Dribs and Drabs

ランダムな読書歴に成り果てた

スティーヴン・ベイカー『IBM奇跡の“ワトソン”プロジェクト:人工知能はクイズ王の夢をみる』 早川書房

この本を読む前にこの動画を見ておいた方がいいと思うんだけど,

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確かにこのクイズ番組の形式の一筋縄ではいかない感じ,これを知ると,ワトソンが歴代のクイズ王たちに勝ったということの凄さが,まず肌で感じられると思うんですよね。

その上でこの本,ある意味で『シグナル&ノイズ』と表裏をなすというか,つまりは「機械(あるいは人工知能)がいかにして人間にクイズで勝つか」がテーマで,そこには「人間の知性と機械の“知性”との違い」というのが根幹になあるんだけど,人間のパターン認識とか意味の解釈とか抽象的な思考とかヒューリスティックとか,そういうものは現時点ではコンピューターは持つところまで行っていない,しかし『シグナル&ノイズ』で言っていたのは,人間のそういう思考形式こそが,間違った予測を生むもとになっているというかね。

IBMがチェスから『ジョパディ』に目標を切り替えることは,認知大陸の沖合いに浮かぶ孤島から反転し,本土に真正面から挑むことを意味する。そこでコンピュータを待ち受けるのは,ゲーム理論と数学だけではない。人間の知能がすべてを取り仕切っている分野での戦いだ。『ジョパディ』で対戦する相手も人間なら,ヒントを書くのも人間。経験・感動・視覚・味覚を総動員し,それに密接に結びついた知識で勝負しにくる。対するマシンには目がなく耳もない。そもそも肉体がなく,体験がなく,生命がない。あるのは記憶だけだ(1と0で記号化された数百万のリストや文書を記憶と呼べるならば)。そして,ゲーム全体が無限の複雑さとニュアンスを持つ言語で戦われる。人間には簡単だが,マシンには地獄の責め苦にもなる。

結局ワトソンに必要だったのは物事に対する深い理解じゃなくて,「何にでも広く浅く手を伸ばすディレッタントだ」ということで,このへんもしかしたら,「コンピューターに仕事が奪われる」的な話を考える上でのヒントになるんだろうな(っていうかもうなってるんだろうけど)。

あとはそうね。「脳は肉体を必要とする」っていう,池谷裕二の話を思い出した。

007.13