Dribs and Drabs

ランダムな読書歴に成り果てた

マルチェッロ・マッスィミーニ, ジュリオ・トノーニ『意識はいつ生まれるのか:脳の謎に挑む統合情報理論』亜紀書房

いろんな意味でユニーク。「中央の章を挟んで云々」はさておき,「医学生が実際に脳を触った」という実体験がベースにあってその事実に根ざしているのもそうだし,「意識を〇〇と定義して,実物の脳がその理論に合致してるかどうかを検証している」という点では,類書は少ないのではないか。ここで提唱されている理論はもっともらしいけれど,でも〈意識〉という言葉で指している何物かの〈正体が分かった〉ということにはならないのが,〈意識〉というものよ奥深さというか……

第1章 手のひらに載った脳

手で大脳の重みをしばし感じとることは,40万キロメートルの距離から見た地球が指一本にすっぽり隠れるのを目撃する体験に相当するのでは,と考えている。

解剖実習中,となりの医学生に手渡そうとしていた物理的なモノには,本当に特殊ななにかが,唯一無二のなにかがあるという確信を,一瞬ではあっで感じることができた。そと特別なものとはなにかつきとめなければならない。本書の目的は,終始,この一点にある。

第2章 疑問が生じる理由

結局のところ,生物学者の疑問も,哲学者の猜疑心も,われわれ皆ぁ感じているもやもやも,その根っこは同じかもしれない。記述・描写は十分にできているが,解明されていることはあまりに少ないのだ。

第3章 閉じ込められて

手術中に意識を取り戻すのは,かなり珍しいケースだ。患者1000人につき1人の割合で,全身麻酔をして臨んだ外科手術中に意識があったという報告がある。

植物状態は,脳幹の機能が回復しても,通常なら同時に回復するはずの視床-皮質系の機能が戻らず,覚醒していても意識がなく,何がが見えることなく目が開いた状態,と定義できる。植物状態と患者は自発呼吸ができ,目覚めているように見えるが,意識がある兆候をまったく示さない。

ニューロンの活動と意識のあいだには,なにか関係があるような印象を全体的に受けるものの,読みの鍵が正しくないせいで,その関係がどんなものであるかをつかめていないのだ。その鍵を見つけるまでは,意識が生まれる秘密はわからない。

第4章 真っ先に押さえておきたいことがら

小脳には800億個ものニューロンが行儀よく並んでいるのだ。視床-皮質系はといえば,大脳皮質も含めて,たった200億個のニューロンしかない。

矛盾というのは,小脳が,ニューロンの数でいてば最も大きな神経組織なのに,意識とはほとんど関係がないことだ。

いまのところ,意識の定義のうち,最も一般的に受け入れられているのは,「睡眠におち,かつ夢を見ることがない場合に消えるものを指す」という定義である。/毎晩の睡眠は,われわれが近くする宇宙全体が,脳の活動が切り替わるだけで消えてしまうことを思い出させてくれる。

夢と覚醒時を考える場合,違いより共通点こほうがずっと重要である。起きているときも夢を見ているときも,監督はただひとり,意識を宿す脳であるからだ。/根本的な違いは,夢を見ているとき,脳がすべて担当する,ということだ。これには驚かされる。脳は,網膜の力を借りずに「見て」,脚の力を借りずに「歩く」。すべてを,筋肉につながっていない状態でやってのけるのだ。

謎を解く鍵は,まだ特定されていない遺伝子でも,まだ発見されていない分子でもなく,頭蓋骨内の灰色でふにゃふにゃした物質の,いっまいどこに隠れているのかもわからないマジカル・ニューロンでも,新技術でもない。その鍵は,新しい理論,新たな一般法則なのだ。

合理主義の重要な考え方のひとつに,いわるゆ「充足理由の原理」がある。ラテン語では「nihil est sine ratione cur potius sit quam non sit」と表されるように,「ものごとがある状態にあり,別の状態にないならば,なぜそうなのか,理由があるはずだ」という考え方だ。

第5章 鍵となる理論

統合情報理論の基本的な命題は,「ある身体システムは,情報を統合する能力があれば,意識がある。」というものだ。

意識の経験は,豊富な情報量に支えられている。つまり,ある意識の経験というのは,無数の他の可能性を,独特の方法で排除したうえで,成り立っている。いいかえれば,意識は,無数の可能性のレパートリーに支えられている,ということだ。

交通事故では,百分の一秒のあいだに,車が時速100キロメートルからゼロキロメートルに減速することがある。頭蓋骨の内側では,そのような急激な速度変化は壊滅的で,軸索を文字どおりひきちぎってしまう。軸索というのは,ニューロン同士を結びつけている繊細な線維だ。

デジタルカメラのセンサーをいくつもの部分に切り分けても,なんともない。デジカメは,はなから一なる存在ではないからだ。それに対し,脳を切り分ける行為は,それが二分割にすぎなくても,大変な影響をもたらす。脳は統合された,一なるシステムだからだ。

意識経験のどんな瞬間においても,顔や花瓶,青い壁,赤い壁,暗闇が見えるどの瞬間においても,われわれの脳は,何十億の何十億倍もの可能な選択肢から,ひとつを選んでいる。そしてその選択を,ひとつにまとまった単体として行う。

意識の経験は,統合されたものである。意識のどの状態も,単一のものとして感じられる,ということだ。ゆえに,意識の基盤も,統合された単一のものでなければならない。

意識を生みだす基盤は,おびただしい数の異なる状態を区別できる,統合された存在である。つまり,ある身体システムぁ情報を統合できるなら,そのシステムには意識がある。

(差異と統合)

あるシステムの構成要素のそれぞれが専門家し,差異が生まれれば生まれるほど,相互作用が難しくなり,それゆえ統合も困難になる。一方で,要素間の相互作用が活発であればあるほど,それぞれの要素は均一的なふるまいをしがちである。そうなると,システムの総合的な差異の度合いが低くなる。脳のどこかで,そしてなにかしらの方法で,この反発する力が,奇跡的なバランスを保っているに違いない。

高度な専門家と完全な意思疎通の両立,いいかえれば情報と統合の共存は,どんな分野においても,決して簡単ではない。それが,個人的な問題でも,政治の世界でも,生物学の話でも,人間社会の組織のことであっても。

統合情報理論では,身体的システムの情報量を定めるべく,新しい単位を導入した。それが,Φ(ファイ)と呼ばれる単位だ(このギリシャ文字の真ん中の縦線は「情報」を表し,丸は「統合」を表している)。Φの値は,情報の単位,ビットで表される。

ここで,統合された情報をこのように定義することができる。あるシステムの構成要素が,それぞれ情報を発しているとする。さらにその上のレベルで生み出される情報が,統合された情報である,と。このとき,システムの構成要素とは,そのシステム内でもっとも弱いつながりを切断して得られるもののことをいう

Φは,「多様な相互作用」と「統合」のバランスが最もよくとれた状態がどのようなものかを示してくれる。

たとえていえば――それほど比喩というわけでもないが――Φの測定は「オッカムのかみそり」のような役割をする。必要でないもの,付け加わってもなんの意味もないものは,自動的に除外され,存在しないも同然となるのだ。

第6章 頭蓋骨のなかを探索してみよう

小脳を構成する二つの半球は,互いにつながっていない

小脳は独立したモジュールで成り立っていることに気づく。/小脳はこの特徴のおかげで,体の動きや他の機能を,信じられない速さと正確さで調整できるのだ。小脳は小さなコンピュータが並んだ集合体のようなものである。各コンピュータは,自分の特定の任務を遂行する。その正確さと速さたるや,まるでとり憑かれているかのように見える。

(小脳の)各モジュールの回路はやがて,試行錯誤を繰り返すことによって,新しい状況に適合し,修正信号をますます正確に出せるようになる。ある動作を習得するとき,動きを意識し,時間をかけ,苦労しながらできるようになる。最初はそうだが,徐々に小脳が,いま述べたとおりの方法で,動作にかかわるすべての面倒を見てくれるようになる。

いくら複雑だといっても,人間の視床-皮質系の設計図の基本原則をつかむことは可能だ。/ひとつ目は,視床-皮質系には,違いのレベルが互い要素がたくさん集まっていること,という結論だ。/ふたつ目の結論は,高度に専門化した視床-皮質系の要素同士にあるつながりは,近距離のものも長距離のものもあり,各要素はそのネットワークに乗って,すばやく効率よく相互反応できる,という点だ。

この果てしない織物において,おとなしいニューロンは活発なニューロンと同じくらい重要である。大オーケストラが交響曲を演奏する際,休符は音符と同じくらい重要であるのと同じだ。いやむしろ,休符のほうが大切かもしれない。

われわれが「暗い」と思うとき,誰もが皆,そこにある「闇」を見ているとだと考える。「闇」という独自のものが,すでにそれだけで存在しているのだと考えている。だが,まったく違う! 「暗い」と思ったり,想像したり,夢に見たりするとき,「闇ではないものすべて」との関連で,「暗い」と感じるのだ。「闇ではなく,ほかのものでありえたかもしれない」ものの選択肢がそろってはじめて,全視床-皮質系を挙げて無数の選択肢があってはじめて,「闇」なのだ。

第7章 睡眠・麻酔・昏睡 意識の境界を測る

客観的かつ信頼でにる意識の測定方法を開発する第一歩は,次の手続きに集約される。意識があるときには必ず存在し,意識がないときは必ず存在しない脳の特性をつきとめるのである。

情報統合理論に照らし合わせると,これまでに行われてきたふたつの測定方法--ニューロン活動レベル,同期レベルの測定--がなぜ不完全なのかが明確になる。結局のところ,これらの方法では,統合レベルと情報レベルのバランスを測ることはできない。だが,このバランスこそ,意識にとって本当に大事なものである。

脳の情報統合能力を測るには,大脳皮質ニューロンの集合体をじかに刺激しなければならない(中核への直接アクセス)。そうやって,反応の広がり(統合)や複雑さ(情報量)を記録するのである。反応は,ミリ秒単 単位で起こる(意識のスケール)。

TMS(経頭蓋磁気刺激法)を使うと,大脳皮質のニューロン・グループに直接揺さぶりをかけられる(堅い中核への直接アクセス)。また,脳波系を使うと,視床-皮質系全体にわたって生みだされる電気反応の広がり(統合)と複雑さ(情報量)みミリ秒単位(意識の時間スケール)で記録することができる。

カリウムの流れが変わったという,ただそれだけのことで,脳はなによりも大切なもの,統合も多様性の奇跡的なバランスを失うのだ。このしがないイオンのせいで,われわれは,意識を持つ主体としては存在しなくなってしまう。

ノンレム睡眠に特徴的な,ニューロンの静と動の双安定性には,明らかに意味がある。さまざまな理由から,脳を毎晩覆う単純な波は,皮質回路を掃除し,覚醒時の活動で溜まった“残滓”を取り除いてくれる,と考えられる。

脳における意識の発生に,バランスが問題になることは確かだ。そして,そのバランスが崩れたからといって,絶対に回復しないとは限らない。脳という,輪郭がぼやけた“塊”が眠っているところき,カリウムの通り道をブロックする。それさえできれば,脳にふたたび意識が戻り,脅威に満ちた“聖堂”として復活するはずだ。まあ,麻酔を受けた脳の大脳皮質モジュールについては,ニューロンの過度な抑制をやわらげさえすれば,もとのようなひっきりなしのコミュニケーションが戻り,情報を統合するようになるはずだ。

第8章 世界の意識分布図

複雑な行動を見せる多くの動物についても,同じように機会的といえるかもしれない。そういった行動はおおむね,遺伝要因によって規定されているからだ。これが行動/意識の関係に絡む問題である。

第9章 手のひらにおさまる宇宙

質量--物体が持ちうる最も自明で実質的な性質--の定義だって,「潜在的に〜しうる」値として表されるからだ。物体の質量は,昔から「力が物体を動かそうとするときに,物体と慣性によって生まれる抵抗の値」と定義されている。つまり,質量の定義を支えているのは,「物体に刺激を与えたとしたら,その物体は潜在的にどう反応しうるか」という考えである。

脳の発達は,すでに脳内にあるつながりが消えることによって起こる。新しいつながりが加わるよりも,消滅する方が,脳の発達に貢献するのである。初期段階では,すべてがすべてと一律につながる傾向がある。そして,選別され,洗練されていく。刺激をたいして受容しない接続が徐々に消え,活発に受容するものが残る。

491.371 : 基礎医学

意識はいつ生まれるのか : 脳の謎に挑む統合情報理論 (亜紀書房): 2015|書誌詳細|国立国会図書館サーチ