Dribs and Drabs

ランダムな読書歴に成り果てた

リチャード・ニクソン『指導者とは』文藝春秋(文春学藝ライブラリー)

どうしたことか「ニクソンがビジネスリーダーの資格について書いたもの」という先入観があって,しかし読んでみたら全然違うことが分かり――チャーチルとかドゴールとかマッカーサーとか吉田茂とか〈世界的な指導者〉についてのものだった――,さらにニクソンについてもウォーターゲート事件でしか知らなかったけれど,読んでみたらなかなか冷静・内省的で筆が達者で驚いた――どこまで自分で書いたのかは知らないけれど。

公職に在るあいだ,私は何度も「あなたが会った中で最も偉大な指導者は?」と,問われた。むずかしい質問である。指導者は,時と場所と背景の組み合わせの中から生まれる。指導者も国家も,他の指導者や国家とは交換がきかない。チャーチルはたしかに偉大だが,彼を戦後ドイツに置けば,アデナウアーほど成功したかどうか疑問だろう。逆に,アデナウアーも,英国の危急存亡のときに立てば,チャーチルほどイギリス国民を奮起させ得たかどうか。/指導者を偉大ならしめるのに必須の条件は,三つある。偉大な人物,偉大な国家,そして偉大な機会である。

やはり日本人としては「マッカーサーと吉田茂」の箇所をいちばん面白く読んだ。マッカーサーのビジョンやアジア全般に対する造詣の深さがあり,一方で吉田茂という実務的なパートナーがいたからこそ,マッカーサーの理想は理想のままで終わらず,吉田の抵抗を経ながらも日本に土着化することができたと。

バーノン・ウォルターズ(前出)は,あるとき「たいていの将軍は,戦争の終わりまでしか考えない。マッカーサーはそれを超え,さらにその先を考えた」と,私に指摘したことがある。日本国憲法の第九条は,みずからの二つの戦争の惨禍を目撃し,戦争なき世界を夢見たマッカーサーの思想の結晶であったと言える。

「私は一アメリカ人として,吉田の外交方針を全面的に支持する者ではない。だが,指導者と指導力を考える者として,彼の立場に立ったとき,その政策の賢明さと,それが日本の経済復興に果たした役割を評価せざるを得ない。」というのは,ニクソンの吉田に対する嘘偽らざる心情なのだろう。

吉田は,日本が外敵に備えなければならないのを知っていた点で,現実的であった。また,日本独力では防衛コストを負担しきれないと読んでいた点で,現実的だった。しかも,アメリカがそのコストを負担してくれると読み切った点でまことに賢明だった。

フルシチョフの交渉のときの様子などは,ニクソンほどの地位にいた人間でないと書けないわけで,なかなか興味深い。

私は,一九九五年にフルシチョフに会ったときほど,首脳会談に当たって完璧に準備したことはない。しかし,クレムリンで一度会ってみて,フルシチョフにはそれでも不十分と感じた。とにかく,全く予想ができないのである。外交儀礼も事前の日程も,彼の前には完全に反故だった。

312.8

指導者とは (文藝春秋): 2013|書誌詳細|国立国会図書館サーチ