Dribs and Drabs

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[映画]ヤロミル・イレシュ『冗談』

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参考文献

というか,この本に書かれているものを日本語に訳した。

サマリー

最も批判的な政治的映画は,Vojtěch Jasný の『All My Good Countrymen』(1968)と,ミラン・クンデラの小説をもとにしたヤロミル・イレシュ(Jaromil Jireš9の『The Joke』(1968)である。いずれも作品も,プラハの春のより開かれた空気の産物であり,それによって政治史に対するより分析的なアプローチが可能になった。

『The Joke』は小説の出版の1年後に製作されたものの,イレシュとクンデラはその出版前にすでに映画の脚本を完成させていた。クンデラはかつて彼の小説の「政治的」な解釈を批判していたし,それはつまるところ恋愛物語であると主張していた。しかし,この映画はラブストーリーの要素を排除し,その主題において政治的以外の何かとしてこの映画をみることは不可能である。政治的内容という幅に完全に置かれると,これは「復讐の不毛さ」についての映画であると要約できる。

プロット

かつて共産主義者であったルードヴィク・ヤーン(Ludvík Jahn,演じるのは Josef Somr)は,南モラヴィアの小さな町の出身。1950年代の学生時代,彼は党活動に心酔するガールフレンド,マルケタ(Markéta)を憤慨させようと決めた。彼女は,週末を彼との恋愛生活に費やす代わりに,共同体の高揚感に捧げる方を好んだのだ。彼は彼女に一通の手紙を送った。そこには,「健全な精神には愚臭が漂う。トルストイ万歳!」と書かれていたのだ。この政治的冗談によって,彼は党からも大学からも追放され,2年間の強制労働,3年間の軍役,1年間の軍事刑務所行きとなった。この過程を最も後押ししていたのは,彼のかつての友人であり同志のパヴェル(Pavel)。故郷に戻る道すがら,ルドヴィークはパヴェルの妻を誘惑することで彼に復讐することにする。不幸にも,状況が変わっていた。パヴェルはもはや若い不倫相手がいて妻のことを気にかけなくなっており,時とともに変節して修正共産主義者となっていた。

解説

現在と過去との行き来する手法を通じて,イレシュは彼の主題に対する批評的反応を引き起こす。しかしこれは単なるフラッシュバックの問題にとどまらない。なぜならふたつのリアリティは対比され,しばしお互いに対してコメントし合うからだ。映画は現在に設定され,ルドヴィークが故郷を訪れるにつれて,彼はかつてのマルケタとの恋愛や,同級生,強制労働に思いを馳せる。この「歴史との対話」は1949年から始まり,民族衣装に身を包んだ若者たちが「ゴットワルド万歳!」というスローガンを叫びながら道々で踊る様子が描かれる(皮肉にも,これらのシーンは1968年の侵攻時に撮影された)。

マルケタの顔が,その群衆の中から抜かれて映し出される。「あなたの笑顔はとてもおもしろいわ」と,彼女がルドヴィークに言う。「嬉しいよ」と,彼は皮肉めいて答える(現在において)。「本音のようだわ」(当時は罪のひとつ)と彼女の声が答え,現在の彼に戻る。路地を見下ろしているルドヴィーク。彼が言うには,マルケタは,そのときの化身だった。「ウブで,喜びに満ちていて,そして無情な」。

彼が街を歩き回るにつれて,回想も続く。新生児の誕生を祝う儀式に,ルドヴィークの「冗談」という言葉が重なり合う。そして共産主義者の殉教者ユリウス・フチーク(Julius Fučík)の言葉も。強制労働へのフラッシュバックで,ふたりのキャラクターが映し出される。ひとりは熱心な共産主義者,アレクセイ(Alexej)。彼は自分自身の父親を糾弾し,その原因に対する実直で絶対的な献身が,彼自身の破滅へと繋がった。もうひとりはチェネク(Čeněk)。かつてはキュビズムの画家であり,そのエロチックな作品は平和の寓意であると言い逃れをしていた。過去の不正に関するこれらのシーンを通じて,労働への喜びに満ちた賛歌と公式に認められた民族音楽とが,皮肉なかたちで対比的に重なり合う。

映画の前半は過去を強調しているものの,後半ではこの批評的な相互作用を放棄して,ルドヴィークの復讐の実行にフォーカスする。このセクションでは,パヴェルの妻でラジオレポーターのヘレナ(Helena)が,依然として過去を美化して語り,ある種マルケタの変わり身となっている。彼女は自身の思いこみの犠牲者であり,またセックスを通じたルドヴィークの復讐の犠牲者でもある(「私たちは真新しい世界をつくるんだ! 将来を向いているんだ!」の声が重なるセックス)。彼が最終的にパヴェルに会ったとき,彼は新しい説明に見舞われた。つまり,パヴェル自身が1950年代の幻想を糾弾し,不正と無実の迫害とを偽装した方法を非難していると。

映画は1950年代の不正を暴くだけでなく,クンデラ懐疑主義の精神に忠実でありつづける。パヴェルの改革派としての熱意は,時代の精神への適応にすぎないように見えるし,もちろん,実際のソ連の反応からすれば,プラハの春は長続きしないということを知った上で,映画はつくられている。白黒で描出される本作は,イレシュの作品によく見られる叙情主義を徹底的に避けている。