Dribs and Drabs

ランダムな読書歴に成り果てた

ジョセフ・S・ナイ・ジュニア, デイヴィッド・A・ウェルチ『国際紛争:理論と歴史』有斐閣

このツイートでたまたま知った本書。読んでみたらめっぽう面白い。質量ともに充実しすぎていて,本の返却期日までには読み終えられなかったけど,それも当然だろう。本書は大学の教科書であり,1年かけてじっくりと読み,その後も折に触れて参照すべき類のものだから。

〈国際紛争〉というか原題に則せば〈Global Conflict and Cooperation〉に関する理論と現実を懇切丁寧に――ときにジョークの気の利いたレトリックを交えて――解説していくものだが,はじめに著者は〈理論〉についてこう述べる。

実務的な人々は,なぜ理論などに拘泥しなければならないのかと思うものである。理論は不慣れな地勢に意味を付与する道路地図のようなものだ,というのが答えである。理論なしでは道に迷う。われわれがただ常識に従っているだけだと思っている時も,暗黙の理論が,通常われわれの行動を導いている。われわれは単にそれに気づいていないか忘れているのである。われわれが自分たちを導いている理論をより意識すれば,理論の強みと弱み,そして理論を最も効果的に用いるタイミングについて,よりよく理解できるのである。イギリスの経済学者ジョン・メイナード・ケインズ(John Maynard Keynes)がかつて指摘したように,自分たちは理論などにとらわれていないと思っている実務家は,遠い昔の名前すら忘れてしまった三流学者の説に従っているだけのことが多いのである。

じゃあその〈理論〉はどういうものかというと,まず「国際理論の理論化にあたっては,主体(actors),目標(goals),手段(instruments)の3つの概念が基本」となり,たとえばこの中の〈主体〉を国家に限定するかあるいは非国家主体――大規模多国籍企業や国際政府間組織やテロリスト・グループ――も含めるかといったスタンスの違いが生まれる。

実際に起こった事象――たとえばふたつの世界大戦や冷戦――を分析するにあたっては,3つのレベルが存在する。すなわち〈個人〉〈国家〉〈システム〉。そして分析においてはシンプルなレベル――つまり〈システム〉――から始めて,説明しきれないものが出てきたときに分析のレベルを下げていくべきだ。

さらに,〈反実仮想の思考上の実験〉――歴史における〈IF〉を考えること――において,それが正しく有益であるかを試すには,4つの基準がある。それは〈もっともらしさ〉〈近接性〉〈理論〉〈事実〉。

冒頭で著者はペロポネソス戦争に長い文字数を割いている。さまざまな意味で,この戦争は現代にも適用できる〈典型〉であることを著者は力説している。

で,上のツイートで「7章」っていってるのは「第7章 現在の引火点」。それまでの章で理論を語り,第一次大戦から冷戦とその後の紛争と協調について分析してきた本書が,この第7章で〈現在〉に目を向ける。その最初で触れられるのが「東ヨーロッパ」で,これまさに今起こっているロシアのウクライナ侵攻に重なるんですね。それもあって本書は,「いま読むべき本」の筆頭に挙げられると思う。本書の分析によれば,

冷戦が終わり,ソ連が崩壊した時,ロシアは共産主義者としての過去を捨て去ろうとしたが,国家としてのプライド,そして自らを大国とする理解を保持していた。

エリツィンらは「西側に機会と創造的刺激,そしてある程度の援助すら求めていた」のであるが,「しかし,彼らはロシアが対等かつ当然ロシアが得てしかるべき敬意をもって処遇されることを期待していた」という。

このへんがボタンの掛け違えの発端で,さらに

ロシアの観点からすると,敬意をもって処遇される重要な要素は,西側諸国が公約を守り,ロシアの基本的な安全保障を考慮に入れることであった。ロシア人の中では,NATOの敵意という記憶は依然として鮮明であるうえ,ワルシャワ条約は1991年に失効したのに,NATOはそうならなかった。

そうならなかっただけならまだしも,NATOはその後加盟国の範囲をどんどん東に広げていく。これが「ロシアにとって事態悪化以外の何物でもなかった」「ロシア人の目には,NATO拡大は明らかに西側のロシアへの敵意を示していた」のだ。

国際政治の重要な出来事は,しばしば黒澤明〔監督〕の有名な映画「羅生門」のプロットに似ており,その中で目撃者たちはできごとについて全く異なる説明をする。冷戦の終結も例外ではない。西側の指導者たちはロシアに対して公然たる敵意などほとんど,あるいは全く抱いてなかったし,彼らは真に協調の精神から純粋に前進しようとしていた。しかし,彼らは,西側が冷戦に勝ったのであり,冷戦後の時代を形成するためにリーダーシップを発揮する権利があると信じていた。完全に対等に処遇されたいというロシアのこだわりは,非現実的かつ不相応に思われた。そして,その態度はきわめて苛立たしいものであった。

これを理解したからってプーチンの行為を正当化できるものではまったくないけれど,理解しないよりはしている方がいい。

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国際紛争 : 理論と歴史 (有斐閣): 2017|書誌詳細|国立国会図書館サーチ