無意識的にもっと下賤な感じのものを期待してたけど,ぜんぜんそんなことはなくて,まっとうな研究の書だった.参考文献も充実してたし,著者も終章でこう言ってる.
本書は,サラ金業者の非人道性を告発・暴露するというより,その経済的・経営的な合理性を,あくまで内在的に理解しようと努めてきた.いかに強欲で異常に見えても,人間の経済的な営みである以上,その行動はある程度までは合理的に説明できるはずである.それが,本書の基本的な立場だった.
で,「下賤」を予感させたのは,タイトルにある「サラ金」という言葉のザラっとした感触のおかげだけど,著者によればそれは意図的なものだという.
というのも,「サラ金」つまり「サラリーマン金融」は,日本のジェンダー論と深く結びついているという話で,「会社勤めの男性と専業主婦,その専業主婦が家計に責任を持つ」という戦後の構造の中で,サラ金の母体というか前身である団地金融はまさに団地住まい(団地に住むこと自体が一定の審査基準を満たしていたという)の専業主婦たちにカネを貸し,その後は「小遣い」という金銭的制約があるサラリーマンに対してカネを貸すことが主流になり......ってな感じ.
基本的に淡々と客観的な視線で冷静に記述する著者ではあるが,一箇所だけ強くその「我」が出る箇所がある.それは,信用情報期間をめぐって業界が分裂し,日本消費者金融協会に対して全日本消費者金融協会が結成されたことに対して,
まるで新日本プロレスと全日本プロレスの独立騒ぎ(一九七二年)のような事態である.
と述べた箇所.別に言わんでもいいやん,それw(編集者のリアクションが知りたい)
本書の最後の方になってくると,馴染みのある話題というか,改正貸金業法による規制の強化,「サラ金を締め上げると闇金に流れる人が増えるだけ(か否か)」という話に出てくるんだけど,著者によれば,闇金に流れた人たちは数字には現れていないけど,それよりも闇金をやっていた人たちが特殊詐欺に流れたんじゃないかとか,また個人間取引(オンライン上でのやり取りも含む)が増えているんじゃないかって話で,宇都宮健児に象徴される弁護士たちの動きは,見通しが甘かったんじゃないの?とのこと.
338.7