Dribs and Drabs

ランダムな読書歴に成り果てた

田澤耕『物語 カタルーニャの歴史:知られざる地中海帝国の興亡』中央公論社(中公新書)

上司がカタルーニャ人だからこの本を手にとってみたのだけど……

著者いわく「(カタルーニャの)中世は,まさに劇場さながらの面白さ」でありながら,「不思議なことに,カタルーニャの中世について書かれたものは(少なくとも一般書のレベルでは)我が国にはないようだ」から,「私が本書を書くにあたって,まず中世にこだわってみようと思ったのはこういうわけである」とのこと。

増補版では「その後のカタルーニャ」を充実させ,最近の独立運動にまで触れているけど。

それはいいとして,「私は歴史の専門家ではない」から「ある意味では自由な立場で,読む人にとってのわかりやすさを第一義として書くことができるという利点があると思う」し,「部分的には歴史小説のような会話文を,想像力を働かせて入れてみたりもした」っていうのは,ちょっとやりすぎな感があるな。この著者,カタルーニャの文学とかもいくつか訳しているようだけど,それこそ(騎士道小説を読みすぎた)ドン・キホーテみたいな感じもする。

参考文献リストもないし。

あ,あと,「四世紀にパレスチナで殉教したと伝えられるオリエントの聖人」であるサン・ジョルディ(英語読みにすればセント・ジョージ),「英国,ポルトガル,ギリシャ,リトアニア,ジェノバ,ジョージアなどが守護聖人としており」(p.40)って書いてるけど,「英国」じゃなくて「イングランド」でしょ。スコットランド人が怒るぞ(スペイン/カタルーニャの関係ってイギリス/スコットランドの関係に似てなくもないんだけど,カタルーニャついて書いた本の中でこの配慮のなさはちょっと信じられない)。

それはさておき。確かに知らなかった/面白いエピソードが満載で,たとえば,

毎年のように,カタルーニャでは,実はコロンブスはカタルーニャ人だった,という本や論文が発表される。なぜカタルーニャ人はこれほどコロンブスの出身地がカタルーニャだと言いはるのだろうか。一口で言うならば,その後のスペイン帝国の基礎となった中南米制服から仲間はずれにされた恨みが原因である。(p.195)

とか,

バルセロナ・オリンピック開会式,壇上にはスペイン国旗,バルセロナ市旗と並んで「カタルーニャ国旗」が掲げられた。カタルーニャ人のサマランク(カスティーリャ語ではサマランチ)国際オリンピック委員会会長はその前で,カタルーニャ語で「カタルーニャ人の人々が待ち望んでいた日がやってきました…」とあいさつした。たしかにカタルーニャ人として,彼も感無量であっただろう。しかし,この情景を複雑な気持ちで見守ったカタルーニャ人もいたはずである。なぜなら,サマランクは,ファシストのファランヘ党の元党員で,フランコの独裁政権下で,スポーツ行政の重鎮だったからだ。(p.256)

とか。

さて,当然この本を読む上でいちばん興味があったのは「独立運動」とその背景・歴史的経緯で,たしかにカタルーニャには歴史的な浮き沈みがあって(かつて地中海である程度覇権を握っていたというのは知らなかった),そういう過去の栄光を引きずっているというのもさることながら,中央政府との関係性が上手くいっていないというのも,よく分かった。

二〇一〇年以降の独立運動において,カタルーニャにとっての不幸は,かつてのジョルディ・プジョルのような大局観のある政治家がいなかったことである。亡命中および刑が確定した独立派のリーダーたちはいずれも誠実なのだが,強力なリーダーシップには欠ける。その交渉相手たるべき中央政府のマリアノ・ラホイ元首相,ソラヤ・サエンス・デ・サンタマリア元副首相がそろって国粋主義的,権威主義的で柔軟性に欠ける政治家であったこともカタルーニャにとっては災いした。彼らはカタルーニャを説得するのではなく,法律を楯に力ずくで組み伏せる道を選んだのである。その結果,独立問題はこじれにこじれてしまった。(pp.276-277)

うーむ。最後に,

私が書いているものがカタルーニャ寄りに見えるとすれば,それは読者が中立的だと思っていた既存の情報が実は反対方向に偏っていたからだと思う。(p.285)

とのこと。(しかし,この方に「中立的な情報を」ということで独立運動の取材の協力を要請したのがTBSの『報道特集』で,そのTBSが国内政治については中立とは思えない情報を流布しているのは,なにかの冗談か)