Dribs and Drabs

ランダムな読書歴と音楽にまつわる備忘録

中川一徳『メディアの支配者 下』講談社 335.5 699.3

第四章 梟雄:鹿内信隆のメディア支配[後]

日枝は、こうした不毛な清耗戦を強いられることに憤りを隠さなかったと同僚の一人はいう。/ 「報道部門がどんどん切り崩され、組合員が苛められたことを日校は地団踏んで悔しがった。昇給は悪いし、飛ばされる。組合時代の彼は隆という絶対権力に対して強烈な反発心を持ち、「われわれには報道の自由がある」などと青臭いことも言っていたが、われわれの良きリーダーだったことは事実です。結成から間もなく、飲んでる席でこう言ったことがあります。『鹿内はなぜ、われわれをこんなにも弾圧するんだ。こちらは間違ったことをしてるわけじゃない。民放労連にもやむを得ず入ったんで、共産党に支配されるというけど、そんなことはない。おれたちは間違ったことはしてない。組合を作るというのは正しいことをしたんだ。おれはいつか絶対社長になってやる」。トップになって組合を苛めるような会社にはさせないと本気で息巻いていた。それぐらい、日枝の二十代の終わりというのは正義感にあふれていた」(日枝は「酒の席でも、社長になるなどと言ったことは絶対ない」と否定)

組合体験は、日枝が他人を評価するにあたって強い影響を与えたはずだと当時の仲間は言う。/ 「日枝の主な人間関係は、この当時の評価を基にしている。彼がその後、社長へと上り詰めてからおこなった人事を見ても、若かりし頃の人の評価というものを根底では変えていないと思う」日枝は、辞めていく者たちを責めるようなことは言うなと組合の仲間に言っていたという。それは温情とはおそらく異なる。その内面は、今後のかかわりにおいて一切を見限るという非情だったのではないだろうか。/ 日枝は社長になってからも、隆とは一度として組合時代のことを話したことはないという。それぞれに苦く、思い出したくない過去に違いなかった。

「彫刻の森」がもたらした最大の悪撃は、英子が経営に介入するきっかけになったことである。妻の性格を熟知しながら信隆は英子に美術館の営利部門などを任せ、軋轢が繰り返し持ち上がっても是正しようとはしなかった。

ニッポン放送は、日本の主要な企業を株主とし、「オール財界」による初めてのメディア事業といってよい。広く薄く株を分散したのは、財界の中で決定的な影響力を持つような企業や個人を出さず、株主間で牽制しあうという考え方が根底にあったからだ。それが歳月とともに「鹿内メディア」へと様相を変えていくのである。

第五章 華麗なる一族:後継者・鹿内春雄

第六章 改革者:鹿内宏明の試み

日本のメディアの戦後一貫した特徴は、閉ざされた島国の中での陣取り合戦であって、海外に進出する必要性をそもそも感じていない。情報も常に海外からの「入超」傾向を示し、日本が世界へ情報を発信する機会も少ないのである。製造業が早くから世界市場を目指したのとは好対照で、また同じ護送船団である金融機関と比べても十年は遅れていた。/ だが、この時期、意外なところから好敵手があらわれている。世界市場に積極的に打って出ようとしたのは民間企業ではなかった。島桂次が率いる公共放送、NHKである。/ 宏明と島、この二人は年齢からキャリア、気質までまるで違うのだが、時期的に相前後して経営トップに就き、お互いに国際戦略でしのぎを削り、またこれも相前後してあっという間に権力の椅子から追い落とされた。その凋落の軌跡は、幾つかの点で驚くほどの相似形をなしている。

NHKは規模で言えば、イギリスBBCに次ぐ世界第二位の巨大放送局だが、公共放送の宿命から時の与党、郵政省によってがんじがらめに縛られ、幾多の干渉を受けてきたことは周知の事実だ。そうした力学の下、NHK内でのし上がるには対抗しうる政治力をバックに持っていなければならなかった。政治記者出身である島のキャリアはその典型で、記者としての法を超えて自民党の保守本流、宏池会に食い込んで力を付ける。同じ大物政治記者として権勢を二分した渡邉恒雄は島をこう評している。/ 《島は池田(勇人)さんに非常に可愛がられて、宏池会に深く入り込むんだ。……だから島は、もちろん大平さんとも仲が良くて、巷間よく言われているように宏池会の幹部みたいなことをやっていた。……本当にある意味でメチャメチャな記者だったよ》(「渡邉恒雄回顧録」)

出身や業態、経営トップに就いた背景――何もかもまったく異なるが、二人は強大な権力を背景に機構改革や海外戦略を推進し、椅子を温める暇もなく海外を飛び回っていた。その間、自らを過信したことは疑いようもないだろうが、組織内部の不満、軋轢が水面下で鬱積し、ともに内部から情報操作の色が濃い「疑惑」「スキャンダル」を仕掛けられ追い落とされた。/ 二人の失脚劇は、時期的にちょうど多チャンネル、国際化時代のとば口にあたっての象徴的な事件となった。それを権力志向と自信過剰がもたらした自滅ととらえるか、改革路線への抵抗による挫折と見るか、あるいはその両方なのか。

第七章 宿命:フジサンケイグループの抱える闇

エピローグ

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