Dribs and Drabs

ランダムな読書歴に成り果てた

トーマス・L・フリードマン『ベイルートからエルサレムへ:NYタイムズ記者の中東報告』朝日新聞社

こんどレバノン人を採用するって言ったら韓国人の同僚から勧められたのが,この本。目からウロコが何枚落ちたことか。

イスラエルとレバノンの共通点は,六〇年代末,ともに国家にとって最も基本的な問題に直面し,答えを迫られた,という共通の事実から生まれている。基本的な問題――それは,国民自身,自分たちがどんな国家を目指そうとしているのか,国境をどう引くのか,権力配分のシステムはどうするのか,そして国家存立の価値基準をどこにおくのか,といったことである。

イスラエルがなぜ麻痺するに至ったかを十分に理解するためには,この国の誕生にまでずっと遡る必要があるだろう。建国に関わったシオニストたちが,どんな国家を創り上げるか考えた際,心に描いた基本的な目標は三つあった。これは政治学者,アレイフ・ナオルが私に好んで言った話だ。一つは,ユダヤ人の国家,ということである。第二に,民主的な国家。そして最後に,ユダヤ人にとって歴史上のホームランド[民族的郷土]であるイスラエルの地に建設する国家,ということである。このイスラエルの地とは,厳密にいうと,地中海からヨルダン川までのパレスチナ地域すべてと,いまはヨルダン王国となっているヨルダン川東岸の一部を含めたものだ。

ということで,第三次中東戦争が始まってから七日目,勝利の歓喜に酔い,国旗がはためく中で,途方もなく大きな問題が再びイスラエル国民に覆いかぶさったのだった。イスラエル人とはいったい何者であるのか。イスラエルの地全域を支配するユダヤ人たちの国家でありながら,民主主義をとらない国家なのか。ありはイスラエルの地すべてを領土とする民主国家でありながら,ユダヤ人が少数派となる国家なのか。それとも,ユダヤ人国家であり同時に民主国家でありながら,イスラエルの地すべては領土としない国家であるのか。/イスラエルの二大政党である労働党とリクードは,この三つのオプションのうちどれを選択するのか,態度を明確にしないまま,六七年から八七年までやり過ごしてきた。

人間というものは,世界をありのままに受け入れることはしない。つまり,人間の心が白紙であって,そこに現実がそのまま描かれる,というわけではない。イスラエルについてしろ,あるいは他のことにしろ,その現実は我々の心に描かれる以前に,ある種文化的な,あるいは歴史的なレンズのフィルターがかけられている。イスラエルの政治理論家,ヤロン・エズラヒは,こうしたレンズを「スーパーストーリー」と読んでいる。/西洋文明で最も広く知られたスーパーストーリーは聖書である。欧米人が自分自身や世界を見る際,そこに描かれた物語や,登場人物,そして価値観などが,主要なレンズの働きをする。ユダヤ人,すなわち古代イスラエル人は,この聖書というスーパーストーリーの主要な登場人物なのである。

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