第1章 二一世紀のメタスキル
この中佐は、戦場だろうが、職場だろうが、どこであろうが成功と失敗を分ける、最も重要かつ最も見逃されている要素を致命的なまでに欠いていたのである。その要素とは自己認識だ。/厳密な定義は印象より遥かに複雑なものだが、自己認識(セルフ・アウェアネス)とは、要するに、自分自身のことを明確に理解する力――自分とは何者であり、他人からどう見られ、いかに世界へ適合しているかを理解する能力だ。
このテーマについて長年研究してきた結果、私は「自己認識は二一世紀のメタスキルだ」と言うまでに至った。本書を読み進めれば分かるように、現在の世界における成功にとって極めて重要な各種の力――心の知能指数、共感力、影響力、説得力、コミュニケーション力、協調力など――は、すべて自己認識がもとになっている。
聖書には、こう記されている。「兄弟に向かって、『あなたの目からおが屑を取らせてください』と、どうして言えようか。自分の目に丸太があるではないか」(マタイによる福音書、第七章四節)。
内的自己認識は、自分自身を明確に理解する力のことを指す。それは自分の価値観、情熱、野望、理想とする環境、行動や思考のパターン、リアクション、そして他者への影響に対する内的な理解のことだ。内的自己認識の高い人物は、本来の自分に見合った決断をくだし、より幸せで満足度の高い生活を送る傾向にある。
外的自己認識は、外の視点から自分を理解すること、つまり周りが自分をどう見ているかを知る力だ。外的自己認識に長けた人びとは他人の視点から自分自身を正確に理解できるため、強固で信頼度の高い関係を築くことができる。
真の意味で自分を知るには、自分自身を知ると同時に自分がどう見られているかを知る必要がある。
ワシントンが英雄的な指揮官であり、聡明な政治家であり、建国の父として知られていることを考えると、二二歳の新米の彼の行動はとても驚きだ。しかしまさにその点こそが重要である。彼は聡明で、自制心のある、自己認識を持った政治家となるが、駆け出しの頃は向こう見ずで、微慢で、自分を知らない生意気な新人だったのだ。
本書は、自分を知らない状態から一歩抜け出し、自分に対するインサイトを得て、より賢明な選択をし、より強固な関係を育み、そしてより良い人生にしたいと願うすべての人に向けた本だ。
第1部 基礎と障壁
第2章 自己認識の解剖学:インサイトを支える七つの柱
自己認識とは、自分自身と、他人からどう見られているかを理解しようとする意志とスキルのことだ。より具体的に言えば、大人になってから自己認識に劇的な向上があったユニコーンたちは、自己認識に父けた人びとには見られない特徴的な七種類のインサイトを持ち合わせていることを発見した。ユニコーンたちは自身の「価値観」(自らを導く行動指針)、「情熱」(愛を持っておこなうもの)、「願望」(経験し、達成したいもの)、「フィット」(自分が幸せで存分に力を尽くすために必要な場所)、「パターン」(思考や、感情や、行動の一買した傾向)、「リアクション」(自身の力量を物語る思考、感情、行動)、「インパクト」(周りの人への影響)を理解していた。
「自分は何を達成したい?」ではなく、より良い問いは「本当は人生に何を求めている?」だ。目標はいったん達成されると気が抜けたり物足りない気分になる可能性があるが、願望は決して完全に達成されることはない。
心理学者たちは、「性格」(パーソナリティ)という言葉を、振る舞いのパターンを表すのに使うことが多い。本書で言うパターンとは、あらゆる状況で見られる思考や、感情や、行動の一貫した傾向のことだ。
自身のインパクトを知るために身につけるべき重要なスキルは、視点取得(パースペクティブ・テイキング)、つまり他者の思考や感情を想像する力だ(これは実際に他人と同じ気持ちになる共感とは違う)。
内的自己認識と外的自己認識を、水素と酸素だと考えてみよう。化学の周期表のなかで最も有名な元素のふたつだ。単体だと、水素は危険なものだ。(…)そして酸素自体は可燃性ではないが、過剰にあると、あらゆるものが燃えやすくなってしまう。しかし水素と酸素が正しい比率で結びつくと、命を支える水になる。自己認識も、これに近い。自分自身に対する明確な視点と、そこから離れて他人の視点から自分を見る力が組み合わさると、この魔法のコンビネーションは、とてつもなく素晴らしい力を発揮する。
第3章 ブラインドスポット:インサイトを妨げる目に見えない心のなかの障壁
行動経済学者でノーベル賞受賞者のダニエル・カーネマンによると、「自分の無知を棚に上げることにかけて私たちは、ほとんど無限の能力」を持っている。研究では、人間が自分のことを客観的な事実以上に賢く、面白く、細く、見た目がよく、社交性があり、運動神経があり、優れた学生で、優れたドライバーだと見なす傾向にあることが示されている。研究者たちは、このことを「平均以上効果」と呼んでいる。
デイヴィッド・ダニング教授(最も能力のない人びとが一番自分に自言を持っていると最初に紹介してくれた教授)は、キャリアの多くを通じて、人が自分のパフォーマンスをひどく見誤る原因を探ろうと努めてきた。満足のゆく統一的な答えはないものの、ダニングとジョイス・アーリンガーは、二人の呼ぶところの「トップダウン思考」の強い影響を突き止めた。これが最初の盲点であり、私はそれを認識の盲点と呼ぶ。一連の研究によって二人が発見したのは、特定の状況における自分の能力に対する見解は、実際のパフォーマンスというより、自分自身や自分のスキルに対する思い込みに基づいて形成されるということだった。
心のなかの障壁は、知っていると思っているものに対して盲点を作り出すだけでなく、自分自身の感じ方もねじ曲げてしまう。(感情の盲点)
感情の盲点で一番危険なのは、重要な事柄であっても、気づきさえしないまま感情に影響されて決断を下すことが多いという点だ。
自分を見つめるにあたり、翼を広げる勇気を持つ必要はあるが、高く飛びすぎない賢さも持たねばならない。そうしないと盲点が私たちを太陽の方へと高く舞い上げてしまう。真実を知ったときというのは、驚いたり、おののいたり、感謝が湧くことさえあるかもしれないが、どんな感情であれ、それは向上へのパワーとなる。
現実を知り、それを受け入れるべく尽力するかどうかは、自己認識をしている人間と、いわば、ほかの全員とを分ける大きな違いのひとつだ。(…)その最初のステップは、自分のなかの前提を知ることだ。
自分の人生を左右する選択を下すとき、真実は大きな助けになる。その真実が耳に心地よい音楽であっても、黒板に爪を立てるような音であってもだ。尼僧のペマ・チョドロンは、「自分に対しておこなえる最も有害なことは、正直かつ丹念に自分自身を見つめる勇気と尊厳を持たずに無知でい続けることだ」と指摘している。
第4章 自分教というカルト:インサイトを阻む恐ろしい社会的障壁
バウマイスターら研究チームが自尊心の数端を突き止めてから数十年が経つものの、私たちはもっと自尊心を高めねばという強迫観念を振り払えないでいるようだ。それはなぜだろう? 要するに、最高で特別な自分になるよりも、最高で特別だと思い込む方が遥かに簡単だからだ。
たとえば職場において、自分は特別で素晴らしいのだと考えている人間は、一緒に働く人びとをいら立たせるだけならまだ良い方だ。最悪の場合、そういう人間はほんのわずかな批判にも向き合う備えがまるでなく、ほんの少しの失敗で挫け、当然だと思っている「最高」への道のさなかで些細な障害に行き当たっただけで打ちひしがれる。
ソーシャルメディアはナルシシズムを高めるうえ、ほとんど即効性があるということを示唆している。
ソーシャルメディアを利用する人は、基本的に以下の二つのどちらかに分類できることが研究で分かっている。利用者の八〇パーセントが、いわゆる「ミーフォーマー」で、とにかく自分のことを周りへ知らせるために投稿をしている。そして残りの二〇パーセントが「インフォーマー」で、自分とは関係のない情報(役に立つ記事、興味深い考察、笑える動画など)を投稿する。ミーフォーマーに比べ、インフォーマーは友人が多く、豊かで満足度の高い関係を築く傾向にある。
第2部 内的自己認識:迷信と真実
第5章 「考える」=「知る」ではない:内省をめぐる四つの間違った考え
しかしグラントは内省とインサイトには何ら相関関係が無いことも突き止めたのだった。自分について考えるという行為は、自分について知ることに何の関係もなかった。
内省するとき、私たちの反応はネズミを目にした飢えたネコのようなものだ。つまり、何であれ見つけた「インサイト」に、その妥当性や価値をろくに検討しないまま夢中で飛びついてしまうのだ。また、役に立ちそうに思えるインサイトでも、それ単体では内的自己認識を向上させるのに役立たないことがある。
内省の問題は、その行為自体に効果がないのではなく、多くの人がまったく間違った形で実践しているということだ。
フロイトは無意識の存在を特定したという点では正しかったが、無意識の機能についてはまったく見当違いだった。具体的に言えば、フロイトは無意識の思考や、意志や、感情や、行動は精神分析で知ることができると言じていたが、どれほど懸命に試みても、人が無意識を知ることは不可能だと研究で明らかになっている。無意識とは南京錠のかかった地下室の奥に隠されているようなものであり、フロイトはその鍵を見つけたと言じていたのだった。しかし現代の科学者たちは、鍵など存在しないことを明らかにしてきた(『マトリックス』で言われる「スプーンなんかない」というセリフに似ている)。つまり、人の無意識は、南京錠のかかった扉というよりも、密閉された保管庫に秘められているようなものなのだ。
ロサンゼルスに拠点を置く臨床心理士のララ・フィールディング博士は言う。「セラピーで内省しすぎるのが危険なのは、自分を行き詰まらせるような物語を作り出してしまうからです」。言い換えれば、自分がどれほど辛いかを言葉にしようとするよりも、そこから何を学び、どう前進できるかに焦点を置くべきだということだ。そうしたアプローチのひとつが、認知行動療法(CBT)だ。CBTを専門とするフィールディングによれば、この療法の目的は、自らの非生産的な思考や行動パターンを理解し、今後はより良い選択をできるよう「巧みな内省」をすることだと説明している。
人がなぜと問うとき、つまり、自分の思考、感情、行動の原因を検証するとき、一番簡単でもっともらしい答えを探してしまうものだという点だ。でも悲しいかな、いったん答えを見つけると、たいていそこで他の選択肢を見ることを止めてしまう――自分が見つけた答えが正しいか間違っているかを確認する方法など持っていないのに。ときに、これは自分が倍じている考えを裏付ける理由をでっち上げてしまう「確証バイアス」が原因となる――そして答えは自分が認識する自己像を反映したものであるため、それを真実だと受け入れてしまう。
なぜと問うと、人は被害者のメンタリティになってしまうんです。だから永遠にセラピーへ通うことになる。心の平穏が乱されたとき、わたしは「何が起こってる?」と自分に声をかけます。「自分は何を感じてる?」。「自分のなかでどんな会話が繰り広げられてる?」。「どんな風にすれば、この状況を別の観点から眺められる?」。「よりよく対応するためには何ができる?」/そのため内的自己認識においては、なぜではなく何というシンプルなツールが、かなり大きな効果をもたらし得る。具体例を見てみよう。
「なぜ」の質問は自分を追いつめ、「何」の質問は自分の潜在的な可能性に目を向けさせてくれる。「なぜ」の質問はネガティブな感情を沸き起こし、「何」の質問は好奇心を引き出してくれる。「なぜ」の質問は自分を過去に閉じ込め、「何」の質問はよりよい未来を作り出す手助けをしてくれる。/事実、「なぜ」から「何」への変化は、被害者意識から成長への変化だ。
心理学者のジェームズ・ペネベーカーは、彼が呼ぶこころのライティングに関して数十年単位の研究をおこなっており、日記のつけ方を知るにあたって有力な方向性を示してくれている。こころのライティングとは、一度に二〇~三〇分、「自分の人生に大きな影響を与えてきた問題に対する一番深い部分の思考や感情」を書くことだ。三〇年以上このエクササイズを通して人を導いてきたペネベイカーは、この方法が大きな難題に直面したほぼすべての人に役立つことを発見した。自分の苦しみについて書くことは短期的に見ればストレスを感じる人もいるものの、長期的に見ればほぼ全員が気分や幸福度の点で改善が見られた。
G・K・チェスタトンが鋭く指摘したように、「幸せとは宗教と同じように神秘的なものであり、決して理屈づけるべきではない」――つまり、ポジティブな瞬間をあまり詳しく分析しすぎると、その瞬間から喜びが奪われてしまうのだ。逆に、幸せな瞬間を再体験することだけに集中すれば、比較的このワナから逃れやすくなる。そのため、日記をつけてインサイトを得るための最初のポイントは、ネガティブな出来事は検証し、ポジティブな出来事については考えすぎないことだ。
真のインサイトは、自分の思考と感情の両方を消化するときにのみ生まれる。
うまく学ぶというマインドセット――つまり、パフォーマンスではなく学びに焦点を合わせること――は、優れた反撃退策になるだけでなく、大人も仕事のパフォーマンスを向上できることが分かっている。
これで内省をめぐる四つの間違った考えを知ったはずだ。南京錠のかかった地下室を開ける鍵はない。自分に「なぜ」と問うことは無意味かつ危険だ。日記は必ずしも自己認識を向上させるものではない。そして内省の姿を装った反鍋は、想像以上の悪影響がある。それから反鍋に陥らないための、すぐに活用できる反撃退法も五つ知ったはずだ。自分が思うほど周りはこちらのミスを気にしていないのだと意識すること、うまく学ぶマインドセットを育むこと、そして一時停止、思考停止、事実確認だ。
第6章 本当に活用可能な内的自己認識ツール
内省が自分の思考、感情、そして行動を分析するもので、反鍋がそうした分析に非生産的な形でこだわってしまうものだとすれば、マインドフルネスは、その正反対のものだ。判断を下したり、反応したりすることなく、ただ自分の思考、感情、行動に気づくことである。
マインドフルネスは自分の思考や感情に対する認識向上の助けとなるため、より良く自分の行動をコントロールし、より賢明な判断をリアルタイムで下せるようになるのである。そしてマインドフルネスは内的自己認識を求める人びとに好評だが、外的自己認識にも驚くほどの効果がある。自我を鎮めることによって、他人からのフィードバックに対してオープンになれるのだ。
瞑想を抜きにしたマインドフルネスの実践法を学ぶにあたっては、もう一度、エレン・ランガーによるマインドフルネスの定義を振り返ってみるといいだろう。ランガーによると、新しい区分けをするというプロセスこそ、「マインドフルネスの核心」だ。しかし新しい区分けをするとは一体どういう意味だろう? それは要するに、自分自身と世界を新たな形で見ることだ。
第3部 外的自己認識:迷信と真実
第7章 めったに耳にしない真実:鏡からプリズム
内的自己認識が自分の内側に目を向けてインサイトを得るものなら、外的自己認識は外に目を向けて自分がどう見られているかを理解することだ。そしてどれだけ懸命に試みても、一人でおこなうことは純粋に不可能だ。だが残念ながら、周りが自分をどう見ているかを普段知ることができないのは、ひとつのシンプルな事実による。最も近しい人たちでさえ、そうした情報を進んで伝えてくれることはないという事実だ。
「フィードバックはギフトだ」という言葉は本当に耳が痛いものであるから、人はそれがどれほど的を射た言葉であるかを忘れがちだ。そして私たちがこのギフトを必要としているのは一つのシンプルな理由からだ。基本的に、あなたのことはあなたより他人の方が客観的に見ている。
この傾向をローゼンとテッサーはマム効果 (MUM Effect)と呼んだ。MUMは、「望ましくないメッセージについて沈黙を保つ(Mum about Undesirable Messages)」の頭文字から来ている。二人は後世のさまざまな研究で裏付けられているように――相手を動揺させ得る情報を持っている場合、人は最も負担の少ない道を選ぶ傾向にあること、つまり単に何も言わないという選択をする傾向にあることを明らかにした。
アメリカ第三二代大統領フランクリン・デラノ・ルーズベルトがかつて述べたように、「男気とは恐れがないのではなく、恐れがあろうが、他にもっと大切なものがあると判断することだ」。私たちの例で言えば、「恐れよりも大切なもの」がインサイトにあたる。
どの行動に対するフィードバックか分からなければ、より良い選択をするための力を発揮することができない。
批判的なフィードバックをして逃げ出すだけなら誰でもできる――だから大切なのは、あなたが本当に借頼を置け、やり遂げるのを近くで支えてくれる人からのフィードバックだ。
第8章 予想外の厳しいフィードバックを受け止め、向き合い、行動に移す
真実を求めることは必要だが、それだけでは十分ではないということだ。真のインサイトを得るには、真実を聞く方法を学ぶ必要がある――ただ単に「耳を傾ける」のではなく、本当の意味で「聞く」必要がある。
一人からのフィードバックは、一つの視点だ。二人からのフィードバックはパターンだ。だが三人かそれ以上からのフィードバックとなると、事実に近い可能性がある。
私たちは他人についてのステレオタイプにはある程度自覚的であるのに、もっと驚くような種類のステレオタイプについては認識をいていることが多い。それは自分自身や、自分がどう見られているかについて、実際よりも低く見積もって思い込んでしまうような思考だ。気づいていようがいまいが、人はみな、この固定観念を持っている。
かつて作家のマリアン・ウィリアムソンが述べたように、「自分を知ることに伴う鋭い痛みに耐える方が、自分を知らないことでその後の人生に続く無知の鈍い痛みを選ぶよりも勇気がいる」。誰より成功し、充実し、自分を知っている人びとは、鈍い痛みのままでは決して満足しない。主体性を持って、勇敢に自ら真実を求め、それを理解し、可能な部分は向上するために活用する――そしてまた、自分を発見していくなかで時おり感じる鋭い痛みには、それだけの価値があることを知っている。
第4部 より広い視点
第9章 リーダーがチームと組織の自己認識を高める方法
自分についてや、周りが自分をどう見ているかを理解することが個人レベルでの自己認識だとするなら、自己認識を持つチームとは、力を尽くして同様の理解を集団レベルで得ることだ。より具体的に言えば、自己認識を持つチームは五つの物事を定期的に評価し対処している。それらを集団的インサイトの五つの基礎と呼ぼう。一つ目は、目的だ。何を達成しようとしている? 二つ目は、その目的に向けた進捗だ。進行状況はどうなってる? 三つ目は、その目標を達成するためのプロセスだ。どうやって目標を実現させる? 四つ目は、自分たちの事業や、その環境に対する前提だ。それは正しい認識だろうか? そして最後の五つ目は、個々人の貢献だ。各メンバーはチームのパフォーマンスにどんな影響を与えている?
リーダーがチームに自己認識をもたらすには、3つの要素が必要になる。まず、チームに手本を示すリーダーがいないとき、自己認識に向けた取り組みは中身がないだけでなく、有害なものにすらなり得る。次に、真実を告げるにあたって心理的安全性がないとき、正直なフィードバックが得られる可能性は限りなくゼロに近くなる。そしてこの二つをクリアしたうえで、継続的な取り組みも必要になる――ムラーリーのBPRとよく似て、フィードバックのやり取りが一度きりのものでなく、チームの文化に組み込まれていかねばならない。
多くの人は「信頼」という言葉を使うけれど、私はその言葉があまり好きではない。なぜならこの言葉は私たちエンジニアとしては感情的な要素が多すぎて、意味の幅が広すぎる。本当に大切なのは、「部下たちがこちらを信用しているか」だ。適切な方向へ導いてくれるだけでなく、きちんと耳を傾けてくれると思われているだろうか?成功と失敗が自由に語られるオープンで透明な環境をリーダーが欲していると信じられているだろうか? チームが難題に直面しているとき、あなたはチームをけなしているだろうか、それともサポートや援助を与えているだろうか?
「あなたの言うことは分かります」と彼女は言った。「ですがこれはやりすぎに感じます。互いにフィードバックを口頭で伝えなければならない理由はあるんですか? 書いて、匿名で伝えることはできないんですか?」/彼女の同僚たちはテーブルの周りでうなずいたり考え込むような顔をし始めていた。「どんなときも口頭で伝えた方がいい理由を三つお伝えしますね、サラ」と私は言った。「まず、口頭だとニュアンスがよく分かり、それは文字になったフィードバックとは比べ物になりません。二つ目は、肩じられないかもしれませんが、匿名のフィードバックの方が人を傷つける場合があります。自分が書いたのだと分からないとき、人は書き方にそこまで気を払わなくなるのです。そして三つ目は、フィードバックを口に出して伝えることは、安全で管理された環境下でフィードバックを実践する機会となり、それをおこなうことで将来的にもフィードバックを続けていく可能性が高くなるのです」
フィードバックを得る際の基本ルール/1 抵抗したり、防衛的にならない。好奇心を持ち、聞いた意見は現実なのだと心に留める。/2 メモを取り、不明な点のみ質問する。/3 オープンな心で、善意のものだと受け止める。/4 メンバーに感謝する。フィードバックをするのは簡単なことじゃない!
フィードバックをする際の基本ルール/1 一般的なものは避ける(「あなたはいつも」や「あなたは決して」など)。/2人ではなく行動に焦点をあてる。/3 相手の行動に対する自分の解釈を語らない1行動だけについて語る。/4具体例を出す。
第10章 思い込みにとらわれた世界で生き抜き成長する
insight : いまの自分を正しく知り、仕事と人生を劇的に変える自己認識の力 | NDLサーチ | 国立国会図書館
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