小熊英二が現代的(と思えた)テーマに取り組んだのは意外に思えたけど,序章を読んだらやっぱりこれは小熊英二による小熊英二らしい本なんだなと思えた。あいかわらず「真面目」で「膨大」である。
読み進めていくうちに思ったのが,「『日本社会のしくみ』と大きく打ち出したわりには雇用の話ばっかりじゃん」ということなんだが,その背景はあとがきに書かれてた。
(講談社現代新書編集部の小林氏の訪問をうけたとき)私は,「日本社会のしくみ」としか表現しようのないもの,つまり雇用や教育や福祉,政党や地域社会,さらには「生き方」までを規定している「慣習の束」が,どんな歴史的経緯を経て成立したのかを書きたいと伝えたのである。
なんだけど,「ところが,雇用慣行について調べているうちに,これが全体を規定していることが,しだいに見えてきた」ということで,
そこで,最初に書いた草稿はすべて破棄し,雇用慣行の歴史に比重をおいて,全体を書き直すことになった。そのため当初の構想とはちがい,教育や社会保障の記述を減らし,政党や税制や地方自治については割愛することになった。
そうである。
長い注釈
さて,小熊英二といえば注釈の量が膨大なわけだけど,本書もしかり。で,各章の最初の文についている注釈が長くて面白いので,以下に抜書きする。各章の狙い,類似する先行研究と,それらと小熊の記述との相違,あるいは先行研究が欠いていた(と小熊が考えるもの)がまとめられている。
- 第1章 日本社会の「3つの生き方」
- いまの日本では,「ふつうの暮らし」ができなくなった,といわれる。
- 本章の内容は,三類型の提示と,それにもとづく日本社会の現状分析による,本書全体の問題提起である。ここでのべた三類型は,野村正實『雇用不安』岩波新書,一九九八年が提起した「大企業モデル」「自営業モデル」「中小企業モデル」に触発されている。ただし野村の類型は,賃金と労働のモデルとして提起されており,地域関係や社会保障,政治,人口移動などとの関係は論じられていない。本章での三類型は,賃金と労働にとどまらない,より幅広い領域に関係する日本社会のしくみ(レジーム)の要素をなすものである。これは,イエスタ・エスピンーアンデルセンが新中間層・労働者・農民を社会の三類型としてレジームの成立を論じたことと相通ずる。ただし本書では,三類型があらかじめ存在してレジームを構成したという視点ではなく,レジームの成立と三類型の成立が同時並行的・再帰的に進行したという視点に立っている。
- いまの日本では,「ふつうの暮らし」ができなくなった,といわれる。
- 第2章 日本の働き方、世界の働き方
- この章では,日本の雇用慣行を理解するために,他の国の働き方を概観する。
- 本章の内容は,第4章以降で日本社会の「しくみ」が成立した経緯を論ずるための準備として,おもに雇用慣行の相違について図式的に比較したものである。学術的に新規な知見を提起したというよりは,比較対象の整理である。
- この章では,日本の雇用慣行を理解するために,他の国の働き方を概観する。
- 第3章 歴史のはたらき
- それぞれの社会には,歴史的に作られた慣行がある。それは,働き方や,教育のあり方や,社会保障などの基底となるものだ。
- 本章の内容は,第2章と同じく,日本の慣行を理解するための比較対象の設定である。ここでは,歴史的なプロセスと,労働者や専門職の運動が,企業を横断したメンバーシップと基準を形成してきたことを重視している。
- それぞれの社会には,歴史的に作られた慣行がある。それは,働き方や,教育のあり方や,社会保障などの基底となるものだ。
- 第4章 「日本型雇用」の起源
- 日本の雇用慣行は,どの形成されてきたのか。
- 本章の内容は,日本の雇用慣行における「官僚制の移植」を実証しようとしたものである。日本の雇用慣行に対する官庁の影響は,これまで労働史や経済史で断片的に言及されてきたが,このテーマを正面から扱った研究は管見の範囲では見当たらなかった。また行政史においても,官等が中央官庁ばかりでなく,学校や軍隊,国鉄や郵便局などを通じて社会全体に影響を及ぼしていたことに配慮した研究は,管見の範囲では見当たらなかった。経済史などの諸研究でのこのテーマへの言及は,本章の各注に紹介してある。
- 日本の雇用慣行は,どの形成されてきたのか。
- 第5章 慣行の形成
- 軍隊や官庁に職務と別個に給与等級があることは,日本だけの特徴ではない。
- 本章の内容は,本文中に紹介した個々の研究で言及されていた事実を,「官僚制の移植」の視点から総合し,さらにドイツとの比較を行なったものである。本書全体にいえることだが,このようなかたちで個別の事実を総合して全体の「しくみ」を提示することは,管見の範囲における過去の研究で行なわれていない。
- 軍隊や官庁に職務と別個に給与等級があることは,日本だけの特徴ではない。
- 第6章 民主化と「社員の平等」
- 戦争は雇用のあり方に,大きく二つの影響をもたらした。
- 本章の内容は,これまでの研究に依拠しながら,「社員の平等」と年功賃金,「能力」の査定などがどのような経緯で発生したかを記述したものである。戦後の労働運動と賃金に関する先行研究は多いが,これらを総合的に記述したものは管見の範囲では見当たらなかった。なお経済審議会の一連の答申については,乾明夫『日本の教育と企業社会』大月書店,一九九〇年が教育の観点から論じたのを端緒として,後藤道夫が社会保障の側面から,濱口桂一郎がジョブ型雇用への転換という観点から論じているが,経営者たちがそれを経営権の侵害として反発した点はこれまで注目されていなかった。
- 戦争は雇用のあり方に,大きく二つの影響をもたらした。
- 第7章 高度成長と「学歴」
- 敗戦後の労働運動は,あらゆる差別を批判し,「社員の平等」を追求した。
- 本章の内容は,高度成長によって高学歴化が進む中で,日本企業が「学歴による秩序」と「経営権」を優先したがために,三層構造を放棄して「社内の平等」に至ったことを示すことにある。本章の記述にあたって最も触発されたのは本田由紀『若者と仕事』東京大学出版会,二〇〇五年,第2章であった。本田が倉内史郎の研究や西田忠の論考を参照しながら,高卒ブルーカラーの増大に伴う企業内摩擦が職能資格制度の広まりの背景だったことを指摘したのは,卓見というべきである。だが本田は,日本企業における職務と専門能力の乖離が背景にあったことや,戦前の企業秩序との関係については注目していない。また本田は,日本企業が学歴を重視するがゆえに三層構造を放棄したという関係を看過している。
- 敗戦後の労働運動は,あらゆる差別を批判し,「社員の平等」を追求した。
- 第8章 「一億総中流」から「新たな二重構造」へ
- 高度成長は,日本の人々の意識を変えた。
- 本章の内容は,「社員の平等」の量的拡大が一九七〇年代に止まり,その適用範囲が限定されていくなかで,「地元型」「残余型」が析出していく経緯を記述することにある。もっとも触発された研究は乾前掲『日本の教育と企業社会』であるが,乾は六〇年代以前の歴史や「新しい二重構造」との関連の分析が不十分である。
- 高度成長は,日本の人々の意識を変えた。
「慣習の束」
小熊があとがきで念押ししてるように,個別の社会の「しくみ」というのは「慣習の束」からできているので,変えられないことはないけど変えるのは大変(小熊は,変えるためのポイントは「透明性」だと述べてる)。そして変えるにしたって「合意」が必要なので,当事者の一方だけに利益があるようなかたちで変えるのは難しいし,そもそも他の社会の良さそうな点だけ持ってきて自らの社会で実現しようとしたってうまくいかない。そしてその変更にはポジティブな面と合わせてネガティブな面も存在するのは避けられないのだから(ポジしか見ないのはいわゆる「お花畑」),そこは決めの問題だし,社会の個々の成員が判断しないとね,というところ。
600ページ以上もある分厚い本書ですが,日本のしくみの裏にある慣習の束も同様に分厚さがあるということを,これでもかというほど示された本でした。
あとあれだ,本当は「従業員」と呼ばれるべき人が「社員」と日本では呼ばれることが不思議でしょうがなかったんですが,その理由についても本書で知れたのは良かった。
362.1