Dribs and Drabs

ランダムな読書歴に成り果てた

山田敏弘『日本語のしくみ』白水社

この〈しくみ〉シリーズも全部読もうと決めたし〈日本語〉もとりあえず読んでみるか……それにしても外国語と同じフレームワークで日本語について書かなきゃいけない著者も気の毒だな……と思って手に取った本書,とにかく面白い! 日本語話者がなんとなく使いこなしている――でもよく考えてみるとよく分からない――微妙な表現の差異などについて,歴史的経緯や外国語との比較なども交えて簡潔平易に解説してくれる。蘊蓄が満載。こんな日本語を無意識につかいこなせていることが,奇跡のように思えてくる。日本語の文法も面白そうだな,という気にさせられた。

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本書では,あえて外国語を学ぶのと同じように,日本語について考えていきます。こんなふうに言ったり書いたりするのは日本語だけ? そんな問いには,他の言語とも比べながら説明を加えました。どうして日本語ではこう言ったり書いたりするの? そんな問いには,歴史や方言などの証拠も挙げながら総合的な説明を心がけました。

1章 文字と発音のしくみ

「アカサタナハマ(ヤラワ)」。この順がどんな順番によっているかご存知ですか。実は,口の中で閉じたり狭めを作ったりする位置の順なのです。五十音図の基本は,室町時代頃に仏教の経典とともにインドから中国を経て日本に伝わったと考えられていますが,「アカサタナハマ(ヤラワ)」は,その室町時代の音を反映した順になっています。母音であるア行音は口を開いたまま発音します。カ行はのどの奥の音,サ行,夕行,ナ行は舌先と歯茎の音,ハ行をとばしてマ行は唇の音です。つまり,のどの奥から唇へという順番になっているのです。このことから考えると,ハ行音は唇の音でないとおかしいのですが,現代で唇を使うのは「フ」の音だけ。「ハ」「へ」「木」はのどの奥の音,「ヒ」は現在のサ行音の「シ」に近い舌先の音です。しかし,室町時代ごろまでは,「ファフィフフェフォ」という唇の音であったというわけです。

「鬼が島」や「中学校」も,昔は「オ」と「チュ」だけが高く,直後で下がるアクセントでした。

「網」と関係があるから昔は「きづな」と書かれた「絆」も,今では語源意識が薄れて「きずな」がふつうになりました。

です。英語にもi.e. (id est)と書いてthat is(つまり)と読んだり,etc.で and so onと読んだりする調読みらしきものがありますが,外来音である音読みと固有の訓読みを体系的に併存させている言話は,現在では世界中で日本語だけです。

2章 書き方と語のしくみ

「あう」と書いて「オー」と読むのは,何も日本語だけの現象ではありません。英語でも,Augustやcauseのように,auとつづって「オー」と読むことがあります。日本語での音の変化と,英語で auを「オー」と読むこととは,独立した音変化の結果として生じたものですが,単なる偶然というわけではありません。もっとも口を大きく開けた「ア」と口をすほめた「ウ」のちょうど中間には「オ」があります。口の開き方を変えるのが面倒だからその中間の音で間に合わせるという,人間の意惰さとも経済性とも言える現象は,洋の東西を問わず生じるのです。長音化するのは,2拍分の長さに合わせた結果です。

かって日本語には,「アウ」に由来する広い「オー」と,「オウ」に由来する狭い「オー」があったという説があります。今でも,新潟県の一部では,歴史的仮名遣いで「たうぢ」と「とうじ」と書き分けられる「湯治」と「冬至」は,違う発音がされるそうです。

増え続ける外来語に加えて,日本語もカタカナで表すことが多くなり,現代では,カタカナことばがあふれています。こうなると,カタカナもあまり際立たなくなってきます。そこでひらがなへの回帰が生じてきました。最近,「らぁめん」や「かれいぱん」のような看板やのぼりを目にします。「ラーメン」や「カレーパン」よりも,レトロで昔懐かしいようにも感じます。基本は,他とどう差異化するか。日本語は,このような文字による際立たせをうまく用いている言語なのです。

実は「時計」はもともと「土圭」などと書き,日時計のことを指しました。「時を計る」という字は江戸時代頃から使われるようになった当て字なのです。

さて,「゛」は,最初,ひらがなやカタカナではなく,漢字につけられたものだったと言ったら驚かれるでしょうか。漢字で書かれたお経の発音を間違えないよう,点をつけたのです。

3章 文のしくみ

日本語の「が」「を」「に」が,ラテン語,ロシア語などと違うのは,「が」「を」「に」が比較的切り離しやすく単語として取り出しやすいという点です。

日本語は,「が」「を」「に」のようなことばがあるために,比較的,語順が自由だという話をしましたが,実際には,より自然な語順というものがあります。それは,①所有を表す場合を除き,「が」は,「を」や「に」よりも前に来る。②「を」と「に」が並ぶときには「~が~に~をの順の方が,「~が~を~に」より自然。③「から」が「まで」か「に」と並ぶときには,「~から~まで」,「~から~に」の方が自然,といったものです。

名詞で聞かれているときには「はい,そうです。」で答えられますが,形容動詞で聞かれているときには「はい,そうです。」で答えることはできないのです。

話しことばには,いろいろな「文」があります。書きことば的な理想的な「文」は,一人がひとつの内容を表すために,音声的な区切りを入れてできあがる,整えられた形なのです。

たしかに,日本語の語棄数は世界有数です。基本単語1000話で80パーセント理解できるフランス語やスペイン語に対し,日本語では60パーセントほどしか理解できないという報告もあります。文字も,ひらがな,カタカナ,漢字と三系統を使う言話は世界に類を見ません。しかし,音に関しては,英語やフランス語のように多すぎるということもなく,きわめてふつうの言語です。

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1章 区別のしくみ

日本語では,指している人や物が話し手と聞き手の領域のどこにあるかによって,「これ」や「この(服)」のような「コ系」のことばと,「それ」や「その(服)」のような「ソ系」のことばを使い分けています。話し手の領域にある,つまり,話し手が持っていたり話し手の近くにあったりする場合,話し手は「コ系」のことばを用います。逆に,聞き手の領域にある場合には「ソ系」のことばを使います。

みなさんは,話に詰まったとき「このー」「そのー」「あのー」のどれを使ってどの順で言いますか。「このー」を使う人は少ないようですね。「そのーあのー」と「あのーそのー」,どちらも使われているようですが,実際には「あのーそのー」の順の方が多く使われています。「あのー」で共通の人や物を指し共有の話題を探り,「そのー」で聞き手の知っている話題を提示しようと模索するという思考の表れなのだと考えられます。

日本語と同じように名詞に単複の区別がない中国語や韓国・朝鮮語でも,人の場合には,基本的に単複を区別するようです。

オノマトペにも単複の区別があると言われています。

このような繰り返しによる複数表示が,語として固定したものもあります。それは,体の部分を表すことばに多く,左右対になってふたつあるものには,繰り返しのことばを使うものが多くあります。「みみ(耳)」や「ほほ(類)」,「ちち(乳)」,「もも(腿)」などがそうです。「目」や「手」も,幼児が言う場合,「おめめ」や「おてて」などと言います。ただし「おちんちん(陰茎)」と「ぽんぽん(腹)」はひとつしかありませんので,例外です。

実は,鎌倉時代以前は,人にも物にもともに「あり」を使っていました。「昔,男ありけり。」で有名な平安時代の『伊勢物語』には,「この野は盗人あなり。(盗賊がいるそうだ)」という文があります。現代語で「盗人があるそうだ」は変ですね。「いる(ゐる)」は,もともと「座る」とか「ある場所に(一時的に)存在する」という意味で,その意味が生物にふさわしいため「いる」が生物に使われるようになったものと考えられています。

敬意というのは,直接的に指すのではなく,ちょっと外して間接的に示すことで表されます。日本語の「あなた」は,「あちらのほう」という意味ですし,「おまえ」とは「御前」,つまり人を直接指すのではなくその近くの場所を指し示すことばです。ヨーロッパの英語以外のことばでも,三人称にしたり複数にしたりして,ほかしているのです。

ヨーロッパの言語でも,英語は,orange juiceのように2つの名詞を並べるだけで意味が通じますが,イタリア語では,「オレンジのジュース」のように言わなければなりません。「の」に当たることばを入れるか入れないかは,言語によって大きな違いがあるのです。

「岐阜に住んでいる人」のような名詞修飾の表現の場合,日本語では,「私」のような人を指し示すことばを修飾して,「岐阜に住んでいる私は,東京のことをよく知らない」ということもできます。英語では,Iやmeのような代名詞を関係代名詞で修飾することは,まずありませんから,日本語の名詞修飾の用法の広さがわかります。

日本語の「た」は,古典で完了の助動詞と習った「たり」に由来します。その「たり」は,「てあり」から来ています。/咲きたる桜を長く折りて(咲いている桜を長く折って)/これは,『枕草子」の一節ですが,「たり(ここでは連体形の「たる」)は,完了した後,その結果が残っていることを表します。それもそのはず,「たり」は,別の完了の助動詞「つ」に由来する「て」に「あり」がついたもの。まさに,「咲いた,そしてその結果がある」なのです。

完了の意味をもっていた形が過去をも表すようになった言語は,日本語だけではありません。フランス語やイタリア語(標準語)では,英語のhave+過去分詞のような形で過去を表します。代わりに,単純な過去を表す形式は廃れてしまいました。洋の東西は違っていても,同じような変化が起こることは不思議なことともとらえられそうですが,人間の時間に対するとらえ方の普遍性も感じさせてくれます。言語というのは実におもしろいものです。

日本語では,動作に関係ある状態という共通点に着目して「ている」ひとつで,進行の意味も結果の意味も表し,必要に応じて副詞を入れたり専用の形式を用いたりするのに対して,英語などの言語では最初から分けて表現をする。言語の優劣ではなく,たまたまそうなっているということです。

英語にもある受身は必ずしも悪い意味を持ちませんが,英語にない受身では悪い意味を持つのです。

受身がない言語もあります。フィンランド語には,通常,日本語や英話で考えるところの受身がなく,代わりに,目的語を文頭に置くことで受身的な意味を出すのだそうです。日本語でいえば,「小さな虫を大きな鳥が食べた」というようです。

実は,五段動詞も,明治時代のはじめの頃には,可能の意味で「書かれる」「話される」「読まれる」という長い形が一般的でしたが,明治時代に徐々に短くなりました。

最近のファミリーレストランで使われる「ご注文の品はこちらでよろしかっですか。」の「た」も過去を表しません。この「た」はよく批判されますが,ちょっとかわいそうな気がします。「今すぐ答えてください。」と言われているような印象を受ける「よろしいですか。」を避けるために,過去を援用した一種のぼかし表現です。とはいえ,気になる人も多いので,控え方がいいかもしれませんね。

「お金が足りない」「お金が足らない」,あなたはどちらを使いますか。中学校で習った文法のことばを使えば,「足りない」は「足りる」という上一段動詞で,「足らない」は「足る」という五段動詞です。同じ意味で活用の型が違う動詞があるのです。

「ちょうちょう」の作詞者である野村秋足氏は,愛知県尾張地方の出身だそうです。ちょうど,「飽きる」も「飽く」も使われやすい地域だったため,「飽く」を使ったのでしょうね。同じ愛知県でももう少し東のほうの出身だったら,「なのはにあきたら」と私たちは歌っていたかもしれません。

2章 「てにをは」のしくみ

世界の言語には,動詞や名詞が形を変える言語と変えない言語があります。中国語やベトナム語は,動詞や名詞に形の変化がなく,単語を並べるだけで文が作れる言語です。単に並べるだけで基本的な意味を表してしまいますから語順が重要になってきます。

ヨーロッパの言話では,英語のように中国語に近い言語もありますが,一般には,名詞や名詞の前につく冠詞の形が変わります。ドイツ語では,der Königと言えば「王が」ですが,den Königと言えば「王を」となります。このように形が変わって,文の中での意味がはっきり表されますので,語順は,日本語と同じように,中国語や英語より自由です。

「ぼくはカバです。」と動物園で言えば,それは,「カバの担当である」とか「カバの絵を描いた」という意味であって,カバ自身が話していなくてもいいのです。これも,「は」に「~に関して言えば~」という意味があるから言えるのです。

日本語では「助ける」は「誰かを助ける」のように「を」を取りますが,英語のhelpに当たるドイツのhelfenは,「に」に当たる形の名詞を対象に取ります。日本人がドイツ語を学ぶときによく間違えるのも,日本語の「を」と「に」の使い分けで考えているからです。

このように,起点を「に」と「から」で表すのは,日本語だけの特徴なのでしょうか。実は,イタリア語やフランス語の祖先であるラテン語にも似たような現象がありました。ラテン語には,「~に」に当たる意味をもつ与格と「~から」に当たる意味をもつ奪格という格がありますが,ふしぎなことに,与格と奪格は同じ形をしていることが多いのです。ラテン語と日本語とは系統的にも関係ありませんが,このような一致は,ロマンを感じさせてくれます。

日本語は,主観性の有無によって接続の表現を変える言語なのです。これは,後に来る主たる部分,つまり「本当に言いたいこと」を予測するためには便利な方法です。理由などの部分を先に言わなければならない日本語ならではの工夫なのです。

英語や中国語でも,「が」「を」と,動作の対象や受け手となる「に」に当たる名詞は,語順だけで表されることがあります。ドイツ語でも,この「が」「を」「に」に当たる格は,前置詞を使わず,冠詞や名詞の形を変化させて表しています。さまざまな言語でこれらの格は特別な存在なのです。これが,日本語で「がの」「の」「にの」と言えないことと関係していると考えられます。

どのような動詞に自動詞と他動詞の対応があるかということについては,歴史的にも方言的にも,偶然,そうなっているとしか言えません。たとえば,岐阜の方言には,「おぼえる」「鍛える」に対する自動詞「おぼわる」「鍛わる」がありますが,共通語にはありません。英単語テストの前に「なかなかおぼわらん」と言ったり,「研修で鍛わった」と言ったりのように使います。便利な表現なのですが,どうして共通語にないのか,私のような岐阜県人には不思議でたまりません。

3章 ニュアンスのしくみ

よく言われるように,「こんにちは」は敬語ではありません。いつも指導している学生が「こんにちは」と言ってくるのはいいのですが,外部の先生にはほかの言いかたが必要です。/学生には,「こんにちは」と言われたら「よろしくお願いします」と言えと指導していますが,直接返している感じがしないと不評です。でも,これが日本語の挨拶なのですからしかたがありません。少なくとも私は,小学生ならともかく,大学生から講義のはじめに「こんにちは」と言われたら,社会常識を知らないなという印象をもつでしょう。挨拶は,人といっしょに成長していく社会の約束事なのです。

「おやすみなさい」と「おかえりなさい」では,「なさい」の意味が違うことをご存知ですか。「おやすみなさい」は命令,「おかえりなさい」は「よくお帰りなさいました」の略。これも約束事なのです。

4章 数のしくみ

韓国・朝鮮語で「サム」というように,「三」はもともとsamでした。「三本」や「三階」が,「サンホン」や「サンカイ」でないのは,mがのどを震わせる音(唇を閉じて「ムー」と言いながらのどを触ると震えています)だからです。「ヨンホン」や「ヨンカイ」は,中国から入った「シ」ではなく,日本固有の「よ(っつ)」からできた「よん」に「本」や「階」がついたために,「ボン」や「ガイ」にはならないというわけです。

「ひとつ,ふたつ…..」のほうは,固有のことばと言われますが,こちらもどうやら北方系の言語に通ずるもので,古くから hitotu-hutatu,mittu-muttu, yottu-yattu,のように,1と2,3と6,4と8といつた倍数が対応していることが知られています。

「よっつ」と「ななつ」からは,「よん」と「なな」というもう一つの数字も作られました。「シ」は「死」を連想させ,「シチ」は「イチ」と昔の面で紛らわしいためです。今では,「イチ,ニ,サン,よん,ゴ,ロク,なな,ハチ,キュー,ジュー」と混合系列で数えられることもしばしばです(特に,十からカウントダウンをすれば,「シ」と「シチ」は出てきません)。

英語でも,単独では one,two, three...と固有の数字を使いますが,biennial (隔年)やtriennial (三年に一回)のような語では,ラテン語からのbi「2」やtri 「3」を使います。bicycleもbi「2」-cycle「車輪」ですし,bilingualにもbi「2」が入っています。tri「3」のほうは triangle「三角形」などにも見られます。日本語と中国語の関係に似ていますね。

「十」より大きな数でも固有の「ひとつ,ふたつ....」の系統がないわけではありません。「源氏物語」の「空蝉」の巻には,次のように数えるシーンがあります。/指をかがめて,とお,はた,みそ,よそ,など数ふる/これは,現在で言えば「十,二十,三十,四十」と数えている様子で,平安時代にはこのような数え方であったことが伺えます。

実は,この日本語の助数詞という習慣は,中国語から来たものです。一音節の漢字一文字が一単語である中国語は,ときに短すぎてわかりにくいことがあったため,助数詞をつけ語として安定させていったと考えられています。日本で使われる助数詞は,その習慣をまねて広がっていったものです。そう考えれば,助数詞に漢語が多いこともうなずけます。

5章 実際のしくみ

伝統的な名古屋方言には,この英語の「アエ」に似た音のほかに,ドイツ語のöやüのような音もあり,8つの母音があると言われています。有名なタレントに悪口を言われて名古屋人は一時期,自分の方言に自信を持てず,悪いことばだと思っている人も少なからずいましたが,このような日本語には珍しい発音は,むしろ外国語習得にも役立つものと自慢してもいいのかもしれません。

東北地方では,条件の「ば」を,共通語よりも広い意味・用法で使います。方言学者の日高水穂さんによる秋田大学での調査では,別れるときに「そうすれば,また明日ね。」ということばを,共通語という意識で使うという人は,大学生世代でも約半数いるのだそうです。形として共通語にも「ば」があるため,共通語だと思っているのです。

参考図書ガイド

日本語に関する書籍は,数限りなくあります。また,その切り口もさまざまです。/本書は,数ある言語のひとつとして日本語という言語を位置づけ,その特徴を外国語と対照しながら示した本です。その立場で,もう少し日本語について知ってみたいという方には,次の本をお勧めします。

日本語音声の入門書ですが,さまざまな言語の音声との比較がふんだんになされており,日本語の音声を客観的に捉えられる本です。

日本ではあまり知られていない言語を含め,世界の130言語を比較して日本語の特徴を描き出した専門書です。言語学的知識をかなり必要としますが,この本を読めば世界の言語のひとつとして日本語を客観的に捉えることができるようになります。

本書でも多くのページを割いて解説した文法について,現在の最高水準で詳細に書かれたシリーズです。留学生に対する日本語教育を含め,文法に関して,これを見れば,まずさまざまな疑問に対する答えが見つけられます。

日本語のしくみ 新版 | NDLサーチ | 国立国会図書館