書影内の帯にある「左翼運動の変形としてのLGBT運動では社会変革はできません」というのが本書で著者が伝えたいことの本質で,必要なのは〈対話〉〈議論〉〈理解〉だと説く。そして,〈左翼運動の変形としてのLGBT運動〉の問題や矛盾を丁寧に説明する。
「抽象度を上げればみんなが当事者になる」と著者が言うのももっともで,そういう意味では本書はできるだけ多くの人に読まれるべきだと思うが,だからこそ,編集・校正・装丁のアラが目立つのが残念。
例えば著者は,横文字を使いすぎる。「マリオネット」「アポリア」「アジール」「ホメオスタシス」「パースペクティブ」「アノミー」「バックラッシュ」「ホモノーマティビティ」とか。それこそ,田舎の老人たちが本書を読んでこういった横文字を見たときに,どう思うか。
あるいは,「性的嗜好」と「性的指向」の違いが説明不足。本書内ではこのふたつの違いが重要であるように書かれているが,意味が分からないので共感できない。
あと細かい話になるが,
「第3者」とある表記は「第三者」とすべき。 * 本書前半で本文中で引用文献をあげているときはいちいち(……参照)と書いているが,後半では「参照」がない。 * 引用文を「《》」でかこっている。短い発言ならまだしも,数パラグラフにわたる文章を,インデントせず二重山括弧だけで引用しているのは,読みづらい。 * 「義務教育=初等教育+中等教育」と著者が思っているんじゃないかと思わせる記述があるけど,中等教育って中学校と高校での教育のことでしょ? * 全体的に,もっと分量を減らすことができると思う。
よく考えたら,タイトルの詰めの甘さも目立ってきた。そもそもアル・ゴアの「不都合な真実」って言葉を使いたかったんだろうけど,「LGBTの不都合な真実」というよりは「LGBT活動(家)の不都合な真実」の方が正確なんじゃないの? そして副題も,「100%妄信」って,「80%の妄信」なんてないだろって意味では冗長だし,「公共的か」っていうのも,著者は「公共的じゃないだろ」と結論づけているんだから,「か」で逃げる必要はないんじゃないか?
そういえば,面白い記述があったな。本書内には「保守/リベラル」って話がさんざん出てくるけど,
社会心理学者のジョナサン・ハイト氏は著書『社会はなぜ右と左に分かれるのか――対立を超えるための道徳心理学』の中で,人を動かす感情のボタンは6つあると説明します。①ケア,②公正,③自由,④忠誠,⑤権威,⑥神聖です。リベラルは①②③は重要視しますが④⑤⑥には関心を払わない。一方の保守は6つすべてに目配りをする。だから人々の信頼を獲得でき,選挙に強いというのです。(pp.219-220)
367.9
LGBTの不都合な真実 : 活動家の言葉を100%妄信するマスコミ報道は公共的か (秀和システム): 2021|書誌詳細|国立国会図書館サーチ