Dribs and Drabs

ランダムな読書歴に成り果てた

フリードリッヒ・ニーチェ『善悪の彼岸;道徳の系譜』筑摩書房(ちくま学芸文庫, ニーチェ全集, 11)

ということで満を持して読んでみた*1

まず「体系性からいってもその密度からいっても群を抜いている」らしい『道徳の系譜』なんだけど,どこが体系的なんだよ! と初学者であるわたしは思ってしまうわけですよね。というか,哲学者って「論文」と称してなんでこんなに(参考文献リストも付けずに)印象論で語り断言しまくることができるのか。ほとんどただのレトリックなディスりじゃん。

いちおう入門書をすでに読んでいるから,本書を読み進めても「あー,これってあのことなのね」という想像がつくんだが,それがなかったらきっと何言ってるか分からないと思う。

だからといって飽きて途中で投げ出すかといえばそうでもなく,なんかこの文章の密度の高さについつい引きこまれる。っていう感じでもないかな,珍獣から目が離せなくなっている状態,に近い。

ルサンチマンとかニヒリズムとか僧侶的なんちゃらとかは腹落ちするんだけど,科学に対して語っていることってなんとなく危うさを感じる…。

それにしても,専門家というのはよくもまぁかように乱雑なテキストをのエッセンスを抽出して,見事な「入門書」にまとめあげるものだ……。

そういえば。ニーチェはユダヤ人に関してけっこうきわどいことを書いていて,それに対して竹田青嗣『ニーチェ入門』では「いやいやニーチェはそんな単純な人じゃないよ。現に身内で反ユダヤ主義な人がいたけどそいつを嫌ってたし」みたいな感じで弁護していたけれど,女性蔑視に関してはもう完全に明白なんじゃないの?(入門書でこの点に触れているものがあるのかどうか) 『善悪の彼岸』の「第七章 われわれの徳」の半分以上はそれで埋め尽くされていて,

台所における女の間抜けぶりはどうだ! 料理人としての女の腕はどうだ! 家族や主人の栄養の世話をする際の恐るべき無思慮ぶりはどうだ! 食事とはどういう意味のことかを女はわきまえていない。それでいて料理人であろうとする! もし女が思慮のある生物であったら,幾千年のこかた料理人であった身として,かならずや,もっと偉大な生理学的事実を発見していたにちがいないし,同様に医療の術をもわがものとしていたにちがいない!

とか,

〈男と女〉という根本問題を考え誤って,これら両者の深刻な対立とその永遠に敵対的な緊張の必然性とを否定すること,かくておそらくは両社の平等の権利,平等の教育,平等の要求と義務といったものを夢想すること。これは皮相浅薄な頭脳のほどを示す典型的な一徴候である。

とかさ。

134.94

善悪の彼岸 ; 道徳の系譜 (筑摩書房): 1993|書誌詳細|国立国会図書館サーチ