Dribs and Drabs

ランダムな読書歴と音楽にまつわる備忘録

伊藤亜紗『体はゆく:できるを科学する〈テクノロジー×身体〉』文藝春秋

プロローグ 「できるようになる」の不思議

バーチャル空間で体験したことも,それがいかに現実には「ありえない」ことであったとしても,何ら遜色ない「経験値」として蓄積され,リアル空間で行為する私たちのふるまいを変えてしまう。しかも「リアルではない」と頭では分かっていたとしても,体はそれを,いわば「本気」にしてしまうのです。

でもこのユルさが,私たちの体への介入可能性を作り出します。体がもし確固たるものであったなら,「けん玉できた!VR」のようにテクノロジーを用いて,体の状態を変えることは不可能だったでしょう。“体はゆく”――体のユルさが,逆に体の可能性を拡張しているとも言えます。

本書のテーマは,テクノロジーと人間の体の関係について考えることです。その際,理工系の現在進行形の研究成果を参照しながら,「テクノロジーの力を借りて何かができるようになる」という経験に着目します。

私たちは,自分の体を完全にコントロールできないからこそ,新しいことができるようになるのです。

不意にできてしまってから,「ああ,なんだ,そういうことか」と分かる。

本書では,「できなかったことができるようになる」経験を,「体の奔放さの発露」ととらえ,そこに注目していきます。

第1章 「こうすればうまくいく」の外に連れ出すテクノロジー――ピアニストのための外骨格(エクソスケルトン)

「練習と本番は,仮説と検証の関係なんです」。

どんな技能も具体的な環境の中で発揮されるものです。「うまい」と「うまくいく」は違う。「うまくいく」ためには,個人の身体能力の高さとしての「うまい」だけでなく,環境の具体的な条件と交渉しながら即興的「パフォーマンスを組み立てていく適応力が重要です。

いかにたくさんの仮説を立てることができるか。言いかえれば,いかに自分で自分をゆさぶることができるか。その探索の幅と質が,ほんばのパフォーマンスを左右します。思ってもみなかったところに出てしまえる能力が,ピアノの演奏技能にとって重要だということになります。

ある動作が無駄なくできるためには,自分が行おうとしている動作のイメージが明確になっている必要があります。他方で,一度も成功したことのない動作は,成功したことがない以上,動作のイメージがありません。できるためにはイメージが必要だけど,できないからイメージがない。「できない」→「できる」のジャンプを起こすためには,このパラドクスを超えて,「イメージがなかったけどできた」という偶然が成立する必要があります。

ここには,ピアノの練習の根本的な盲点があります。それは,どうしても「音」のために練習してしまう,ということ。結果,「体」が無視されてしまうのです。「この音を出したい」という目的が先行し,「自分の体は今どのような状態なのか」「体にとってふさわしい練習とは何なのか」という視点が抜け落ちてしまう。

第2章 あとは体が解いてくれる――桑田のピッチングフォーム解析

「自分の身体の特性と折り合いをつけていくためには,一般論を聞いてもあまり役に立たない」。

誰にでも通用する「普遍的なよい投げ方」があるわけではなく,「その体にとって最適な投げ方」があるだけです。

要するに,桑田の投球は,「フォームは毎回かなり違うのに,結果はほぼ同じ」なのです。「変化するフォームから,安定した結果を出している」のです。

「〔実際の投球では〕マウンドの傾斜がちょっと緩いとか,柔らかいとか,前のピッチャーがすごい掘ってるとあ,いろんなことがあるんです。(…)だから運動スキルって変動の中の再現性であって,それを実現しようと思ったら再現性だけをずっと高めても駄目なんです。」

重要なのは,「パフォーマンスが毎回同じ」(機械的な再現性)ではなく,「結果を同じにするためにパフォーマンスを変える」(変動の中の再現性)なのです。

「レールがあるから,そのどこかにボールを置くだけなんです」。

ドレイファスが繰り返し指摘するのは,大人の技能獲得と子供の知的学習は向きが逆だ,ということです。

「エキスパートほど複雑な規則を知っている」というのは誤解で,子供の学習とは違い,技能の学習は深まるほどに規則を離れていくのです。

だから,エキスパートには規則をたずねてはいけない,とドレイファスは言います。

ドレイファスは,技能獲得を五つの段階に分けます。①ビギナー→②中級者→③上級者→④プロ→⑤エキスパートの五段階です。

まず①ビギナーは,「規則を覚える」段階です。ここで覚える規則とは,「よそで起きていることを無視しても適用できる」ような「文脈不要の規則」のこと。/次は②中級者。文脈不要の規則だけでなく,状況依存の規則をも身につける段階です。/③上級者になると,機械的に規則を守るのではなく,その都度目的に応じて判断を下すようになります。/④プロの段階では,客観的な選択や判断が消え,より主観的な視点に立つようになります。(…)「自分と相手の姿勢や位置を分析している」というよりは,「眼前の光景とからだの感覚が,過去に類似の状況で攻撃を成功したという記憶を蘇らせる」としか言いようのない段階です。/そして⑤エキスパート。エキスパートの特徴は,ある種の「自動性」が生まれているという点です。物事が普通に進んでいるかぎり,エキスパートは問題解決もしなければ意思決定も下しません。

「暗黙知は,身体と事物との衝突から,その衝突の意味を包括=理解(コンプリヘンド)することによって,周囲の世界を解釈する」とポランニーは言います。

テクノロジーはいわば人間の「死角」に届くツールど,と言うことができます。/だからこそ,柏野さんは,テクノロジーが「教師」にならないように気をつけなければいけない,といいます。

第3章 リアルタイムのコーチング――自分をだます画像処理

具体的にどうやったら,科学は人の体ぁ行っている「変動の中の再現性」をとらえ,「未知の探索可能性に誘い出すこと」ができるのか。そのためのアプローチのひとつとして,本章では画像処理技術を用いた方法を紹介します。

意味の伝達という点では,言語的な伝達の方が高度で,多くの意味を伝えることができるように思われます。しかし,リアルタイムのコーチングに必要なのは,「運動についていく」という性質です。それならば,声だけのほうが,むしろダイレクトに指示を出すことができる。声が行うこは,外側あら手本を示すことではなく,本人がやっている運動や探索に対してYES/NOのフィードバックを返してやることです。

影は,環境と体の中間に位置する存在です。自分の動きに連動して動くという意味では,影は体の延長ですが,像そのものは環境の側にある。かつ,先にあげた吃音者の声のように加工して提示することが可能です。/小池さんは,影がもつこと中間的な性質を生かして,初心者用のゴルフ練習システムを開発しました。

第4章 意識をオーバーライドするBMI――バーチャルしっぽの脳科学

「脳には無意識でとらえた誤差を自動的に処理して,次の運動計画とといもうちょっと正しい運動を出力するという,オートマチックにアップデートをする機能みたいなものがある」。

学習は環境依存的だ,ということを意味します。ある環境で学習したことが,別の環境でもまったく同じように再現できるか,というと必ずしもそうとはいえない。それを身につけた環境から切り離せれてもできる,という意味での一般化=汎用化がなくては,本当の意味で「できるようになった」とは言えません。

「報酬」と「罰」は対をなす概念ですが,脳のメカニズムレベルではまったく別のことが起こってる。そのことを踏まえずに脳に介入したとしたら,間違った誘導をしてしまうでしょう。

外から報酬が与えられなくても,自分でいい感じかどうか判断する能力にも個人差があります。この判断能力の背景には,自分の体をどれだけ認知できるかが関わってくる,と牛場さんは言います。「感受性が高くて,あるいはとらえるセンスがあって,「今これはいいんだ」「これはだめだ」とちゃんとジャッジできて,しかもうまくいったときに脳内麻薬をバッと出すような,そういうメンタリティの人は自分で強化学習を働かせやすい」。

報酬系が基底核という脳の深いところがつかさどる働きであったのに対して,罰系に関しては小脳が運動に関与します。

重要なのは,小脳が,運動の調整だけでなく記憶をつかさどる場所でもあることです。つまり,罰系で学習すると,学習したことが長いあいだ定着しやすいのです。

(報酬系と罰系は,ブロック練習とランダム練習に繋がるのか?)

第5章 セルフとアザーのグレーゾーン――体と体をつなぐ声

暦本さんは,情報伝達のメディアとしてのオノマトペのすぐれた点を二つあげます。まず,図形などの視覚情報と違って,①時間的な情報を記号化せずに扱えること。そして,②複数と異なる情報を一つに束ねられることです。

たとえば,「こういう体の動きのときはこの音」というふうに,運動をオノマトペに機械的に変換さるパターンを作り出すことができれば,私たちは,運動を音として理解することができるのではないか。

エピローグ 能力主義から「できる」を取り戻す

「できるようになる」過程は,人を小さな科学者にします。そして,同時に文学者にします。

そこテクノロジーを使ったとき,体はどんな反応をするのか。できるようになろうとする人は,小さな科学者や小さな文学者となって,文字通り自分ごととして,テクノロジーとの無意識付き合い方を試行錯誤するでしょう。

体はゆく : できるを科学する〈テクノロジー×身体〉 (文藝春秋): 2022|書誌詳細|国立国会図書館サーチ

501.84 : 工業基礎学