Dribs and Drabs

ランダムな読書歴に成り果てた

黒田龍之助『世界の言語入門』講談社(講談社現代新書)

少しクセのある文章(というか人柄)だとは思うのだが、とにかく読んでいて楽しい。言語によって濃淡はあるものの、いろんな体験をされているところが驚愕に値する。そしてなにより、言語--言語一般というよりは個別の言語--に対する素直な感情が溢れ出ているのがいい。「かっこいい」とか「憧れる」とか、そういう言葉で言葉を語っているところが、何よりもいい。どこでこの本の存在を知ったら忘れたけど、出会えてよかった。そしてまた読みたい本と学びたい言語が増えていく。

いまさら気づいたけど、同じ著者の『羊皮紙に眠る文字たち:スラヴ言語文化入門』って若いときに読んでたわ……。

はじめに

世界の言語について,一人でどこまで語れるか。/本書はひとつの試みである。

言語学のあらゆる分野が世界中の言語を研究対象としているわけではない。とくに最近の言語学は、人間が言語を生成するメカニズムを理論的に追い求めるのが主流である。心の中、いや、頭の中がどうなっているのかを追究するわけで、これは心理学や生理学に近い。/ところが、わたしのやりたいのはそういうことではない。言語一般の法則がまずあって、それを個別言語に適応させていくような演繹的方法ではなく、個別言語をたくさん見つめながら、そこから何かをつかんでいく帰納的方法こそが、言語学であると肩じている。時代遅れかもしれないけど。

アイスランド語

アイスランドの主婦は缶詰の説明書きくらいデンマーク語で読めるとどこかにあった。アイスランド語もデンマーク語も、先祖を同じくするゲルマン語派の言語だからよく似ているとはいえ、小さな国で二つの言語がこんなふうに共存しているところが、わたしの好みなのである。

アイヌ語

アイヌ語は外国の言語ではなく、日本の言語である。だが日本語ではない。日本語とは系統が明らかに異なる。沖縄の言語が日本語と同系であることと比べても、その特異性が際立っている。

北海道や東北地方北部の地名にアイヌ語起源のものが多いことは、広く知られているし、興味を持っている人も多い。登別はヌプル・ペッ、つまり「濁った川」という意味であるというような知識は、確かにおもしろい。だが、アイヌ語の本当のおもしろさは、もっと奥が深いはず。

アイルランド語

アイルランド語が不思議なのは、スペルばかりではない。たとえば文字をじっと見つめながら音を悪いているつもりでいても、そのうちどこを読んでいるのか分からなくなってしまう不思議。これは一つの子音字がいくつかの音に対応し、たとえばdhと綴って/w/だったり/g/だったり/j/だったりと、まったく思いがけない音になるためだ。Dia dhuit.と書いて、「ヂーアグイッチ」と読み、これで「こんにちは」だそうである。

アゼルバイジャン語

トルコ語で「墜落する」という動詞は、アゼルバイジャン語では「着陸する」という意味だったそうだ。

アゼルバイジャン語を話す人はイランにもいる。イランの言語であるペルシア語は、アゼルバイジャン語と系統がまったく違う。それでも、アゼルバイジャン語はトルコ語に比べて、ペルシア語の影響が大きいという。

アフリカーンス語

一七世紀半ば、オランダ東インド会社が現在のケープタウンに東洋航路の中継地を築いた。それ以来、この地に定住するようになったオランダ人の言語から発展したのが、現在のアフリカーンス語である。したがってこの言語は、オランダ語やドイツ語と同じくインド・ヨーロッパ(印欧)語族ゲルマン語派に属す。

南アフリカについてはアパルトヘイトがあまりにも有名で、何を語るにしてもこれを避けて通れないのだが、アフリカーンス語はアパルトヘイトを推進してきた人たちの言語。一九七六年にアフリカーンス語を黒人教育に導入しようとして、騒乱が起きたくらいである。

ピジンとクレオール

ピジンは、いずれの話し手にとっても母語ではない。相手の言語を学んでしまっては、ピジンにならない。他にお互い通じる言語がないから、ビジンが使われるのである。文書に残すような立派なものではなく、口頭でのコミュニケーションが基本。

クレオールについては、人類学では難しい定義もあるかもしれないが、言語学ではピジンが母語化したものであると、いたって単純にとらえている。定義は単純であるが、その構造は多くの場合ピジンより複雑になっている。

人称
アムハラ語

アムハラ語の魅力はその文字。エチオピア文字は音節文字で、独特のかわいい形がコロコロと並ぶ。音節文字なので数は多く、勉強するときにはタイヘンだろうが、こんな文字の読み書きができればなあと、夢が膨らむ。

アラビア語

勉強するからには、「秀才の言語」である気持ちを忘れないでほしい。世界で約三億人が話しているほどポピュラーでも、国連の公用語になるほどメジャーでも、アラビア語に取り組むことは究極の外国語学習なのである。

アルバニア語

アルバニア語はインド・ヨーロッパ語族に属するのだが、これも忘れてしまいそうになる。でも一九世紀に比較言語学が盛んな頃は、言語学者たちの注目を集めていたこともあったらしい。/旧ユーゴスラヴィアと国境を接していたので、スラヴ系言語の影響を期待してアルバニア語の単語集を眺めるのだが、そういうものはほとんどなさそうだ。

アルメニア語

アルメニア語はカッコいい。/まず、文字がカッコいい。あのなんともいえない不思議なかたち。アルメニア文字は四世紀末、あるいは五世紀はじめに大主教メスロプ・マシュトツが創ったとされる。つまり、考案者まで分かっている文字なのである。

はじめに克服するべきは、もちろん文字だろう。ドイツで出版された「アルメニア文字入門」Einführung in die armenische Schrif は、まさにアルメニア文字の習字帳で、筆記体の書き順も含めて、懇切丁寧に教えてくれる。

イタリア語

一九九〇年代以降、日本における状況が激変した言語はイタリア語だろう。/それまでの日本は、不思議なくらいイタリア語に興味がなかった。それがNHKでイタリア語講座を放送するようになったあたりから、見る間にイタリア語熱が広まり、今ではロシア語はおろか、ドイツ語やスペイン語よりもメジャーになってしまった気さえする。

イディッシュ語

ユダヤ文化に対して日本人は知識が非常に少ない。ナチスに迫害されたかわいそうな人たち。金儲けのうまい商人。果ては開世界の実力者? そんなゴシップ週刊誌みたいな認識しかないのだ。でもユダヤの歴史と文化を知らなければ、ヨーロッパもアメリカも理解できない。とくに東欧はそう。ロシアだって例外ではない。

ユダヤ人の言語はヘブライ語だけではない。イディッシュ語は、主に東欧系ユダヤ人の言語である。

インドネシア語

正書法はあまりにも素直で、ラテン文字には何の付属記号もない。語が変化しないインドネシア語は、動詞も名詞も形容詞もクルクルと形を変えるヨーロッパ系言語と付き合っているわたしには、むしろ拍子抜けしてしまうのだ。

だが、どの言語にも複雑なところがある。降幡正志「インドネシア語のしくみ」(白水社)を読むと、語の並べ方がどんなに重要かということが分かる。なるほど、語順こそ命なわけか。

ウイグル語

ウイグル語はアラビア文字で書き表す。一時は漢字を使うこともあったらしいが、今では再びアラビア文字。右から左にしか書けないこの文字は、数式だったら不便なこともあるのではないかと想像するのだが、それでも頑固に使い続けている。一つの国にいろんな文字があるのは、豊かなこと。でも、為政者はふつうそう思っていない。

国境を越えると、旧ソ連地域にもウイグル語があって、こちらではキリル文字を使っている。といっても、ウズベク語やカザフ語のようなチュルク諸語とウイグル語の関係は、いくら本を読んでもよく掴めない。

ヴェトナム語

ヴェトナム語はラテン文字を用いて書き表す。だがヴェトナム語に必要な音や声調を示すために、付属記号がつけられる。これを見よう見まねで書いていく。dに横棒を加えたり、oにアポストロフィを加えたりして、いったいどんな音なんだろうと想像していた。

友人のヴェトナム語教師は「インドシナ科に入学するとき、ヴェトナム語、タイ語、ビルマ語のうちから、文字が分かりやすいヴェトナム語を選んだ」と笑うが、ヴェトナム語の文字もやはり独特の表情がある。

ウェールズ語

How are you? がSut wit ti? で、それに対する答えがYn dda.「元気です」だろうとは思うけど、いったい、どうやって発音するのか、見当もつかない。

古くからの写本も少なくないところもウェールズ語の魅力だが、だからといって過去に生きる言語というのではない。ケルト系の言語はどれも消滅の危機に直面しているような印象を持つが、ウェールズ語だけは例外。今でも約五〇万人が日常生活で用い、社会的地域も含めて有力だという。

ウォロフ語

マリナ・ヤゲーロはフランスの言語学者である。彼女の著作である『言葉の国のアリス』(青柳悦子訳、夏目書房)や『間違いだらけの言語論』(伊藤見・田辺保子訳、エディション・フランセーズ)などは日本語でも読める。身近な話題をもとに言語の世界にアプローチしており、とくにフランス語を題材にすることが多いので、フランス語に興味のある人にはぜひ読んでほしい。また、父親がリトアニア系ポーランド人、母親がロシア人のため、彼女の著作はロシア語やポーランド語といったスラヴ諸語にも目を配っており、わたしは気に入っている。

だが、そのヤゲーロがアフリカのウォロフ語を身につけていることを知ったときは、不思議に思った。

日本ではほとんどなじみのないこの言語は、主に西アフリカのセネガルとガンビア、さらにはモーリタニアの一部で話される。ニジェール・コンゴ語族大西洋語派に属し、ということはわたしにとっても皆目見当がつかない。「こんにちは」がジャム・ンガ・ファナーンで、これは「夜を平安に過ごしましたか」という意味らしいが、まったくピンとこない。でも、すてきな発想だね。

ウォロフ語の使用人口は約三〇〇万人。母語話者の他に、商業用の共通語として話す人を含めると五〇〇万人から六〇〇万人というのだから、決して小さな言語ではない。

ウクライナ語

ウクライナ語はロシア語と同じキリル文字で書かれているが、iの文字があるところが特徴だ。わたしのようなウクライナ贔屓には、このiがとてもかわいらしく見える。さらに上の点を二つにした文字ïもあって、これがあれば間違いなくウクライナ語だ。それさえ分かっていれば、ロシア語と間違えることはない。

ウズベク語

ウズベク語はチュルク系言語で、トルコ語の親戚。ロシア語と同じスラヴ系言語のウクライナ語やベラルーシ語のように、類推がつかない。

ウルドゥー語

ウルドゥーという国はない。ウルドゥー語はパキスタン・イスラム共和国の言語である。もともとは「軍営」を意味するこの「ウルドゥー」の語源は、古いトルコ語に遡ることができるらしい。

ウルドゥー語は、隣国であるインドのヒンディー語と、非常に近い関係にある。両者は同じ文法構造と日常語彙を有しており、いわば「一つの言語のうちの二つのスタイル」に過ぎないらしい。実際に、英米で出版された教材の中には、この二つの言語を Hindi-Urdu として、一冊で扱う語学書もある。

ウルドゥー語とヒンディー語でもっとも大きな違いはその文字である。ウルドゥー語はアラビア文字で、ヒンディー語はナーガリー文字で書き表す。

英語

「英語の国」に行ったことがない。つまり、アメリカ、イギリス、オーストラリアといった、朝から晩まで英語漬けになりそうな環境に、身を置いたことがないのである。

そんなわたしにとって、今までもっとも英語を話していたのは、もしかしたらチェコの田舎町の学生寮かもしれない。ルームメートがアメリカの大学生だったのだ。

エスキモー語

「エスキモー」というと蔑称で、「イヌイット」というのが正しいと言じている人がいる。/だがイヌイットというのはカナダのエスキモーしか指さないので、グリーンランドからロシアのチュコト半島まで広がるこの民族を、このイヌイットだけで代表させるとしたら、それはそれで問題である。

エスキモー語は、一つの言語というより、互いに通じない六つの言語の総称と考えたほうがいいらしい。

エストニア語

その頃はロシア語を一生懸命に勉強していたのだけれど、ロシア以外の諸共和国にも興味があり、とくにバルト三国のエストニア、ラトヴィア、リトアニアは憧れだった。もちろんそれぞれの国にそれぞれの言語があることは知っていて、中でもエストニア語は他の二言語、つまりラトヴィア語やリトアニア語と違って、フィン・ウゴル語族のフィンランド語に近いというのがさらにおもしろかった。

オランダ語

小学校の国語の時間。日本語に入った外来語について習えば、必ずオランダ語の話になる。アルコール、コーヒー、ゴム、ガラス、ペンキ、コップ、などなど。珍しいところでは、「博多どんたく」というお祭りの「どんたく」もオランダ語。Zondag は本来、日曜日のことだが、日本語に入って休日の意味が加わる。さらに土曜日を示す「半ドン」の「ドン」も同じ。半分休日だから土曜日なのである。

カザフ語

カザフスタンについて何も知らない自分に驚く。さらにカザフ語は、キリル文字は使っているが、チュルク系なのでさっぱり分からない。

ロシア語で書かれたごく簡単な入門書を眺めてみた。『カザフ語を話しますか?』(アルマ・アタ、一九九二年)。はがきサイズの小さな本。たったーーニページと薄っぺらいが、発行部数はなんと五〇万部。説明はロシア語で書かれているので、少し拾い読みしてみたのだが、それにしても語葉が違う。「ありがとう」は「ラクメット」で、この「ク」は喉の搾り出すのがポイントらしい。やっぱり音をきたい。

大学生時代にロシア語の観光ガイドをしていたとき、イルクーツクから来たグループの中に亡き祖母とそっくりなカザフ人を見つけても、あまり驚かなかった。丸顔でふっくらしていて、色が白く目が細い。のんびりとした話し方まで似ている。自分の担当するグループではなかったのだが、なんとなく親しくなり、ついにはわたしの祖母に似ていることを打ち明けると、たいそう喜び、以来わたしのことを「孫よ」と呼んでくれた。

カタルーニャ語

カタルーニャ語(あるいはカタロニア話)はスペインの言語である。これについて語るとき、どうしても避けて通れないのがカスティーリャ語。いわゆるスペイン語なのだが、カタルーニャ語だってスペインの言語には違いない。そこでこれらをはっきりと区別するために、スペイン語ではなくカスティーリャ語という名称を使う。カタルーニャ語とカタロニア語とカスティーリャ語とスペイン語。言語名はややこしい。

二人称の代名詞に親称と尊称の中間がある。親称ではなれなれし過ぎるけど、尊称ではよそよそしいというときには、なんとも便利だ。このように、近隣のロマンス系言語とは違う特徴がいろいろあって、言語学的にも興味深い。

言語名
広東語

言語学辞典で調べてみると、広東語は広東省広州市および香港を中心に話される「標準的口語」とある。しかも口語なのに、文字表記もある。中国語共通の漢字を使って音を表し、そのため口語との差は大きいらしい。さらには、広東語による文学の伝統もある。

広東語のすごいところは声調だ。声調とは、意味の区別に用いられる声の上げ下げのことで、中国語では四種類、タイ語では五種類ある。それが広東語では、なんと九種類もあるのだ。ただしそれは音声的なレベル、つまり実際の声の上げ下げパターンは九種類ということで、それに対して音韻的レベル、つまり他の語と区別をするためには六種類しかないらしい。いずれにせよ、声調言語の中では種類の多いほうだろう。

カンボジア語

カンボジア語の教材CDを探し出し、目を閉じて耳を傾けた。声調はなくても、独特のメロディーを感じる。「クニョム」という音が耳に残り、あとでテキストを見たら「わたし」という意味だった。現在、わたしが知っている唯一のカンボジア語である。

ギリシア語

現代語と古典語があったら、現代語から学ぶのが一般的なはず。ところが、ギリシア語だけは例外かも知れない。古典ギリシア語を学ぶ大学生や高校生は、世界中でたくさんいるけど、現代ギリシア語を学ぶ人の数は、非常に限られる。ギリシア本国に約八七〇万人、さらにキプロスなどに一〇〇万人の話者がいるにもかかわらず、である。

キルギス語

ロシア語ではこの国のことを「キルギーズィア」という。だが一時期は「クィルグィスタン」と発音すべきだということがあった。キリル文字bIで表す中舌母音を使い、「キ」ではなくて「クィ」、「ギ」ではなくて「グィ」というように発音をせよ、というのであ る。

キルギス語はキリル文字以外で書かれることもある。中国の新疆ウイグル自治区で使われるキルギス語は、アラビア文字を用いている。旧ソ連のキルギス語も、かつてはアラビア文字やラテン文字で表記した時代があった。

グルジア語

クルジア語では、文字よりはるかに手ごわいのが文法だ。とくに能格構造が有名で、この説明はタイヘン。自動詞文、つまり目的語を必要としない文の主語の形と、他動詞文、つまり目的語を必要とする文の目的語の形が同じになり、他動詞文の主語が能格というまた別の格になるのだが、こんな説明、さっぱり分からないだろう。エッセイじゃ無理。/他にも動詞の変化形の中に主語と目的語の人称を示すようなものがくっついたり、とにかく変化の面倒そうな言語である。

だが修得不可能な言語はない。チェコで出版された『グルジア語の基礎』というチェコ語で書かれた入門書のまえがきを読んだら、ずいぶん複雑そうに見えるグルジア語でも、ちゃんと覚えられるとあった。その証拠に「グルジア人といっても、わたしたちより頭が大きいわけではありません」というのがおもしろい。これについては千野栄一先生の『外国語上達法』(岩波新書)にも引用されているのだが、わたしもこの一文が好きで、そのためにこの入門書を買ってしまった。

クロアチア語

旧ユーゴ時代、セルビア・クロアチア語は一つの言語だった。かつては《セルボ・クロアート語》というように英語で呼ばれていたが、この名称はなんだか気に入らない。とにかく、そのセルビア・クロアチア語のヴァリエーションが、セルビア語であり、クロアチア語であったのだ。

コサ語

音声学に関する話のついでに、舌を「チャッ」と打つ吸着音や、喉の奥で空気を止めてから「ポコン」と出す放出音を聞かせたいと思い、『世界ことばの旅ー地球上80言語カタログ(CDブック)』(研究社)をチェックしながら探してみた。すると、南アフリカ共和国で話されているコサ語という言語には、ちょうど両方の音があることが分かり、しかも見事な「ポコン」という響きがおもしろかったので、これを使ってみることにしたのである。

言語学で大切なことは、広い視野から言語を眺めること。日本語と英語が中心で、後はせいぜい欧米やアジアの言語が二つか三つ、それだけで世界を推し量るのは、はじめから間違っている。そういうときにコサ語を聞くとよい。言語に対して議虚になれる。

サーミ語

ロシア語はともかく、フィンランド語とサーミ話はともにウラル語族なので、お互いに少しは分かってもいいのではないかと想像する。だが調べてみれば、この二言語間で通じることはないと、わざわざ書いてあった。言語系統論だけを頼りに通じるはずだと言じるのは、どうやら危険である。

現在、サーミの地はフィンランドだけでなく、ノルウェー、スウェーデン、さらにロシアの一部に広がる。北欧諸国ではサーミ人たちの権利が拡張され、フィンランドではサーミ語が公用語として認められている。すべての国で合計しても、サーミ語人口は数万人しかいない。

サーミ語が抱えるさらなる問題は、その小さなサーミ語間の方言差が激しいうえに、四つの国家に分断されていることである。それでも、たとえば国営ラジオによるサーミ語基礎講座の教材が、北欧三国共同で開発されているという。

サンスクリット語

この言語は「サンスクリット」のように「語」をつけない表記も見かける。そもそもサンスクリットというのは「完成された言語」「純正なる言書」という意味。梵語ともいうが、これはインドのブラフマンすなわち梵天が造った言語であるという伝説に由来するそうだ。でも「語」をつけてはいけない決定的な理由はよく分からない。

ジャワ語

英語でジャワ語のことを Javaneseという。これは日本語Japaneseと非常に似ていて紛らわしい。だが、ジャワ語はオーストロネシア語族で、インドネシア語と近く、日本語とは関係ない。

シンハラ語

シンハラ語の系統については、実は諸説があるらしい。南インド諸言語との関連、ドラヴィダ語族説、さらにスリランカ固有言語説まであるが、一応はインド・ヨーロッパ語族説が有力だとのこと。いやー、まったく知らなかった。

スウェーデン語

横山民司・山崎陽子『標準スウェーデン会話』(白水社)は、同じシリーズでロシア語やポーラント部に親しんだわたしにとって、とても親しみやすい。とくに、はじめの文法概説は、全体を掴むのに向いている。

スウェーデン語でおもしろいのは両性名詞である。これは、男性名詞と女性名詞の区別がなくなってしまった結果として生まれた、新しいカテゴリーだ。さらに限定性、つまり英語だったら the に当たる「その」を示すときには、性と数によって接尾辞を用いるという。

スペイン語

はじめはイタリア語やフランス語の知識で見当がつくだろうと、高をくくっていた。ところがそうでもない。動詞の活用などでは似ているところもあったが、それより違いのほうが目立つ。所有代名詞一つとっても、スペイン語って性や数によって一致しないなんてビックリだ。

スロヴァキア語

ロシアのことわざに「魚がいなければザリガニだって魚」というのがある。ピッタリのものがなければ、近いもので代用するという意味で、日本のことわざだったら「鳥なき里の蝙蝠」というのが、これに相当する。/わたしの場合は「スロヴァキア語ができなければチェコ語で」といった感じだろうか。

スロヴェニア語

そしてついには、スロヴェニア語の入門書までまとめてしまった。ということで、さきほどの日本で出ている入門書とは、カミさんが書いたものなのである。

考えてみれば、スロヴェニア語はわたしの専門であるスラヴ語学にとっても、重要な言語である。スロヴェニアはこれまでに、コピタル、ミクロシッチ、ナフティガルといった、錚々たるスラヴ語学者を輩出してきた。スロヴェニア語が分かるというのは、彼らの著作が読めることだ。これは魅力的。

スワヒリ語

きっかけは竹村景子『スワヒリ語のしくみ』(白水社)。この「言葉のしくみ」シリーズはいわゆる入門書と違い、全体像を大雑把に掴むための、通読できる概説書である。この本の中で、修飾語と被修飾語の関係を説明するのに使われていたのが、マンゴーだった。

そもそもスワヒリ語は、ヨーロッパ諸語と発想がずいぶん違っていて、世界の言語の文法を考えるときには避けて通れない。語尾変化ではなくて、語頭が変化するだけでもビックリなのだが、しかもその変化する部分が、名詞のクラスごとに違うのである。果たしてクラスとは何なのか、詳しく知りたい方は先ほどの本をどうぞ。

セルビア語

日本語ではない。セルビア語の「ソバ」は部屋という意味。宿を輸麗しているのである。助かった。早速おばあさんの一人と交渉して、その結果なんと彼女の家に、しかも格安で宿泊するという幸運に恵まれる。理由は「あなたはセルビア語ができるから安心」

ソルブ語

ソルブ語はとても小さな言語である。スラヴ系なのに、ロシア語教師ですら知らない人が多いくらい、マイナーなのだ。/まず、話されている地域の面積がかなり小さい。ドイツとチェコとポーランドの国境付近でひっそりと話されているだけである。

ゾンカ語

さて、そのゾンカ語。ブータン王国の公用語であることは知っていたが、それ以外のことはまったく無知なので、調べてみる。すると、やっぱり数字の話が出てきた。

おまけに、その(=数字の)発音は日本の数え方と似ていなくもありません。数を数えるブータン人が「チ・ニ・スム・シ……」と唱えるのを聞いて驚く日本人が少なくないのもそのせいです。(柴田武編『世界のことば小事典』大修館書店、ニ六ーページ)

タイ語

まず声調。意味の区別に使う声の上げ下げのことで、中国語の四声は比較的よく知られている。タイ語には声調が五つあり、理論的には分かっていても、やっぱりちょっと怖い。

それから帯気音。発音するときに空気が漏れるか漏れないかで、意味が違う。同じ「カーイ」でも、「カー」で息が漏れれば「タマゴ」、漏れなければ「ニワトリ」というのは、有名な例らしい。

タジク語

わたしがタジク語について知っている唯一のことは、インド・ヨーロッパ語族に属し、中でもペルシア語に近いということ。他の中央アジア諸国は、アゼルバイジャンも含めてみんなトルコ語と同じチュルク系だから、これは大きな違いだ。

タミル語

タミル語は南インドのドラヴィダ語族に属する。ドラヴィダ語族には二五言語があり、そのうちタミル語、カンナダ語、テルグ語、マラヤーラム語の四言語が文章語を持つ。ということは、もし日本語がタミル語と親戚関係にあるとすれば、他のドラヴィダ諸語とも親戚ということになる。そうなの?

グリムの法則

そもそもヤーコプ・グリムは、昔話が趣味のオジサンだったのではない。ドイツ語文法やドイツ語辞典を編集した言語学者なのである。その彼の名を冠したこの法則は、当然ながら言語学と関係する。

グリムの法則はインド・ヨーロッパ比較言語学における重要な音韻対応である。しかも、言語学をかじれば必ずどこかで出合うことになるほど有名なのだ。

名詞の性

比喩表現では自然界の性と文法上の性が結びつく。神話や昔話などでもそうで、人間は太古の昔から男女の話にワクワクしたようだ。そういったことを名詞の文法上の性に絡めて嬉しそうに語る人もいて、またまたウンザリする。

チェコ語

スラヴ諸語の研究者を目指すからには、東スラヴ、南スラヴ、西スラヴの言語をまんべんなく学習しなければならない。このアドヴァイスを真剣に受け止めて、学生時代に東はロシア語、南はセルビア語を学んだ。次は西からとなり、そのときにチェコ語を選んだ。

チェコ語はなかなか油断のならない言語で、他のスラヴ諸語から勝手な類推をしていると、痛い目に遭うようにできている。とくに変化語尾にはご注意。一時は瀕死状態だったチェコ語が近代になってから標準語として再構成される際、採用された形が非常に独特なのである。

おそらく、ロシア語にもっとも似ていないスラヴの言語がチェコ話である。

チベット語

あまりにも無知なので、チベット語とネパール語の区別さえ、ときどきつかなくなってしまう。チベット語はシナ・チベット語族チベット・ビルマ語派に属し、一方ネパール語はインド・ヨーロッパ語族。ぜんぜん違う。とはいえ、チベット語話者は中国だけでなく、ネパールにもいるし、さらにブータン、インド、パキスタンにもいる。

中国語

わたしもCDに合わせて、中国語の発音練習をしてみた。なるほど、これは快感。今まで出しだことのなかった音を出すことは、こんなにも楽しいものか。口からはいつもと違ったメロディーが流れ出る。

朝鮮語

会話とは語学力ではなく、経験と度胸がものをいう。教科書で習ったような単純な表現でも、使い方で思わぬ威力を発揮することだってあるのだ。

テルグ語

テルグ語はインドでヒンディー語に次ぐ言語人口を有し、六〇〇〇万人以上が話す。決してマイナー言語ではない。ところがインドの都市部では英語が広く通じてしまうため、結果としてインド系言語の多くは、話者人口に関わりなくマイナーになってしまう可能性がある。多様性を好むわたしにとっては、ちょっと残念な気がする。

デンマーク語

だがわたしにとって、デンマークは言語学の国である。ちょっと思い浮かべただけでも、イエスペルセン、イエルムスレウ、トムセン、ペデルセン、ラスクと、錚々たる言語学者の名前が挙がる。とはいえ、一般にはあまり知られていない。

そんなデンマーク語なのだが、言語学へのハードルはすこぶる高い。いちばんの理由はコペンハーゲン学派といわれる人たちの言語理論がすごく難しいことにある。論理的思考回路に問題のあるわたしには、ちょっと歯が立たない。

ドイツ語

ドイツ語には分離動詞というのがある。この分離動詞、辞書の見出しでは接頭辞(この部分を「前綴り」という)のついた複合動詞みたいな顔をしているくせに、文中では前綴りだけが文末に残って分離してしまうという、なんともやっかいなシロモノなのだ。/Ich stehe jeden Morgen um 7 Uhr auf.「わたしは毎朝七時に起床する」/この二番目にある stehe が動詞なのだが、そのまま辞書を引いても stehen では「立っている」という意味しか見つからない。最後にあるauf を前にくっつけた aufstehenという形で探してはじめて、「起床する」だと分かる。こういうのが分離動詞である。

トルクメン語

辞典類を調べてみる。トルクメン語はチュルク諸語に属し、トルコ語に近い。これは「トルクメン」という名称からも想像がつく。二〇〇万人から三〇〇万人が話しているそうだが、これが果たして多いのか、それとも少ないのか。/文字はアラビア文字を使おうという動きもあったそうだが、一九二〇年代にラテン文字を採用、続く一九四〇年代、キリル文字化する。これも旧ソ連圏の民族語では、よくある話。

トルコ語

トルコ語は大言語だ。チュルク系言語の研究ではトルコ語が基本。トルクメン語も、キルギス語も、カザフ語も、ウズベク語も、アゼルバイジャン語も、多くの記述がトルコ語との比較においてなされている。その割に、たとえば日本の大学などでトルコ語の開講されているところの少ないのが残念。中近東から中央アジアにかけての大きな言語文化圏へは、やはりトルコ語から入るのが勉強しやすいだろうに。

トルコ語は日本語に似ているから勉強しやすいというのだが、独学は難しい。不慣れな母音調和という区別や、ヨーロッパ諸語からは想像のつかない語彙も大変だが、何よりも「日本語と同じように」接尾辞要素をつけていけばいいというのが、かえってつらい。

日本語

驚いたことに、観光客を連れて市内を歩いていると、現地の人々から日本語でしばしば話しかけられる。といってもロシア人ではない。見かけはわたしたちと変わらないのだが、日本人でもない。/彼らはサハリン在住の韓国朝鮮人だった。第二次世界大戦後、日本人が引き揚げた後のサハリンには、多数の韓国朝鮮人が残った。戦時中は日本語で教育を受けた世代である。 押し付けられたといってもいい。

ネパール語

ネパール語はインド・ヨーロッパ語族インド語派に属し、ヒンディー語やウルドゥー語と特に近い関係にある。ギリシア語やラテン語だって遠い親戚。トランスクリプトされた数詞を眺めれば、1〜10はエック、ドゥイ、ティン、チャール、パーンチ、チャ、サート、アート、ナウ、ダス。知らない人には分からなくて申し訳ないが、比較言語学なんかをかじっていると、こういうのを見ただけで「なるほど、インド・ヨーロッパ語族だなぁ」としみじみ感じる。

言語人口

言語人口が多い「大きい」言語を選んで有利な人生を歩もうなどという発想は、器の「小さい」人間である証拠ではないか。

ノルウェー語

そんなノルウェーの言語であるノルウェー語。言語人口四〇〇万人を超えるくらいの比較的小さな言語なのに、実は標準語が二つある。一つは長年支配を受けたデンマークの言語に、ノルウェー語的な要素を加えようとしたブークモール。もう一つは西ノルウェーの方言を基礎に形成されたニューノシュク。

ハウサ語

〔ハウサ語習得の利点〕まったくありません。かたことのハウサ語を喋ったくらいで、胸襟を簡単に開いてくれるような甘いハウサは、一人もいないでしょう。「言葉が通じれば、購され易い」などというおそろしい議もあるくらいです。

パシュトー語

パシュトー語はインド・ヨーロッパ語族であるという。なんだか意外に感じる。だが、意外に感じるのは無知な証拠。この言語はイラン語派に属し、この語派には他にペルシア語、クルド語、オセット語などがある。オセット語は旧ソ連カフカスの言語。旧ソ連はアフガニスタンと国境を接していたから、すぐに侵攻できたのである。

ついでだが、次に紹介するバスク語も能格を持つことで有名だ。アフガニスタン、グルジア、そしてバスク地方。なんだかもめている地域ばかりという気がする。/能格地域に平和を!

バスク語

バスク語に興味を持ったのは、この系統不明の不思議な言語に能格があったからである。能格とは何か。何回説明されても、これがなかなか難しい。言語学辞典の定義によれば、能格とは他動詞文で示される行為の主体を表すかたちなのだが、このような能格を持つ言語では、行為の目的対象は自動詞文で示される行為の主体すなわち主格と同じかたちで表されるのである。さて、お分かりだろうか。当時のわたしにはチンプンカンプンであった。

ハンガリー語

ハンガリーはスラヴ系ではない。/他の東欧諸国の言語となると、ほとんど分からない。スラヴ系でない東欧の言語としては、他にルーマニア語やアルバニア語があるのだが、これらはインド・ヨーロッパ語族なので、たまには見当のつく単語もあるのではと期待ができる。だが、ハンガリー語はウラル語族に属し、そんな期待すら持てない。

パンジャーブ語

パンジャーブ語はインドからパキスタンに分布する言語である。話者人口は七〇〇〇万人を超ええ、言語人口ランキング二〇位内に必ず入るくらいの有力言語だ。

パンジャーブ語はパキスタンとインドで文字が違う。パキスタンではウルドウー文字、すなわちペルシア文字というか、アラビア文字にいくつか加えたもので書き表される。一方インドではグルムキー文字という、インド系の独自文字を使う。

ビルマ語

本当の言語学者は、世界のいろいろな言語に目を配る。イタリアや北欧といった、ヨーロッパ諸語だけではなく、ビルマ語を教えるほど知識のあった矢崎源九郎先生は、いったいどんな言語観を持っていたのだろうか。

ヒンディー語

多民族国家インドにおいて、ヒンディー語の通じる地域は実のところ限られている。ヒンディー語は英語に次ぐ地位を占めていないのだ。これは外国語学習の動機として、大問題である。

それでも、ヒンディー語を紹介した入門書や会話集などを読めば、インドを知るためにヒンディー語の学習を薦めている。北インドでは便宜的な共通のことばとして、ヒンディー語が使われる。南インドでも聖地や観光地では北インドからの旅行者がいるから、その人たちと話ができる。

フィリピン語

このようなタガログ語中心主義を薄め、国内のコミュニケーションの手段として作られたのがフィリピノ語である。一九七一年の新憲法で登場し、さらにアキノ政権になったー九八七年の憲法で、このフィリピノ語がますます強力に推し進められることになった。

フィンランド語

高校を卒業して進路を決める頃、できることならフィンランド語の専門家になりたいと夢想していた。/きっかけは稲垣美晴『フィンランド語は猫の言葉』(文化出版局、のちに講談社文庫)。この本が大好きなことは、これまでにもあちこちで書いてきた。多くの人が目指さない国に留学して、一生懸命に言語を勉強する。その姿に強い憧れを持った。

フランス語

あんまり自慢話をされると、意地悪なことを考えてしまう。たとえば、フランス語について一般にいわれているのは、基礎語彙が少ないということで、ある統計によれば、基本語一〇六九語で実に八二~八六パーセントを占めるそうだ。ということは、「基礎語彙が多 義性を持っていることになる。ところで、それって明晰?

フリースランド語

フリースランド語はフリジア語ともいう。ゲルマン語派に属し、オランダからドイツにかけて分布する小さな言語である。これがさらに西、東、北に分かれる。/フリースランド語はゲルマン語派の中で英語にもっとも近い。ただし現在では長年の言語接触の結果、オランダ語やドイツ語に似てきているという。

ブルガリア語

最後に「タ」がついているのは、ブルガリア語の限定詞である。この限定詞は後置冠詞とも呼ばれ、バルカン言語連合で共通に見られる現象だ。(…)英語なら the がつくところだが、ブルガリア語では名詞の性に注意しながら、こういう短いものを語の後につけるのである。文法書どおりであることを再確認して、感動する。

言語連合

なんだ、結局インド・ヨーロッパ語族じゃん。所詮は遠くても親戚でしょ。/だが、そのような関係による類似とは少々異なる。その証拠に、ルーマニア語以外のロマンス系言語には後置冠詞がないし、ブルガリア語とマケドニア語以外のスラヴ諸語にもない。隣接したこの地域の言語群だけが、このような共通した特徴を持っているのである。これを言語連合、あるいは言語同盟という。

言語地図

たとえばラテンアメリカ。メキシコ以南はブラジルを除いてスペイン語色に塗ってあるが、それでいいのだろうか。ガイアナの英語や、スリナムのオランダ語が吹っ飛んでしまいそうだし、そもそも先住民の言語がこれでは表せない。これはロシアにしても、中国にしても、いや世界のどの部分をとってもそうではないか。

ヘブライ語

なんといっても貫禄があるのが、旧約聖書のオリジナル言語であるヘブライ語だ。

貫禄の理由は文字の美しさ。全体的に四角いが、角がとれて丸みを帯びた文字が右から左に並び、全体として美しい調和を形成する。

聖書が書かれた古代へブライ語だけがヘブライ語なのではない。現代ヘブライ語もある。イスラエルでは今でも日常で使われているこの言語は、奇跡によって蘇った。それもある一人の努力からはじまっているのだ。

ベラルーシ語

どうやらベラルーシ人は、ロシア語とベラルーシ語が混ざり合った、混成言語を話しているということである。この混成言語をトラシヤンカという。本来は家畜用の飼料のことで、葉に千草を混ぜて家畜が食べやすいようにしたものだが、ベラルーシ語とロシア語の混ざったことばに対しても、自嘲的にこういうのだ。

ペルシア語

ペルシアは豊かな文化を持つ。とくにその詩を中心とする言語文化には、古くからの伝統がある。朗誦も美しいが、書かれたペルシア文字も魅力的。アラビア語とは少し違う書体であることが、文字の読めないわたしにも感じられる。

ベルベル語

まず驚いたのが、ベルベル語は言語名ではないということ。アフロ・アジア語族に属する一つの語派名なのである。このアフロ・アジア話族というのは、かつてセム・ハム語族と呼ばれていたが、いずれにせよ、アラビア語やヘブライ語と同系ということになる。

ベルベル語派にはシルハ語、タマズイフト語、リーフ語、カビーリ語、トウアレグ語、ゼナガ語など、西アフリカのアルジェリアやニジェール、またはモロッコなどにバラバラと分布している。したがって標準ベルベル語というものも存在しない。

語族

比較言語学的に考えると、歴史的に同系統であることが証明されている諸言語のみが語族を名乗れる気がする。だが、あらゆる言語が時代を遡れる資料を持っているわけではない。便宜的に語族を使ってはいるが、地域としてまとめただけというものもある。

放出音

人間の喉の奥には声門というところがあり、そこは開閉できるしくみになっている。ここをまず閉じて、肺から上がってくる空気を溜めてみよう。次にその空気の圧力を利用して声門を押し開く。うまくいけば「ポコン」とか「グエ」といった音を響かせることができるはずだ。これが放出音である。

ベンガル語

このベンガル語はランキングで必ず一〇位までに入ることに気づく。インドの西ベンガル州の公用語の一つであるとともに、バングラデシュの公用語で、この国も人口がずいぶん多い。多数が使っている言語の好きな人には、おすすめである。さらに詩人タゴールはベンガル語で詩作をしたのだから、文学伝統から見ても申し分ない。

ポーランド語

ワルシャワは伝説上の創設者ワルスとサーワによって造られたのがはじまりとされる。ワルスとサーワだからワルシャワなのだ。そういえば、ヤン坊とマー坊でヤンマーディーゼルというのもあった。関係ないけど。

ポルトガル語

あるポルトガル語教師が、嬉しそうにこんなことをいった。「ポルトガル語は世界の大陸で使われる言語なんですよ。ヨーロッパのポルトガルはもちろん、アメリカ大陸ではブラジル、アフリカではアンゴラ、モザンビーク、ギニア・ビサウ、サントメ・プリンシ ぺ、カボ・ヴェルデ、さらにアジアではマカオと東ティモール、最近では群馬や静岡にもポルトガル語話者がいます。なかなか広がりがあるでしょう?」

マオリ語

一八世紀にクック船長がニュージーランドに上陸して以来、マオリ語は英語との関係において、複雑な歴史を展開していく。一時はかなり弱体化した時代もあったが、一九八七年にマオリ言語法が制定され、マオリ語はニュージーランドの公用語となる。この効果は大きい。

系統としては、マオリ語はハワイ語やタヒチ語と同じくオーストロネシア語族のポリネシア語派に属する。世界地図を眺めると、ニュージーランドとハワイはずいぶんと遠いように見える。だが船を使えば「海は道」であり、人を交流させるのだ。ついでにいえば、アフリカのマダガスカル島のマラガシ語も同じオーストロネシア語族。ずいぶんとスケールが大きい。

マケドニア語

K教校がロシア語でマケドニア語概説をしてくれる。「名詞は格変化しないから心配しなくていい。まず動詞の活用。不定形はない。活用パターンは三つ」そういって、メモ用紙に活用表を書いてくれる。ふふん、こちらは他のスラヴ諸語を知っているので、これくらいは朝飯前。すぐに覚えて、他の動詞も活用させてみせる。大学生たちは素直に驚いて、わたしを「日本のコンピュータ」と褒め称え、こっちはすっかりいい気分になる。

マレーシア語

二次世界大戦前までは「マレー語」と呼ばれていたが、戦後になって独立を果たすと、マレーシアではマレーシア語、インドネシアではインドネシア語となった。一時は「表記法」を統一、二つの言語の差を縮めるべく努力がなされたようだが、結局その溝は埋まることなく、語棄を中心にだいぶ違う言語になったらしい。

少ないマレーシア語教材の中では、アリ・オスマン、新井卓治『今すぐ話せるマレーシア語入門編』(東進ブックス)がおもしろい。料理の名前をはじめとして、コラムが充実しており、ここだけを拾い読みしても楽しめる。

モンゴル語

感動のバロメータとして、モンゴル語に憧れた。外国に出かければどこでも現地の言語に憧れるのだが、あのときほどモンゴル語のできないことが悲しかったことはない。モンゴル人たちはわたしのロシア語を誉めてくれるのだが、そんなことはどうでもよかった。 モンゴル語が話したかった。

ラオス語

ラオス語はタイ語と同じくタイ・カダイ語族南西タイ語群に属する。ラオス語とタイ語は近いのだ。これは比較言語学で系統について語るときに重要な情報。

文字はラオス文字という独特な文字で表記する。インド系文字の通例として、子音を中心に母音符号が上下左右にいろいろとついて、これはなかなか大変そう。さらに声調記号がつくそうで

「実はこの正書法体系については、現在でも揺れるラオス語と共に日進月歩の状態です。それはラオス文字は、一音一字の表音文字であるという原則から、発音が変化するにつれ、正書法も変わっているということです」。

ラテン語

研究社『新英和大辞典(第六版)』の巻末に、Foreign phrases and quotations としてラテン語を中心とする外国語の慣用表現が八〇〇ほど収録されている。英語圏のインテリ層にはこういうフレーズがおそらく常識であり、教養なのだろう。

ラテン語のような変化の激しい言語は、その変化表をしっかり頭に叩き込めば、あとは語彙を増やして読むだけ。これはスラヴ諸語でも同じだ。

ラトヴィア語

多言語を目指す人にありがたいのは、今も昔もTeach Yourself シリーズで、日本語では勉強できない言語の入門書が充実していた。丸善などでズラリと並んだ背表紙を眺めているだけで、なんだかワクワクしたものだ。

リトアニア語

リトアニア語は語形変化こそ保守的だが、語彙は他の印欧諸語から想像のつかないものが多い。適当に類推したりしないで、ちゃんと辞書を引かなければ失敗するのだ。

ルクセンブルク語

ルクセンブルク語は一九八四年の言語法によって、ルクセンブルク大公国の公用語の一つになった。ゲルマン語派に属すため、独自の言語か、それともドイツ語の方言かという判断は難しいだろうが、公用語となって、しかも書きことばが法律的に認められればこっちのもの。

某出版社の編集者からルクセンブルク語の教科書のコピーを見せてもらった。(…)そこで見た綴りは、ドイツ語のベースにフランス語の要素を加味したような、おもしろいものだった。

ルーマニア語

ルーマニア語はスラヴ系ではなく、ロマンス系である。隣接するブルガリア語やウクライナ語より、むしろ少し離れたイタリア語のほうと同系なのだ。(…)ルーマニア語を聞いたイタリア人が「四〇パーセントくらい分かる気がする」といったことがあった。

ルーマニア語がラテン文字で表記されるのに対して、当時のモルダヴイア語はキリル文字だったことだ。

レト・ロマンス語

正確に記せばレト・ロマンス諸語となるのだろうか。スイス南東部のロマンシュ語、イタリア北部のドロミテ・ラディン語、そして同じくイタリア北東部のフリウリ語。わたしが考えていたのは、このうちロマンシュ語だけだった。

ロシア語

記憶を失っても話せる外国語は、わたしにとって生涯、ロシア語しかないだろう。まだ軽く痛みの残る頭を抱えながら、わたしは不思議な達成感に満たされていった。/しかし、すぐ不安になって、こう尋ねた。/「文法変化はちゃんと合ってた?」

アスペクト

話している人が、動作をどのようにとらえているか。これを示すのがアスペクトである。同じ「読む」でも、「読んでいる」という継続か、あるいは「読んでしまった」という完了かでは、だいぶ違う。この区別がテンス、つまり時制と同じくらい大切な言語もあ る。/ロシア語をはじめとするスラヴ諸語は、このアスペクトになかなかうるさい。

「ン」ではじまる言語

「ン」ではじまる言語は、そのほとんどがアフリカのニジェール・コンゴ語族というグループに属している。ということは、ニジェール・コンゴ語族の諸言語では、「ン」ではじまる語がきっと珍しくないんじゃないかと想像される。もっとも、日本語では「ン」だが、ラテン文字で表記した場合には、nもあればmもある。

参考文献

①〔初級〕柴田武編『世界のことば小事典』(大修館善店)一九九三年

知識のない言語、イメージの浮かばない言語に突き当たったら、まずはこの本を開いた。ここには一二八言語が各四ページで簡潔にまとめられている。

②〔中級〕東京外国語大学語学研究所編『世界の言語ガイドブック』全二巻(三省堂)

①で物足りないときや、さらなる情報がほしいときには、これを読んだ。1「ヨーロッパ・アメリカ地域」と2「アジア・アフリカ地域」に分かれ、あわせて四五言語が解説されている。

③〔上級〕竜井孝・河野六郎・千野栄一・西田龍雄編著『言語学大辞典』全七巻(三省堂)

さらに詳しく知りたいとき、あるいは①にも②にも収録されていない言語について調べたいときには、これしかない。全七巻のうち、一巻から四巻までが「世界言語編」で、膨大な数の言語がアイウエオ順に並んでいる。

世界の言語入門 (講談社現代新書) | NDLサーチ | 国立国会図書館

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