Dribs and Drabs

ランダムな読書歴に成り果てた

待鳥聡史『代議制民主主義:「民意」と「政治家」を問い直す』中央公論社(中公新書)

たしか近藤康史『分解するイギリス: 民主主義モデルの漂流』ちくま新書 - Dribs and Drabsを読んでの流れで,この本を手にするに至りました。

代議制民主主義 - 「民意」と「政治家」を問い直す (中公新書)

代議制民主主義 - 「民意」と「政治家」を問い直す (中公新書)

 

小さいときから「首相」と「大統領」との違いが分からなくて/知りたくて(あげくの果には大統領と首相とが併存する,ロシアのような国があったりするから),でもこの本がようやく答えてくれました。

もちろん話はそれだけには留まらなくて,そもそもは

有権者が選挙を通じて政治家を選び、政治家が政策決定を行う。これが代議制民主主義の仕組みである。議会の発展、大統領制と議院内閣制の確立、選挙権の拡大を経て定着したこのシステムは、第二次世界大戦後に黄金期を迎えた。しかし、経済成長の鈍化やグローバル化の影響を受け、今や世界各国で機能不全に陥っている。代議制民主主義はもはや過去の政治制度なのか。民意と政治家の緊張関係から、その本質を問い直す。

というのが,この本の内容。書影の帯に『「この国の政治はおかしい」と思う,すべての人へ』とありますが,これはつまりは逆説的で,ともすれば「この国の政治はおかしい。だから(民主主義の終わりだ)(国会議員数を減らせ)(✕✕しろ)」というのは短絡的で,

今日,日本を含めた世界各地で代議制民主主義への疑問が突きつけられている。その大きな根拠は,結局のところ,理想的に想定されている委任と責任の連鎖関係が実際には存在していない。あるいは機能していないという認識に求められよう。

(中略)

あるい一つの委任と責任の連鎖関係の現状に不満や批判があるとしても,それは別に委任と責任の連鎖関係のあり方に変化させれば対応できる可能性があることを,1990年以降の各国の改革例は教える。不満や批判に応える方法はまずもって制度改革であり,代議制民主主義そのものを否定することには直結しない。また,個々の政治家や有権者の資質が問題とされることも多いが,人間の精神のあり方を外部から他人が変えることはほとんど不可能であり,自由な社会において望ましいことでもない。(中略)アクターの行動を変えたければ,誘因構造を変える必要がある。

ということですね。

この本の基本的なスタンスとして,代議制民主主義とはまずもって「有権者を起点として,政治家,官僚へと仕事を委ねる」という「委任と責任の連鎖」であり,代議制民主主義のさまざまバリエーションが存在するのは,結局は「自由主義(多様な考え方や利害関係を持つ人々の代表者(エリート)が相互に競争し,感情な権利行使を抑制し合うことを重視)」と「民主主義(有権者の意思が政策決定に反映されることをまずもって追求しようとする)」とのバランスの問題である,と。で,「代議制民主主義はしなやかでしたたかである。偶然に合流したはずの自由主義的要素と民主主義的要素がせめぎ合い,それぞれが過剰に意味を持ちすぎることを防ぐ。有権者と政治家のどちらか一方が,他方を決定的に統御してしわない仕組みである」と肯定し,「代議制民主主義は,直接民主主義,左右の全体主義,あるいは権威主義など,他の政策決定の方法を退けて流星を続けているのであり,それが近い将来に失われることはないだろう」,だからこそ,「代議制民主主義の弱点を語ることはたやすい。だが,人類の巨大知的プロジェクトである代議制民主主義が持つしなやかさとしたたかさを知った上で,それを使いこなせることこそが,現代を生きる私たちに不可欠な政治リテラシーなのである」,そのリテラシー向上を手助けしてくれるのが,本書なのです。

ということで,「代議制民主主義」を「歴史から/課題から/制度から/将来を」と読み解き,最後に「代議制民主主義の存在意義」としてまとめてくれる。包括的であり,それでいて鮮やかな筆致で要点をまとめる。これまた非常に有益な新書であると思いました。

最後に。印象的だった,この一節。

選挙制度の選択は,世界全図を描く作業と似ている。球体である地球を平面の地図上に表すには,たとえば距離は正しいが面接は不正確になる。あるいは中緯度は正しいが高緯度になるほど歪む,といったことが生じる。そこで,その地図の利点として何を求めるかという選択が不可欠となる。選挙制度の場合にも,有権者の意思をできるだけ忠実に反映させようとすれば,選挙後の議会内における多数派形成が困難になる。逆に議会での多数派形成を容易にしようとすれば,民意を過剰に集約してしまいかねない,といった問題が生じる。すべての選挙制度には,このような「あちら立てればこちらが立たぬ」という性質があり,選挙制度の「望ましさ」とは,結局のところその国(社会)が政治に期待することに適合しているかどうかによって定まる。

そうなんです,だから,「この国の政治はおかしい」と思っているとしたら,結局は「こちら側」の問題なんです。