その厚さに,本屋で見かけたときに怯んだのは事実なんですが,「面白そう」という気持ちが勝って読んでみました。いろいろと不可解なことがあり起こっている「彼ら」のものの考え方や思考様式を理解したい,というのがモチベーションでした。
当然ながら,全461ページある本書を,最初から最後まで同じ集中力で読み進めることはできませんでした。「第八章 併合植民地期」より前の箇所や,抽象的な「思想」についての記述は,だいぶ斜め読みしました。しかし,「第九章 朝鮮民主主義人民共和国」「第十章 大韓民国」は,非常に興味深く読み進めることができました。
新書としては大著になる本書を書いた理由を,著者は「はじめに」でこう書いています。
わたしは,日本において朝鮮思想への関心や研究があまりにも低調な理由のひとつに,大学の学部生レベルの人たちが読むべき適当な思想史の入門書がないということがあると思っている。韓国の本の翻訳書はいくつかあるが,どれも初歩者にとってとっつきやすいものではない。朝鮮思想に対してあらかじめなんの知識もない人が,あるいていどの客観的知識を身につけることができる平易な入門書が,どうしても必要なのである。
と同時に,「あとがき」では,このようにも述べています。
わたしの亡き父がかつてヴェトナムの歴史に関する新書を書いたとき,できあがった本があまりにも(非常識なほど)分厚いので,「新書でこんな分厚い本を書いてどうするんだ」とわたしは思い,そのことを父にいった。父の答えは,「ヴェトナムはすごいんだよ,ヴェトナム人はすごいんだよ」のひとことであった。そのすごいヴェトナムを語るには,これでも紙数が足りない,と彼はいおいたかったのだろう。(中略)いま,朝鮮思想史(のようなもの)をまがりなりにも書き終えてみて,父と同じことをわたしも思っている。「朝鮮(韓国)はすごいんだよ,朝鮮人(韓国人)はすごいんだよ」。(改行)いま私が語りたいのは,このひとことのみである。
こういう親子の関係は,非常に羨ましいと思うわけです。
以下,面白かった箇所の抜き書き。まずは朝鮮思想の特徴のひとつとして「純粋性」というキーワードを挙げたあと,
日本で好まれる「日本特殊論」の盲点は,朝鮮の純粋性という緩衝帯がなければ,つまり日本がもし中国と踵を接していたならば,はたして日本の「特殊性」は成り立ちえたか,という点に無関心であることである。この点は柄谷行人が自覚的に論じている(『日本精神分析』)。わたしも『想像する東アジア――文明・文化・ニヒリズム』という著作で重点的にこの問題を論じた。(p.20)
というかたちで,日本(あるい朝鮮)を持ち上げるでもdisるでもなく,客観的に日本に対する考察もなされるのが,この本の信頼できるところです。
「北」については,まずこの記述が目を引きました。
北朝鮮においても韓国においても,この民族が自らの「古層」を考える場合,意識はほぼ九割以上が「北方」を向いている。科学的にいえばこの民族のルーツは純粋に北方(ユーラシア大陸北部)を起源としているわけではないのはもちろん,かなり多くの南方系のDNAおよび文化がはいりこんでいる。しかこの民族が自分たちの「古層」ないし源流をほぼ北方一辺倒に考えているのには,いくつかの理由が考えられる。(改行)ひとつは,伝統的に「北方のほうが高い文明・文化の地である」という根強い考えがあるからだ。この場合の北方は主に中国を指す。(中略)逆に朝鮮は日本を自分たちの南側に位置していると認識していた。これは高麗・朝鮮の都から日本に渡るときに半島最南端の富山(釜山)を経由したことと強く関連している認識だろう。いずれにせよ,「北に文明・文化はあり,南には文明・文化はない」という伝統的な方向感覚が,「自分たちは北方文明・文化に属しているという認識を生むことになったものと思われる。(p.46)
これを知れただけでも,もとを取った気がします。
ちょっと話がそれて,歴史の授業で目にしたような記憶がある「新羅」について。
「新羅」の現代朝鮮語読みは「シルラ」であり,日本語読みは「シンラ」である。いずれも「しらぎ」とは読めない。ではなぜ日本では新羅を「しらぎ」とよむのか。「ぎ」とは「城」の意味であるとする説が有力であるが,別の説もある。現代韓国の金容雲(キムヨンウン)は,これは「シンラ」に侮蔑を表す「ng-i」という接尾辞が付いた形だという。(中略)百済系の人びとが新羅を蔑称して「しんら+ng-i」と発音していたのを,日本語で表記して「しらぎ」となったというのが,金容雲説である。(p.70)
ふむ。
歴史の評価と道徳的判断とについて。
たとえば日本では,平安時代の藤原氏や鎌倉時代の源実朝や室町時代の足利義政などのニヒリズムを,国家や道徳や政治という価値から分離して評価する軸は確固として存在する(存在しなくてはならない)。それは文化を解釈するという行為の意味と連動している。文化を道徳的価値や国家・民族的価値から切り離して見ることの訓練が,日本では浸透しているが,韓国や北朝鮮ではほとんど成り立っていないのである。だから韓国や北朝鮮の歴史書はどれもこれも皆,叙述が平板で,「春秋の筆法」になってしまっている。(改行)「春秋の筆法」とは,儒教における歴史叙述の方法論であり,歴史において誰が善で誰が悪であるかを明確に分類し,悪を糾弾するのが正しい歴史記述であるという考え方である。韓国や北朝鮮,さらに在日朝鮮人や朝鮮史専門の日本人が書く朝鮮の歴史のなかで,この「春秋の筆法」から離脱しえているものは少ない。知的怠慢といってよいであろうし,朝鮮史という学問分野がいまだに儒教的な道徳指向性から自立しえていないことを示している。(改行)このことによってなにが起きるのか。朝鮮の文化や思想を一面的にしか見てはならないというイデオロギーの強化によって,文化や思想を見るまなざしを自己貧困化させるという事態の継続が起きるのである。(pp.110-111)
といった具合に,「朝鮮(韓国)はすごいんだよ」と言いながらも,そのすべての行為を手放しで賞賛するのではなく,こうした冷静で批判的な視線を保ち続けているところがまた,本書の信頼できるところであります。あるいは,「朝鮮(韓国)はすごいんだよ」と思っているがゆえに,そのすごさが彼の地で正当に評価されていないことに対して,忸怩たる思いを持っているからこそのこうした記述,と言うべきか。
訓民正音について。
世宗は集賢殿(チッピョンジョン)に当代一流の学者を集めて,言語学を研究させた。当時の中国における最先端の言語学の知見も摂取しながら,学者たちは1443年に訓民正音(フンミンジョンウム)を完成させた。世宗はこれを1446年に公布した。これにより朝鮮語をきわめて正確に表記することができるようになった。世界的に見ても実に独創的な文字である。なお,この文字の制作原理の解説書『訓民正音か解例本』は,長い間逸失されていたが,日本の植民地時代に発見された。(p.229)
僕は少しだけ朝鮮語を勉強したことがありますが,確かにその文字表記のロジカルな構成に強い印象を受けた覚えがあります。おまけとして,
なお,現在の韓国では訓民正音をハングルと呼んでいるが,これは植民地時代に初めて名づけられた呼称であり,「偉大な(ハン)文字(グル)」という意味である。(p.230)
うーむ,てっきり「ハン」は「韓」だと思っていました。
時代は移って,「併合植民地期」について。
1910年8月に,日本(大日本帝国)と韓国(大韓帝国)は併合される。朝鮮側は義兵闘争などで抵抗するが,日本は着々と侵略政策を実施する。(改行)なお,日本の朝鮮支配に最初からもっとも深く関わったのは長州藩出身者であった。特に統治の初期における要職は長州閥が占めた。これは,ある外国の統治に日本の特定地域出身者がほぼ全面的に関係したという点で,きわめて特徴的な事例であった。長州藩出身者が朝鮮で行ったことの暴力性は,突出している。この事実はもっと注目されてよいであろう。(p.279)
ふむ。
1940年に創氏改名が始まる。これは儒教式の姓システムを持っていた朝鮮人に対して,日本式の氏のシステムを導入しようとしたものである。単に金という姓を金田という日本式の苗字に変えるということではなく,朝鮮人の家族・血族制度を根底から変えるものであった。(改行)なお,1930年代末から学校や公的時空間では日本語を使用することが義務づけられ,朝鮮語が禁止された。これを解放後の北朝鮮でも韓国でもふつう「朝鮮語ないし韓国語が抹殺された」と表現するが,誤解を招く言葉である。公的時空間での使用を禁じられただけなので,もちろん朝鮮語が「抹殺」されたわけではない。ただ,朝鮮語の「霊性」を私的時空間に封じ込め,日本語のヘゲモニーを圧倒的に優位に置いた政策を総督府が展開したことはたしかである。(p.283)
この「創氏改名が朝鮮人の家族・血族制度を根底から変えるものであった」ということは,もう少しつっこんで読んでみたいです。なお,ここにもあるように,「霊性」というキーワードは,本書を通じて登場します。
文化について。
併合植民地期の近代的知識は,主としてに日本から,日本語によって流入した。文化,哲学,共産主義,自然科学など,ありとあらゆる西洋近代の新知識が日本語から朝鮮に移入された。知識は語彙とも深く関連する。西洋概念を日本で翻訳した語彙は,そのまま朝鮮語の語彙となった。併合植民地期に日本の古本を朝鮮で売ったある古書店主の回想では,当時,日本の本は朝鮮で飛ぶように売れた。もっともよく売れたのは世界文学全集の類であり,逆にあまり売れなかったのは和歌や俳句をはじめとする日本の古典文学だったという。(p.287)
かつては文化の流れは西から東(あるいは北から南)へ,だったのが,ここに来てそれが逆流すると。そのこと自体も興味深いのですが,この引用の後半にある「ある古書店主の回想」という,いわゆるオーラル・ヒストリーが,記述の厚みを増していると思います。
朝鮮においては,夏目漱石の個人主義,つまり「人から人へ掛け渡す橋はない」(『行人』に引かれたドイツの諺)という絶望的な,絶対的な他者との断絶という思想と同じレベルまで「個人」を深めた思想家はいなかったように思える。わたしとしてはこのことこそが,日本が朝鮮を支配したことによるもっとも根源的な抑圧ではなかったかと思う。つまり,支配をしていたときも,その支配が終わってからも,朝鮮人・韓国人が「個人」という問題を徹底的な深みまで降りて思考ができず,つねに中間段階で民族や国家という価値に思考を自己回収してしまう回路に押しやったこと,このことこそが日本支配の問題なのである。(p.289)
なんとも示唆的な記述がありますが,その含意の解釈は一筋縄ではいきません(というか僕の浅い読みでは不可能)。
親日派というのは解放後の北朝鮮でも韓国でも「民族反逆者」を意味するので,唾棄すべき存在以外の何者でもない。そのことはよいとしても,「親日派は唾棄すべき存在なのでそれについて研究したり理解したりすることは容認できない」という,北朝鮮でも韓国でも共有されている認識は,間違いであろう。親日派をどう解釈し,理解するかは,朝鮮の歴史を理解するうえできわめて重要なことである。(p.305)
前に引いた箇所と同じ問題意識ですね。
話は進んで,北朝鮮について。
アメリカなど西洋においては,北朝鮮のチュチェ思想を往々にして「孤立主義(isolationism)」と呼ぶが,これは正しくない。チュチェ思想は自立志向ではあるが,国を閉ざすことを国是としているわけではない。第三世界との外交は伝統的に盛んに行ってきたし,北朝鮮はかつて非同盟諸国のなかで指導的な役割も果たしていたのである。北朝鮮がどれほど外国との関係を重視してきたかを正確に認識できなければ,この国を理解することは決してできない。(p.332)
その「指導的な役割を果たしていた」ころの北朝鮮を知らないので,「へー,そうなんだ」という印象しか持てないのですが,そうだとしたら,北朝鮮に惹かれた人が過去いたということも頷けるものがあります。
もうひとつチュチェ思想について。
朝鮮民主主義人民共和国という国家の思想的な中核は,反帝国主義,反封建主義,反事大主義である。この思想は徹底しており,明確であり,揺るぎがない。この国家自ら「唯一思想体系」といっているのだから,この国家においては多様な思想が許されてはいない。したがってこの国家を唯一思想国家と呼んでなんら差支えがない。具体的な名称はチュチェ思想であるが,その中身は右に挙げたものである。(p.334)
その流れでひとつ面白い記述が。「北朝鮮の思想の二面性」,つまりたとえば日本に対しては「日本はたしかに帝国主義によってわが国を侵略した悪辣な国家であるが,これは帝国主義を奉ずる軍国主義者たちが行なったことであり,非支配階級である日本人民は,朝鮮人民と同じく日本軍国主義たちの被害者であった」という認識を持っている,と述べた上で,こう語られます。
つまりここでは,帝国主義を敵とするかぎり,かつての侵略側(日本)と非侵略側(朝鮮)は同じ立場に立ちうる,という思想が成り立っている。むしろ同じ朝鮮民族のうち封建主義や事大主義に染まっている者どものほうが敵性が強い。民族という概念に囚われないイデオロギー優先の思想がここにはある。(改行)ちなみに韓国は共産主義的な階級史観を採らないので,中国や北朝鮮のような二分論はない。そのかわり韓国では,ごく一部の「良心的日本人」とそれ以外の日本人という道徳主義的な二分論を採る。「良心的日本人」とは,歴史に対して反省し,韓国の歴史観と同じか酷似した歴史館を持つ日本人のことをいう。(p.335)
面白いですね。
引き続き北朝鮮についてですが,今度は金正恩について。
金正恩は十代のころヨーロッパで教育を受けたこともあり,開放的な政策を展開するのではないかと期待もされた。だが,その統治方法は徹底した独裁であり,敵対勢力に対する容赦のない粛清であった。しかしこのような統治スタイルに対しては,大きく分けて二通りの見方がある。ひとつは,「金正恩は政治についてなにもわからない無能な独裁者である」というものだ。米国だけでなく日本の為政者やメディアでも広く共有されている認識だといってよい。だがもうひとつは,「金正恩はきわめて合理主義的な改革主義者であり,軍部を中心とした守旧勢力を除去して合理的な統治システムを構築しようとしている」というものであり,北朝鮮の事情に詳しい研究者やジャーナリストに共有されている認識といってよい。(p.348)
だとしたら,今後の展開が楽しみですね(なんて呑気なことを言ってる場合ではないのでしょうが)。
「正統性」という問題について。
今日にいたるまで韓国が北朝鮮に正統性の劣等感を抱いている理由は,まさに右の金日成の言葉から理解できるかもしれない。金日成のこの主張のポイントは,「地主・資本家こそが親日派のであり民族反逆者である」という論理を展開したことにより,「共産主義者でなければ親日問題を解決できない」という強固な枠組みを構築したことにある。これは,階級問題と無関係に「親日行為を清算したかどうか」を事実としてチェックする行為を無化する力を持つ。(p.368)
この「正統性の問題」,あるいは「韓国が北朝鮮に抱いている劣等感」という感覚は,普通に生きている日本人なら(少なくとも僕は)まったく理解できないんじゃないかなと思うんですが(「資本主義で自由経済で経済的に発展している韓国が,なぜ北朝鮮に劣等感を抱く必要があるのか?」というふうに),とにかくそういうことらしい。で,そうだとしたら,先日の平昌オリンピックで展開された北と南とのあれやこれやの出来事も,なんとなく腑に落ちるようなそうでもないような……。
最後に,あと2点だけ。
日本語ではあまり使われないが,韓国語では頻繁に使われる言葉のひとつに「知性人」がある。日本語の「知識人」と似ているが,根本的に異なる語である。本質的かつ強靭な道徳性が土台にあり,その上で古今東西の教養を身につけ,間違ったものをただしてゆくために権力に抵抗する行動力を具えた人物を,韓国では知性人と呼ぶ。朝鮮時代の「ソンビ」(主に在野の潔癖な道徳主義者)という人間類型を継承した概念であろうと思われる。(p.416)
返す刀は日本に及びます。
振り返って見ると,解放後の大韓民国においては,綺羅星のような思想家たちが輩出し,社会を前進させてきた。日本でも戦後は,丸山眞男,鶴見俊輔,久野収,清水幾太郎,加藤周一,梅棹忠夫,柄谷行人,山崎正和,梅原猛などの思想家が活躍した。だが堺屋太一以降,「オピニオン」と「資本の論理」が合体してしまい,その結果,結局はオピニオン・リーダーも消えた。そういう知の類型が消えたこと自体はよいことだったかもしれないが,「オピニオン」はみずからの死の際に思想もともづれにしていってしまい,結局,なにもかも消えたのである。(改行)だが,韓国はそうではなかった。思想家の使命を,社会がその包容力を逸脱しながら必死に包容した。社会は,みずからが持っている既存の枠組みでは理解できない思想家の言葉を,みずからの枠組みを破壊してまで包容しようとしたのである。苦痛は思想家と社会の双方の共有物であった。苦痛を媒介にして思想家と社会は「相生する弁証法」という矛盾を生きようとした。それが韓国近代であった。(p.418)
「堺屋太一」という具体名が出てくるのが面白いですが,確かに僕自身も,あるときを境に「抽象的な思想なんかより,経済について読んだり語ったりする方が面白いし,今はそういう時代なんだな」と思うようになりまして,なのでこの記述には,異様に惹かれます。
おしまい。
129.1