本書を読むのは2回目だ。再び読もうと思ったのは,カート・アンダーセン『ファンタジーランド』*1の影響だと思う――そこではアメリカを創ったプロテスタントがファナティックな人々として描かれていた。そして『ファンタジーランド』を読んだからこそ,今回は本書を最後まで面白く読むことができた――特に第7章「リベラリズムとしてのプロテスタンティズム」を。
本書の主張としては,マルティン・ルターによる「宗教改革」は革命的なものを意図したのでなく,それはカトリックの「リフォーム」を意図した素朴な信仰心から生まれたものだったと。しかしその運動は,神聖ローマ帝国――「神聖」でも「ローマ」でもなく「帝国」ですらないと言われた――とバチカンとの関係性もあって,いつしか宗教的なものから政治的なものになり,さらには「改革の改革」を志向する者を生むことになるが,それはプロテスタンティズムにとっては内在的で避けられないものである。現代では大別すると,古プロテスタンティズム(保守主義としてのプロテスタンティズム)――ドイツのルター派――とリベラリズムとしてのプロテスタンティズム――特にアメリカ合衆国に見られるもの――がある。
「宗教改革」としてそもそもの背景には教会の権威があり,それというのも現代とは比べ物にならないほど高い死亡率の高さがあったので,「死」は身近なものであり,そして「死後の世界」は人々にとって重大事であった。しかしルターの宗教改革は,
この時代に突然起こった,唯一の教会改革の運動でも,ひとりの宗教的天才による,新しい宗教運動のはじまりでもなかった。それはすでに数世紀前からはじまっていたさまざまな教会改革運動,正確には再形成運動の一つであった。しかし,この時代の社会の制度疲労が生み出したいくつものほころびや亀裂によって崩壊寸前であった堤防を意図せざる仕方で破壊してしまったという点で決定的であった。
「古プロテスタンティズム」は体制と宗教とが結びついたものであり,「国家,あるいは一つの政治的支配制度の権力者による宗教市場の独占状態を前提としている」。一方で「新プロテスタンティズム」は,「宗教市場の民営化や自由化を前提としている」。ゆえに(話が飛ぶが)アメリカ合衆国においては新プロテスタンティズムが社会の深層心理として機能し,民営化や自由化,国家ではない自らの意思で設立し加入する共同体が大きなものを言うし,「与えられた人生で成功した者こそが神の祝福を受けた者だ」と解釈されるがゆえに,かの国では成功物語が美談となる。
ということで本書は,ルターによる宗教改革のコアのところをやさしく解説してくれながら,その現代的な帰結まで射程に入れており,示唆に富んでいる。
198.32