うーむ。読む人が読んだら面白いんだろうな…。
はしがき
1961年の1月から3月にかけて,E・H・カーは,ケンブリッジ大学で『歴史とは何か』と題する連続公演を行ない,同年秋,これを書物として出版した。この岩波書店『歴史とは何か』は,その全訳である。
これは,歴史の上に押し付けられた歴史哲学ではなく,歴史から滲み出た歴史哲学である。
「歴史は,現在と過去との対話である。」E・H・カーは,この言葉を本書の中で幾度も繰り返している。これは,彼の歴史哲学の精神である。一方,過去は,過去のゆえに問題となるのではなく,私たちが生きる現在にとっての意味のゆえに問題になるのであり,他方,現在というものの意味は,孤立した現在においてでなく,過去との関係を通じて明らかになるものである。
E・H・カーの歴史哲学は,私たちを遠い過去へ連れ戻すのではなく,過去を語りながら,現在が未来へ食い込んで行く,その尖端に私たちを立たせる。
I 歴史家と事実
オックスフォード中辞典は,便利な代りに経験主義学派の宣伝を勤めている書物ですが
正確であるといって歴史家を賞賛するのは,よく乾燥した木材を工事に用いたとか,うまく交ぜたコンクリートを用いたとかいって建築家を賞賛するようなものであります。
事実はみずから語る,という言い慣わしがあります。もちろん,それは嘘です。事実というのは,歴史家が事実に呼びかけた時にだけ語るものなのです。いかなる事実に,また,いかなる順序,いかなる文脈で発言を許すかを決めるのは歴史家なのです。
(〈歴史〉とは歴史家を通じて叙述されたものである,ということが,いろんなケースを交えて語られる)
II 社会と個人
前回と講演で,歴史とは現在の歴史家と過去の事実との間こ相互作用の過程である,と私は申しました。今度は,この方程式の両側における個人的要素と社会的要素との比重を研究しようと考えます。歴史家はどこまで単独の個人なのでしょうか。そして,どこまで自分の社会および時代と産物なのでしょうか。歴史上の事実はどこまで単独の個人に関する事実で,どこまで社会的事実なのでしょうか。
III 歴史と科学と道徳
IV 歴史における因果関係
V 進歩としての歴史
VI 広がる地平線
歴史とは何か (岩波新書) | NDLサーチ | 国立国会図書館
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