Dribs and Drabs

ランダムな読書歴と音楽にまつわる備忘録

西尾幹二「ヨーロッパ像の転換」,『西尾幹二全集 第1巻 ヨーロッパの個人主義』国書刊行会

11月1日に西尾寛治が亡くなったということで,Twitterには西尾に関することがあれこれ流れてきたんだけど,そのうちのひとつがこれ。

いやー,すいません。ニーチェに関するものを通してでしか西尾幹二を認識していませんでした。

こんなのも目にしたけれど,新潮選書は手に入らなかったので,全集の第1巻を読んだ。「ヨーロッパ観光するならマイナーなとこに行け」って話ではなく,あるいは西尾がヨーロッパ(っていってもドイツ・イタリア・フランスあたりだけど)にいるあいだに美術館と劇場に行ってばっかりだったって話でもなく,西洋に憧れ西洋を内面化しその内面化した西洋でもってして西洋を内面化している日本というものを問い直すみたいなこじれた視点……これって佐々木敦『ニッポンの音楽』で描かれていた光景と重なるものあるじゃん。

序章 「西洋化」への疑問

われわれは空想を追っかけて、とんでもない方向を走っているのではないか。われわれは追いつくことが出来るものはたいてい追いついてしまったし、なかには追い越してしまったものも数多くあることは確実だった。だが、追いつくことがもともと出来ないものは、はじめからわれわれの「西欧」のイメージのなかには含まれていなかったのかもしれない。そしていま、私をおどろかせ、こころのなかにかすかな衝撃を与えはじめているものは、このとうてい追いつくことが出来ないなにか有機的なあるものだった。それは何か?私がヨーロッパに来たのはそれをたしかめるためだと言ってもいいだろう。

私はあとで大学に行ってわかったのだが、ドイツの大学の人文科学をまなびにくる外国人は圧倒的にアメリカ人が多く、次いで多いのは日本人だった。それは西ヨーロッパに対する文化的劣等感からの脱出にいま共通の使命をかんじている二つの国民の、興味をそそる一面だった。

仮面をかぶったような表情のない日本人と、デモや酒宴に痴れる日本人とは、結局は同じ性格の二面にすぎないのではなかろうか?小さな集団のなかで陶酔し、仲間うちで情緒的に結ばれているものは、広い世界に出たときには、「個人」として立つことが出来ないからである。

第一章 ドイツ風の秩序感覚

内心は反対しながら、表面はにこやかに応対するといった交際術を都会風だとか、大人の付き合い方だとか言いたがる日本人は、じつははじめから言葉や論理にそれほど重きを置いていないというに過ぎまい。つまり言葉や論理で自分をどこまでも追い込んで、相手に自分をぶつけて行かない限り、自分が相手から抹殺されてしまうというような不安が日本人の社会にはもともとないのであろう。

われわれが「仲間」というものは持っていても、「社会」というものを持っていないのかもしれないと私がさきに述べたのも、自己主張を忌み嫌う日本人社会が人間相互のエゴイズムの是認、徹底した孤独の確認をおこたっているために、自律した個性を喪失していく一方ではないかと思ったからにほかならない。

じっさいドイツ人ほど清潔好き、整頓好きの人種をみたことがない。ドイツの主婦は食事をつくるより床みがきに時間をかける方が好きなのだとは、ドイツ料理のまずさをこぼすときにわれわれがよく口にした悪口だが、まだ汚れていないガラスを磨き、まだ色のさめてない壁を塗りかえ、そして室内をすきなくきちんと整える等々、これらは病的なまでにドイツ人の習性となっているように見受けた。

個人の自己主張がはげしければはげしいほどそれだけ秩序への欲求もはげしくならざるを得ないのかもしれない。手ばなしでいればどこまでも底しれぬ破壊衝動へつっ走っていくのが人間の自我拡張欲というものだ。ヨーロッパ人のなかでもとりわけドイツ人にはその種の衝動のはげしいところがあり、歯止めのきかない衝動につねに枠をあたえる秩序愛も、それだけドイツ人には習性的につよく要求されているのかもしれない。

西ベルリンに端を発したヨーロッパの学生運動のニュースが日本に報道されて以来、日本とヨーロッパとでは学生たちの生活感情がまったく同質のものであると言じている人が多くなってきた。ステューデント・パワーとか、ゲヴァルトといった西洋語で自分たちの混乱を修飾するのは、この種のことでもヨーロッパに権威をもとめ、追いつこうとする倒錯心理のあらわれなのだが、じっさいのヨーロッパの学生生活のなかにある秩序感覚が何であるかを知っていなければ、私たちの社会に起る混乱の日本的条件を正しく認識することもできないだろう。

学生寮といえば、日本では旧制高校の敝衣破帽の蛮カラ風俗か、または最近の、過激派デモの革命風俗が代表しているが、そのいずれのケースにも、日本にしかみられない小集団内部の自己陶酔がある。派閥意識がある。旧制高校の特権意識にせよ、革命グループ同志のセクト間の憎悪感情にしても、私には同じものにしかみえない。これは人間関係そのものに由来する日本人本来の在り方と関わりがあろう。

自己主張のつよい西洋人は彼らなりに首尾一貫しているところがみうけられるし、また、和をたっとぶ素朴な日本の民衆もまた彼らなりに一貫した秩序感覚をたもちつづけているといえよう。ただ、「西洋化」された日本人の意識だけが、日本的美点を「封建的」とか「前近代的」とかきめつけて「西洋的」に行動しているつもりで、はなはだしく「日本的」な結果に終るという愚をくりかえしているのである。

第二章 西洋的自我のパラドックス

文明開化以来、日本人の蒙(もう)を啓(ひら)くという意味できわめて大きな影響力をふるいつづけてきた西洋流の考え方とは、個人主義、自由主義の考え方であったろう。/反封建、因襲打破、家からの解放、恋愛の自由、自由民権、ヒューマニズム、個性の尊重、思想の自由しそのほか呼び名は何であったにせよ、そこに燃えたぎった浪漫的情熱は、西洋流の個人主義、自由主義をもって「近代化」の標識とみたて、それをはばむいっさいの権威を否定し、破壊することを「自由」とみなしてきた。個人主義、自由主義はそのかぎりでは対抗すべき権威がなければ成り立たぬという自己矛盾をはらんでいるはずなのに、近代日本の浪漫主義は、束縛を破る行為のみを自由であるとし、束縛を超える自由についてはいささかも知らずに来たのだ。権威らしい権威といえばすべて流し去ることにこうして精力を傾けてきた結果、今日では、われわれはなんの拘束もない完全な自由の荒野に贈り出されて、かえって途方に暮れているようにさえみえる。自由だけでは人間は自由になれないからである。だが、自由ということばへの熱病だけがいまなお生き残り、かつての残り火をかき立てて、架空の権威へ挑戦し、空想的未来社会へのむなしい、はてしない抽象夢を追いつづけているように思える。

もともとヨーロッパ人の生き方のなかには、この現実を他者支配の欲望の舞台とみたてていくほかない強烈な自我がすくっており、弱肉強食の原理は、たとえ近代的ヒューマニズムの粉飾をほどこした今日のヨーロッパ人の生活のなかにも、はっきりとした現実感覚として作用しているのではないだろうか。

彼岸の神の前では、現実の勝負とはかかわりなしに、勝者も敗者も公平に裁かれるという理念によって、現実の矛盾は、ある仮説的な解決のなかに吸収される。かくして、キリスト教の救世主の夢が、この現実ではけっして勝てないとさとった弱者の絶望感の表現であるということ、そしてそこに、支配者に対する被支配者の復讐心理(ルサンチマン)をよみとり、キリスト教の全歴史をデカダンスと規定したのはニーチェであった。

ヨーロッパの個人主義が、人間と自然とはもとより、人間と人間との関係をも、徹底した不連続としてとらえた上で、ばらばらの個体をつなぐ必要から、絶対者という統一原理を設定しているといえるのではないだろうか。ヨーロッパ社会の人間関係がお互いにさっぱりした、割り切った、乾いた関係であることをわれわれは良い意味で個人主義的とよんできたが、それは同時に、相互の人間不信の上に成り立つものであり、その不感を調停する機能としての統一原理がいまなお目にみえぬ形で作用していることによって、ヨーロッパ社会の人間関係があのさっぱりした、調和のある秩序をたもつことができるのではないだろうか。

われわれは日本一国をもって、ヨーロッパのこの多様性と統一性とに対決しているのである。例えばドイツ人はフランス人、イタリア人、イギリス人などと対応することによって自分はドイツ人であるという自覚をしだいに育て、同時にドイツ人でしかないという限界をもしだいに知らされてきた。しかしわれわれ日本人が自分と対応させるものは、つねに「外国」という抽象的なものであり、したがって、われわれは日本人であるという過剰な誇りに狂い立つか、日本人でしかないという悲惨な自信喪失にとじこめられるか、いずれにしても、外界に対する皮膚感覚があまりにも無垢なのである。

じっさいよく言われることだが、日本人ほど外国に慣れていない国民もない。この事はいくら強調してもしすぎることはない。この島国にくらしている限り、日本以外のすべての文明は単色に染めぬかれた「外国」一般なのである。さまざまな文明があり、国があり、地域があり、それらがそれぞれある反撥力をもって摩擦し合うことによって、かえってたがいの安定や調和が得られるという力学は、だからどうしても皮膚で感じとることができないのである。

北ドイツよりウィーン文化に近い情緒をそなえているのがミュンヘンだが、それでいてウィーンの 優美さ、典雅さをもたず、素朴と頑迷、野放図と自倍過剰をまるで絵に描いたようなドイツ人農民気質をもっとも濃厚にのこしている町なのである。

イタリアにほど近い、スイス国境で、イタリア風のスパゲッティが食べられない、私はそのことを不思議がったが、じつは国境にほど近いからといって自分と他人との区別をなくしてあいまいに混同させてしまってもよいと考えるのは、なんでも自分に都合のよいもの、快適なものだけを無抵抗にどんどん外国から輸入してしまう日本人に特有の発想にほかなるまい。

統一性は、画一性ということとは異なる。というより、文化はある統一性をたもっていなければ、ゆたかな多様性を発することもできないであろう。これは逆に言っても同じことで、ヨーロッパ文化は多様であることによってはじめて、統一体としての活力をかんたんに死減きせずに自己展開しつづけることができたのだともいえよう。

第三章 廃墟の美

文化遺産を発掘し、整理し、集大成したのが「近代」の歴史意識であるとすれば、文化遺産を破壊し、損傷し、その調和を破ったのも「近代」のしわざであった。しかし、京都タワーをつくらせた「近代」のこの歴史破壊の悪がフェララの町に作用しているわけではないだろう。まったくその逆だ、と私は思った。あまりにも歴史過剰のイタリアでは、十五世紀のお城の外郭なぞ文化遺産のうちに入らないのかもしれない。歴史は、それを保存する枠組みをはみ出し、おさえが効かないほどに溢れ出ている。そのことをイタリアほど痛切にかんじさせる国はないだろう。

なかでもあまり観光化していない小さな町々がいい。一流の観光都市ではそれと気づかずに見過ごしていたことに、はっと思い当る。というのも、観光化とはやはり歴史の「意識化」の一形式であり、イタリアの国庫財政を支えている観光事業のもたらした歴史の意識化と、歴史の欠乏がもたらした歴史の意識化とは、なかなか区別がつけにくいからである。見るべきものといえばコシモ・トゥーラの絵のほかになんの取り得もないようなフェララの町が、かえって私には野放図な歴史過剰のイタリアのひとつのシンボルのように思えたのだった。

ローマから汽車で北へ約一時間半、古代ローマ人以前にこの半島を支配していたエトルスキ人の作った小さな町がある。オルヴィエットーというその名を知っている人は少ないだろう。人口わずか二万五千のこの町を訪れる日本人はあまりいない。

第四章 都市とイタリア人

イタリアがルネサンス以来の絵画や彫刻の宝庫であることは、たしかにイタリアの魅力の一半をなす。また、この国には古い寺院、城砦、円形劇場、埋没都市などさまざまな遺跡がじつに無数に、豊富に残っていることも、驚異の一つであろう。/しかし私にとってもう一つの大きな魅力は、都市のもつ個性であった。

もともとばらばらの都市共和国として発達し、それが統一イタリアの形成に久しく障害となったことからも判る通り、イタリアはロンドンやパリのような中心都市をもたない。首都ローマは今日でもイタリアの中心ではないのである。イタリア経済の中心はミラノとトリノで、ローマは一消費都市に過ぎないと言われる。/中心がなく地方文化が栄えてきた点では、イタリアはドイツに似ているが、ドイツ人はもともと都市形成への意志や才能がイタリア人より微弱であったように見受ける。ドイツでは、都市とはたかだか農村の延長でしかないように思えることがある。

それでもおそらく廃藩置県までは、鹿児島には鹿児島らしい個性的な建物が、新潟には新潟にふさわしい特色ある建物が、街の様式を決定していたのであろうが、今ではどこへ行っても、活動的な地方都市であればすべて「小型東京」であることを競い合っている。その画一的な性格喪失は真に悲惨といってよい。旧市街区の様式を生かしてその延長線上に近代生活を営むのが、見てきたヨーロッパ各都市の在り方だが、(そしてその方が便利でもあり、合理的でもあるのだが)日本の古い木材家屋の街並が、材質的にも、用途的にも、要求された西洋風の近代都市生活とあまりにも接続しがたいものであったことは見易い理由である。

ヨーロッパ人の共同体意識が個人、都市、国家、そしてヨーロッパ文明圏という抽象段階へ開放的に拡大していくのに反し、日本人はよくよく「家」単位の具象意識しか働かせることが出来ないとみえ、どんな小っぽけな家も垣根で囲み、町に対して自己を閉鎖し、公園や緑地帯に不熱心であるかわりに、家々はひとつひとつ小さな庭を持とうとする。庭をもつ理想的な日本風家屋は、ひとつひとつが精巧な閉鎖空間として完成しているというその長所が、「西洋化」の波をかぶったとき、ただちに融通の利かない弱点として作用し、町全体の「西洋化」という計画とはおよそ似ても似つかぬグロテスクな結果に終って、各都市の恐るべく放埒な性格喪失、空間喪失を招いたのであろう。

イタリアもまた子供の天国である。イタリアの親は子供に対する手放しの情愛を人前でも決して隠さない。レストランで、母親は自分のサラダを自分のフォークで、子供の口に入れてやったりする。ようやくテーブルにとどく位の小さな子供がナイフとフォークで一生懸命食べている姿は可愛いものだが、子供の残したものを自分の皿に移して食べる父親を見たこともあった。日本なら珍しくもないこんな情景は、しかし、ドイツではただの一度も目にしたことがないのだった。

第五章 庭園空間にみる文化の型

モンマルトルの丘の上の純白のサクレ・クール寺院にしても、エッフェル塔にしても、建てられた当時にはパリの美観をそこねるものとしてさんさん非難されたと言われる。にもかかわらず、いつしかパリ全体のうちにしっくり収まっているのである。こうして、ヨーロッパでは「歴史」の積み重ねが可能になる。さまざまな時代の、さまざまな様式の建築物が累積して、街全体の多層な様式美を可能にするのは、「全体」が生きているからだろう。個々の建築物はたいして重要ではない。部分は重要ではない。部分と部分との間の釣合いを幾何学的に調和させるあるダイナミックな力学が生きつづけているのであろう。

亡びるものは亡びるにまかせる感覚のないヨーロッパ人のこの過去への異常な執着心は、ひょっとすると、「自然」の暴威の前に裸身をさらすことのできない彼らの弱さに起因するのではないだろうか?彼らは堅牢な「文化」の砦の中でしか生きることを知らないのではなかろうか?

過去の発見を通じて自己の根拠を再確認しようとするこうした傾向にデカダンスを嗅ぎつけたニーチェは、人間であれ、民族であれ、文化であれ、およそ生命あるものが損われ、最後には没落するものだという事実を忘れるな、と著告し、過去崇拝と未来崇拝とをともに否定して、ただ現在という「非歴史的」な一点に立ちつくす覚悟をヨーロッパ人によびかけたのだった。亡びるものは亡びるがいい、「閉ざされた地平線」の内部で生命を燃焼させるのが人間の生き方というものである。彼は伝統に挑戦し、密度の高いヨーロッパ神話圏をひとりで破壊し、そこからの脱出を願って、自己崩壊した。それほどにもヨーロッパでは個人を取り巻く歴史の抵抗壁は厚いのである。

西洋と日本との関係に、「文化」と「文化」との闘争はなかった。征服も被征服もなかった。われわれ日本人の意識の中で、この百年間のヨーロッパ文明の流入は、津波のような自然力として受けとめられてきたのではないだろうか。「自然」と「文化」との二元論的な対立を知らないわれわれは、自然と格闘するよりも、自然に敗れればそれに同化し、適合し、むしろそれと親しむことによって自分を自然に近づけ、慣らして行こうとする傾向がつよいのである。それに対しヨーロッパ人は、始めから「自然」に垣根を設けた「文化」の砦の中で自己収斂と自己拡大とを繰り返すことにより、それが彼らのエゴイズムでもあり、弱さでもある事実の方は好都合にも忘れてしまう技術をさえ習得しているかにみえる。

比例とシンメトリーの合理的美学に基づく西洋の広々とした庭園は「明朗華麗」という形容詞で代表できるほど明るい人工美に満ちているので、禅宗趣味の隠棲的な日本の庭園とは規模も性格も異なる。しかし私は、そうした全般の印象をうみ出したもとのもの、庭園を構成する個々の要素とその相関関係が極端に正反対の方角を向いているという事実の方に興味を覚えたのである。

日本の庭園は時代によって多少の違いはあるが、自然の景色を手本とし、自然を縮小したり象徴化したりして自然を内部に取り入れるという原則において変らなかった。自然の変形による再現である。それは直接的な模倣ではなく、自然の一種の精神化である。

庭園はあくまで家屋から展望するものであり、その限りにおいて「家」中心なのである。廻遊式庭園の場合でも、最高の景観は主殿からの展望に統一されている。/それに反し西洋庭園では、左右相称の幾何学的な全体空間が先にあり、それが個々の建造物を大規模に包括している。/庭園はすべて廻遊式であり、従って屋内から庭を見ることより、庭から見られた建造物の美観の方が重要なのである。その限りではあくまで「庭」中心である。

第六章 ミュンヘンの舞台芸術

はじめ観光客気分でいた間は、私にはそんな疑問はまったく浮ばなかったし、ただただ華麗にして豊富な過去の遺産の累積する層の厚さに感心するばかりだった。だが、この種の遺産墨守が、日常の市民生活にみられる彼らの徹底して無駄のない合理的な生き方とはあまりにも矛盾しているように思いはじめたとき、結局、文化に関する単純な未来主義と、極端な過去崇拝とは、同じひとつの事柄の二面であって、文化を追いもとめるべき意識的な目標として考えるという目的論的文化観の、方向の異なる二つの側面ではないかという気がしてきたのだった。

劇場をなにか儀式めいたものに考え、威儀を正して観劇するドイツでは、例えば生活苦を訴える新聞の投書欄に、「私たち一家は年に四回劇場に行けるような生活がしたいのです」という表現があったのを見て、私は演劇に対するそういう反応の仕方を興味ぶかく思った。だから観客に気取りが発生するのも当然である。しかしまたこういうスノビズムと、演劇への本当の愛情とを正確に区別することは困難であり、それは混ざり合って一体をなし、演劇をささえる幅広い市民層の動員力となっているのだろう。

日本人はもともと過去の基準をあくまでまもろうとするかたくなさや粘り強さを持たない国民であろう。すべては自然のままに流されていく日本人の情緒的な生き方が、場合によっては外来文明との闘争を避けて通る有利な条件をも育ててきたのではないか、と私は前にも書いた。しかしまた、その一種の無定形、無原則のだらしなさが、過去を否定し、革新するという近代ヨーロッパの進歩の原理と結合したとき、日本文化の弱点をいっそう 拡大するような方向に拍車をかけるのではないかと危惧されるのである。なぜなら、ヨーロッパでは、進歩という近代的な価値は、いつも表面を動かしてはいるが、その底には動かぬ保守性が行きすぎをはばみ、拘束している。そして、文化の創造の瞬間は、保守でも、進歩でもない、その二つの力学を止揚した地点にしか成立しないものなのである。だが、日本の過去が、有効に日本の近代にはたらきかけてくる流動性を失っているわれわれの場合には、日本的な非論理性、けじめのなさ、情緒性がそれに加わって、ややもすると、保守と革新という政治の原理のみが文化の原理をおおいつくしてしまう傾向をそなえているように思えるのである。

保守と革新という政治の原理が文化の分野にまで表面化するのは、なにも日本の特殊現象ではないのではないか。たしかに、日本近代はそういう弱点を背負いやすい性格をもっているかもしれない。しかし、この対立関係は、ヨーロッパにおいても、文化のあらゆる領域をつらぬいている近世以来の固定した公式なのではないか、という問題である。

第七章 ヨーロッパ不平等論

私は在独二年間、この問題だけはずいぶん気をつけて観察してきたつもりだが、ドイツの民衆は一般の日本人よりもかなり教育程度が低く、知識欲も乏しいように思えた。大学生ですら、専門領域以外のこととなるとさっぱり好奇心がない。だが、これはなにもドイツにだけ限ったことではないのではないか。北欧の方がもっとひどいという話もきいた。アメリカ人や日本人に比べて、ヨーロッパ人が一般に知的向上心に乏しいという話は展々耳にしたが、これはたしかに事実であるように思えたのである。

いや、誤解しないでいただきたい。私はそんな比べっこをしたくてドイツ人一般の無知を論っているのではないのである。私の言いたいのは、まったくその逆のことである。つまり、ヨーロッパ人は無知や無学を少しも怖れていないのではないか、という私にとってはある驚きに近い経験なのである。

労働力の不足を少人数でまかなっているドイツ産業の能率の良さもここにあるし、なににもましてその根にある考え方、エリートと大衆とを区別する複線型のヨーロッパの教育制度は、国民の最高の頭脳を可能なかぎり高度に成長させ、そこで得られた理論の結晶に大衆が従順に従う以外に、競争に打ち勝つ道はないというヨーロッパの長い歴史が教えた本能に根差すものと見るべきだろう。

明治の初期と戦後と、二度にわたって日本に輸入された教育制度の主なる手本は、大衆にひろく門戸を開く単線型のアメリカの教育制度であった。従って教育の「近代化」とは、つねに全国民に同質教育をひろげていく教育の「平均化」を急速に助長し、戦後の改革は一層それを拡大した感がある。戦前も戦後も、それが日本の富国政策に合致したため根本的に疑う人はいないらしいが、同時にそれが、一国の文化の多様性を磨滅し、文化の画一化・平均化という近代悪にわが国がヨーロッパよりもはるかに深刻に見舞われている要因となっていることからも目をそむけている。

職業上の訓練もせず、学問的情熱にも乏しい学生大衆の出現はヨーロッパではまだ考えられない。すでに見た通り、ドイツでは教育が実社会から遊離することを嫌うし、他方では、本当に学問好きの者に孤独な、なんの保証もない、純粋な学問への情熱を強いるシステムを変えていない。表面の進学率からは判断できない背景がある。背景とは、人間は不平等だという国民の事実認識である。

第八章 内なる西洋 外なる西洋

われわれはただ文化をわれわれ自身のためにのみ考えていればよい。外国人がわれわれの文化を好意をもって評価することがあるとすれば、それは彼らのためであって、別にわれわれのためではない。外国人の日本蔑視にはおよそ関心を抱かず、外国人の日本評価のうちには彼らのエゴイズムを読み取り、どちらにせよ、平然とやりすごしていられる冷酷なこころの訓練こそが今われわれにはもっとも必要なことであろう。

われわれの「内なる西洋」を、われわれは客観化できず、従って外なる西洋をも、厳密に対象化することは出来ない。言いかえれば、ヨーロッパとの優劣を比較し、どちらが先を歩いているかというような進歩の尺度で西洋と日本をひとしく目の前に並べて判定を下そうという姿勢そのものが、すでに西洋的な認識形式なのであり、われわれが「西洋化」されなければ起り得なかったことなのである。しかもその「西洋化」はなお進行であり、過程であって、完成ではないとすれば、比較そのものがおよそ意味をなさないと言うべきだろう。

アメリカ人と日本人とは、西欧中心の世界史にもともと飽き足らないでいただけに、世界地図を新しく書き変えるため、まず太平洋をはさんで主導権を争ったのが今度の戦争の意味であったのかもしれない。すくなくとも欧州戦線の、独仏間の伝統的なヨーロッパ主導権争いとはかなり違った性格の戦争をわれわれは戦ったはずである。

第九章 「留学生」の文明論的位置

「ドイツ人は日本を尊敬しています」とある医学生は、尊敬(Hochachtung)という大袈裟なことばを使ったことがある。それは例によってドイツ人らしい剥き出しのお世辞だとしても、そこには明白に次のような二つの論拠があった。一つは、日本が古い文化をもちながら近代の機械文明をも我が物にしたこと、第二には、日本がアジアの異質文化を蔵した未知の国であること、この二つがわれわれヨーロッパ人の好奇心と尊敬心をかき立てるのです、とその人は説明した。

「文明」と「文化」という対立図式は使い古され、月並になっている物指(ものさし)である筈だが、むしろこれは今ではドイツの一般民衆が安易に口にする観念操作になっているのだと合点した。つまり、古い文化と新しい文明をともにもつヨーロッパの優越を表現する都合のいい言葉だということである。

彼らは異質の古い文化をもつアジアに憧れをもつ一方、「アジア的貧困」を明らかに軽蔑している。それはアメリカ的文明をできるだけ軽く見ようとする心理の裏返しである。ヨーロッパ人が日本をめるのは、結局、自分を褒めたいというだけの話ではないか、私はそんな意地悪な見方が成り立つと思った。これは日本を論じた新聞記事などにもちらちら見える心理だからである。

第十章 オリンポスの神々

ヨーロッパで西洋美術の実際に触れる喜びは、選ばれた名作に出会えることはもとよりだが、数多くの、凡庸な作家、もしくは中庸な作家の作品にいやというほど取り巻かれることにより、名作をただ単に「結果」として受けとることに終らずに、それが生み出されるに至ったこれまでの歴史の、混沌として、不安定な背景を覗きみることが出来ることだろう。名作がその混沌の中からどのようにして生れたかは、美術書が説明してくれるが、混沌が渦巻いている「場」に関する知識は、およそいかなる複製画集も伝えてはくれない。

遺跡が発掘され、古文書が詮索され、巨大な博物館の建造が国威を発揚したのは、遠い過去の出来事ではない。十九世紀の歴史主義の、文化財への異常な執着心を措いては考えられまい。私は「大英博物館」というような化け物を見たときにつくづく考えた。博物館とは、文化形成の行為にではなく、行為の結果としての業績にのみ文化を求める非文化的文化意志の代表作であれば、美術館は、美が創り出される動きよりも、動きの結果としての作品に、美がア・プリオリに内在しているという錯覚信仰の上に趺坐(あぐら)をかいている。

翻訳を通じてドストエフスキーを論じ、レコードを頼りにワーグナーに感動してきたわれわれの教養の在り方は、実際、良し悪しの問題ではないのである。それ以外に仕方がなかったのは事実だとしても、そう居直るのではなく、代用品を食って酔うことが出来たという事実の一回性を軽んじてしまえば、本物に出会ったとき、感動の純粋さを期待することさえも出来ないだろう。

永年の念願がかなってギリシャ旅行をしたある美術評論家が、アクロポリスのパルテノンを最初に見たときの、浮き立つような感動を綴った美文調の文章を書いていたことがある。西洋芸術に関するこの種の感傷語は日本ではいたるところに溢れているが、私はこの文章をよんだとき、ある言いようもない猥褻感をおぼえた。どうしてそんなに容易に感動できるのか、私にはさっぱり解らない。アテネ空港からまっすぐアクロポリスにやってきて、いきなり見上げた丘の上のパルテノンがどんなに荘厳で美しくみえたとしても、写真や文献でつみ重ねてきた専門家としての知識、言いかえれば、空想が豊富であっただけに、純粋な感動はそれだけ得にくくなっていると考えるのが自然ではないか。だが、西洋の芸術に関する限り、不思議なことに、知識をもっている日本人ほど感動と感傷とを混同する。この人はおそらくパルテノンをまだ見ぬうちに、飛行機で羽田を飛び立ったときに、すでに「感動」していたに違いないのである。

第十一章 ヨーロッパ背理の世界

生活環境の相違から東西の美意識の相違を分析するほどの用意は私にはいまないが、西洋人には暗がりを求める性癖がないなどという谷崎の断定は、日本の特性を防衛するために西洋を対比的に観念化する日本人の陥り易い空想主義の一つといえるだろう。

終章 「西洋化」の宿命

先日NHKのテレビが日本人に向けたサルトルの談話を放送した。サルトルは日本を賞讃し、かつ批判した。しかしその褒めことばはわれわれの内心の悩みに触れてくるものがなにもないほど空しい内容であり、批判はまるで三十年前の日本を当時の日本人が非難したと同じような形式でなされた古風な観念論であって、その内容はまったく的外れであった。いったいサルトルはどれだけ日本のことを知っているのだろう。NHKから数分の談話を頼まれたときに、サルトルは自分が普段ろくに真剣に考えてもいない問題について、日本人は今後かくあるべきであるなどと軽々しく御託宣をたれることに内心の抵抗を感じなかったということが「知識人」としてよほどどうかしていると私には思えた。

あとがき

この本は類別すればやはり、西洋経験をもとにした一日本人の文明批評という部門に属するだろうか。類書は多いから、やはりそういう部門にくり入れられるほかはないのかもしれない。といっても私はかくべつ珍しい経験をしていない。滞欧生活者の大半が経験するようなことを型通りに繰り返しただけである。本書が扱っている言語、風俗、人間関係、自然観、文化意識、伝統、歴史、 都市美、庭園芸術、演劇、教育、学問、美術……等のかなり広範囲に及ぶ主題も、ヨーロッパにあって日本を思う人の胸中に例外なく去来する主題にすぎない。私はさまざまな主題に、多様に反応したが、日本にあっても人は多様な問題を多様に考えながら生きている以上、私はそれをただ外国生活に引き継いだだけの話である。

西尾幹二全集 第1巻 (ヨーロッパの個人主義) | NDLサーチ | 国立国会図書館

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ヨーロッパ像の転換 (新潮選書) | NDLサーチ | 国立国会図書館

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