橋爪大三郎はこの本の存在を知っていただろうに,よくあんな薄っぺらい本が出せたものだ…。
この本の構成は直線的かつ積み上げ式で,つまり本を読む段階を4つとし,
- 第一レベル:初級読書。文字が読めて文章が読める。
- 第二レベル:点検読書。組織的な拾い読み,または下読み。あるいは表面読み。
- 第三レベル:分析読書。本を分類し,透視し,著者の言葉遣いを理解し,著者の伝えたいことを理解し,その上で批評する。
- 第四レベル:シントピカル読書。ひとつの主題に対して複数の書物を同時に読む。本(著者)と読者との主従関係の逆転。
として,順を追って説明している。通常,この手の本に期待されるのはここでいう「分析読書」だろうが,この本では「点検読書」の重要性にも十分触れられているし,また点検読書ができて初めて,シントピカル読書も可能になる。
著者は読者の態度として「積極的読書」を取るべきだといい,それは「読んでいるあいだに質問をすること。その質問には,さらに読書をつづけているあいだに,自分自身で回答するように努力する」態度だという。そして,読者がしなくてはならない質問は以下の4つであるといい,
- 全体として何に関する本か。
- 何がどのように詳しく述べられているか。
- その本は全体として真実か,あるいはどの部分が真実か。
- それにはどんな意義があるのか。
だという。
全体的に理知的・論理的に書かれ構成されている本なので,読書術について学びたかったらまずこの本を読め,という位置づけになると思うが,違和感を抱く記述がないわけではない。たとえば,
本の肉づけも骨組みと同様,書物の部分なのである。その点,本は人間や動物と同じである。肉づけとは,概要に説明をくわえること,解釈をつけることと言ってもよいが,これが書物にはなくてはならぬ広がりを与える。動物なら声明を吹きこむに等しい。実際に骨組みから書き起こされた本には,それ以外では得られない生命の息吹がある。
などという箇所で,「広がり」や「生命の息吹」だとという抒情的な語が急に出てくる。
あるいは「第三部 文学の読みかた」も,とってつけたような印象しか受けない。「べからず」が前面に出て,「小説の読みかた」「戯曲の読みかた」「抒情詩の読みかた」と進むにつれて,記述がどんどん薄くなっていく。
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