最近とある人とヒップホップの話になって,「アメリカでヒップホップに流れる層って日本じゃお笑いに流れてるんじゃね?」って言ってたんだけど,これ読んだらそれが違ってたのが分かったっていうか……。
Prologue
“川崎(区)”と聞くと、「ガラが悪い」というイメージを連想する人も多いかもしれない。また、臨海部は京浜工業地帯の要で、第一次世界大戦の好景気によって発展、日本の軍需産業を支え、戦後も経済成長に貢献した一方、地元住民は公害問題に苦しめられ、長い訴訟を闘ってきた。もしくは、おおひん地区(桜本/大島/浜町/池上町)と呼ばれるエリアでは、かつて、工場で働くために朝鮮半島から渡来した人々がコミュニティをつくり、彼らは差別に抗しながらも日本人との共生を試みてきた。さらに、近年は東南アジアや南米からの流入者も増え、多文化地区の様相を呈している。そういった、ある意味で日本の近代を象徴する、そして、未来を予言するような場所で、一五年、立て続けに陰惨な事件が起きた――。
第1話 ディストピア・川崎サウスサイド:中一殺害事件
そのとき、背後の公園からひどく酩配した中学生程度の男子が千鳥足で出てきて、隣にある公団住宅の駐車場に倒れ込んだ。そこではもう二人、同世代の男子が寝転び、焦点の合わない目で宙を見つめ、その周りをいずれかの弟とおぼしき幼い男児がケラケラ笑いながら走り回っている。壁を隔てた公園では、若い夫婦がジャングルジムで子どもを遊ばせている。老人がストロングゼロを片手に動物の遊具に乗って、ゆらゆらと揺れている。それらを、ほんの一〇メートルほど先に建つ川崎警察署の巨大な建物が見下ろしている。なんという密度だろう。こんな空間の中では、陰惨な事件があっという間に忘却されてしまうのも仕方がないことなのかもしれない。
第2話 不良少年が生きる、“地元”という監:BAD HOP
川崎は二つの顔を持っている。その地名を聞いたときに、ニュータウンと工場地帯という相反する光景が浮かぶだろう。あるいはそれは、平穏だが退屈な土地と、刺澈的だが治安が悪い土地というイメージに置き換えられるかもしれない。そして、そういった二つの側面は、各々、川崎市の“北部”と“南部”が担っているといえる。
小沢(健二)は楽観的なイメージをまとって人気を得ていくが、自身の根底には空虚さがあるとし、そのような郊外の憂鬱を“川崎ノーザン・ソウル”と呼んでいる。ちなみに、彼との共作「今夜はブギーバック」(九四年)をヒットさせたラップ・グループ=スチャダラパーの三分の二、ANIとSHINCOこと松本兄弟も川崎市北部(高津区)の出身だ。
一方、川崎市南部は別種のリアリティを持っている。例えば、川崎区でまさに九五年に生まれ、東日本大震災が起こった二〇一一年三月に最終学歴となる中学校を卒業したメンバーを中心に構成されるラップ・グループ、BAD HOP。彼らの楽曲を再生すると、シカゴ南部発のジャンル “Drill(ドリル)”を思わせる煽り立てるようなトラックの上で、“川崎サウスサイド”と叫ぶ声が聞こえるだろう。
第3話 多文化地区の、路上の日常と闘いと祭り:ヘイト・デモ、日本のまつり
川崎区ではいわゆるヘイト・デモが、一三年五月を皮切りに計一一回もの数、行われてきた(*3)。特に、東京・新大久保や大阪・鶴橋を狙ったそれが社会問題化、同地での開催のハードルが上がって以降は、集中的に狙われてきたといっていい。排外主義者たちが川崎を選んだのは、当然、新大久保や鶴橋同様に外国人市民が多いためであり、市が推進する多文化共生政策に異を唱えるためである。
多文化都市としての川崎の始まりは明治末期にさかのぼる。一九一二年、それまでは農業が中心だった川崎町(現在の川崎区)が工場誘致を始め、臨海部に日本初の民営鋼管会社=日本鋼管や、味の素の前身=鈴木商店などの工場が建設される。様々な土地から集まってきた労働者の中には朝鮮人もいて、日中戦争が本格化し、工場地帯が軍需産業化すると共に増加していったという。さらに、第二次世界大戦後、故郷に戻ることができず、仕事にも溢れた大量の在日朝鮮人は、「川崎にコミュニティがある」という噂を聞きつけて転入。彼らは、湿地帯のような劣悪な環境にバラックを建てて、生活を始めた。現在も、日本鋼管の後身=JFEスチールの敷地に隣接した池上町に行けば、その名残りを感じることができるだろう。
第4話 “流れ者”の街で交差する絶望と希望:C.R.A.C. KAWASAKI、桜本フェス
流れ者の集まるアナーキーな川崎でもいや、そんな街だからこそ、不安定さに耐えられなくなったときに、人を見下すことで自分の地位を確保しようとする者がいる。それは日本の縮図でもある。
ふれあい館は、川崎市が社会福祉法人・青丘社に運営委託をする形で、一九八八年に開館した社会教育館と児童館の統合施設だ。同社は桜本に住む在日韓国人の拠り所だった川崎教会から派生する形でつくられたが、朝鮮ルーツのアイデンティティにこだわるだけでなく、むしろ、共生を理念としている。ふれあい館もまた、中国、フィリピン、ブラジル、ペルー……様々な国をルーツとする地元住民が増える中で、多文化地域を実現するための核となってきた。
第5話 路上の闇に消えた“高校生RAP選手”:LIL MAN (ttwp)
た。川崎の不良は出身中学校にこだわる。それは、単純な話、中学が最終学歴の者が多いからだが、彼らにとって幸福な時代がそこで終わっているからでもある。シャ
第6話 不況の街を彩る工場地帯のレイヴ・パーティ:DK SOUND
「普通、レイヴって山とか森とか自然の中でやるわけだけど、その真逆の環境というのが面白いと思ったんだよね。“デトロイト・テクノ”のイメージに重ねるようなところもあった」
「DK SOUND」には、川崎のウィーク・ポイントをむしろ活用しようという、ダーク・ツーリズム的な発想があったといえるのかもしれない。そこでは、公害の街の象徴として扱われてきた工場は、非日常的な感覚を味わうことができるテーマパークとなっている。建介は言う。/「あのロケーションには、いわゆるディストピアっぽさがあると思うんだよね。火がごうごうと吹き上がっていて、『ブレードランナー』みたいっていうか。当初、お客さんは川崎以外から来る人がほとんどだったし、彼らにとってそういうロケーションは、ダンス・ミュージックと相まって、楽しめるものになっていたと思う」
第7話:スケーターの滑走が描くもうひとつの世界:ゴールドフィッシュ
「公園の前を通ったら、不良の先輩がたまっていて、『おい、こっち来いよ』って言われるんですけど、行ったら『オーリーやれよ』って。それでやってみせたら、『おー、すげえな』と感心されて解放されるみたいな。今考えると、不良の人たちはスケーターをオルタナティヴな存在というか、新しくて面白いことをするヤツらだと思って、一目置いていた節がありますね。おかげで、カンパとかも回ってこなかった」
大富がデザインにかかわったスケートパークのセクション(障害物)が、街中の縁石や坂道に近い、無骨なつくりになっている事実が伝える通り、彼にとってはあくまでもストリートで滑るというアウトローな行為こそがスケートボードの本質だし、むしろ、大富は同文化によって、社会からはみ出した者を受け止めようと考えているのではないだろうか。
「自分たちが住んでる街でやれることなんて限られてるじゃないですか。新しいビルがどんどん建つわけじゃないし、ストリートで滑る際のスポットも昔からあるものを使うしかない。そういう中で、レコードを塗り替えていくのが楽しい。ハル君の世代も僕らの世代も飛べなかったステア(階段)で、ある日、新しい世代がメイク(技を成功)する。その光景を見るのは、同じ土地で長くやってることの醍醐味ですよね」
INTERLUDE:川崎(リバース・エッジ)、あるいは対岸のリアリティ
九五年というのは、つまり、戦後五〇年にあたる年であり、安定成長期に確立された日本の安全神話が、阪神・淡路大震災と地下鉄サリン事件によって崩壊した年であり、しばしば、日本社会の、悪い意味での転換点として位置づけられてきた年だ。実際、『リバーズ・エッジ』の基調となっているのも、一種の嫌な予感のようなムードである。
筆者も対岸の火事を取材するため、何度も川を渡るうちに、その火を消す手伝いができないだろうかと考えるようになっていった。スラム・ツーリズムの気分で訪れていた場所は、“スラム”や“多文化地域”といった記号で捉えていた場所は、行きつけの店ができたり、友人ができたりすることによって、馴染みのある街になり、同時にそこで起きている問題は自分の普段の生活と地続きになっていった。いや、そもそも、こちらとあちらを隔てる“川”なんてものは存在しなかったのだ。/もちろん、自分がまずやるべきなのは、書くことだ。ここで取り上げている事件は現実に起こっている話だし、それはほかでもない、あなたの話だと伝えるために。
第8話 ハスラーという生き方、ラッパーというあり方:A-THUG
「どの都市でも南側がヤバい。ニューヨークのブロンクスやクイーンズもそうだし、最近、行ってるところだったらシカゴもそう。川崎も南下すればするほど……産業道路の向こう側なんて、中学生のポン中(覚せい剤中毒)とか、子どもなのにでき上がったヤツ、いっぱいいますよ。それでも、川崎で底辺だなんて言ってたら、ニューヨークの友達に怒られる。彼らが住んでたプロジェクト(低所得者用の公共住宅)なんて、エレベーターがしょんべんくさかったり、本当にひどい場所だったから」
A-THUGの歌が人々を惹きつけるのは、孤独さと人懐っこさが同時に表現されているからだろう。それは、川崎のブルースだ。
第9話 川崎南北戦争を乗り越えた男たちのヒップホップ:FLY BOY RECORDS
川崎は二つの顔を持っている。そして、それらの表情は変わりつつある。シンガーソングライターの小沢健二が、自身の抱える空虚さを“川崎ノーザン・ソウル”と呼んだ、その背景としてのニュータウンの北部。ラッパーのA-THUGが、荒廃しているからこそラップ・ミュージックの聖地と化したシカゴのサウスサイドに重ね合わせて“サウスサイド川崎”と呼んだ、工場地帯の南部。あるいは、そういった違いから生まれる価値観の対立を、川崎市民は冗談めかして“川崎南北問題”と表現する。
FLY BOY RECORDSは川崎を“K-TOWN”と呼び、南北に分けるのではなく、あくまでもオール川崎としてのアイデンティティを強調する。ただし、同地では、東京と横医に挟まれた細長い市内を南武線が縦貫している一方、五つの私鉄によって各区から容易に外に出られることで、市としての統一感に知けてきたという。
また、川崎には市内を縦貫するルートとして、南武線のほかに尻手黒川道路という幹線道路があり、それが持つ越境性こそが、南北の暴走族を中心に、不良による縄張り争いを生んだ側面がある。
YOUNG HASTLE「オレも今は川崎っていうと、ブルックリンとかニュージャージーみたいな、中心からちょっと離れてるからこそアンテナが発達してる、センスのいいサバーブの街って印象を持ってます
第10話 在日コリアン・ラッパー、川崎に帰還す
:FUNI (KP/MEWTANT HOMOSAPIENCE)
「桜本から大師に引っ越したら、プールがガクンと深くなるみたいに疎外感が強くなったんです。小学校で在日はオレひとりでしたし。で、週末になったら川崎教会で在日の友達と会う。桜本はある意味で人権特区なんですよ。もちろん、それは仁夏牧師をはじめとした先達が苦労してつくりあげたものであるわけだけど、子どもだから当たり前のものだと思ってしまってたんです」
「川崎南部って欲望がむき出しにされてるんで、子どもも大人になるのが早い。だから、北部に行って、『なんでみんなこんなに子どもなの?』とピックリしましたね。勉強や部活のことばっかり考えていられることがカルチャーショックだった」
「川崎って罪深い街なんで、聖書がよく合うんですけど、それ以上にラップが合う。ナズや2パックの訳詞を読んだときに、国も世代も違うのに置かれてる状況とか考えてることが同じで、しかも、表現がカッコいいことに感動したんです」
第11話 負の連鎖でもがく女たちの明日:君島かれん
性風俗街=川崎のルーツは、一六二三年に設置された東海道五十三次、二つ目の宿場・川崎宿を訪れる旅客のためにつくられた遊郭群にまでさかのぼれるのだという。やがて、大正時代になると大戦景気に伴い京浜工業地帯が発展。川崎にも労働者が押し寄せ、彼らのための娯楽としていわゆる”飲む・打つ・買う”の業種も拡大していく。また、そのうち、売春宿群は敗戦後も堀之内では青線という形で、南町では赤線という形で残るものの、一九五七年の売春防止法施行、および翌年の赤線廃止により打撃を受ける。しかし、取って代わるように新性風俗・トルコ風呂が現れ、六六年の風営法改正により両地が個室付き浴場の許可地域となると、経済成長期だったこともあり、再び活気づいていく。
不良を卒業して表舞台へ出んとする、2WINや君島を見ていると、その母親たちにとって子育てとは、川崎における負の連鎖を断ち切るための戦いでもあったのではないかと感じる。
第12話 競輪狂いが叫ぶ老いゆくドヤ街の歌:友川カズキ
〈ラゾーナ〉が建っているのは東芝の工場の跡地であり、また、ほど近い商業ビル〈ソリッドスクエア〉が建っているのも明治製菓の工場の跡地だ。川崎駅西口は、高度経済成長期につくられたいわゆるマンモス団地の河原町団地を象徴として、かつて、工場で働く労働者のための住宅地として活気に溢れていた。しかし、現在は河原町団地の住人も高齢化が進み、デイケアの送迎車が目立つ。
バブル景気の時期、川崎駅周辺は目まぐるしく変わっていった。八八年に世間を騒がせたリクルート事件も、西口再開発のための便宜供与から発覚したものである。
「このへんの旅館の相場は一泊一五〇〇円か二〇〇〇円。だって、土方は一日働いて八〇〇〇円だし、雨が降ったら休みだから、それぐらいしか払えない。こういう言葉知ってます?『土方殺すに刃物はいらない。雨の三日も降ればいい』って」
日進町の赤ちょうちんで、今夜も彼はへべれけになっている。カウンターで、なぜかドトールの皿に盛られたホルモン炒めをつまみつつ、カラオケに入っていた友川の楽曲「生きてるって言ってみろ」を、本人が歌うのを聴いた。
第13話 困窮した子を救う多文化地区の避難所:ふれあい館
「昔だったら底辺からなんとか這い上がれたのが、今は未来をイメージすることすらできない。子どもに、『将来の夢は何?』って聞けないですもん。『親と同じで、役所から金をもらって生きていくよ』って答えたヤツもいました。だから、『将来の予定は何?』って聞くようにしてるんです。“夢”はあまりにも現実味がないけど、“予定”だったら思い浮かぶし、人は“予定”があればとりあえず生きていけますから」
「いわゆる“川崎なるもの”は、過去のものになってきている気がします。子どもたちは、先輩のその先輩くらいのやんちゃな話を、まるで、都市伝説みたいに話している。見るからに不良っぽい子も少なくなった」/しかし、相変わらず、“それ”は残ってもいる。/「お母さんが苦労してきて、その子どもも過酷な人生を送っているというケースはやっぱり多いんですね。虐待をされながら育って、妊娠して学校を中退して、離婚して風俗で働いて、また子どもを虐待して、というドツボの連鎖が、僕が見ているだけでも三世代にわたって続く状況。それが、昔だったらみんな同じような環境で育っていたので、ひどい状況を共通体験にすることができた。今は、“川崎なるもの”に取り残された人たちが、他者の眼差しを気にしながらさらに深く傷ついている」
第14話 トップ・ダンサーが受け継ぐ母の想い:STUDIO S.W.A.G.
ヒップホップ・カルチャーはラップやダンスを含む複合文化だ。川崎にそれが根づき始めているのだとしたら、BADHOPだけでなく、このイベントを主催していたダンス・スタジオもまた重要な役割を果たしているだろう。
子どもたちは、いつかのDeeの姿でもあるだろう。そして、彼は母親からしてもらったように命をかけて向き合うのだ。スタジオの名前に冠した“SWAG”とは、“自分だけのスタイル”を意味するスラングだが、その言葉はDeeの教育方針を示している。/「ウチのスタジオが大切にしてるのは、子どもに先生と同じダンスをさせるんじゃなくて、自分がカッコいいと思うダンスを見つけてもらうってこと。たとえ下手でも、表情がヤバいとか。そういうスワッグの追求は、ダンスをやめたとしても生きていく上で役に立つと思うんです」
第15話 双子の不良が体現する川崎の痛みと未来:2WIN (T-Pablow、YZERR)
EPILOGUE
取材を通して“事件の真相”を明らかにしたかったわけではなく、事件のバックグラウンド=“深層”に入り込みながら、そこに差し込む光のようなものが書ければと考えた。そして、そのような着想をもたらしてくれたのは、やはり本書の中で何度も書いている通り、川崎から登場したBAD HOPという類稀なラップ・グループの存在にほかならない。
BAD HOPのほかにこれといった取材対象の当てはなく、連載は見切り発車で始まった。その後、出会いが出会いを呼ぶような形で魅力的な人物たちと知り合っていったわけだが、先の展開が見えないまま、月一回の締め切りをなんとか乗り切ってはすぐに締め切りがやってくるという流れが最終回まで続いた。本書に一冊を通した起承転結のような明確な構成がなく、短編集、もしくは文字通りルポルタージュ(現地報告)の体裁になっているのはそういった理由である。しかし、川崎で生きる多様な人々を描くためには、それをひとつの物語に押し込むのではなく、このような手法を採用するのがべターだったと自負している。
取材を進める中で痛感したのは、(元)不良少年たちが人生を軌道修正するときに、音楽――大袈裟な言い方をすればそれを含む“文化”がいかに重要かということだ。
ルポ川崎 (新潮文庫 ; い-139-1) | NDLサーチ | 国立国会図書館
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