『多様性の科学』だったかな,この本を知ったのは。どういう文脈でだったか覚えてないし,本書を一読しても思い出せない。
「オランダ人の空間に関する感覚は独特」「オランダ人の組織に関する感覚は独特」という話で,それがサッカーのオランダ代表あるいはオランダ人が望むサッカー像に反映されているとかなんとか。ランダムに引用すると,
- オランダのフットボール選手は試合中に複雑で理論的な,いわば抽象的な動きをすることを重視しているが,国民もそれを広く受け入れている。〔中略〕自国の絵画のうちどんなタイプのものがいちばん好きかという質問では,ある興味深い結果が表れた。どの国の人々も共通して,国を象徴する何かが描かれた牧歌的な絵を好み,他方,抽象画が苦手であると答える中,オランダ人だけが正反対の回答をしたのである。つまり,オランダでは最も好まれる絵が抽象画だったのだ。
- クライフのピッチの捉え方はあまりに独創的で深く,そしてオランダ的であったため,彼はフィールドを,サーンレダムが教会を眺めていたのと同じ感覚で見ていたと言えるかもしれない。ピーテル・ヤンス・サーンレダムは,主に故郷のハールレムの教会内部を描くことに一生を捧げた,レンブラントやフェルメールと同時代の画家である。オランダ以外ではあまり知られていないが,空間を扱ったオランダ人アーティストの中では,最もミステリアスで深遠な人物と言えるかもしれない(シモンズはサーンレダムのことを,フェルメールの次に,そしてレンブラントより重要な画家として捉えている)。/サーンレダムは視覚芸術におけるJ・S・バッハだ。
- ではなぜ,オランダだけがドイツに対して強い反発心を抱くことになったのか? 戦後のオランダとドイツの関係に詳しく,定年になるまでユトレヒト大学で現代史の教授を務めていたハーマン・フォン・デル・ドゥンクは,オランダが100年以上にわたって中立国としての地位を守ってきたことが関係していると主張する。オランダは長期間,ドイツと良好な関係を築いていたため,ナチス・ドイツの侵攻を受けたときのショックは,戦争や革命を多く経験していた他の国々と比べ,計り知れないほど大きかったというのだ。
- ミュンヘンでの決勝における敗北を自滅だったと考えるにしても,それでオランダ人が味わった深い喪失感を埋め合わせることはできない。だが,敗れたからこそ,人を惹きつけることができるという側面もある。美しいものが悲劇的な散り方をしたあとには,不思議な魅力が生まれるものなのだ。ジム・モリソン,マリリン・モンロー,カート・コベイン,ライナー・ヴェルナー・ファスビンダーしかりである。74年のオランダ代表は,自らの才能の大きさに耐えられなかった,あるいはたった一つの致命的な過ちによって滅びたという意味で,アキレウス,オセロ,リア王,オイディプスといった”架空の偉人たち”の仲間入りをしたとも言えるだろう。
- バリー・フルスホフの指摘は,もっと直截的だ。/「3000回もリフティングを続けられることが,すぐれたフットボーラーの証拠? とんでもない。いい選手とは,ボールに1回だけ触り,どこに走るか理解している者のことを言うんだ」
- ヌレエフがアヤックスの試合をスタジアムで観戦する機会はなかったようだが,テレビではよく観ていたという。ファン・ダンツィヒが続ける。/「『自分もクライフのようなパフォーマンスができたらいいのに』と話していた。彼にとって,それほどクライフのプレーは魅力的だったんだ。そしてある意味で,クライフはヌレエフよりもすぐれたダンサーだったと言えるだろう。こと『動き』という点に関してはね」
- 「そこで私はこう言うんだ。『だが,フットボールではどちらかを選ばなくてはならないんだ。しかも,一瞬の間あいだに判断を下す必要がある。そして私は,君たちの実力をピッチ上でどんな判断をしたかで評価する』とね。」
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