〈聖書の読み方〉といいつつも〈聖書の読みにくさ〉に焦点を当てている,ユニークな本。著者の言葉を借りれば,他の本は〈聖書という電車に乗った人〉がその面白さを述べているのに対して,本書は〈聖書という電車をあえて降りてみる〉ことで,聖書に慣れていない人を聖書の読みへと誘っている。
本書は読者をあらためて伝統的・規範的な読み方へ導こうとするものでは決してない。むしろ,いま述べたような自己規制から解き放って,それぞれ自主的に聖書を読むように招待するものである。自主的な読み方が最初に目指すべき目標は,旧約聖書と新約聖書の書き手たちがそれぞれの経験から,神,人間,世界,歴史について語っていることをまず「理解」することである。
ということで著者が目指しているのは,聖書を読む人が聖書を個人的なものとして読むこと,個人的な経験に照らし合わせて読むこと,自分に引きつけて読むことだ。ただし聖書は外国語のようなものなので,その〈文法〉というか〈世界観〉のようなものは知っておく必要がある。その〈文法〉は,〈聖書という電車に乗っている人〉には自明のこととなっているので,明示的に語られることはないし,それがまた初学者を聖書から遠ざける理由のひとつにもなっている。
新約聖書の場合,以下のようなストーリーラインが基本的なものだ。書き手によってどこにフォーカスが置かれるかは違っているにしろ:
A:われは天地の造り主,全能の神を信ず。
B:われはその独り子,われらの主イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり,処女マリアより生まれ,ポンティオ・ピラトのもとに苦しみを受け,十字架につけられ,死にて葬られ,陰府に下り,三日目に死人のうちによみがえり,天に昇り,全能の父なる神の右に座したまへり。かしこより来りて,生ける者と死ぬる者とを審きたまはん。
C:われは聖霊を信ず,聖なる合同の協会,聖徒の交わり,罪の赦し,身体のよみがえり,永遠の生命を信ず。
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