譜
前奏曲とフーガ Iハ長調BWV846
前奏曲とフーガ II ハ短調BWV847
前奏曲とフーガⅢ嬰ハ長調BWV848
前奏曲とフーガIV嬰ハ短調BWV849
前奏曲とフーガ V二長調BWV850
前奏曲とフーガ VI二短調BWV851
前奏曲とフーガVII変ホ長調BWV852
前奏曲とフーガVIII変ホ/嬰二短調BWV853
前奏曲とフーガIXホ長調BWV854
前奏曲とフーガXホ短調BWV855
前奏曲とフーガⅪヘ長調BWV856
前奏曲とフーガXII へ短調BWV857
前奏曲とフーガXIII嬰へ長調BWV858
前奏曲とフーガ XIV嬰へ短調BWV859
前奏曲とフーガXV卜長調BWV860
前奏曲とフーガXVI卜短調BWV861
前奏曲とフーガXVII変イ長調BWV862
前奏曲とフーガXVIII嬰卜短調BWV863
前奏曲とフーガXIXイ長調BWV864
前奏曲とフーガXXイ短調BWV865
前奏曲とフーガXXI変口長調BWV866
前奏曲とフーガXXII変口短調BWV867
前奏曲とフーガXXIII口長調BWV868
前奏曲とフーガXXIVロ短調BWV869
あとがき
本書は、演奏家(学習者)や音楽学者の分析の手引きになること、あるいは作曲の専門的知識の習得を第一に目指している。
「序論」で概説したように、本書では作品を完結したものとしてでなく、「最終稿」と想定されるものへの進行過程(ワーク・イン・プログレス)としてみることで、作品自体の「構造性」を重視している。「構造」は各部分のあり方や関連性をいうものではあるが、それらを永久に固定するものではない。むしろ可動的な機能として、それらを捉え理解するためのものである。/創作過程を重視するうえで参照した、今日のバッハ関連資料の存在・評価・理解は、万全なものとはいいきれない。しかしながら演奏行為から作品を理解することと、慣習的解釈から距離をおき楽譜自体から読み取れることを重視する態度こそ、「バッハをいかに読むか」に通じる方法であることに疑いはない。/本書を前に、各曲を演奏したり読み直したりすることで、読者それぞれの「平均律」を発見していただきたい。
763.2