先の大栗先生の本*1にも登場していた本書である。
「作文技術」といいつつ,ここで主に指南されるのはミニマムな文の組み立てについて。つまり,文内に複数ある修飾語・句・節をどう配置するといちばん〈読みやすいか〉ということだ。本多はいくつもの例を挙げ,その都度あらゆる組み合わせを試し,どれがいちばん〈読みやすいか〉を読者に体得させ,さいごに〈原則〉を導き出している。句読点のうちかた――特に読点――と合わせて,ここに書かれていることは普段から〈感じ〉ており,そして他人の文章を読むときには〈違和感〉を抱くところであるが,このようにその〈原則〉をしっかり言語化してくれるのは,ありがたい。
その〈原則とは〉,以下のようなものである:
- 節を先に,句をあとに。
- 長い修飾語ほど先に,短いほどあとに。
- 大状況・重要度ほど先に。
- 親和度(なじみ)の強弱による配置転換。
さらに読点の打ち方については,以下ふたつの〈原則〉を主張している:
- 長い修飾語が二つ以上あるとき,その境界にテンをうつ。(重文の境界も同じ原則による。)
- 原則的語順が逆順の場合にテンをうつ。
しかしこの本が完全無欠かというとそうでもなく,
- 〈自分のごときがこのような文章読本を書くなんて恐縮〉みたいなことを冒頭で述べておきながら,その口調はだんだん高圧的・ウエメセになってくる。
- 第五章「漢字とカナの心理」以降は有用性を感じなかった。特にその第五章,梅棹忠夫が述べていたような〈漢字廃止・かな書き・分かち書き〉が理想だみたいなことを言ってて,古さを感じる。
- 西欧語の文法論に引っ張られた日本語論を〈植民地的〇〇〉と形容していて,これも古さというか「朝日新聞」臭を感じる――著者は元朝日新聞編集委員。
朝日新聞といえば,僕が雑誌編集者だった時代に編集部全体で『朝日新聞の用語の手引』をバイブルにしてた。
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