Dribs and Drabs

ランダムな読書歴に成り果てた

ローレンス・ライト『倒壊する巨塔:アルカイダと「9.11」への道 上』白水社

とりあえず上巻だけ。

ものすごい本である。「講釈師,見てきたような嘘をつき」というフレーズがあるけれど,この著者はまさに〈見てきたような〉臨場感とリアリティーで,ビンラディンとその周辺の言動を描写している。そしてそれは嘘のような現実――あるいは悪夢――である。

そのビンラディン,〈金持ちで信仰心が篤くてファナティック〉という奇跡のコンボによって唯一無二の存在になったんだなというのがよく分かる。アフガニスタンにノコノコと出征して九死に一生を得たりして,「もし……だったら」という想像をせずにはいられない。そのアフガニスタンで,洞窟の中で病弱なビンラディンが点滴を打とうとするたびにソ連軍の爆撃があったっていうエピソードは,笑ってしまった。

それにしても本書を読んだおかげで,期せずしてサウジアラビアという国の特異性を知ることになった――というか自らの無知と無関心を思い知らされた」。内気だが誇り高く,石油が出たおかげで社会が急変,アメリカとの関係がアラブ社会の中では特異的に強まり,王室は腐敗し世俗化,それが若者たちの〈やるせなさ〉を助長し社会は不安定化,とかなんとか。そして急成長するサウジアラビアに寄り添うかたちでウサマ・ビンラディンの父ムハマンド・ビンラディンの事業が拡大し,上記のようにウサマを特異的な地位に押し上げるという。

『多様性の科学』*1の中で〈CIAは多様性に欠けていた,アラビア語を解する者がほとんどいなかった〉みないは話があって,アホみたいだなと思って読んだけど,いや~自分も人のこと笑えないなと思った。上記の通り,サウジアラビアのユニークさなんてまったく分かってなかったし,イランとイラクってどっちがどっちか――地理的にも特徴的にも――いまだによく分かってないし,キリスト教のカソリックとプロテスタントとについてはなんとなく知っていてもイスラム教のシーア派とスンニ派の違いは分かってないし,とかね。結局自分も欧米中心・キリスト教中心の価値観にどっぷりつかっているじゃんっていうのが,本書を読みながら痛感しているところ。

ムスリム同胞団の理論的指導者であるサイイド・クトゥブの考え:

平均的な労働者が,いつか金持ちになれるという夢のような期待をいったん失えば,アメリカは不可避的に共産主義に向かうだろう。とクトゥブは予言した。キリスト教はこの流れを阻止する力を持っていない。なぜなら,キリスト教は「純粋な理想世界における夢想のような」ものでしかなく,精神の領域にのみ存在するからだ。これに対して,イスラム教は法律,社会規範,経済的ルール,独自の統治手段をすべて備えた「完全なシステム」である。イスラム教だけが,公正で神の意にそった社会の創設へとむかう具体的手法を提供している。それゆえ,真の闘争がやがてその姿を見せるであろう。それは資本主義と共産主義の戦いではなく,イスラム教と物質主義と戦いである。そして,必然的に,イスラム教が勝利をおさめるのだ。

エジプトにムスリム同胞団が生まれた背景:

国民が陰で悪感情をささやくなか,トルコ・オスマン帝国由来の,肥満したエジプト国王ファルーク一世は,〔中略〕歴史に名を残せるほどの放蕩三昧にふけっていた。その間,人々に絶望をもたらすさまざまな事態――貧困や失業,教育の不備や疾病――は猖獗をきわめ,もはや手がつけられない状態だった。政府が意味のない対策に奔走するかたわらで,株価は急落し,目先のきいた外国資本はこの動揺する国から逃走を始めていた。/こうした腐りきった政治環境の中で,人民の利益を考えて着実に活動する組織がひとつあった。ムスリム同胞団である。彼らは独自の病院,学校,工場,そして福祉団体をつくり,さらには独自の軍隊まで創設し,パレスチナで他のアラブ軍部隊と肩をならべて戦った。彼らは政府の問題点よりも,社会の問題点を相手にしており,それこそが彼らの目的だった。

クトゥブの最期:

最後の最期まで,ナセルはこの頑固な性的にたいして判断ミスをおかした。迫りくる処刑に抗議して,デモ隊が回路の街頭を埋め尽くしたとき,ナセルはようやくにして悟った。クトゥブを殺すことは,生かしておくよりはるかに危険だと。〔中略〕「ことばを書きなさい」とクトゥブは応じた。「私のことばは,彼らが私を殺せば,よりいっそう力強いものになるから」

そのエジプトと〈9.11〉との関連性:

二〇〇一年九月十一日にアメリカを襲った悲劇,いわゆる「九・一一」同時多発テロは,じつはエジプトの刑務所で生まれたという説がある。カイロで人権擁護運動に携わる人々は,拷問は復讐への渇望を生み出すと力説する。最初がサイイド・クトゥブであり,次がアイマン・ザワヒリたちクトゥブの弟子たちだと。これら囚人の怒りの矛先はもっぱら世俗主義のエジプト政府に向けられたが,収まり切らない憤怒の念は西洋にも向かった。西洋こそ,抑圧的な政権の背後にいる黒幕だと彼らは考えた。

拷問の影響:

似たような経験をした多くのものがこう口にしている。拷問を受けたあと,自分はまるで聖人たちから,さあ,天国においでと手招きされたように感じ,また自らの殉教を糧として,そこに実現される公正なイスラム社会がどんなものになるか,明確なヴィジョンを得ることができたと。

ウサマ・ビンラディンの特異性:

物心ついてからずっと,ウサマはまるで身についた悪癖のように“禁欲”生活を”渇望”していた。砂漠や洞窟,そして戦争に行って,塹壕のなかで殉教者として死にたいという,いまだ口に出してはいない密やかな願望。しかし,おかかえ運転手付きの自家用車メルセデスで王国中を思うまま移動しつつ,そうした思いをかなえつづけることは,なかなか容易なことではなかった。

サウジアラビアの特異性:

サウジアラビアは,アラブ国家のなかで最も豊かだったが,きわめて非生産的な国としてつとに有名だった。王国は途方もなく潤沢な石油収入がありながら,それ以外の収入源を生み出せずにいた。事実,湾岸諸国の収入から石油関連分を差し引くと,人口二億六〇〇〇万をほこるアラブ諸国の輸出額は,人口五〇〇万のフィンランドより少ないのである。

あるいは

その豊かさは地域随一で,しかもその豊かさをうらやむ隣国に周囲を取りかこまれているため,サウジアラビアはその心配性でも地域随一だった。一九六九年に王国初の国勢調査をおこなったとき,国王はこの国の実人口のあまりの少なさに衝撃を受け,すぐさま数字を二倍にして発表したほどだ。〔中略〕このままでは他国に席巻される,略奪されるという恐怖心をつねに抱えているため,サウジ政府は兵器の購入に何百億ドルも費やした。

そのサウジアラビアとアメリカとの関係:

世界にはあまたの国があるけれど,互いにかくも異なりながら,かくも深い相互依存にある二国間関係はほとんど例がない。それがアメリカとサウジアラビアの関係だった。アメリカはこの王国のため石油産業をたちあげた。アメリカのゼネコン,たとえばベクテル社は,この国のインフラ整備の大半を担ったし,大富豪ハワード・ヒューズの興した航空会社TWAは,この国の民間航空産業をつくりあげ,フォード財団はサウジ政府の近代化に寄与した。王国のテレビ・ラジオ施設の建設にあたり,また王国が自前の防衛産業を育成できるよう監督役をつとめたのは,アメリカ陸軍の工兵隊だった。一方,サウジアラビアも,最も優秀な学生をアメリカの大学へ送り込んだ。

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倒壊する巨塔 : アルカイダと「9.11」への道 (白水社): 2009|書誌詳細|国立国会図書館サーチ