Dribs and Drabs

ランダムな読書歴に成り果てた

トッド・ローズ『平均思考は捨てなさい : 出る杭を伸ばす個の科学』早川書房

〈平均思考〉を批評し〈個性学〉を推進する著者。それがよくあるエリートな経歴であれば説得力も半減するところだが,

私はユタ州のオグデンで大学生活を始めたとき,生活保護に頼る困窮生活から抜け出す方法をなんとか見つけたいと切望していた。妻とふたりの子どもたちを養うため,キャリアアップにつながる道を見つけなければならないが,その一方,苦しい台所事情によって将来の道は大きく制約されていた。ウェバー州立大学への入学で第一歩を踏み出したものの,私にとって大学での勉強は苦労の連続だった。入学して最初の二年間は,すべて夜間の講義を選んだ。これなら昼間はフルタイムで仕事を続けられるからだ。それでも,ベーグルを作ったり電子機器を販売したりして得られるわずかな賃金は,家族のニーズをすべて満たすためには決して十分ではなかった。毎月かならずひとつは,請求書の支払いが滞った。妻は法的限度ぎりぎりまで血液を売った。おむつは隣人から借りて,トイレットペーパーは休憩施設から盗んだ。

というのだが,本物である。

〈平均思考〉を象徴するエピソードが冒頭に出てくる。『多様性の科学』でも引用されていた,1940年代末のアメリカ空軍の話だ。つまり,より多くのパイロットにフィットするようなコクピットを設計しようと思い,4000人以上のパイロットのさまざまな体の部位を測定し,その平均値をとることで〈平均的なパイロット〉のサイズと見なしてコクピットを作ったものの,体の部位すべが平均に近いパイロットなどひとりもいなく,設計としては失敗だったという話。

この話は〈ただの興味深いエピソード〉で終わるものではなく,〈平均思考〉の危険さの象徴である。つまり「人はそれぞれ違う」ということ。それは体のサイズもそうだし,乳幼児の成長もそうだし,教育でもそうだ。そこに〈平均思考〉を無理に当てはめると,自分が〈平均〉から外れていることに不安を抱く。あるいは,本来ならば享受できるはずであった成長の機会を失う可能性がある。

ではそもそも〈平均思考〉――本書を読むまではそれが当然だと思っていたものの考え方――はどのように生まれたのか。著者によると以下のようにまとめられる:

  • 〈平均〉の発明:ベルギー人のアドルフ・ケトレー。天文学での概念を社会物理学に転用。〈平均人〉が人間のイデアであると主張。
  • ケトレーの最も忠実な弟子のひとり,フランシス・ゴルトン卿。人類を14の異なった階層に分類。〈平均〉は〈凡庸〉の意味になる一方で,〈有能者〉は人類のなかで抜きん出た存在だと考えられるようになった。
  • アメリカのフレデリック・ウィンスロー・テイラー。労働を科学的に分析。工場に〈標準化〉の考え方を浸透させる一方,計画や管理や意思決定を〈プランナー〉階級に委ねるべきと主張,それを〈マネージャー〉と表現した。
  • テイラー主義がアメリカの産業に変化を引き起こし,それに伴って半熟練労働者が工場で大量に必要とされるようになる。それが教育システムに影響を与え,「学校は平均的な生徒を対象にした標準化された教育を提供すべき」と見做されるようになる。
  • エドワード・ソーンダイクが,標準化に関するテイラーのアイデアに変更を加える。各生徒が平均からどれだけかけ離れているかを判断し,優等生と劣等生とを区別。
  • これらの功罪。平均を重視するシステムがアメリカに普及したからこそ,かなり安定した民主主義の繁栄が実現した。その一方,「社会が私たちを評価する範囲は極めて限定的で,そこで秀でることが学校やキャリアや人生で成功するための必要条件だと見なされる」。

ではどうしたら〈平均主義〉の依存から脱却できるのか。著者の主張する〈個性学〉には,3つの原理があるという。それは,〈バラツキの原理〉〈コンテクストの原理〉〈迂回路の原理〉だ。〈バラツキの原理〉とは,人間の能力にはバラツキがあるということ。つまり,IQのような一元的な尺度で表現されるような総合的知性のようなものがあるわけではないということ――古くは,優秀な人間はあらゆる分野において優秀であると信じられていた……今でもそう信じている人は少なくないだろう。〈コンテクストの原理〉とは,人間のアイデンティティーは特定のコンテクストにおいて守備一貫しているということ。つまり,個人の行動はコンテクスト=特定の状況に左右されるものであり,コンテクストから切り離して説明することも予測することもできない。言い換えれば,人間の行動や特性だけで決まるものでもないし状況だけで決まるものでもない:両者の相互作用によって生まれるものだ。最後に〈迂回路の原理〉とは,「人生のあらゆる側面において,そしていかなるゴールを目指そうとも,同じゴールにたどり着く道はいくつもあって,しかもどれも妥当な方法だということがひとつ。そしてもうひとつは,最適な経路は個性によって決定されることだ」。

〈平均思考〉〈平均主義的な構造〉がはびこる現在の高等教育システムに対して著者は,「個々の学生を評価するシステムに変換させるためには,以下の三つのコンセプトを採用しなければならない」と主張する。それは,

  • ディプロマではなく,資格証明書を授与する。
  • 成績ではなくコンピテンシーを評価する。
  • 教育の経路を学生に決めさせる。

141.9

平均思考は捨てなさい : 出る杭を伸ばす個の科学 (早川書房): 2017|書誌詳細|国立国会図書館サーチ

本書が文庫化されるにあたって『ハーバードの個性学入門:平均思考は捨てなさい』に改題されたんだけど,人間に対する一元的・画一的な評価を批判する本書のタイトルに,その一元的・画一的評価においてトップランクに位置するであろう〈ハーバード〉を関するあたり,皮肉としか思えない。

ハーバードの個性学入門 : 平均思考は捨てなさい (早川書房): 2019|書誌詳細|国立国会図書館サーチ