Dribs and Drabs

ランダムな読書歴に成り果てた

戸田山和久『哲学入門』筑摩書房(ちくま新書)

どこで本書の存在を知ったか忘れたけれど,いやーいいものを読んだ。自然科学的世界像の中に哲学を埋めこもうとする試み。自分にとってまったく知らなかった世界で,スリリング。〈こころ〉の世界にとどまろうとする〈哲学〉を白い目で見る類の人間――それは私――にとっては目から鱗が落ちるというか,「こういうのを欲してたんだよ」という感じ。オッサン臭い文体が鼻につく――あるいは他の新書でありがちな「エラい俺様が平易な言葉で語ってやってるぞ」臭――かなーと思ったけど,これも著者の策略のひとつなのかもしれん。〈哲学〉を〈高尚なもの〉から引き離しているというか,めっちゃ〈down-to-earth〉なものにしている。

『哲学入門』に何を書くかということは,ようするにアンタ哲学をどういうものと考えているわけ,という問いに答えることになるわけだ。それは本書を読んでいただければわかると思うけれど,ここではっきりと述べておこう。まず第一に,哲学はすべてを一枚の絵に描きこむことを目的とする試みだ,と私は思っている。ありそでなさそでやっぱりあるものをどうやったら,自然科学的な世界像の中に描きこめるのだろう,哲学だったらそれに答えを出してくれるかもしれない,とにかくこの分離股裂き状態は気持ち悪いぞ,というのが私が哲学科に進路変更した動機だもの。

その「ありそでなさそでやっぱりあるもの」というのは〈意味〉とか〈機能〉とか〈情報〉とか〈表象〉とか〈目的〉とか〈自由〉とか〈道徳〉で,それらが自然科学的/進化論的パースペクティブの中に位置づけられていく。

自分にとってはまったく新しいスタイルで,これは一見哲学の破壊なのかと思っちゃうんだけど,いやむしろ破壊的創造なんだと思う。著者は〈哲学〉をとてもポジティブに捉えている。著者は哲学を「概念工学だ」といったうえで,こう語る。

哲学は概念づくりを生業とする。〔中略〕じゃ,概念をつくるのは何のためだろう。煎じ詰めれば,人類の幸福な生存のためだ。幸福な生活をもたらしてくれているのは,技術産品だけではない。たとえば「権利」という概念。これは人類が最初からもっていたわけではない。歴史のどこかで誰かが生み出し,それに意義を見出した人々によって,われわれの手元までリレーされてきた。その「誰か」がこの概念を生み出すための思想的苦闘を放棄してしまっていたら,このリレーが途絶えていたら,われわれはどうなっていたかを想像してみてほしい。気まぐれにリンチにかけられポプラの木に吊るされて,奇妙なフルーツになる。こういうことが地球のあちこちでいまも起きている。概念だってわれわれの幸せを支えてくれているわけだ。

たぶん本書はどっちかというと理系の人の方が腹落ちしやすい説明が多く出てくる。「タスク分析」――あるエージェントのタスクを観察し,①それをやるにはどういいうサブタスクを踏まねばならないかを推論し,②そうした個々のサブタスクを成し遂げるには,そのエージェントはどういうつくりをしていなければならないかを推論する――も,そのひとつ。

で,哲学もタスク分析をやってきたと見ることができる。カント(Immanuel Kant, 1724-1804)の有名な『純粋理性批判』は,感覚を入力するとニュートン力学を出力するシステム(主観)を想定して,そいつはどんなサブタスクをやっているはずか,そのためにはどんな構造(アーキテクチャ)をしているはずかを考えた本だ。今風に言うと,タスク分析の概念はカントである。少なくとも私はそう思って読んだら,初めてカントがわかった(気がした)。

こういう箇所が特に面白く感じる。

さらに嬉しいことに/困ったことに,参考図書リストが非常に充実している。読みたい本は増える一方だ……。

100

哲学入門 (筑摩書房): 2014|書誌詳細|国立国会図書館サーチ