Dribs and Drabs

ランダムな読書歴に成り果てた

若桑みどり『イメージを読む』筑摩書房(ちくま学芸文庫)

美術史の入門書。

著者によると,美術史とは〈イメージ〉を解釈するもの。〈イメージ〉とは「目に見えるもの」で,「美術史の目的とは〔…〕人類の視覚的なメディアを用いた想像行為の研究」。そしてその方法論には3つあって,

  1. 様式論。「芸術の様式という場合は,色や形や構図などの使い方の総体をさしている」「様式とは,個人的なものであると同時に社会的なものであり,また歴史的なものなのです」。
  2. 図像解釈学(イコノロジー)。「芸術作品が想像された理由や意味を探り,その作品がどういう意味をもって伝承されたかをたどり,人類の総合的な歴史を関連づける方法」。
  3. 図像学(イコノグラフィー)。「表現されている個々の図像の主題と意味を解明する方法」。

そしてまた著者によると,美術史は学際的である――他の学問分野を横断することで初めて〈イメージ〉の深い理解・解釈が成り立つ――し,実際本書を読むとそのことがよく理解できる。

あと印象的なのは,著者が芸術のもつ意義を強く信じていること。

人間というものが言語によってばかりでなく,イメージによって,ことばでは表せないようなじつに意味深いものを表現する,あるいは表現してきたいきものであることもはっきりします。いいかえれば,言語による表現と行為やイメージによる表現のすべてを理解してこそ,人類なり人類の歴史なりがトータルに理解され,意味づけられるのです。

とか,

この芸術のなかには,キリスト教がかかえている長大な時間や思想がつまっています。芸術を理解するには,その芸術が生み出された思想や時代をりかいしなければならない。これはとてもはっきりしたことなのですが,忘れられがちです。芸術は感覚で作られ,感覚で理解される感性の文化だと思う誤解がゆきわたっているからです。/たしかにわれわれはひと目でこの芸術に圧倒され,戦慄さえおぼえるのですが,その理由を知るには知性を働かさなければならない。

とか,

芸術のコミュニケーションは,知性ばかりではなく,感性もふくんでいますから,知識ばかりでなく感動もあたえ,人格の全部を動かします。その点で,あらゆる人間のコミュニケーションのなかで,もっとも複雑で,もっとも深く,もっとも総合的なものだといえるでしょう。そのうえ,たとえそこに描かれた思想や信仰が今は滅びてしまい,意味を失っているとしても,絵は残ります。絵の生命は死ぬことはなく,古びることもなく,それを人が見て美しいと思うかぎりつねに現在です。それこそが芸術の本当の力なのです。

とか,

少なくとも,ある時期までは,画家は思想を伝えるためにのみ描いていたのです。宗教的か,道徳的か,哲学的か,それはものによってことなりますが,ある時代までは,絵画は,重要な意味のメディアだったのです。〔中略〕ある時期までは,といいましたが,いったいいつ頃から,絵画はただ目に見えるものになってしまったのでしょうか。人によりますが,だいたい一八世紀ごろからか,絵画は目に見えたものを描写することが多くなります。一九世紀にはただの森や,ただのリンゴが書かれることが多くなります。私たちがなじんでいる印象派の絵は,見えたままに描くことを非常に大事にして,むしろそのことを主張しました。/けれども,画家がただ見えたものを描いた場合にも,彼がなぜそれを見たのか,どのように見たのか,というところにこそ,写真とは違う創造の意義があるのです。

とか。

あと薀蓄として,

クラシックとは本来,時代がかわってもゆるがない価値をもったものに使います。美術史の上では,クラシックとは,ある文化が,そのもっとも完璧な様式を完成した時代に実現した特質をいいます。

とか,

ラテン世界,イタリアというものは,もはやひとつの抽象的観念であって,アルプスの北にいる人たちにとっては,アルプスの向こうに開ける古代文明を意味します。文明の核に接近しようとすれば,あるいは少なくとも自分もなんらかの西洋文明の光に浴したいと思えば,このアルプスを越えなければならないというのが,アルプスの北の文化人たちの同じ思いでした。

とか,

アルプスを越えて南に行くということは,空間を移動することではなく,文明の源に帰ること,つまり時間をさかのぼることに等しかったのです。

とか,

人文主義というのは,もとのことばはイタリア語でウマネジモ,あるいはフランス語でユマニスム,英語でいうとヒューマニズムですが,英語でいうと一九世紀的な人間主義になってしまうおそれがあるので,わざわざ人文主義といっているわけです。もともとこれはラテン語やギリシア語を読むことができて,キリスト教を盲目的に信じるのではなく,プラトンやアリストテレス,そしてキケロやセネカなどの非キリスト教徒の古典をじかに読み,その思想や知識をもつことをさしていました。

とか,

みなさんは教養部ということばの英語がファカルティ・オブ・リベラル・アーツということをご存知でしょうか。このリベラル・アーツというのが自由学芸です。奴隷ではない自由民の子弟が修めるべき不可欠の教養・学問のことです。文法,論理学(弁証論),修辞学,算術,幾何学,音楽それに天文学(占星術もふくんでいました)です。

とか。

723.05

イメージを読む (筑摩書房): 2005|書誌詳細|国立国会図書館サーチ